第十三話 思わぬところに青い鳥
私は、縁側に座っていた。
今日は堂月さんも紳もいない。
堂月さんは朝から大学に、紳は、例のケーキ屋さんにまたクッキーを買いに行ったのだ。
また、失くしてしまった。
私は彼のことを忘れようと勉強しまくったが、それももう限界のようだ。
もうすぐ冬休みも終わる。冬休みが終われば、また私は学校に行かなければならない。
でも、大丈夫。紳がいるもの。
紳が、実は私より二つ年上で、大学一年生だと聞いたのは、三日ほど前だ。
堂月さんがあの日部屋を出てから、私と紳はたくさん話をした。将来の夢や、好きな本、彼女のおすすめの映画や、その内容についてなど、紳の話題は尽きない。
『ボクはね、外国が大好き。父さんと母さんが、ずっとそういう仕事をしてたからかな。その中でも特にフランスが好きで、大学も、外国のことが勉強できるところに行ってるんだ。それで、大学生になって何ヶ月かしてから留学に行ったの。とっても勉強になったぞ』
彼女の顔が、また輝いていた。
私は、目標をもっている紳が、手の届かない存在に思えた。
『好きな人ができるとね、』
彼女は私の顔を見て言った。
胸がズキっと痛んだ。彼女は、私の気持ちを知らない。でも、深く追求しない。・・・彼と同じだった。
『けっこう何でも頑張れるよ』
紳の笑みは、純粋に綺麗だった。私は、少し考えてから、こう言った。
『ねえ、紳』
紳が、ん?と私の顔を覗き込んだ。私はまた少し考えた。
彼女はじっと、待ってくれた。
『紳は、堂月さんのこと・・・好き?』
私が彼女を見ると、彼女は何の躊躇いも無く頷いた。
『うんッ、大好きだよ!』
私は、彼女には敵わないのかもしれない。
私は、雲一つない空を仰いだ。どこまでも続くその空に、体が染まっていきそうな気がした。冷たい風が吹いて、雪を纏った紅葉の木が、寒そうに揺れた。
と、東棟からこちらに、誰かが歩いてきた。笑い声が聞こえる。二つとも、聞いたことのある声だ。
私は、聴覚だけを現実に残し、他の感覚を全て美しいこの景色に溶かした。
「亜志貴、こんなところで何をしているんだい?」
聴覚が、その呼びかけに応じて私を現実に呼び戻してくれた。振り返ると、そこにはスーツを着たお父さんと、もう一人、あの人がいた。
私は慌てて立ち上がってスリッパを履いた。
「こ、こんにちは。先日は失礼致しました」
私が挨拶をすると、彼はあの人と同じように、柔らかい目をした。魅力的なあの目は、相変わらずとても澄んでいた。
「いやいや、こちらこそ」
彼の微笑みはあの人そのもの、と言って良かった。
お父さんが彼に、何のことかと訊ねた。
「いや、正月の日に私が彼女にぶつかってしまったのだよ。でも、あの時は驚いたな。君の娘さんが、もうこんなに美しい、礼儀正しい女性になっているなんて。私が穏風と紳を初めて連れてきた時は、まだ三・四歳じゃなかったか?」
私を見ながら、彼は言った。
(今なんて・・・)
「そうだなぁ、もう十三年ほど経つか。早いもんだな」
お父さんも、私の顔を見て言った。
「亜志貴、覚えてないか?堂月さんだよ。私の親友の、堂月おじさんだ。お前も昔はよく、穏風君や紳ちゃんや由乃と遊んだもんだぞ」
お父さんが懐かしそうに遠くを見た。
私は驚き過ぎて、言葉が出なかった。堂月さんが笑った。
「覚えておらんだろう。何しろ由乃君と穏風が、まだ幼稚園生になったばかりだったんだから。私も穏風に幸時家のことを言ったが、何も思い出さんかった。面白いから、時子とグルになって、このことは黙っておいたんだ」
「恵二と時子さんは、相変わらずそういう事が好きだな」
二人は一緒に笑った。
(そうだったのか。紳と堂月さんは、兄妹だったんだ!)
全てが変わった。世界が、とても美しく煌いて見えた。何もかもが、素晴らしく思えた。自然と笑みがこぼれた。
「あれ?!父さん!」
突然、西棟の側から声がした。見ると、そこには堂月さんと紳がいた。
堂月さんは歩いてこちらにやって来たが、紳は走って、堂月さん・・・堂月おじさんに抱きついた。
がっしりした体つきの堂月おじさんに抱えられた紳は、まるで小さな子供の様だった。
「父さん、来てたんだね!ヒドイじゃないかっ、ボクを放って母さんと旅行に行っちゃって」
紳が頬を膨らませると、おじさんは、彼女の頭を優しく撫でた。
「お土産を買ってきたから、許しておくれ。それに、久しぶりに由乃君や亜志貴ちゃんに会えて良かっただろ?」
彼女はしょうがないな、許してやると言って笑った。
「「なんだ。紳、知ってたの」」
私と堂月さんがほぼ同時に言った。私達はお互いを見て、そして笑った。紳も笑いながら言った。
「当たり前だ。ボクの記憶力を嘗めるなよ。父さんと母さんと、それから由乃と凛さんと賢貴さんとグルになって、黙っていたのだ」
彼らは、とても愉快そうに笑った。
私は、堂月さんを見た。彼も私を見て、ちょっと仕方なさそうに、でも幸せそうに微笑んだ。
人を『好きになる』ことを、私は少し理解できたのかもしれない。人を信じてみたいと思った。
めちゃくちゃだったけれど、堂月さんが私のことをどう思ってくれているのか分からないけれど、私は堂月穏風さんが好き。
どこかで、鳥がさえずった。




