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港町に向かう道は何本もある。その内の一つ、海岸縁を他の漁村とつながる道の一つにいく台かの荷馬車が止まっていた。整然と列を組んでいただろうそれらは乱れ、路傍の石に乗り上げたものもあり、場の混乱を物語る。
しかし無事退けることができたのだろう、その場にすでに|大蜥蜴(襲撃者)の姿はなく、今は乱れた隊列を立て直すためだろうか、キャラバンのメンバーとおぼしき者達が忙しなく動き回っている。
「すまない、怪我人がこちらにいると聞いたんだが、案内を頼めるか?」
旅装束の男に案内されたテオが手近なところで作業する者に声をかけると、外部の者からの声かけに驚いたのか怪訝そうな顔をされながらも案内を受ける。最悪の事態も予想していたが、血の臭いの少なさから被害は少なそうだと胸をなで下ろすテオとは反対に、リサは状況に違和感を感じ足を止める。いや足を止めたのは状況の不振さもさることながら、最たる要因は崩れた荷物の中にちらりと見えた紋章。
「リサ?」
付いてこない気配に怪訝そうに首を傾げれば、野良猫のように警戒心露わにする連れの姿。
「どうかしたのか? やっぱり気分が悪くなったのか?」
「違う。……妙だと思わないの?」
「妙? 血の臭いが少ないのは良いことだろう」
「そうね。でも――だったらどうして大蜥蜴の死骸が一つもないの?」
言われてみれば大蜥蜴の襲撃を受けたにしては、周辺に死骸の一つもないのは奇妙だ。大蜥蜴は一度獲物と見なせばそれはもうしつこく襲ってくる。そのしつこさはよく知られており、あきらめの悪い者の例えとして慣用句や諺に出されるほどだ。
幸い前述したように足は速くないため速度を上げれば振り切る事ができ、いくら何でももう追えないいだろうと言うほど離れれば諦めるが、この様子ではそれも難しいことは明白だ。毒があることからその死骸を下手に処理することもできず、加えて素材のはぎ取りを行うにしても、大蜥蜴は毒を持っているせいか有効利用できる部位の少ない事からわざわざはぎ取る価値のない魔物だと言われるほどなのだから――
「――ちっ」
舌打ちが聞こえたのはほぼ同時。時を同じくキャラバンのあちらこちらからも同様の舌打ちか金属がこすれる抜剣の音が鳴り響く。
瞬間的に露わになった敵意は全て、余すことなくこの場における部外者に向けられていた。
「……どういう事だ?」
迎撃体制を取られる前に切りつけようと言うつもりだったのだろう、しかしすばらしい反応で剣を抜いたテオによっていなされた男は、射殺さんばかりの目でテオを睨んでいた。唐突に突きつけられた状況に困惑を禁じ得ない。
いや、状況的にこれが罠と言うことは解る。解るのだが――
「俺たちは、ただのしがない旅人だぞ? こんな大がかりなことをされる言われもないし、するのならもっと相手を見て仕掛けて欲しいもんだが」
ぱっと見た限りでも荷馬車数台に、おびき寄せるために走った者、他にもこの場で待ち伏せしていた者も含めれば十数人もの人数が居ることになる。テオもリサも見てのとおりただの旅人であり、襲ったとしても得られるものは当然少ない。まだ行商人などを狙った方が得られる物も多いはずだ。根無し草の旅の荷物と若い女という餌を喰らうために、目の前の規模の襲撃者が動くとは到底思えないし、恨まれる心当たりもテオにはなかった。盗賊などの輩だというにしては身なりが小綺麗であるし、半月ほどの滞在期間においてそんな物騒な連中が近くにいるという噂を耳にしていない。
強いて言うのなら記憶のないリサが何らかの事件に巻き込まれて記憶を失い、その関係から追われているという事も考えられるが――
「白々しい事を……っ」
だがそんな予想に反し、襲撃者達の害意はテオへと向けられた。先ほどの発言の一体何が気に入らなかったのか、襲撃者の一人が射殺さんばかりの憎悪とともにテオを睨む。
このようなことを仕掛ける荒くれ者にしてはいささか育ちの良さそうな男だ。目鼻立ちの整った容姿は優しげな微笑みを浮かべれば女の一人や二人、簡単に虜にできそうだとすら思える。だがその表情は憎悪に染め上げられ、まるで悪鬼か何かであるような印象を見る者に与えることだろう。
激しい感情を示すかのように、繰り出される剣は鋭く重い。だがテオの方も伊達に趣味で各地を放浪しているわけではない。勝手気ままに気楽に各地の伝承を追って放浪しているように見えて、そんな事が可能なのは相応以上に身を守るすべを、時には害を退けるだけでなく、その力で路銀を稼ぐくらいの技量を持っているからに他ならない。
襲撃者の動きは怒りによる激しさはある物の、どちらかと言えばお綺麗な剣術だと言うことだろうとテオは数合撃ち合わせるだけであたりをつける。事実身なりやこの規模の戦力を用意していることから見て、男はどこぞの貴族様あたりと見るのが妥当だろう。――もっとも、そんな人物に恨まれる覚えなどテオにはさらさらないのだが。
一方でテオの身につけている技術は生き残るための実践剣技――お上品な貴族達の『試合』ではなく、命を賭けた『死合い』である。そこには守るべき模範も型も、反則すらもありはしない。
そんな違いから、互いの技量に大きな差がなければどちらがより消耗を強いられるかなど明白だ。ましてただでさえ感情にまかせ大振りな攻撃を繰り出しているのだ、男は次第に疲労の色が濃くなってゆく。
集団の総統者らしき男の劣勢に、周囲を取り囲むだけだった他の者達も動き出す。だがそれは悪手だった。テオのような少人数で動く者にとって、乱戦こそ最も数をこなしたもの。よほどの連携でもない限り、相手の動きを利用して同士討ちを誘発するなど慣れたものだった。
現に今も、横合いから繰り出された武器をひょいと交わし、足を払って体制を崩す。前のめりに倒れ込んだ男は仲間の前に転がり出てしまい、追撃を加えようとしていた男達と盛大に衝突する。
「く、くそ。こいつ――!」
「バカ! まともに行って勝ち目は薄いだろ! 先に女の方を――」
想定していた実力以上を見せつけられたためか、男とその取り巻き達に動揺が走る。人質を取れれば――あるいはリサを確保することが目的か――とそんな言葉を交わす者が居るが、見過ごすはずもなく奪った武器を投擲武器よろしくブン投げて黙らせた。
「リサ、大丈夫か?」
「避けるくらいなら、問題ないわ」
身を案じる言葉に素っ気なく応える。襲撃者対の大半がテオへ意識を向けているとはいえ、リサに襲いかかる者も皆無ではない。にも関わらず疲労を感じさせないのは、反撃に転じることなく避けることに集中しているからだ。
テオと旅をしているとはいえ元々リサに武術の心得はなく、よってこういった乱戦時にはひたすら避けることに専念したが故のこと。テオからしても、下手に素人同然の援護が入るよりはよっぽどやりやすいと進めたことだったが、これが思いの外うまくかみ合い今では立派な連携となっていた。
多少時間はかかるだろうがこのまま行けば何とか凌げるか――そんな見通しがちらりとよぎる矢先、襲撃者達の間に妙なざわめきが波紋となっていることに気づく。
「リサ?」「お嬢様の――」「ばかな――」「――恥知らずな」
ざわざわと広がる疑念とざわめき。動きの鈍った今はある種の隙ではあるが、さすがに二人で包囲を抜けられるほどの突破力はない。下手に手を出すことができず警戒を解かぬまま出方をうかがう二人の耳に、憎悪の言葉が向けられる。
「――ふざけるなぁ!」
声の主はこの集団の統率者らしき、貴族ぜんとした男だ。まるで地獄の底から這い出た亡者のような声で、怒りのままにわななく。
「リサは、妹リサリナはおまえが殺したのだろう! 貴様が殺した妻の名だっ! それを、こんな貧相な小娘などと――何処まで、侮辱を!!」
「――はい?」
突如として叩きつけられた激しい――それでいて想像の埒外の言葉に状況も忘れ呆気にとられるテオ。
「……既婚者だったの?」
「いやいや、んなバカな!? いくら何でも連れ合いほっぽりだしてこんなふうにほいほいほっつき歩いたりはしないぞ、俺は?!」
リサから向けられた冷ややかな視線に首を振って否定を示す。その狼狽ぶりは誰が見ても明らかで、余りに突拍子もない言葉を投げられた故の混乱だ。
――そして明確な隙でもある。
すかさず距離を積める貴族。怒りを乗せたシ突こそかわしたものの、反応が間に合わずテオはそのまま肩からの当て身を受けてしまう。
「ちょ、ちょっと待てよ! 誤解――」
「貴様は死んで、妹に詫びろぉ――っ!」
制止の声もむなしく、貴族はテオを思いきり突き飛ばす。奇しくもそこは崖である。四方から囲まれてはさすがに対処しきれないと、崖の近くに位置を取っていたことが災いした。
さすがにほとんど同じ体格――むしろテオの方が一回りほど大柄だろう――を相手では技量が足りないのか、投げ飛ばすなど出来ないようだが、この場所であれば数歩後退させるかバランスを崩させればそれで十分だった。
体勢を立て直そうとした足は地面を踏めず、そのまま大きく体を傾げた。せめてもの足掻きと伸ばされた手は駆け寄るリサの延ばした手を掠めることもなく空を切り、荒波渦巻く海面へと真っ逆様に落ちてゆく。
「――っ?!」
空を切った手を握りしめ、リサはテオの姿を探すが荒れ狂う波の中にそれらしき姿はない。よしんばあったとしても、この状況では弓を射かけられるだけかもしれないが、それでも姿がありはしないかと視線を巡らせるが見慣れた道連れを見つけることはできない。
「終わった……これで……リサリナ……」
そんなリサの姿などまるで目に入らないのだろう。貴族の男は昔年の怨嗟を断ち切ったような、あるいは仇を討った達成感と愛しい者が戻らない虚無感がない交ぜになった声をこぼす。祈るように握りしめられたロザリオには、荷物の中で見たそれと同じ文様が彫り込まれていた。
あるいはそれは、まさしくそうなのかもしれない。テオと二人で旅をしていたリサだが、二人はお互いの過去に関してまるで知らない。
テオは過去の伝承を紐解くことに興味はあっても、本人が話そうとしなければその過去を無理に問いただすようなことはしなかった。またリサも己の過去など口にしたくもなく、故に過去の話題は極力避け続けていた。
故に、今のこの状況。
「娘さん、災難だったな。だが我々の目的は達せられた。怯えないで欲しい、これ以上君に危害を加えないと約束しよう。
……あの男は大罪人だ。君は知らなかったようだが、かつてお嬢様を……あの方の妹君を殺したうえに、屋敷に火をつけた悪党だ。おそらくおまえさんは体のいい隠れ蓑にでもされていたのだろう……ほとぼりが冷めれば、今度は君が殺されていたかもしれない。
すぐにはそう思えないかもしれないが、我々は有る意味では君を助けたんだよ。……ああ、こんな話をいきなりしてもなかなか信じられないだろう。まずは近くの町か、望むのなら元居た場所まで送ろう。ゆっくりと体を休めて、今日のことは悪い夢だったと忘れるといい」
取り巻きの一人が哀れみと共にそんな言葉をリサにかける。そこには先ほどあった敵意はなく、ただ不幸にも復讐劇に巻き込んでしまった彼女に対する心配と、知らず利用されていた事への同情が見て取れた。
周囲の男達の反応も似たようなもので、貴族の男と同じように祈りを捧げる者、リサの身を案じる者とが半々だ。そんな男達の中には貴族の男と同じように、蔓草と梟をモチーフとした意匠の印を身につけている者もいる。これらの印は貴族か、それに仕えるものだけが身につけることを許されており、先に感じた育ちの良さを裏付ける。
現に今、リサの身を案じるのもただの荒くれ者であるのならしないような気遣いである。
「………」
「娘さん?」
だから――
「おい、いきなり説明しても混乱するだけ」
「――あ、は。あはははははっ!」
おかしくてしかたがなかった。
「な、なんだこの娘……」
「気でもふれたのか……?」
突如として肩を揺するリサの姿に、男達は困惑する。
当然だ。男達の目からすれば気が触れてしまったとしか写らないのだから。だがいくら身近に命の危険が潜む世の中であっても、こうして人殺しの現場に立ち会うことなどまず無い。ましてや若い娘である、非日常の空気に当てられ気が触れた――そう考えてしまうのも間違いではない。
だが、違う――
「――ふざけているのは、気がふれているのはおまえ達の方よ」
冷たく言い放つ言葉と共に、男達を見据える。そのソウボウには狂気などはなく、ただ峻烈な感情があった。
「我々の気がふれているだと……? 娘、我らを愚弄する気か?」
あまりにも峻烈な感情の吐露に、復讐を終え虚脱状態だった男も引き戻されたのだろう。向けられたまるで罪人を断罪するかのような眼差しに、不快感を隠すこともしない。
「愚弄? いいえ事実よ。おまえたちは二度も私の居場所を壊した――それなのに助けた? 忘れろ? 故郷へ帰れ? ……できるはずもないでしょう!」
純然たる怒りの感情。連れと思っていた者を殺された憎しみを向けられるだろうとの予想を外され、男達は何事かと戸惑いを見せる。
彼らとて凶行にこそ及んでいるが、それは彼らの中で正当な理由があってこその行動である。信頼していた者に裏切られ、肉親を殺された――例えそうなったのが殺された本人の自業自得であったとしても、害された側の人間はそう簡単に割り切れるものではないし、受け入れることはできないだろう。
だが、それはリサにも――リサと呼ばれるようになった彼女にも同じ事が言えるのだ。
「おまえ達は! 自分たちが広めたくだらないおとぎ話がどんな影響を与えたのかなど考えたこともないでしょう!」
「貴様!」
ともすれば彼等、アーネルド家そのものに対する暴言とも取れる言葉に怒りを示し、男等は取り押さえようと身構えるが最後の一歩を踏み出せずにいる。
なぜなら彼女が居るのは断崖絶壁の上。ほんの少しでも下がればそのまま落下し海の藻屑となりかねない位置。そのような場所に居られては、例え鍛えた男達であっても迂闊に踏み込めば諸共落下しかねないため、手を出しあぐねてしまったのだ。
「分別のある者は、ええよその話と、そういう寓話もあると割り切るでしょうよ。けれど半端に信心深く欲深い人間が、目の前にエサをぶら下げられたらどうなるか――」
自らに向けられる敵意を睥睨し、怯むことなく彼女は続ける。
「おまえ達は、集めたおとぎ話が何をなすか――よく考えてから広めるべきだったのよ」
たん、と――
「な――?!」
「女、貴様何をっ?!」
戸惑いとどよめき。
死の断崖にたっていた彼女はそう言い切るなり、ついに伸ばされた腕を避けるよう自ら後方へと飛んだからだ。
支えるものなど何もない。慌てて身を乗り出した男達の目に、彼女の姿は見る見る内に小さくなり、やがて荒れ狂う波に呑まれて消える。
「バカな……」
「後追い……? しかし、何という真似を」
「……若」
「………」
男達、アーネルド家の面々とて復讐に他者を巻き込むのは本意ではない。だからこそ、わざわざこのような手間をかけて妹を殺した義兄を人里から離れた場所におびき出したのだ。
ましてや隠れ蓑に利用されていたとはいえ、死んだ妹と同じ愛称で呼ばれていた者に死んで欲しくなど無かったし、望むなら保護しても良いとさえ思っていたのだから。
やるせない気持ちを抱えたまま、いつの間にか妹の仇を討った達成感と虚無感は消え去り、ただただ無力感が、後味の悪さがこみ上げる。
妹殺しの大罪人の同行者を相手に、ましてやアーネルド家の発行した地方民話集を貶すような物言いをした人間に対して抱くにはおかしな感情である。ともすればあの男の被害者同士という勝手な共感か、もしかすると彼女がああまで民話集を貶す発言をしたのは、こうした思いを抱かせるためだったのかもしれないと言う考えがちらりと浮かんだとき、周囲の者達がざわめくのを感じ、貴族の男は顔を上げる。
「何事だ?」
「わ、若様……あれを!」
慌てふためく家人の様子に声をかければ、荒れる海を指さす。彼は長年アーネルド家に仕える武人であり、幼少より剣の手ほどきを受けた貴族の男はこの男がこのように取り乱す様を見たことはなく、故にどのような異常事態が起こっているのだと身構える。
だが、異変は貴族の男達に降りかかるものではなかった。
「いったい何が……――っ?!」
促されるまま視線を向け、それを見つける。
荒れた海をものともせず、平然と波間に佇むその姿を――




