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第一話 友達に

朝早く起きるのには、もう慣れている。だって、五歳のときからの習慣だから。

時刻がちょうど五時三十分になると、私の身体は、勝手に起き上がる。

洗面所に行って顔を洗い、髪を結んで制服を着てから、食堂に朝食を摂りに行く。五時五十五分。スカートが皺にならないように、慎重に椅子に座る。

これが私の一日の始まり。

この食事が終われば、私は学校に行かなければならない。

学校は、私に苦痛を与える。その場所で、私は孤独だ。みんな私のことを避けている。

どうしてかは知っている。そっけなくて、イヤな感じだと思っているのだ。

(そんなつもりは無いのに、みんな・・・・・いや、気にしてはいけない)

否定をしてみても、孤独は私を容赦なく包む。

私の大嫌いな、オブラートみたいに。

「学校なんか、無くなってしまえばいいのに」

私が乱暴に小声で呟くと、眼を丸くした運転手の榛田(はりた)さんが、ミラー越しに私を見た。

「何かおっしゃいましたか?」

私は「何も」と言った。

(もうすぐ冬休みだ。それまでは、頑張ろう)

学校では、授業中とテスト期間中が、唯一好きな時間。人と交流を持つ機会が無いから。

夕方五時ごろ、やっと狭く息苦しい箱から解き放たれ、私は帰宅する。

カラッと引き戸を開けると、玄関の絨毯の上で、染谷さんが正座をして待ち構えていた。これから着物に着替えて髪を結い直し、お化粧をしなければならない。

家の中での格好は、そうと決まっている。

「堂月さんは?」

自分の部屋で、私は何気なく加東さんに訊いた。ちょうど帯を締め終わった彼女は、私の前に立った。

「亜志貴様が帰られる少し前に、出かけられました。夕食までには帰るとおっしゃっていました」

私を椅子に座らせてお化粧道具を準備しながら、彼女はそう言った。

堂月さんは、昨日からこの家に居候することになった人だ。

しばらく自宅から大学に通っていたけれど、少し遠いので、ここに住むことになったらしい。

私は昨日、緊張してしまってまともに顔を見ることができなかったので、どんな人なのかはっきりと覚えていない。

お母さんはそんな私を人見知りだと言うが、違う。分かっていない。

私は他人が嫌いなのだ。

彼らは私を苦しめ、孤独にさせ、本当の私を見てくれない。

「ふ〜ん」

私は何も思わずにそう言った。しかし、それらしく聞こえたのか、加東さんはニヤっと笑った。

「残念でしたね。まぁ、そうガッカリなさらなくても、すぐに会えますよ」

囁くように言った彼女の声に、私はゾワゾワした。

彼女には、いつも謎めいた雰囲気が漂っている。そして、よく意味深な笑みを浮かべる。

それに、これは本当に自分でもバカな考えだと思うのだけど、時々私は、加東さんが男の人なんじゃないかと思ってしまう。

「そう意味じゃな―――」

「はい、口と眼を閉じて下さい」

彼女が人差し指を私の口に近づけた。私は仕方なく目を閉じる。

彼女はこういう人だ。


机に向かっていると、ノックが聞こえた。

私は加東さんだと思い返事をした。

「どうぞ」

そして顔をそちらに向けた瞬間に、頭の中が真っ白になって、鼓動が早くなった。

「こんばんは。お〜、けっこう広いね」

彼はそう言いながら、私の部屋を見渡した。

心臓の音が、外に聞こえてしまうのではないかと思った。

初めてちゃんと見た彼の肌の色は健康そうな色だ。黒い髪が少しふわっとなっていて、鼻筋が通っている。

全体的に整っていると、私は思った。

しかし、彼の優しそうな眼を見たとき、その透明な瞳の色に私は惹かれた。

少し青が混ざったような薄い墨色。白目がきれいなので、その青が強調されている。

「・・・どうしてここに」

私はこれだけを言うのが精一杯だった。

ちょうど勉強机の本棚に顔を向けていた彼は、その眼で私を見た。そして微笑んだ。

温かくて、清潔感があった。

「ノックをしたら、君がどうぞって言ったからだよ」

気持ちを落ち着かせてくれるような彼の高くも低くもない声は、私を茶化しているわけではなさそうだ。

緊張の糸がするすると解けていくのを感じる。

「そうではなく、どうして私の部屋に来たのですか?」

私はこう言ったが、心の底で、彼に対してほんの少し開きかけた心を頑張って閉じようとしている自分と、それを阻止しようとしているもう一人の自分がいることに気がついた。

「あれ、知らなかった?僕、大学の都合でここに居候させてもらう代わりに、君の家庭教師をするんだ」

ここで暮らすのにそんな条件が付くなんて、予定外だ。

(私が関わることは一切無いと思っていたのに・・・。加東さんが言っていたのは、このことだったのかな)

私はとりあえず部屋の隅からいつも私がお化粧をする時に使う椅子を引きずって机の隣に置き、彼に勧めた。この椅子は、私のこの机にちょうどいい高さなのだ。座り心地は保証しないけれど。

「ありがとう。さて、と・・・もう知ってると思うけど、堂月穏風(どうつきおんし)っていいます。よろしくね」

彼は布製の大きな筆箱らしい物を机に置くと、右足を組んでそう言った。

背の高い彼に、椅子は少し小さかった。

「よ、よろしくお願いします」

私は小さな声でそう言った。

「君のこと、なんて呼べばいいかな」

突然そう訊かれて、私は困ってしまった。

名前・・・・・そんなもの、どうでも良いと思った。

「・・・普通に・・・」

なんと言っていいのか分からなかった私の曖昧な答えに、彼はまた微笑んだ。そして、ちょっと待ってねと言って、彼は考え始めた。

横目でちらっと見たその姿は、背筋もまっすぐで、本当に整った人だと改めて思った。清らかな、と言った方が正しいのかもしれない。

「じゃあ、亜志貴さんに決定」

彼は満面の笑みを浮かべた。

「よし、始めよっか」

それから彼はそう言ったが、私は何も用意していなかった。

慌てる私の横で、彼はまた何か考えているようだ。

「と言っても、実は僕も何にも準備してないんだよね。家庭教師の話、今日聞いたばかりだったから」

きっとこれは、誰かの罠だ。と、思った。

お母さんか、お父さんかの・・・

「だから、今日はいろいろと亜志貴さんと話をしようと思うんだけど」

彼がちょっと苦笑する。

「・・・かまいませんけど」

そう言って彼を見ると、彼の魔力を感じさせる瞳はキラキラ輝いて見えた。嬉しそうな表情をしている。

「よかった」

この人には、他の人とはまったく違う何かを、魅力を、感じる。自然と惹きつけられてしまう。

そんな風に思っている自分を知って、私は少し驚いた。


しばらく話をしていると、ノックが聞こえた。私がどうぞと言うと、加東さんがティーカップをのせたトレーを運んできた。紅茶の良い匂いがする。

「ずいぶんと楽しそうにお話されていますね。外までお二人の弾んだ声が聞こえてきますよ」

加藤さんは丁寧にカップを置き、それから私の顔を見た。

「亜志貴様がこんなに楽しそうにしてらっしゃるの、久しぶりに拝見いたしました」

加東さんはそう言って、ニコっと笑った。

そういえば、こんなに楽しく誰かと話をするなんて、ずっと無かったかもしれない。

「あ、加東さん・・・でしたっけ。昨日はどうも」

私は堂月さんのその発言に、目を丸くした。

(二人とも、いつの間に・・・)

「昨日の部屋が、まさか亜志貴さんのお部屋だとは思いませんでしたよ」

加東さんはそれを聞いてあの妖しげな笑みを浮かべ、独特な彼女の声でそっと言った。

「運命ですね」

私は堂月さんを見た。

彼は少し驚いたような顔をしていたが、

「そうですね」

すぐに微笑んだ。

加東さんは、もうすぐ夕食ですのでと言って一礼すると、部屋を出た。

「加東さんって、面白い人だね」

彼の言葉に、私は一応「そうですね」と言った。

それからまた少し、話をした。

彼の隣は、安心できた。


「じゃ、そろそろ行こうか。明日からよろしくね。僕の担当は、国語だよ」

そう言って、彼は立ち上がった。

(国語は、週に何回だったかな・・・)

そう考えてから、そんなことを考えた自分に、驚いた。

「僕たち、いい友達になれそうだね」

彼の言葉の中に、私は聞いたことのある単語を聞き取った。

そして次の瞬間には、自分の耳を疑った。

「・・・ともだちに?」

私は、彼がドアのところで手招きをしていることに気がつき、電気を消して、部屋を後にした。

縁側に差し掛かると、晴れ渡った空に、無数の星と半月が出ていた。

月の明かりは、四角い中庭に植えられている色づいたモミジと私たちを照らした。

「わぁ・・・きれいだなぁ・・・」

彼は足を止め、中庭を方を向きため息混じりに言った。私も立ち止まった。

しかし私は、冷えた空気といつも見慣れているはずの景色に、彼をあわせ見ていた。

冴えた周りの世界に、彼だけがくっきりと存在しているようで、私の中に何とも言えない感じを刻んだ。

私は、静かに深呼吸した。

足袋越しに、気持ちの良い温度を感じた。

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