04. 殺したがり [2]
俺は俄然井田に興味がわき始めた。俺が十七年間生きてきて初めて間近で見た、聞いた、精神的グロ、もとい井田に。
井田は俺の想像以上にグロい人物であった。そこではた、と気がつく。そういえば俺、今までこんなに長く、しかもふたりだけで井田と話し込んだことがあっただろうか。いや、ないな。思い起こせば井田は自分から話をふったりすることはほとんどしない性格だったし、俺が話しかけてもへらへらと当たり障りのない適当な笑顔ばかり浮かべるような女だった。けれども井田は俺のなかで親しい友人カテゴリに入っている。むこうはどう思っているのかは知らないし知りたいとも思わないけれど、それでも俺の井田に対する認識はれっきとした友人だ。そう、『相手がどう感じていようが俺には関係ない』。俺は綺麗なものに魅力を感じるし、うん、だから別に嫌いな奴もとくにいない。美しいものはみんな好きだ。そういうものはすべて俺の友達だと勝手に思っている。エゴイズム? いやいやそんなことはない、綺麗なものを例外なく好きだというのは常人なら抱く普通の観念だろう。俺はとくに目立つわけでもない、至って普通の平凡なありふれた高校生なのだから。
手伝ってあげようか?と俺が笑って言ったら井田はあからさまに動揺していた。死にたいだとか死のうだとかさんざん愚痴っていたくせに、いざ誰かがじゃー手伝ってやるよと手を差し伸べてやった途端これだ。あーあーやっぱりそうですか。できもしないことをほいほい口にするなと俺はたちまちがっかりしたが、それはおいておく。そしてその日一日完全シカトをぶっこきやがったことも、クソ、あの女、まあいい、おいておこう。あいつの行くところ行くところにわざわざ現れて待ちかまえてやったというのに当の本人は作り物の面倒くさそうな半笑いだけを残してすーっと俺を避けやがったことも、だからいらいらした俺がこれみよがしに付き纏ってやって半ばストーカー化してしまったことも、じいっとガン見しまくってやったのに井田の野郎、とことん気づかないふりをしていたことも、いいさ、この際全部水に流そうじゃないか。
俺は井田に提案した。死ぬのはいけないよ。そんなに死にたいのなら、自殺する前に一回死に匹敵する恐怖を味わってみたらいいんじゃないかな。本気で死ぬ思いをしたら死にたいなんて思わなくなるんじゃないかな。俺はあくまで自殺反対派だと強調して、そんなことを述べてみた。――そのためなら俺なんでも手伝うからさ。だめもとで試してみる価値、あるんじゃないかな?
そう、たしかに俺は自殺を肯定しない。何度も繰り返しているじゃないか、『生きているだけで美しい』のだと。わざわざ自らその美しさを引き裂いて汚物に成り下がらなくてもいいだろう。俺はグロいものが大嫌いだ、そんな俺だって、ああ認めたくはないがいつかはグロに成り果てる。でも、そんな瞬間は一分でも一秒でも先延ばしにしたい。わざわざ好き好んでグロテスクな物体にならなくてもいいだろう、いずれ誰しもがグロ側に堕ちてしまうのだから、それまで必死でせいいっぱい生きればいいじゃないか。
生にしがみつく生物は美しい。綺麗だ。生を放棄するモノは汚らわしい。グロテスクだ。だから俺は自殺を認めない。だから俺は自殺を許さない。だから俺は自殺を受け入れたくはない。自殺なんて能無しのすることに決まっている、ただ、――ただ――。
井田が死ぬ様は、この目にしっかりと焼きつけたいと思う。
井田は例外だ。井田は、俺にとって初めての例外となりえた。俺は井田の内面の、しかも誰も知らないようなどす黒く濁った最強に汚い部分にたしかに触れた。自惚れではないだろう、井田がこんな話を他の誰かにしているとは思えなかった。だってこんなくっだらないクソみたいな悩みを、自分を下げて下げて下げまくっている自己評価を、生きることに肯定的な美しいクラスメイトどもがああそうですか、辛かったんだね、とすんなり受け入れられると思うか? 無理だね。もしかしたらハブられるかもしれないよねえ、ネガティブすぎて。でも見たところ井田がハブにされているようすはまったくない、ということは、井田がこんな話をしたのは俺が初めてだろう。井田が心情をあけっぴろげにするタイプとも思えなかったし、そもそも、井田は「悩みなんてない明るい女の子」という虚構を創り上げていたらしいし。
そういうわけで、井田は例外だ。俺だってきったねえ薄暗い心に触れたのは生まれて初めてだ。昨日のホームルーム前、井田は俺にとっての精神的グロとなりえた。本来いい感情を抱かないはずのグロ、精神的グロを身近に感じられて、俺はひどく興奮していた。肉体的グロはいやでも目にする。犬に猫に鳥に豚に牛に虫に、人間に。慣れたものだ。しかし精神的グロをお目にかかる機会なんてめったにない。その好機がぽん、と俺の前に放り投げられた。そこには井田がいた、井田はその真ん中にいた、井田は真っ暗な渦の中心から俺をじとりと見据えていた、その淀んだ瞳はたしかに絶望していた。生に対して否定的な目線だった。俺はその挑発的な視線に、刺激的な井田の表情に、歓喜に打ち震えた。俺はもしかするとずっと、ずっとずうっと、この瞬間を待ち望んでいたのかもしれない。
井田は例外だった。生きているくせに、グロテスクだった。生きとし生けるものは例外なく美しいという俺の信条をぶち破った異端者だった。俺はそんな矛盾を孕んだ井田が、実際に死んだらどうなるのか非常に気になってしかたがなくなった。今でさえグロい井田が、生けるグロである井田が、本当の本当に、文字どおり「グロテスク」になったとしたら――? 精神的グロと肉体的グロの融合。非常に気になる。今以上にグロくなるのか? それとももともとグロいのだから、もうそれ以上グロくなりようがないのだろうか? どうなんだ。気になる。気になる、気になる。気になる気になる気になる!
俺は断じてサディスティック精神など持ち合わせていない。暴力行為に魅力を感じない。それは屑のすることだ。美しいものを惨たらしく嬲って汚物に導くなんてこと、絶対にしない。俺は普通の人間だから、異常性癖には関心がない。ただし、井田は例外なのだ。もういいはっきり言おう、俺は井田が傷つきのたうちまわり苦しみに喘ぐ姿を見てみたい。絶望に揺らいだ瞳が完膚なきまでに叩きのめされ奈落の底に堕ちていく様をこの目に焼きつけたい。井田が死ぬ瞬間を穏やかに微笑んで優しく見守ってやりたい。こう考えるようになってしまったのは井田のせいだった。そうさ、井田のせいなんだ。精神的グロな存在の井田のせいで、俺の心にも精神的グロが生まれてしまった。俺も井田と同じように、矛盾を抱える人間になってしまったのだ。美しく綺麗な存在なのに精神的グロという、肉体と精神にずれが生じるモノになってしまったのだ。
だから俺はひとつの案を掲げた。死ぬほどの恐怖を味わってみたらどうだろう。俺がそのとき長ったらしく説明したことは、すべて本音であり本音でなかった。井田はいまいち理解できていないようだったが、わかる必要はない。俺は俺の価値観に準じて素直な気持ちを並べただけなのだから、赤の他人が理解しようとする必要などないのだ。無駄な努力はしなくていい、井田は井田のことだけを考えていればいいさ。俺は俺のことだけを考えるから。
死に対する恐怖、それを井田に味わわせるためなら、俺はなんだってするだろう。首だって絞めてやるし高いところから突き落としてやる。水に顔を沈めてやるし、刃物で切りつけるのもやる。殴ってほしいならぼこぼこにしてやる。薬が欲しいなら、それは未成年だから難しいかもしれないけれど、それでも奔走してやろう。さらに精神的に追いつめられたいなら外道な台詞もどんどん吐いてやる。クラスの連中を率いていじめてやるのもありだ。勘違いしないでほしい、俺は井田に暴力をふるいたいわけではない。井田の「内面」がぼろぼろになる様を見たいのだ。そのために、俺はおそらくなんとかして井田を苦しませようと奮闘するだろう。そしてその苦しみに耐えきれなくなった井田が最終的に死を選ぶまで、その一連をしっかりと見届けたいのだ。俺の「未必の故意」とやらで井田が死に逝くなら万々歳。結果的に過って俺が殺してしまうというのも、ありだろう。俺は自殺を擁護する気など毛頭ない。俺は殺人を擁護する気など毛頭ない。もちろん少年院にぶち込まれる気もない、俺は未来ある若者なのだから。が、井田は例外だった。
そう、井田は「例外」なのだ。
例外は例外であるからこそ例外というんだろう? 例外は例外たる所以があるから例外なのだ。ならば井田、たったひとりだけは俺の規律からはみ出してもいいはずだ。井田は例外なのだから。それは俺の価値観を破壊することにはならないだろう。俺のアイデンティティの崩壊には繋がらない。ただもしも綺麗か汚いかの二択しかありえない俺の心を変えてしまうとしたら、それはそれでおもしろいかもしれない。
ゆえに――俺がここまで頑張ると決心しているのだから、井田だって死ぬときゃしっかり死んどけよ? 死ぬ死ぬ詐欺だけはやめろよな、死にたいと言ったのはおまえなんだからさ。と俺は密かに思っている。
ここまで思考を巡らせて、俺はふと心中に湧いた謎を自分自身に示した。こんなにも井田の死を願っている俺は、もしかすると「殺したがり」というやつではないのだろうか? 井田が死にたがりだとすると、真逆の俺は殺したがりという範疇に属することになるのだろうか? ああでも死にたがりの反対なんだから生きたがりってことになるのかな、それはまさに俺のぴったりな言葉だ。言い得て妙というやつ。だから殺したがりなんて――てんで馬鹿馬鹿しい。脳裏を過ぎった殺したがりという文字の羅列を俺は払いのける。なにが殺したがりだ。そんな俗悪な喩えで表せるものじゃあないんだよ、この思いは。
ではいったいなんだというのか?
俺は自覚している。この胸の高鳴りはあのとき、猫を見かけたときと同じものだった。誰かの傍に寄り添っている甘い時間に感じたものと同じだった。
俺はおそらく、恋をしているのだと思う。井田自身ではない、井田の精神的グロな部分に、だ。精神的グロが恋愛に結びついているなんて滑稽な話だ。しかし、この高揚感はやはり誰かと恋愛ごっこをしているときに感じられた、純粋なときめきと同じものだった。ひとつ違うのは、これまでにつきあった誰よりも、井田に対して激しく俺の心が燃え上がっているということだ。
いろんなやつと恋愛してきたけれど、またその時々に生まれた想いは嘘偽りのない純粋なものだったけれど、それでも今このとき、俺の動悸の激しさは最高潮を迎えていた。俺は井田に興味があった、いや、すっかり夢中になっていた。今まで感じたことのない衝撃的な想いだった。それは恋に似ていた。それは愛に似ていた。俺は恋したがりなのかもしれない。そういえば殺したがりと恋したがりって似てるよな、とぼんやり思った。恋という字と変という字も酷似している。グロテスクには怪奇だという意味もあったかな、怪奇ってつまりは変だとか不気味だとか、とにかくそういう意味合いなんだろ、と俺は少ない知恵を振り絞る。
俺はおそらく、死にたがりの井田に恋をしているのだろう。井田の死にたがりっぷりに恋をしている。興奮している。生きているのにグロテスクな井田を殺したがっている。井田に死を求めている。井田を殺したいと思う反面、もっとその心の奥を、深淵を覗きたいと考え始めている。それは恋に似ていた。それは愛に似ていた。
俺は矛盾している。矛盾し始めている。俺は俺のなかに生まれる矛盾を懐柔しかけている。精神的グロである井田に、なぜか美しさを求め始めている。