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土豪 40

 物言わぬ骸となって転がるオークの戦士を暫し眺めていた女剣士のアリアだが、やがて興味が失せたのか。視線を逸らした時、冷たい雨滴が頬に当たって弾けた。

目を細めて天を見上げてみれば、何時の間にか地平の彼方までを暗鬱な鈍色の雲が覆いつくしている。

分厚い雨雲が陽光を遮ったのに加えて、南方から吹き付ける冷たい風。

気温は見る見るうちに急速に冷え込み、肌寒さを覚えるほどに低下している。

天より零れ落ちてきた雨滴は一粒だけであったが、見上げてみれば何とも怪しい雲行きに見えてならない。


 この空模様では土砂降りになっておかしくないぞ。予想したアリアは音高く舌打ちして足早に歩き出した。

丘陵一帯に視線を走らせるも、残りのオーク二匹は影も形も無い。

どうやら完全に逃げに掛かったようだ。

食い縛った歯の間から洩れた僅かな呼気が、身を刺すような冬の冷気に反応して白い湯気となり天に吸い込まれていく。

「常ならば雑魚の二匹など見逃しても構うまいが……」

近くで悶える最後のオークへ向かって足早に歩きつつ、アリアは考え込む。

逃げた二匹のオークの向かった方角が問題だった。

奴らの縄張りである北ではなく、河辺の村の方を目指していたのだ。

村のゴブリンも追われていた。

併せて考えれば、河辺の村がオークの手に落ちた恐れもあるとアリアは見ている。

まだ断定は出来ぬ。出来ぬが、最悪の事を考えておいた方がよさそうだ、と女剣士は顔を緊張に強張らせる。

奴らめ、仲間と合流する心算だろうか。

だとして、村を襲ったオークの兵団は如何ほどの規模になるだろう。

それなりの村を襲うのだ、五人や十人の少数ということは在るまい。

少なく見積もって二十。おそらく三十は堅い。


 冷めた空気を肺一杯に吸い込むうち、連戦に昂ぶっていた肉体も急速に鎮まっていくのがアリアにも実感できて、思考にも幾ばくかの冷静さが戻ってきた。

「……さて、新手が来るとしたら厄介だ。此処は逃げの一手かな」

呟いたアリアの目前。エルフ娘のエリスが放った礫弾を喰らって倒れたオークは、先刻まで地面を転がって煩悶していたが、今は何とか立ち上がれるまでには回復して潅木に背を預けていた。

未だに涙目のまま、近づいてくる女剣士を睨みつけると、荒い息で剣を構えたが、戦う力は戻っていなかったのだろう。

どこか動きの覚束ないオークの胸郭をあっさり長剣で貫くと、アリアはオークの息の根を止めてしまった。

ごぼごぼと口から赤い血を吹き出して死んでいくオークに目もくれず、傍に転がる飛礫に視線を転じるとアリアは触れずに観察する。

「面白い工夫だな」

威力からすれば、鉱物性の毒かも知れぬと推測する。

地面に転がる礫は、手頃な丸石を青っぽい粉末を塗した布で包んだものだった。

なるほど、当たれば毒を撒き散らすに違いないが、投げる際にも粉を撒き散らしそうなものだ。

それに厚手の服や盾、鎧を身につけた相手には通じ難い上、効果的に毒の威力を発揮するには、顔や剥き出しの肌を狙わねばならず、全般的にもう少し洗練する必要があるだろう。

毒を武器にしている訳でもないのに、エリスは辺りのオークたちに目を付けられた。

戦場で刃に毒を塗る者は少なくないが、得てして敵からは嫌われる傾向にある。

捕まればただでは済まない。


 余計な真似をしたな。思いつつ、アリアは少し遠くにある楡の木を睨み付けた。

「エリス」

呼ばわると、楡の木陰からひょこっと翠髪の頭が覗いた。隠れていたエルフの娘は、決まり悪そうな顔で女剣士を見つめてくる。

「私は逃げろといったな」

あっさりと見つかって、無言で肯くエリス。

気配を察するに関して、相変わらず卓越した勘働きを発揮するアリアだが、普段は頼もしく思えるそれが今だけは少し恨めしくエリスにも思える。

「もし、君が捕まって人質に捕られたら、私は如何するべきかな?」

そう本人に訊ねるアリアは、中々に意地が悪いかも知れない。

投げかけられた質問の少し冷たい声音に気づいて、かなり怒っていると察したエリスは僅かに顔を曇らせる。

だが、エリスにも一応の言い分はあるのだ。

どこか困ったようにアリアを見つめながら、エリスの蒼い瞳は静かな光を帯びている。

何かを言いかけ、しかし躊躇するように口を閉ざしてしまう翠髪のエルフの、どこか困惑したような態度にアリアも違和感を覚えて微かに片眉の角度を上げた。

「何か言い分があるのならば、言葉にせねば伝わらぬよ?」

「貴女が心配だった」

エリスの回答にアリアは困惑した。

「心配?私が?」

意表を突かれたように言葉を繰り返すアリアに、どこか拗ねたような眼差しで肯きながら、エリスは言葉を続けた。

「三人を相手にするのが精々だと、五、六人も相手にすればまず勝てない。そう聞いていた」

アリアは沈黙している。記憶を探ってみれば、確かに先日、散歩の際に似たような言葉を吐いた覚えがある。

オークに囲まれていた状況でも、顔を強張らせながらも取り乱す姿は見せなかったエリスが、今は綺麗な容貌をやや哀しげに曇らせながらアリアを見つめてきていた。

「……アリアを失うのが恐かった。だから、私に出来ることなら何をしてでも助けようと思ったんです。死んでもいいから一緒に戦おうと思った」

女剣士は黙ってエルフの娘の言い分に耳を傾けていた。

「だけど、実際にはアリアは苦もなく十人近いオークを蹴散らしていた。

私は、まるで必要なかったみたい。いや、なかったのか」

そう言ったエリスの空色の瞳は、今は落胆したように力無く沈んでいる。

「ごめん……確かに足手纏いになるところだった」

そう云ってエリスは、静かに小さく息を洩らした。

「ただ、わたしは……どう言っていいか……前にも貴女の剣は見たからこうなる気もしていたし……だけど、やはり貴女を失うのは恐かった」


 カスケード伯子アリアテートは女性ながら東国でも優れた技量を誇る戦士であり、その身も鍛え抜いているが、しかし、天性の才能や衆に優れた膂力、隔絶した身体能力に恵まれている訳ではない。

肉体的に見れば尋常の人間の域を出ておらず、瞬発力や持久力に優れているが、反面、膂力や体躯は鍛えている男性に対してやっと拮抗できる水準であった。


 故郷の山野を日々駆け回って培った強靭な足腰は、如何な姿勢においても体軸を揺るがせず、俊足はオークたちに分散しての戦闘を強いさせた。

俊足を活かした徹底した各個撃破と有利な交戦地点を瞬時に選定してのける戦術眼の鋭さ、そして有利な地歩を巧みに維持する駆け引きの妙が、敵の多勢による利点を封じ込めて、女剣士の不敗を支えている礎であって、足疾きアリアテートにとって勾配のきつい丘陵の斜面は正しく絶好の戦場で在り、オークたちにとっての死地であった。

もし仮に平野部で戦っていれば、負けないにしても易々と勝利を得ることは難しかったに違いないのだが、其れをどうやって友人に説明すればいいのか。


 とまれ、エリスの言を耳にしたアリアには既に友人の行動を責める気は無くなっていた。

「確かに私の言にも、誤解を招く物言いがあったかも知れぬな」

それが素直に謝れないアリアなりの謝意であり、過ちを認める和解の言葉であった。

元よりすれ違いはアリアにとっても本意ではないし、エリスと仲違いはしたくない。

「地の利を得ていた故、勝算は大きいと踏んでいたのだ」

「地の利?」

聞き返してきたエルフ娘は、文字は読めても戦記物などには興味が無いのか、『地の利』という語句も知らぬらしい。

戦に興味の無い自由労働者にとっては、聞いたことすらない語句もあるのだろう。

さすがに一から説明する暇はなく、棚上げにする事にした。

歩み寄ると、アリアは肩を寄せながらそっと告げる。

「君が敵への侮りや愚かさから軽挙したのではないこと、理解した」

指示の無視を不問に処す代わりにエリスの無言の問いかけも封じて、取り合えず有耶無耶なままに仲直りしてくれないかと微笑みかけてみる。

どうやら、和解を受け入れてくれたらしい。

やや強張った表情のエリスの瞳から、憂いや戸惑いが薄れて消えてきた。

「戻ってきたのだな、私が心配で、うむ……私が心配か。あはは」

歓喜の念を隠さず、アリアは素直に笑う。

肯いたエリスは喪失の恐怖に脅えていたのだろう。目尻に涙を浮かべたまま身体を震わせて、女剣士の肩に頭を預けてきた。

「……恐かった。アリアを一人残して戦わせていると思うと、もう溜まらなかったんだ」

女剣士が親指と人差し指でエルフ娘の顔をくいと上げさせると、蒼い瞳から一筋の透明な涙が零れていた。

宥めるように慰めるように指で拭い去ってやりながら、アリアは心を打たれていた。


 憂いを帯びた切なげな眼差しで、何かを訴えかけるようにエリスはじっとアリアを見つめてくる。

「そんな目で見るな」

落ち着かない気分になったアリアは呟きつつも、こうまで一途に思われれば満更でもない。

命を投げ出しても救いたいと愛されながら、なお疑うほどにはアリアは擦れてなかった。

エリスの愛情を疑う気持ちは薄れてきたが、

しかし、同時に愛にも厄介な側面があるのだと薄々気づきつつあった。

利益で動くもの、理屈を重視するもの。世の中には様々な種類の人間がいる。

どうやらエリスは、情念で動く傾向を持っているらしい。

となれば、時に有利不利や損得を度外視して動き、予想できない行動を取ることもあるだろう。

「二度はないぞ」

警告するも、エリスはほろ苦く微笑んで首を傾げた。

表面上は柔らかいが、芯に頑固な部分を持ってることは何となくアリアも感じ取っている。

聞く気はないのだろうな。死なせたくないのに。

苛立ちを覚えるも、しかし、自分もまた利益を度外視して心配したことに気づいて、アリアは溜息交じりに首を振った。

どうやら、人の気持ちとは簡単に割り切れるものではないらしい。


小動物が様子を窺うような仕草を見せながら、エリスはアリアの顔を覗き込んできた。

「許してくれるのかな?」

「ああ、許すさ。許さいでか」

手を振りながら応じたアリアの肩に、歩み寄ってきたエリスが頭を預けてきた。

「……御免。それとありがとう」

ふ、と僅かに苦笑した女剣士も、軽く腕を廻してエルフの娘の肩を指で叩いた。


 数瞬の抱擁の後、アリアは抱きついているエリスを引き剥がした。

「さて、あまり愚図愚図している暇はない。名残惜しいがオークたちの援軍が来るかも知れぬしな」

名残惜しそうに見つめてくるエリスだが、事の軽重は弁えているのだろう。意義は唱えなかった。

踵を返したアリアは、オークたちの逃げた方角へと少し歩くと、村を望める丘陵の高所へと立った。

片膝に肘を置きながら、下の大地を覗き込むようにして河辺の村へと鋭い眼差しを走らせる。


「ああ、なるほど。此処からだと街道がよく見える」

呟いてから村を注視して、アリアは僅かに鋭い眼差しをさらに細めた。

「村も見渡せる。目端の効く者なら、此の丘陵に目を付けても不思議ではない。

そして私たちが昇ってくるのも見えただろう」

アリアたちからすれば手際のよい襲撃を受けたように感じられたが、事実は逆。

街道から村へとやってくる者を見張るに都合がいい丘に陣取っていたオークの懐に、間抜けな鴨がのこのこ飛び込んで来たに過ぎなかった。

疑問が氷解したアリアは、ほろ苦い笑みを浮かべながら前髪をかき上げた。

「何のことはない。別に魔法のように待ち伏せしていた訳ではなく、見張りのオークが陣取っている中に自分から飛び込んでしまった訳か。間抜けな話だ」


「たまにはアリアの勘も外れるみたいだね。あんなに自信満々だったのに危ないところだったよ?」

鳴いた烏がもう笑うかのように、からかうような文句を言いながらエリスがアリアの傍らへと歩み寄っていくが、冷ややかな眼差しを大地に注いでいた女剣士は静かに首を振るった。

「いや、もし、あのまま村へと飛び込んでいたら、我ら二人。それこそ一溜まりも無かったであろうよ」

意味が分からずに立ち止まって首を傾げる翠髪のエルフを見て、アリアは苦い笑みを浮かべ

「見るがいい」

言いながらアリアの指差した先では、幾十人もの武装したオーク達が黒蟻の如く河辺の村の広場を歩き廻っている光景が窺えた。

頬を緊張に引き攣らせて、絶句したエリスは息を呑んだ。傍らのアリアは、さも不快そうに鼻を鳴らす。

「村はオークに制圧されているようだな、さて如何したものか」



ある一人の男は賭けていた。

クリスマスイブが終わるまでに、リンクのコスプレをしたリンゼイ・スターリングみたいな明るい笑顔のエルフ娘が部屋の扉を開け「そこの猫弾正!さあ!私と一緒に冒険の旅に出ようよ!」とバギンズ一族を巻き込むガンダルフの如く冒険に誘いに来る事に、炬燵の中でまどろみながら賭けていたのだ。


来年こそ、エルフ娘が誘いに来るに違いない。

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