遊人倶楽部
1969年、関東地方のどこかに
アミティエ大学と言う名の巨大な大学があった。
この大学には様々な部門があり、「工業部」を筆頭に
「医学部」「国際部」「美術部」「服飾部」「調理部」「法学部」という
七つの学科が存在する珍しい大学であった。
この学校は不思議と学生運動とは無縁で、他の大学の生徒達が
反戦運動という名でフォークソングを唄ったり、
火炎瓶をキャンバスに投げ込んで警官隊と衝突するなどといった
光景など全く無く、当時「日本一平和な大学」なる
異名を持っていた。
そんな日本一平和な大学に通う一人の学生がいた。
江夏貞治、20歳。
この大学の工業部に通う大学二年生だ。
電車の整備士というおそらく大きな夢の為に
日々頑張っている。
ここは工業部の教室、
この大学の工業部の教授である若山新二郎、40歳が
教鞭を振るっていた。
「であるからして、メートルねじの……」
最後尾の席に座っていた貞治は、今あるものと戦っていた。
それは睡魔である。
「今日こそ勝ってやる……」
睡魔という悪魔と必死に戦う。
「ダメだ……」
貞治はそう呟くと、机にひれ伏してしまった。
睡魔との闘いは今週になって20回目だった。
0勝20敗、今日も負けた。
「おい、起きろ」
貞治の前に新二郎が教科書を持って立つ。
しかし反応は無かった。
「仕方ねぇ」
新二郎はそう呟くと、背広のポケットから
ウイスキーボトルを取り出した。
新二郎はそれを煽ると、一気に口から吐き出し
貞治の顔にかけた。
「ぐわぁぁ」
貞治の断末魔が響く。
「な、何てことするんだおっさん」
貞治は飛び起きた。
おっさんというのは貞治が新二郎を呼ぶときの名前である。
「お目覚めか?」
不機嫌そうな新二郎の声がした。
「お前どうせまた夜遅くまで
エヴァートンでこそこそアルバイトしてるだろ?」
「もうそんなことしてねーよ」
貞治が反論する。
エヴァートンとは駅前にあるキャバレーの名前で、
貞治はそこでボーイのアルバイトをしていたのだが、
ある日そこの客として新二郎がやってきたのだ。
実は年齢を偽ってバイトをしていた貞治は
その日でクビ、大学の学長からは
大目玉を喰らい、反省文を十枚も書かされてしまった。
「あんたのせいでクビにされちまったんだぞ、
給料よかったのに」
貞治が不機嫌そうに呟く。
「何言ってんだ、あんないかがわしい店で働くなんて
教育者としてダメだと思ったんだ」
新二郎が悟ると、貞治は
「教育者ならキャバレーなんて行くなよ」
と突っ込んだ。
「で、何の質問をしようとしてたんだっけ?」
新二郎が貞治に問いかける。
「あぁそうだ、メートルねじとインチねじの違いを
説明してみろって質問だ」
酒を煽りながら新二郎が思い出した。
「えっと、それは……」
貞治が答えられずにいる。
「何しに来てんだおめーは」
新二郎ががっかりする。
「ごめん……」
貞治が落ち込む。
そのとき、大学内にチャイムが鳴り響いた。
「よし、今日はここまでにする」
貞治が安堵の表情を見せる。
「やっと終わった」
これで家に帰れるのだから、嬉しくないはずがない。
キャンパス内を貞治はたった一人で歩いていた。
周りの生徒は皆、友達やガールフレンドを
連れて楽しそうに歩いている。
カップル達が貞治を見てくすくす笑っていた。
「何がアミティエだよ」
貞治は心の中でこの大学を呪った。
アミティエとはフランス語で
「友情」という意味だったからだ。