第二話 クリスマスイブ
今日は少し早めに授業が終わったので、学校前の雑貨店に寄ってから帰ることにした。
幸時家での生活が始まってからの数日間、幸時邸と駅の間を、僕は自転車で往復している。その間約二km半。
運転手の榛田さんという人が、お送りいたしますがと丁寧に申し出てくれたけど、丁重に断った。
僕はその日その日、一瞬一瞬で違う空気を味わうのが好きだし、景色を見ながらゆったりと自転車を漕ぐのが好きなのだ。
これは父と同じ意見で、父は、一日一日をとても大切にする。
『今日はクリスマスの準備をいたしますので、お早めに』
染谷さんが、今朝玄関に座って靴紐を結んでいる時に突然声をかけてきて、僕は心臓が止まるかと思った。
『・・・クリスマスをするんですか?』
その質問は妥当だとでも言うように、染谷さんは静かに頷いた。
彼女がクリスマスと言うと、何か別のもののような気がした。
『幸時家でも、毎年クリスマスをお祝いします』
僕は驚いた。この家は、外見や内装は洋風だけれど、ほとんどすべてが和で固められている。なので、クリスマスという行事が行われることに違和感を感じた。
しかし、特に追求することもないと思い、僕は染谷さんに返事をして、家を出た。
今日はバイトもないし、早く帰れる。
「ただいま帰りました」
僕は靴を脱いで自分の部屋へと向かった。部屋は、引っ越してきた当時と比べてかなり人の住む場所っぽくなってきた。
つい先日、勉強用の机と椅子を加東さんにもらった。『もったいないから使って欲しい』のだそうだ。
僕はその椅子の上に鞄を置いてから、雑貨店のロゴが印刷された茶色の紙袋を開けて、淡い抹茶色の和紙で包装された小さな箱を取り出した。
これは、亜志貴さんへのプレゼントだ。いつも頑張っているから。
今日の勉強の時間に渡す予定をしている。
「堂月さん、お帰りですか?」
ノックの音の後に、加東さんの声が聞こえてきた。僕はドアを開けた。
加東さんは、黒色の生地に白い小花が品良く描かれた着物を着て、それに合った帯を締めていた。
僕は彼女の後について長い廊下を歩いた。
この家の廊下は、ほとんど軋まない。僕の家とは大違いだ。
「今年は楽ですね」
唐突に加東さんがそう言ったので、僕は一瞬何のことなのか分からなかった。
「幸時家に仕えている男性は、あまり若い人がいないのです。でも、今年はあなたがいてくださるから、モミの木を運んだり、テーブルをセットするのも、とても捗ります」
「あ、そうですか」
僕は納得した。
(でも、手伝いはどれくらいで終わるんだろう。夕方までかかることはないだろうけど・・・)
「心配なさらなくても、亜志貴様にはお会いできますよ」
加東さんが少し顔をこちらに向けて、フっと微笑んだ。
「ど、どうして・・・?!」
僕は、自分でも分かるくらい目を丸くした。
加東さんの、鼻の頭までかかっている影が、微妙に濃くなった。
「堂月さんは分かり易いんですね。顔のここに、ゴシック体で書いてありますよ」
そう言って、彼女は人指し指で自分の頬を縦になぞった。
僕の右手が、思わず頬にいった。
・・・ごしっくたい?
「さ、準備をしましょうか」
気がつくと、そこは食堂だった。運転手の榛田さんや、初日に僕を案内してくれた年配の方を含めた何人かの男性と、染谷さんだと思われる女性がいて、いろいろと作業を進めていた。
僕は、加東さんのあの背中を見た。
加東さんって、ちょっと怖いかも・・・
「堂月さん」
僕は肩を軽く叩かれたので、びっくりしてそちらを向いた。
亜志貴さんが、不思議そうな顔で僕のことを見ている。
「どうしたんですか?さっきから何度も呼んでるのに」
その顔に、僕は少しどきっとした。
慌てて彼女の手元を見ると、僕が指定した範囲を、とっくに終わらせているようだった。
僕はごめんごめんと言って座りなおした。
「ちょっとボーっとしてた」
彼女からノートを受け取り、丸付けを始めた。
彼女の文字は独特で、僕はこの字が好きだ。
彼女がほんの少し微笑んでいる横顔が、視界に入った。
僕はいつからか、亜志貴さんといることが楽しくなっていた。週に四回あるこの授業がいつも待ち遠しい。
けれどいつも、彼女は微笑みはするが、それは本当の彼女じゃないと僕は思っている。
なんというか、いつでも身構えていて、悲しそうなのだ。
僕は、彼女が時々見せる影のかかった横顔に、何か切ないものを感じていた。
「さ、これで今日は終わろっか」
そうして立ち上がったとき、大切なことを思い出した。
「あ、これ、亜志貴さんに」
僕は足元に隠しておいたあの小さな箱を、彼女に渡した。
亜志貴さんはそれを受け取ったとき、少し困惑したような表情をした。困惑というよりは、驚きの表情なのかもしれない。
「・・・これは?」
彼女が僕を仰いだ。澄んだ藍色の瞳に、蛍光灯の輪が映る。
「プレゼントだよ。今日、クリスマスイブだから。」
僕は彼女の手を見て驚いた。少しだけれど、震えている。
彼女がもう一度箱を見る。
「戴いて・・・いいんですか?」
僕がもちろんと言うと、彼女はまだ、なんと言って良いのか分からないという顔のままで、とても大切なものでも扱うかのように慎重に動き、その箱を机に置いた。
僕には、それが嬉しかった。
「ありがとうございます。後で、開けてみます」
亜志貴さんはそう言って、やっと微笑んでくれた。そんな彼女を見て、僕は心から安心した。
部屋を出ると、闇に天使の羽が舞い落ちるように、雪が舞っていた。
この、天使の羽、という表現は、堂月家でよく使う。
特に妹が。
光が当たっているわけでもないのに、羽たちは輝いているように見えて、僕はその幻想的な光景に、寒さも忘れてしばらく見惚れてしまった。




