プロローグ
「・・・すげ〜」
初めて幸時邸を見た僕の感想は、この一言に尽きた。
開かれている門の大きさだけでもかなりすごい。敷地内を見ると、白塗りの三階建ての建物は別れていて、その二軒を、二階にあるガラス張りの渡り廊下が繋いでいた。
所々苔が生えている石垣に囲まれたこの屋敷だけ、別世界だった。
(日本に、本当にこんな豪邸が存在したのか・・・)
僕は勇気を出して、門の木柱に取り付けられた少し場違いなインターホンを押した。すると、中から使用人らしき老人が出てきて、名前を告げると、笑顔で母屋まで案内してくれた。
広大な庭はきちんと手入れが行き届いていて、まさに日本の風景、といった感じだ。
白い砂利が敷かれた道を渡ると、黒光りする瓦の屋根に漆喰の壁の立派な館が、堂々と朝日に照らし出されていた。
「ようこそおいでなさいました」
石畳の玄関に立って周りを眺めていると、黒地の着物を着た五十歳くらいの女性が出てきて、ふかふかしていそうな絨毯に正座をした。この人も使用人らしい。
彼女は、しばしお待ちをと言うと、側にあった黒塗りの電話の受話器を手に取った。
(まだこんな電話あるんだ・・・)
「奥様、染谷です。堂月様がお見えになりました」
しばらく沈黙が流れた。
僕は、手紙以外で初めて『様』を付けられたことが、なんだか恥ずかしかった。
「すぐに奥様が来られます」
染谷さんという名前らしい使用人の女性は、いつの間にか電話を切り、こちらを向いていた。僕は慌てて返事をした。
本当にすぐに、その人は来た。
その人、幸時凛さんは、薄い藍色の瞳をしていてとても若かった。
ほんのり赤い髪を高く結い上げ簪を挿している。紺色地の着物には、淡いピンク色の花吹雪が描かれていて、すらっと背の高い彼女によく似合っていた。
顔には、濃く化粧がされている。
「遥々幸時家にようこそ。さあ、お上がりになって」
とても澄んだ声だった。微笑んだ端正な顔は少し緊張しているように見えたが、優しそうな笑みだ。
案内されたのは、とても広い部屋だった。
幸時さんは食堂だと言った。
床は一面クリーム色のカーペットで、白色の壁には、肖像画や巨大な風景画が飾られている。天井からはシャンデリアが吊るされていて、僕は思わず「わぁ・・・」と声を上げた。
この部屋だけ外の和風なイメージとは違うなと思いながら部屋の中央を見ると、光沢のある茶色の長テーブルが置かれていて、同じ色の椅子が七脚ほど並べられていた。
そのうちの一つに、淡い紅色の着物を着た若い女性が座っていた。
幸時さんが彼女の方へと歩いていったので、僕もそれに従った。
綺麗な線の横顔、というのが、彼女の第一印象だった。
幸時さんと同じように髪を高く結い上げ簪を挿し、濃く化粧をしていた。
「堂月さんがお見えになりましたよ。ご挨拶なさい」
幸時さんが静かに呼びかけると、彼女の長い睫毛を持つ瞼がゆっくりと持ち上げられた。それからスッと立ち上がると、彼女はこちらを向いた。
化粧に関して、僕は何も知らない。
けれど、僕はただ彼女をキレイだと思った。切れ長の眼がとてもくっきりとしている。
しかし彼女の顔は、いつかどこかで会ったことのあるような気がする懐かしいものでもあった。
「これが、私の娘でございます」
そんな彼女の肩に手を添えるようにして、幸時さんが言った。彼女は軽く頭を下げた。僕も急いで頭を下げる。
(そうか、娘さんだったんだ・・・)
「亜志貴と申します」
彼女は少しハスキーな声でそれだけを言った。
「こんにちは。堂月です」
僕は緊張していたが、何とかちゃんと挨拶ができた。
しかし、言った瞬間に後悔した。こんな挨拶の仕方で良かったのだろうか?と。
何かが足りないような、そんな気がした。
しかし彼女はじっと僕を見てから方向転換をし、部屋を出て行ってしまった。
僕は戸惑った。彼女の背中を見送りながら、空気が少し変わるのを微妙に感じ取った。
「失礼いたしました。亜志貴は人見知りをするもので・・・。染谷さん、堂月さんをお部屋にご案内してください」
幸時さんは本当に申し訳なさそうに言ってから、部屋の入り口に隠れるように待機していた染谷さんを呼んだ。
僕の部屋は屋敷の二階で、階段を上ったすぐ右手にあった。
長い廊下は木でできていて、ピカピカに磨かれている。
部屋は、多き白いベッドとベージュのクローゼットがあるだけのシンプルなものだった。
荷物を置いて少ししてから、僕は、この部屋に来る途中にあったステキな中庭をもう一度見に行こうと思った。
さっき上った少し暗い階段を下りて、来た道を逆戻りした。
しばらくすると、ガラス張りの、染谷さんが縁側だと言っていた場所に来た。
三方を壁に囲まれたその庭は、玄関から続いているらしき白い砂利が敷き詰められていた。真ん中にはモミジの木が植わっていて、美しく紅葉している。
しばらくその景色を見てから何気なく左を見ると、縦横二十センチメートルくらいの青と水色のステンドグラスがはめ込まれたドアが見えた。
僕はなぜかその部屋が気になり、近づいた。
部屋の前に立つと、昔から知っているような香りがした。
(何の部屋だろう・・・)
「どうされました?」
背後から、よく通る声が聞こえてきた。僕は飛び上がった。
振り返ると。そこには濃い紫色の着物を着た、幸時さんと似たように背の高い女性が立っていた。色が白く、結い上げられた髪は艶やかな黒色をしている。
二重の眼は切れ長で、少し妖しげな印象を受けた。
「興味がおありですか?」
注意されるのかとビクビクしていた僕は、微笑みながら囁くようにそう言った彼女をまじまじと見てしまった。
引き込まれてしまいそうな魅力を持つ、整った美しさだった。
「いや、その・・・中庭が素敵だったので、もう一度見に来たらこのドアが・・・」
僕が慌てて言い訳をすると、その人は僕の顔を見た。
決して睨んでいるわけではないのだろうけど、射るような、やや挑戦的なその視線に少し怯む。
「失礼いたしました。私はお嬢様のお世話をしております、加東白です、お見知りおきを」
僕は、踵を返した彼女の背中を見た。手足が長くて、身体の厚みが少し薄いような気がする。
「もうすぐ、その部屋に入れると思いますよ・・・」
彼女はそう言って、フフッと謎めいた微笑を僕に向け、廊下の向こうへと消えていった。
僕は、寒気を感じた。




