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土豪 39

 藁を敷いた寝台に寝転がりながら、農夫は部屋の真ん中で焚かれる火を眺めていた。

赤子を抱いた女房や娘も海底の貝のようにむっつりと黙り込んでいた。

家に閉じ込められる冬の日々には、誰しも陰気で不機嫌になりがちである。

陰鬱な空気が漂う小屋とは裏腹に、外では腕白小僧が子犬と元気に走り回っていた。


 家には扉もなく、古くなった薄い襤褸布を戸口に垂らしているだけだが、そんな代物でも冬の寒さを若干だが防いでくれた。

床は剥き出しの土で、触れるだけで体温を奪われそうなほど冷え込んでいる。

先年亡くなった老父は、寒さの厳しい季節になると節々が痛むと愚痴っていた。


 壁に立てかけてある木製の鍬を静かに眺めながら、農夫は無言で考え込んでいた。

三年続きの不作だった。

原因は冷害だけだろうか。或いは、畑の地力も衰えてきたのではないか。

以前からその徴候はあった。年々、収穫が落ちてきている。

今年も作物の出来はあまり良くない。食べていくだけの蕎麦や燕麦は確保できたが、来年はどうなるのか。

為に畑を広げようと連日、石を拾い、雑草を抜き、土を耕していた。

来年には新しい畑で作業し、それで収穫が見込めるようなら古い畑を数年休ませようと考えていた。

畑を広げるのは重労働だ。見えない疲労が農夫の肩にずっしりと腰を降ろしていた。

青銅製の鍬や鎌を欲していたが、金属製の農具は辺境では高価であり、とても手が出ない。


 農夫は娘を見た。そろそろ年頃だ。

女房が、着物の一着も拵えてやりたいなどと言い出している。

そんな金が何処にあると聞けば、ならば、首飾りの一つも買ってやれとなどとほざく。

年頃の娘は、飾り物の一つくらい持っているだと。へっ、と農夫は鼻を鳴らした。

仮に古着であっても、服もまた高価な代物だ。着物の一張羅を見繕えるのは金のある富農だけで、村でも貧しい方の農夫は今着ている服を修繕する代価にさえ事欠いている。

譲ってやりたいと思っていた亡母のお古は、壊れた鍬を治す代価として手放してしまっていた。


 農夫は懐にある財布の重さを量ってみた。

町で穀類や玉葱、蕪と交換して手に入れたなけなしの鉛貨や真鍮の小銭が入っている。

洞窟オークの襲撃を思い起こす。村人が幾人か怪我をしていた。死んだ者もいる。

明日にもどうなるか分からない日々で、少しずつ蓄えた貴重な貨幣だけが命綱だ。

それでも、くたびれきって古女房そっくりになってきている娘を見ていれば、農夫にも僅かに気の毒に思う気持ちが湧いてこないでもない。

確かに考えてみれば、俺がこれくらいの餓鬼だった頃には些かの楽しみもあった。

娘だった女房に贈り物をした覚えも在った。

希望のない灰色の日々に、若い娘なら心の慰めがあってもいいかとも思えてくる。

此の間、町の市にいった時に見かけた赤いリボンはまだ売っているだろうか。

宝貝や青銅の首飾りや指輪みたいな、飾り物でもいいかも知れねえ。

「そろそろおめえも年頃だ。今度、町にいったら……」

農夫が口を開いて娘が顔を上げた時、外で子犬の甲高い叫びが上がった。

と、すぐに小僧が泣き叫びながら小屋へと飛び込んできた。

「小僧!おめえ、犬っころに悪戯しやがったのか!」

そう怒鳴った親父のもとへと真っ直ぐに駆け寄ってきた小僧の顔色は尋常ではなく蒼白だった。

「父ちゃん!オークだよぅ!」

喚き散らしている小僧に誘われたかのように屈強なオーク達が小屋に踏み込んできたのと、父親が立ち上がるのはほぼ同時だった。狭い小屋に女たちの甲高い悲鳴が響き渡った。



 小屋の外では強い風が吹き始めていた。

吹きすさぶ風の音に混じって、彼方から遠い叫び声が微かに響いてきたように思えた。

薄暗い小屋の片隅に、病床の母に付き添いながらうとうとしかけていたニーナは、ハッとして顔を上げると辺りを見回した。

時刻は正午をかなり過ぎている。

薄い毛布に包まりながら、母のノアは穏やかな寝息を立てている。

聞こえたように思えたあの断末魔の叫びは夢に過ぎなかったのだろうか。

ニーナは脅えの色を瞳に浮かべて暫し固まっていたが、やがてホッと息を洩らした。

空気の肌寒さにも関わらず、全身がいやな汗にびっしょりと濡れていた。

生まれ故郷トリスを襲った悲劇をまどろみの夢に見ていたような気もする。

目の前で父親や友人、村人が次々と洞窟オークの手に掛かり、帰らぬ人となっていく。

故郷の滅亡する光景は、少女の心に癒えない傷を刻み込んでいた。

ニーナの心の支えは、最後の身内である母だけで、しかし、その母ノアの体がもう持たないところまで来ていることを薄々、心の奥底では察しながらもニナは認めたくなかった。


 母さん……私を一人にしないで。

心張りが裂けそうな悲しみに包まれながら、やせ衰えたノアの服をきゅっと握り締めたニーナは、ただひたすら母親に生きて欲しいと願った。

しかし同時に、苦痛に悶える母のその姿を見るたび、少女の心は苛まれる。

もう痛みに苦しまないよう安らかに休んでもいいのではないか。

ふつふつと湧いてくるそんな想いに惑いながら、ニーナは辛い日々を過ごしていた。

薄い毛布に包まった母親の傍らで俯き、祈るように手を合わせたまま、ノアの痩せた枯れ枝のような腕にそっと触れて涙を溢れさせる。

ほんの少しでも温もりを共にしたいと願う最中、風に乗って再び人の叫びが小屋まで届いた。

今度は空耳ではない。ニーナは慌てて立ち上がった。

聞き間違えではない。聞き間違えようもない。

恐怖と絶望の入り混じったその叫びの意味を、ニーナは誰よりも理解していた。

彼女に限って誤ることはない。

誰かが『何か』に襲われている。襲ってきた。村を?

脳裏に悪夢の光景が蘇って、ニーナが身体を竦ませていたのも僅かな時間だった。

己の身体を抱きしめて小さく震えながらも、浅く息を吐いて落ち着きを取り戻していく。

叫びは、村道の方から聞こえた。

短いが深刻な葛藤の後、村の様子を見てこようとニーナは立ち上がる。

悪夢は未だに少女を苛んでいた。

しかし、危機が迫っているならば、母を守る為にも確かめなければならない。

母親を見つめていたニーナは、意を決したようにそっと立ち上がると、小屋を後にしてそろそろと出て行ったのだった。



 灰オークの戦士は死に物狂いで剣を振るっていたが、眼前の女剣士にはまるで通用しない。

意図も技巧も見抜かれて、柳に風と受け流される。

こうなれば、と追い詰められつつあるオーク戦士は切り札を見せた。左右に打ち込み、意識が逸れたところで正面から唐竹割りに頭蓋を砕く。

今まで幾人もの敵手を葬ってきた必殺の手法を、しかし、思惑を見抜いていたのか。

オークの左の打ち込みをいなし、右の打ち込みを弾いた瞬間、女剣士が踏み込んできた。

思わぬ動きに動揺したオーク戦士が、些か無用心に剣を振るった瞬間。

「消えた!」

アリアの姿を見失い、驚愕の喘ぎがオークの喉から思わず洩れていた。

地面に倒れこむような姿勢から、アリアは長剣を跳ね上げる。

どれほどの修練を積んでいるのか。

一見、不安定な姿勢ながらも充分に威力の乗った刃が、革服を貫いてオークの下腹を深々と切り裂いていた。

「ぐお!」

苦しみながら振るった二の太刀も躱されると、アリアの退きながらの牽制の剣がオークの左腕の肉を深々と削いでいた。

切断はされていないものの骨がのぞくほどの深い傷を受け、苦痛に呻きながら、オークは歯軋りして後退する。


 オークは腹部を押さえていた。

臓物が零れ落ちほどの深手からは、内臓が冬の大気に触れて白い湯気が立っていた。

凄まじい激痛に襲われているはずである。もう戦えないと見て、

「口ほどにもなかったなぁ、オークよ。

 お前の腕が、せめてその舌の半分も廻ればもう少し善戦できただろうに」

勇敢さを見せた相手に対して向けるには、あまりに侮辱的な台詞であったに違いないが、アリアは傲岸な言葉を吐いていた。

一つには、不退転の決意を見せたオークとの戦いが心躍る死闘になるのではないかと期待していたが為でもある。

あっさりと決まった勝負に肩透かしを受けたような気分で、落胆を覚えずにはいられなかった。

だが、灰色肌のオークはけして弱い戦士ではなかった。むしろ相手が悪かったのだろう。

尚武の気風色濃いシレディアの地でさえ、一対一でアリアに勝てる者はそう多くないのだ。

その上、女剣士がいまやオークたちの使う剣術や体捌きに慣れてきたのもある。


 額には玉のような脂汗がびっしりと浮かび、苦しげな息を吐きながらも、オーク戦士は仁王立ちして敵を睨みつけている。

アリアの露骨な侮蔑に顔を歪めながら、

「女め、その程度の腕でいい気になるなよ。部族には俺など及びもつかぬ強者が幾人もいるのだ」

「ほう?」

「その程度の腕で、これから先も我らの邪魔をするというなら……確実に死ぬ事になるぞ」

はて……こやつめ、何ゆえに斯様な言を口にするのだ?

息を切らせながらのオークの言葉に、一瞬だけ相手の思惑を計りかねたアリアだが、悔し紛れに口にしたのではないかと当て推量しつつも、オークの台詞にむしろ興味をそそられたのか。

「ふっ、くくっ、面白いな」

何故か嬉しそうにくつくつ笑いながら黄玉トパーズ色の瞳を細めた女剣士は、オークを乗せる為に挑発し返してみせた。

「いいだろう。お前の思惑に乗ってやろう。そいつらの名を教えるがいい。我が勲の礎にしてやろう」

傲慢な物言いをする女剣士を睨みつけていた灰色オークだが、暫しの沈黙の後にゆっくりと名を上げた。

「無敵の勇戦士ルッゴ・ゾム……その副将のボロ。

 お前の剣ではボロにも勝てん。ましてルッゴ・ゾムには遠く及ばんわ」

灰色オークと会話しながら、アリアは微かな違和感を感じ取った。

口だけを見る事無く敵手の全身を捉えてみると、オークの身体は何か時期を窺うように僅かに緊張している。

脳裏に警報が走る。瞬間、灰色オークが吼えた。

抑えていた傷口から溢れ出て溜めた血を掌に乗せると、目潰しに投げつける。

瞳に掛かれば視界を塞ぐ粘性の液体が宙を待った。

「があッ!」

同時に灰オーク戦士は踏み込んだ。不意打ちに生涯最高の渾身の力で剣を振り下ろす。

乾坤一擲の賭けに、しかし、アリアは僅かな腕の動きから事前に察知して、オークの動作の直前に横合いに躱すと、其の侭、疾風の如き速度で長剣を薙いでいた。

交差した二つの影の片方から鮮血が吹き出して、そのまま朽木のように大地へと崩れ落ちた。

「最後の一太刀は悪くなかったぞ、オークよ」

剣を宙に薙いで地べたへ血糊を撒き捨てながら、アリアは傲然とした態度のまま賛辞を送った。



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