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土豪 42

 丘陵から鳴り響いてきた角笛の音は、先刻、一度耳にしたきりで途絶えていた。

吹き手にもよるが、風に乗れば十里四方に響き渡る大山羊の角笛。

聞き逃す事は絶対にありえない。その筈だ。

(※一里=四キロ)

オークの頭領ルッゴ・ゾムは、掌に打ち付けた拳を強く握り締める。

それが迷いを抱いている時の巨漢のオークの癖だった。


 角笛の音は、斥候と取り決めた合図だ。

近づいてくるのが少数の旅人であれば、角笛を一度だけ小さく鳴らす。

始末したら間を置かず、もう一度だけ小さく吹き鳴らす。

斥候の手には負えぬ程度の人数で迫ってくるならば、連続して三度吹き鳴らす。

大軍が迫れば全力で角笛を吹き鳴らし続けて、村にいる本隊に知らせる手筈になっていた。

如何にルッゴ・ゾムと配下の兵団が選りすぐりであっても、敵地奥深くで人族の豪族勢に不意を襲われては抗すべくもない。

それ故、斥候に出したのはルッゴ・ゾムが手ずから選んだ利け者のオークたちだった。

腕も立ち、役目をさぼるような真似もしない。

だが胸の奥に僅かな不安を覚えて、ルッゴ・ゾムは傍らに侍る戦士の一人に聞いてみた。

「……角笛が鳴らぬな。何かあったか?」

「聞こえましたか?あっしの耳には何も……」

オークの戦士は怪訝そうな顔をして、頭領の言葉を聞き返してくる。

「そうか。俺の聞き間違いかも知れん」

戦闘の最中、聞き間違いや勘違いはよくある事である。

らしくもなく緊張しているのか。俺が。敵地に踏み込む戦は久方振りだからな。


 思考を切り替えたルッゴ・ゾムは、田舎道を通り抜けて村の広場へと姿を見せた。

空き地の中心には、オーク戦士たちによって囚われの身となった村人たちが集められていた。

オークの棒切れや拳で追い立てられてきた村人たちは、着の身着のままの惨めな姿で寒風に震えており、中にはすすり泣いている女子供の姿もあった。

見張りをしているオークの戦士へ重々しく肯くと、ルッゴ・ゾムは集められた捕虜たちの前に立ち、ゆっくりと見回した。

村人たちの怨嗟と恐怖の混じり合った視線がルッゴ・ゾムに一斉に集中するも、胆力の在る巨躯のオークは怯む様子を見せることもなく、腰の斧の柄頭に手を添えたまま傍らのオークへと訊ねる。

「村人はこれで全員か?」

分厚い声のルッゴ・ゾムの問いかけに、手下のオークが緊張した様子で応える。

オークの戦士たちは己が頭領のルッゴ・ゾムを無敵の勇戦士と崇拝し、懐の深い頭として慕ってもいる。

が、同時に恐さも在るのだ。

任務を怠けた際の怒鳴り声と巨大な鉄拳の迫力は、歴戦のオークをも震え上がらせる。

「は、はい……いいえ。まだ奥の方は」

「村の奥の方はいい。村長は抑えたか」

洞窟オークたちを救い出すには、それが重要だった。

何故、戦うのか。何が目的なのか。

戦の前、ルッゴ・ゾムは部下たちに根気よく説明する。その点、彼はけして手間隙を惜しまない。

部下の物分りが悪くともけして威圧したりせず、暴力も滅多に振るわない。

一人一人が作戦を飲み込むまで粘り強く、分からない点を尋ね、分かり易く噛み砕いて説明してみせる。

だから、訪ねられたオークも肯いた。

村長を抑える理由が洞窟オークたちの所在を知る為だと理解している。

「村長はまだでさ。ですが、村の顔役だって男を抑えやした。洞窟オークたちを閉じ込めてる穴倉を知ってるそうで」

「よし、案内しろ」

肯いたルッゴ・ゾムの視線の先で、オークの槍に小突かれながら痩せた中年男がよろよろと立ち上がった。

 微かに強張っていた表情に飄々とした笑みを蘇らせると、ルッゴ・ゾムは斥候を派遣した小高い丘陵の辺りをじっと眺める。

斥候たちも手筈を勘違いしたかも知れん。

あいつらなら、少数の旅人を始末するくらい問題なくこなすだろう。

梃子摺るほどの人数が向かってくるなら、此方に伝令を出すはずだ。

村の顔役に洞窟オークたちの捕まってる穴倉までの道案内をさせながら、巨漢のオークは大股に歩き出した。

此処までは万事順調。大半の村人を殺すか、捕らえるかした。

後は村の奥で捕まっている洞窟オークたちを救い出し、豪族勢が押し寄せてくる前にとんずらするだけだ。



 灰色の雲が恐ろしい速さで北方へと流れされていく。

田舎道を時折、冷たく、強い風が吹きすさんでいくが、今、この瞬間、周囲はしんといた静寂に包まれていた。

心臓の鼓動が耳障りなほど、村長の娘メイには大きく響いているように聞こえた。

鬱蒼とした繁みの奥で息を潜みながら、メイは奥の繁みから姿を現した年上の少女ニーナを凝視する。

音を立てたのは、あたしだった。なのに、どうして?

ニーナも隠れていて、オークの呼びかけに自分が見つかったと諦めたのだろうか?

繁みの中で震えながら、咄嗟の出来事に混乱しているメイの視線の先で、ニーナもまた酷く震えていた。

脳裏に暮らしていた村が洞窟オークに襲われた時の記憶が蘇っているのか。

立ち尽くすニーナの顔色からは血の気が完全に引いて蒼白に近く、脅えきった眼差しで目前の佇む恐ろしげな禿頭のオークを凝視している。

疑問を抱きつつ、それでも村長の娘は心のどこかで自分が見つからなかった事に安堵を覚えていた。

ニーナが見つかっちゃった。だけど、これであたいは助かるかも。

一瞬、己の卑劣さな心の働きに気づいたメイは衝撃を受けた。

そして心疚しく思いつつも、涙目で己に言い聞かせる。

でも、違う。ニーナが不注意だったから仕方ないんだ。あたいの責じゃない。


 禿頭のオークが立ち尽くしているニーナに一歩、また一歩とゆっくりと歩み寄っていく。

土を踏む音、鍛えられた太い腕と太股、土埃に汚れた革鎧と毛皮、肌に刻まれた傷跡。

恐ろしげなオークは、縮こまって息を潜めているメイの目と鼻の前を通り過ぎていった。

オークはニーナの前に立つと、値踏みするように冷たい目付きで顔から足まで見回した。

「餓鬼か」

どこか気の進まない様子で溜息を洩らすと、腕を伸ばしたオークがみすぼらしい農民の少女の細い腕を掴んで力任せに引っ張った。

「……痛ッ」

大の大人に手加減もせずに引っ張られた為か、ニーナは苦痛に顔を歪めて悶えていた。

「来い」

オークは低い掠れ声の人語で告げると、痩せた少女の背中を押すようにして田舎道を歩き始めた。

ニーナが連れて行かれちゃう。

焦りながらも、メイは震えている。

助けたい。だけど、無理だよぅ。

心底、脅えながら繁みの隙間から一部始終を見ていたメイの目と鼻の前、オークに背中を押されて虜囚となったニーナが通り過ぎていく。

(助かる……助かった、神さま、ああ、神さま)

と、メイの横をすれ違い際、村長の娘の隠れている繁みへと一瞬だけニーナが顔を向けた。

その時、疲れきった顔つきをしていたニーナが確かに僅かに微笑んだ。

恐怖に青ざめ、強張った表情のまま、しかし、メイと目線を合わせると誇らしげに微笑んで再び、前を向いた。


 その瞬間、自分を助ける為にニーナは敢えて捕まったのだとメイは理解した。

メイは呆然となり、次の瞬間に腹立たしくなるやら、情けなくなるやらで涙が頬を零れ落ちる。

(何を考えているのよ。もう。あたいだったら、見つかっても逃げられたかも。

あたいの責でニーナが連れて行かれちゃう。キッシュみたいに殺されちゃう。恐いよう。やだよぅ、死にたくないよう。だけど……神さま)

メイは十歳と少々の農村の子供だ。正直言えば、歯の根も合わないほどに震えている。

オークが恐い。だが、ニーナも助けたい。

二律背反する想いに混乱し、縋るような気持ちで神々に祈りながら、少女の伸ばした指先は腰につけた御守りの小さなナイフに触れた。

村長の娘は考えてみる。このナイフを構えて突っ込んでみようか。

駄目だ。そんな甘い相手じゃない。吹っ飛ばされる未来しか見えてこなかった。

あのオークの太股ときたら、鹿みたいに強そうだ。足も早そう。

自分みたいな小娘が蹴られたら死んじゃうんじゃないか。

助けたい。助けられない。ニーナが捕まったのは、あたいの責だ。

神々に祈るような気持ちで見つめていたメイの背後の田舎道で、強い風が吹いて茶色い砂埃を巻き上げていた。


 力強い腕に乱暴に小突かれながらニーナが田舎道を歩き出そうとした時、禿頭のオークが舌打ちして立ち止まった。

どうやら、風に舞った砂埃が目に入ったらしい。文句を呟きながら、オークは顔を歪めて眼を擦る。

瞬間、ニーナの真横で突然に奇声が上がった。

「びゃああ!」

やたらにすばしこい猿みたいな動きで、涙目で突っ込んできた少女がオークの太股に思い切り体当たりしていた。

小さなナイフが太股に深々と突き刺さり、オークが怒りの唸り声を上げた。

恐ろしい形相で小さなメイを睨みつける。

「こっち!」

切羽詰った叫びを上げつつ、村長の娘メイが棒立ちになってるニーナの手を引っ張って走り出した。

思わぬ奇襲を受けたオークも瞬時に動いたが、太股の痛みと目に入った砂埃がその反応を一瞬だけ遅らせた。素早く手を伸ばすも僅かに少女二人に届かない。

正しく間一髪でオークの手を掻い潜ると、人族の少女たちは子供特有の異様に素早い走り方で勝手しったる藪の繁みへと飛び込んでいった。

一瞬後、凄まじい憤怒の叫び声を上げると、オークはまるで苦痛を感じていないように子供二人を追い駆け始めた。



 河辺の村で生まれて以来、メイは十年近くを村で過ごしてきた。

母親に連れられて近場の農園を訪れたのが精々の遠出である。

メイはこの村しか知らない。この小さな村がメイにとって世界の全てであり、しかし、代わりに村の中だけならば誰にも負けない。繁みから木の配置、歩きやすい道から隠れ易い場所まで知り抜いている。


 メイの懸念通りに禿頭のオークは足が速かった。背後から恐ろしい叫び声が迫ってくる。

「……ひっくっ、おかあちゃあん」

しゃくり上げそうになるのを我慢して、メイとニーナは岩陰に飛び込んだ。

と、追っ手のオークは二人の隠れる岩の前を通り抜けていった。

すぐに岩陰を飛び出すと、脇道に反れながら奥へ奥へと進んでいく。

「駄目!この先には、お母さんがいる!オークが追ってきたら!お願い!メイ!」

顔色を変えたニーナが喘ぎながら小声で囁いた。メイも考えていないわけではない。

「こっち!」

横道にある脇の繁みへと飛び込んだ。

一杯食わされたとすぐに気づいたのだろう。

背後より響いてくるオークの恐ろしい吼え声が、少女たちの背筋を震わせる。

オークは怒り狂っている。捕まったらどうなるか、想像もしたくなかった

振り返るのも恐かい。二人の少女は苔むした小高い土手へと向かった。

「この向こう」

メイの指差した土手を見上げてニーナは躊躇した。メイの肩を掴んで押し止めてくる。

「目立つよ!越えてたらすぐに見つかっちゃう!」



 土手をよじ登る二人の少女の小さな背中を目にして、禿頭のオークは鋭く目を光らせた。

猿みたいな子供が、よじ登った土壁の上から遅れている子供に手を差し伸ばしている光景を目にして口の端を歪める。

狡猾だと思ったが、所詮は餓鬼か。あんな場所に逃げるとはな。

それとも登ったところに罠でも用意しているか?

オークが太股に受けた傷も掠り傷で、走るに支障もない。土手も大人の体格ならすぐに登れる。すぐに追いつくだろう。

つい頭に血を昇らせていたが、今はオークの怒りも大分醒めてきている。

餓鬼の二匹くらい、普段の彼なら放っておく相手だった。

だが、今に限っては逃がす訳にも行かない。

村を襲っている最中に、近場の農園にでも知らせに走られたら厄介だ。

餓鬼の足だ。すぐに辿り着けるとも思わん。見逃しても構わん気もするが。

いや、そうもいかないか。

「いやな仕事だぜ」

ぼやくように呟きながら、人族の子供たち目掛けて急いで走っていく。


 迫るオークの姿に気づいたのだろう。慌てたように子供たちが土手の反対側へと転がり落ちていく。

だが、十も数える間に土手へ辿り着いたオークは、一息に土手を昇りきり、その反対側へと飛び降りて、

「何処へ行った!」

子供二人は、魔法のように消えていた。

地中に潜ったか。空を飛んだか。影も形もない。

「先の方へ逃げたか?」

少し走りかけて、しかし、開けた草地を目にして立ち止まった。

周囲に視線を走らせるも、一目で見渡せるなだらかな平地に人の気配は全くなかった。

土手の傍へと戻ったオークは、足跡の傍にしゃがみ込んで鋭い視線を周囲に走らせた。

……見失ったのはこの辺だが、何処へ行きやがった。



 オークが砂地を踏んでさかんに歩き廻る足音が二人の少女の耳に届いていた。

苛立っているのだろう。

足早に行ったり来たり、或いは立ち止まって低い声でぶつぶつと呟いたりする声が響いてきたが、離れる気配はなかった。

湿った土の匂いだけが漂う冷え冷えとした暗闇の中で、ニーナとメイは息を潜めている。

二人はうつ伏せの姿勢になって、地面すれすれに開いた土手の横穴に隠れていた。

兎の穴だろうか。子供は難なく隠れられ、上から見たのではまず分からない。

低い入り口は草叢に隠れ、子供にしても二人が潜むにはぎりぎりの大きさの横穴に身を潜めながら、メイとニーナは息を飲んで出入り口の光を見つめている。

ここに隠れていたら絶対に見つからないよ、と

メイはそう思いながら、しかし声に出すのも恐かったので、伝わる筈もないがニーナの手を握った。

今にも立ち止まったオークが、其処から顔を覗かせるのではないか。

そんな想像に脅えながら小さな身体を震わせたメイの掌を、ニーナはきゅっと握り返してきた。

暫らく唸り声を上げながらうろついていたオークだが、やがて諦めたのか。足音が小さくなっていく。

「……いなくなったかなぁ」

突如、響いたメイの小さな囁きが、恐怖に死にそうになっているニーナの心臓の鼓動を跳ね上げた。

「かくれんぼしていたときに見っけた。今まで誰にも見つかったことはないよ」

どこか焦ったような声で、メイが早口に説明する。

落ち着きをなくしたニーナは、恐怖に強張った表情で声を出すなと首を振るう。

だが、通じてないのか。メイは自分に言い聞かせるような口調で喋り続ける。

「……まだ、駄目。静かに」

静かだが強い口調に囁かれ、喘ぐように口を動かしたメイはやっと黙り込んだ。


 うつ伏せの姿勢のまま、どの位、待ち続けていただろうか。

薄暗い其処では、村を吹きすさぶ風の音が不気味な唸り声にも聞こえてきた。

もう、行ったのかも知れない。逃げた方がいいのか。

迷いながらニーナが動こうとした時、外から再び足音が聞こえた。

オークがずっと待っていたのか。或いは戻ってきたのか。

いずれにしても、迂闊に横穴を出ていたらうろついているオークに見つかっていただろう。


 どちらがということも無く、脅えた二人の少女は歯の根も合わないほどに震えだした。

歯のカチカチなる音だけが暗い闇に響いてくる中、苛立たしげなオークの唸り声が去っていく。

……行ったのかな?

しばし躊躇していたニーナだが、やがて横穴からそっと顔をだした。

周囲の草叢の様子を窺えば空は漆黒の雲に覆われており、あたりはすっかりと薄暗く、風が吼えるように村中を吹き抜けて潅木の枝を揺らしていた。

陽光は弱々しく薄れ、横穴に差し掛かった傍らの木の幹の影は、薄暗い曇天に今は地面と見分けもつかなかった。

誰もいない。今なら母さんのところへ戻れる。

再び横穴に潜ったニーナは、しばし脱力したように目を閉じていたが、それからメイを見つめて促がした。

「行ったよ。助かった」

ニーナの傍でじっと地面を見つめていたメイだが、ぶるぶる震えた後に涙を零してしゃくり上げ始めた。

「……おかあちゃ……おかあちゃあん」

決壊した涙腺に、それでも声を抑えながらメイは母を呼び続けた。

ああ、この子も恐かったんだな。

気づいた瞬間、不思議にもニーナの心はすっと落ち着いた。

自分も泣きたい気持ちである。それを何とか抑えると黙ってメイの頭に手を伸ばした。

「大丈夫、大丈夫だよ」

内心はオークの姿に脅え、また途方に暮れているニーナは、それでも年下の少女を元気付けるように穏やかな声で暗闇の中で囁きを繰り返したのだった。


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