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死にたがりと殺したがりのグロテスク考  作者: 佐喜
死にたがり と 殺したがり
1/21

01. 死にたがり [1]


 死のうと思う。


 私はどうしようもない人間だった。ネガティブで、マイナス思考で、自分に自信がなく、生きているのが申し訳ないほどの屑人間であった。

 朝起きて高校へ出向き、授業を受け、放課後どこかへ遊びに行くわけでもなくまっすぐ帰宅し、晩ご飯を食べ、明日の支度をして眠りに就く。毎日毎日そんな繰り返し、無為に日々を消化していくだけの単調な人生。ただの排泄物生産機。まさしく私にぴったりな名称である。

 私には親しい友達すらいなかった。学校で顔を合わせ挨拶する人間はいる、クラスメイトとも別に仲が悪いわけではない、ましてやいじめに遭っているわけでもない、ペアを作るのだっていちおう相手はいる。休憩時間に喋る人間もいる、弁当を一緒に食べる人間もいる、とりあえずグループというものにも属している。それでも私には親しい友人なんていなかった。休日遊びに行く相手は? 放課後繁華街に繰り出す相手は? 他愛もない内容でメールや電話をする相手は? 高校卒業後も連絡を取り合う相手は? 学校という枠組みを越えても繋がっていられる人間は? 親友は? 恋人は? 結婚式に呼ぶ友人は? 葬式に来てくれる人間は? 逆に、私を式に呼んでくれる人間は? ……ゼロだ。しょせん、みんな学校にいるときだけのつきあいにすぎなかった。一歩学校の外へ出てしまえば関係なんてあっさり切れる。高校を卒業したら終わる関係なのだ。私にはそれほど親しい人間なんてただひとりとしていなかった。だから私は、いつも孤独に感じていた。

 また、私は劣等感も凄まじかった。もっと勉強ができたら。もっと運動が得意だったら。もっと頭の回転が速かったら。もっとコミュニケーション能力があったら。もっと美人だったら。もっとスタイルがよかったら。もっと多趣味だったら。もっと友達が多かったら。もっとカリスマ性があったら。もっと人を惹きつけるオーラというものがあったら。もっとお金持ちだったら。もっと、愛される人間だったら。もっともっと、自分に自信のある人間であれたら。どんなに些細なことでもいい、多くは望まない、なにかひとつだけでも周りより秀でている部分があったら。誇れる箇所があったら。そう考えずにはいられない、そして考えれば考えるほどきりがなくなりどつぼにはまる。ないものねだりばかりしている。悪循環である。

 私は嫉妬心の激しい人間である。自分のやる気のなさは棚に上げ、他人ばかりを羨む。私以上に底辺な人間はいないと心から感じている。私以外になれるのならば今すぐにでもなりたい、誰でもいいから、私は私をやめてしまいたい。それだけ私は私自身が嫌いで嫌いでしかたがない。私にとってはみんなみんな綺麗で美しく、すばらしい人間である。外見や、内面や、境遇や、その他諸々すべてをひっくるめて、誰をも羨ましいと思う。妬む。とにかく嫉む。決して表には出さないけれど、こんな性格だから友達がいないのだろうなと実感する。人に嫌われるのが怖くて、他人の目ばかり気にして私はいつもにこにこと必要以上に微笑む。当たり障りのない会話を繰り返す。無理して、悩みなんてまったくない明るい人間のふりをする。それでも私は人気者にはなれない。クラスの中心人物にはなれない。嫌われはしないが好かれもしない。みんな無意識に私の裏側を読み取っているのかもしれなかった。


 私はきっと誰かのいちばんになりたいのだと思う。

 私がいなきゃ生きていけない、と重苦しい台詞を吐かれたいのだと思う。縋りついてほしいのだと、思う。

 私はきっと誰かに必要とされたくて、恋人でも友達でもなんでもいいからとにかくそのひとの「いちばん」になりたくて、でもどう足掻いてもそんなものにはなれないから、絶望しているのだろう。自身はいちばんにふさわしくない人間だと自覚していて、だからといって自分から求めるのは怖くて、伸ばした手を振り払われるような気がして、そうなるのは怖いから、とても傷つくから、自分からは決して求めないようにしている。だからこそ相手から求めてきてほしいのだと思う。なんの取り得もない排泄物生産機である私でもいい、ただそこにいてくれるだけでいいんだ、きみが必要なんだと認めてくれるひとがいつか現れることを祈っているのだろう。それはどだい無理な話だ。私が別の誰かだったら、こんな屑な私なんて必要としたいとは思わない。優先順位一番に据え置くなんて馬鹿な真似、絶対にしない。そうひととおり無駄に思考を巡らせて、やっぱり私は正真正銘の屑だと納得する。虚しさだけがいつも残る、明るいふりをするのが馬鹿馬鹿しくなる、どこかに逃げ出したくなる、死にたくなる。その都度自分を殺したくなる。けれどもそんな勇気はなくて、臆病者で八方美人な私はまた無意味に生き永らえる。


 しかし、もう限界だった。

 私が私である必要性なんてどこにもない。私は特になにか結果を残しているわけでもない。誰かのいちばんであるわけでもない。はたしてこのまま生き、老いさらばえていくことに意義が見出せるのだろうか? いや、見出せない。私が死んで悲しむ人間はいるだろうか? 両親は娘が死んだら悲しむかもしれない、しかしほかは? 親戚は? クラスメイトは? 誰? 誰がいるの?

 そう思ったら、もういいのではないかという結論に至った。

 私は三人姉妹だし、我が家はまだ上と下にこどもがいる。だからだいじょうぶだろう、別に私ひとりが死んだとしても後追い自殺なんてくだらないことはしないだろう。家族四人で仲良くやってくれるだろう、なあんだ、簡単だ。深く悩む必要なんてどこにもなかった。さっさと終わらせてしまえばいいだけの話だったんだ。徒らに十七年も生きてこずにさっさと自殺していればよかったんだ。


 だから、私は私を殺そうと思う。








         【 死にたがりと殺したがりのグロテスク考 】








「死にたい」


 ……つい、うっかり。だった。

 本当につい、意図せず零してしまったのだ。言ってしまったあとで慌てて下唇を巻き込んだが無意味だった。目の前の男が両目をかっぴらいてこちらを見つめているような気がした。私は男から顔を背けていたので、それは本当に気のせいだったのかもしれない。

「えっ? なになに、井田ちゃん死にたいの? どーしたー!? この俺さまが相談にのってやるけどさ!」

 一瞬の間をおいて、男は行儀悪く腰掛けていた机からひらりと飛び降り私の肩に馴れ馴れしく右腕を回した。勢いあまって男の上半身がどかんと私に体当たりをぶちかます。私はそれを気にも留めず、窓枠のむこうをぼんやりと眺める。ふりをした。

 ホームルームまでの短い自由時間、教室のあちこちでざわざわとクラスメイトがさざめいている。私は窓際の自分の席に座って頬杖をつき、校舎の下に広がる中庭の花壇をつまらなさそうに見下ろしていた。私のひとつ前の席では、数人のクラスメイトが机を囲んでぎゃあぎゃあと騒いでいる。人だかりができている中心、机の上に座っていたのは吉良だった。

 淡いベージュのだぼっとしたカーディガンを着崩し、耳にピアスをいくつも着け、赤茶だか黄土だかよくわからない妙な色に髪を染め、髪型は短めのアシンメトリーときている。まあ、私にはあまり縁のない男子だった。入学時にたまたま同じクラスになりたまたま席が隣だったよしみで(イダとキラ、で出席番号が近かったためだ)高校二年生になった今でもなんやかんやと会話をする仲ではあるけれど、とくに仲がよいかと訊かれたら素直には頷けない。一年前の四月に席が隣じゃなかったら、今年も偶然同じクラスにならなければ、今現在簡単な挨拶すら交わすこともなかったはずだ。

 吉良は人懐っこい人間だった。いつもにこにこと微笑んでいて、のりがよくて、誰に対しても平等で優しい(らしい、詳しくは知らない)性格だった。私はそこまで彼のことを知っているわけではないけれど、こんなひねくれ者の私にすらかまってくれるんだから本当に性格がいいんだろうなあとは思う。彼は屑な私に対しても「井田ちゃーん」と気軽に呼びかけ、「また今度遊びに行こうぜい。俺井田ちゃんと遊びたいんだよー」と社交辞令を言ってくれるのである。彼はもしかしたら私と仲良くしたい、もしくはすでに仲良しである、と思ってくれているのかもしれない。と、私は一瞬、ほんの一瞬だけ思ったこともあったのだけれど、社交辞令に本気になるのは言語道断、恥以外の何物でもないので、そういうおこがましいことは考えないようにした。もう二度と。

 そんな吉良がクラスの人気者、ひいてはリーダーであり中心人物となるのは当然のことで、彼の周りには人が絶えなかった。彼と同じような、簡単に言うと派手な人間はもちろんのこと、普通のひとや少しおとなしい感じのひと、グループを問わず性別を問わず年齢を問わず、彼はいつも誰かと共にいた。そしてこれも当然のことか、もてた。とにかくもてた。たしかに彼はかっこよかったし、運動もできた。勉強は……良く言って平均ぎりぎり、だったけれど、彼の魅力は外見だけに留まらず内面、その他諸々に及び、とにかく彼のすべてをさまざまなひとが褒めた。私には、到底縁のない男子だった。

 私はやはり彼に嫉妬していたのだろう。吉良は私の憧れであり、理想であり、私が望むものの頂点に堂々と君臨している人間であった。自分にはないものをすべて持っている、人生がうまくいきすぎている。せめて性格が悪ければよかったのに、そう負け惜しみを言ってしまう自分が惨めになるくらい、彼はなにもかもを手に入れていた。妬ましい。彼はこの先も順風満帆な人生を歩んでいくのだろう、なにも苦労をせずに、人に嫌われることもなく。幸せな家庭を築き、緩やかに老いて、死ぬときはたくさんの人が看取りにくるのだろう。そうして葬儀では大勢の親しい仲間がその死を悼んで泣き崩れてくれるのだろう。私とは対照的に。私には無縁の男子だった。そんな彼と、そんな彼の周りにいるひとたちをさりげなく見ていると、どうにも私は死にたくて死にたくてしかたがなくなった。

 ホームルーム開始十分前になって、彼の友人たちが各々自席へ向かう。ひらひらと掌を振って彼がそれを見送る、机に座ったままなんとなしにぱっとこちらを向く、目が合う、まずい、見ていたことがばれた? 彼がにこっと人懐っこい笑みを浮かべる、私もぎこちなく微笑み返す、と同時にやるせなくなる。ああやっぱり、私はどうやっても「そちら側」には行けない最底辺な人間なのだと。

 ぐるぐると終わりのない気持ち悪さが脳内を占めている。と気がついたときには、私は吉良から目を逸らし、「死にたい」とひとりでに洩らしていた。しまった、と思った。これじゃまるで、まるで――ああ、もう。かまってちゃんだ、ただの。

 軽蔑されると思った。は? 死にたいってなんだよ、きもちわりい。井田ってまじ根暗。そう見下されるのが怖かった。かあっと顔が熱くなる。耳まで真っ赤になる。ああもう、ああ、もう、あああああ――もう!

 だが私の予想に反して、吉良は普段と寸分違わぬ能天気な調子で問うてきた、「井田ちゃん死にたいの?」。

 私は肩透かしを食らった気分になって、思わず「へっ」と素っ頓狂な声を上げてしまう寸前にまで陥った。が、一瞬の判断でそれを呑み込んで、厚い硝子一枚で隔てられた空のむこうを見つめ続ける。吉良は未だ私の肩に腕を回したまま、ぐっと顔を寄せてきた。近い。彼にとってはなんの意味もないスキンシップだろうが、男気が皆無な私にとってはそれなりに刺激的なのでやめてほしい。必要以上に密着した状態で吉良が囁く。「そっぽむいてないでさ。なんで死にたいの? 話してみてよ、俺に」

 話したところでどうだというのか。「そちら側」の人間である吉良にとっては本当に本当にくだらなくて一切共感なんてできないことなのだ。むしろ、嘲笑うに等しい思いなのだ。きっと馬鹿にされるに決まっている。気持ち悪いと罵られるに決まっている、いや、もしかしたら、ふうん俺には想像もつかないことだけどねーそんな糞みたいなこと考える人間もいるんだねえとある意味興味を抱くかもしれない、しかしなんにせよ、吉良には一生わからない屑な感情には違いないのだ。

 そう思っていたのに、私の唇は自然と言葉を紡いでいた。すらすらと心の内が吐露されていく。長年ずっと抱えていた胸の痞えを取り除くように、身体の内側に刺さった無数の棘をひとつずつ抜いていくかのように、私は私の心を吉良に伝えようと必死でもがいていた。

 吉良には人の心を開かせるなにかがあった。違う、私はたぶん、私の内側にあるこのどうしようもなくくだらない屑な思いの丈を聴いてほしかったのだと思う。誰でもいいから私の話に耳を傾けてほしかったのだろう。誰でもいいから、私という人間を知ってほしかったのだろう。それがたまたまタイミングよく吉良だったというだけの些細な話だ。私の本音を知ってほしい、でも嫌われたくないから知られたくない。おかしな矛盾を抱えている。

 私はつまらない。くだらない。どうしようもない。生きることに意味を感じられない。生きているのが申し訳ない。だから死ぬしかない。言いながら、本当に根暗だな私はとうんざりした。そして終わったな、と思った。こんな鬱屈として痛い話を受け入れる高校生がどこにいる? 明日から私は本当に居場所をなくすかもしれない。それでも、私の舌は止まらなかった。私は話し続けた。実際に話しているのはたかが数分だっただろうけれど、私にはそれが永遠に感じられた。吉良以外のクラスメイトに盗み聞きされているかもしれないという考えには触れないようにした。みんなきっと私なんかに興味はない。だから誰も聞いていないはず。


「……だから、死のうと思うの」

 言いきって、私は机の上に置いていた両手をぎゅっと握りしめた。その下の木目をじっと睨んだ。顔は上げなかった。吉良の表情を目の当たりにするのが怖かった。

 吉良は自分の椅子の背もたれを抱き竦めるようにだらしなく前屈みになりながら、間に私の机を挟んだその位置から私の俯き加減を注視していた、と思う。私が話している最中もふんふんと相槌をうっていた彼は、私が話し終えてからもしばらくふんふんと続けた。そしてふうん、と独り言のように言った。独り言なんだろう、おそらく。そして尻を動かして体勢を整えたかと思うと、ゆっくりと音を発した。

「へえ……井田ちゃん、死にたいんだ」

 その声音はやはり、教室でいつも耳にするものとまったく違わないように感じられた。私は垂れていたこうべを擡げて、真正面から吉良に視線を注ぐ。吉良はにこにこと微笑んでいた。双眸が緩やかに弧を描いて、ややあひる口っぽいその唇が上へ上へと吊り上がっていた。笑っていた。吉良は、私が見る限り、心底楽しそうに顔を綻ばせていた。

 ふいに力が抜けた私の両拳を吉良がそっと上から包む。右拳には左掌を、左拳には右掌を、それぞれ重ね合わせて吉良は一瞬だけ目を伏せた。刹那、両掌にぐっと力を込めたかと思えば、予想外の反応に狼狽する私の顔をじいっと覗き込んで、そのきらきらとした瞳を逸らさずにふふふと笑声を洩らした。それはまるで、おもしろい玩具を見つけたこどものような、水を得た魚のような、獲物を仕留めた猛獣のような、とにかく、彼をよく知らない私でさえもわかるような、楽しみに満ち溢れていた。彼は、はしゃいでいたのだ。


「じゃあさー、俺が手伝ってあげよっか?」


 悪戯に呟いて吉良が私の両手をさらに掴む。私は逃げられない、囚われている。私は捕らえられている。

「井田ちゃん」

 謳うように彼が呼ぶ。次いでにっこり微笑む、私は彼を見返す、彼がよりいっそう深く深く笑いかける、私は怪訝そうに眉を顰める。彼の意図がわからない。

 一日の始まりを告げるチャイムが鳴った。彼はぱっと両手を広げて素早く私から距離を取り、くるりと背を向けた。行儀よく黒板のほうへ向きなおった。私は独り、茫然と取り残される。私は囚われていた。たしかに捕まったのだとわかってしまった。

 彼が一瞬だけ後方を振り返る。私は咄嗟に身構える。彼はそんな間抜けな私のようすを見て、ひどく美しく微笑んだ。


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