土豪 37
逃げ道はふさがれつつあった。
左手の茂みから現われたオークが三匹、アリアとエリスが昇ってきた勾配を塞ぐように後方に廻り込みつつあった。
前方から勢いよく駆け下りてくるのが二匹。その後方にいる灰色オークは、此方を完全に包囲する心算なのだろう。
手薄な逃げ道を塞ぐように仲間とやや離れた地面を走っていた。
右手の窪みに潜んでいた残り二匹は、此れも潅木や繁みの隙間を縫うように機敏な動きで走り寄ってくる。
立ち竦んでいたエリスは、左右に視線を走らせて舌打ちした。如何やら逃がす心算はないらしい。
二人の娘を中心にして円を描くようにオークは現れていた。どちらへ逃げようとも行く手に立ちはだかってくる。
かといって相手が八人もいては、さしものアリアでも勝ち目は薄いように思える。
アリアは、冷静に敵の位置を見定めていた。オークの配置は、獲物が何処を逃げようとしてもいずれかに捕まるものだったが、
しかし、その分だけ相互の距離はそれなりに離れている。
街道へのくだりを塞いだ三匹。やや離れた木立の傍らに此方へと走り寄ってくる二匹。戴きから降りてくる二匹と一匹。
比較的に手近、かつ手薄に見える木立の二人組に狙いをつけると、アリアは駆け出した。
「右手へ走れ」
囁いた女剣士と共に走りながら、しかし、エルフ娘の背筋を激しい恐怖が撫で付けていた。
突如、現われたオークたちは、手際よく二人の娘の退路を断っていた。
逃げ切れない。エリスの瞳が恐怖に曇った。
小走りしているエリスの傍らで、剣を片手に走りながら左右を見回したアリアが淡々と結論付けた。
「……此れは逃げ切れんな」
こんな状況で、まるで他人事のように言うのだなと思いながら、エリスは如何するのか目で訊ねた。
「斬り抜けるしかあるまい」
「……相手は……八人……それにこいつら……」
「二人と三人。それに三人だ。まだ八人ではない」
苦しげな息の下で腕が立ちそうだと告げようとしたエリスの言葉を、呼吸も乱さずに遮って訂正するとアリアが立ち止まった。
二人の娘と二匹のオークは、かなり近くまで迫ってきていた。
アリアは、冷たい微笑みを浮かべてエリスの頬に指で触れた。
不思議そうに見つめてくるエルフの娘の蒼い瞳を見つめ、真面目な顔で尖った耳元に囁く。
「連中は私が足止めする。君は何とか旅籠まで逃げろよ」
二人の娘のやって来た街道は南に位置しており、北の方角にはうずたかい丘陵が連なっている。気は進まないが、他に逃げ込めそうな箇所はなかった。
「一緒に……」
戸惑い、引き止めるエリスを前に
「勝つのは難しい、が、無理に倒す必要もない。相手は少人数だし、要は旅籠まで逃げ切れればいいのだ」
足で掻き回して牽制すれば、旅籠まで戦いながら退くのも難しくないとアリアは踏んでいた。
辛そうにアリアを見つめるエリスだが、ただの若い娘でしかない彼女が踏みとどまっても足手纏いにしかならない。
肯いたエリスは、未練がましく振り返りつつもアリアを残して走り去っていった。
前方から駆け寄ってくる二人の娘に気づくのとほぼ同時に、二匹のオークは足を止めて素早く武器を構えていた。
「はッ!」
逃げていくエルフとは裏腹に距離を詰めてきた女剣士が横薙ぎを先制で放つも、思い切り飛び退った緑肌のオークは紙一重で躱した。
(……躱されたかッ!)
真正面からの大振りだったとは言え、先制の一撃をあっさりと躱されたアリアは、敵の戦力評価をさらに上方修正しながら勢いよく襲い掛かった。
が、打ち込んだ横薙ぎも、中剣の黒オークは剣の横腹で受け止めていた。
「こいつら……手強い!」
予想以上の強さに動揺は見せなかったが、手早く二人を制圧する目算は狂っていた。
「ほお!早い!」
目前での目まぐるしい攻防に、両の手に手斧を持った緑肌のオークが感嘆の叫びを上げた。
激しく争う一人と二匹の傍を素早く駆け抜けたエリスは、しかし、徐々に足を遅くしていった。
ついに立ち止まると、我慢できなくなったのか振り返り、しかし、戻ろうとはしない。
私にアリアを助けられるだけの力が在ればいいのに
エリスの強く噛んだ唇がぶつっと切れて、血の味が口内に広がった。
目の前でアリアと争う二人のオークだが、動きが俊敏だった。
目まぐるしく立ち位置を入れ替えながら、女剣士とオークたちは激しく刃を交えている。
此処で二匹、さらに反対側の道から駆けてくる三匹。下からも三匹昇ってくる。
早く片をつけられないと、多勢に無勢でやられてしまうだろう。
食い入るように攻防を見つめていたエリスの瞳には、迷いの色が浮かんでいた。
強く目を閉じたエリスは、深々と深呼吸をしてから肩掛け鞄を下ろして中身を探り始める。
鞄から二つの革製の小袋を取り出すと、細心の注意を払いながら各々の中身の黄色い粉末と黒い粉を小さな麻袋へと移し変え、金属の棒で混ぜ合わせ始める。
小さな斧を両手に持った緑肌のオークは、後退しながら、アリアの刃を凌いでいた。
二匹のオークは無秩序な動きではなく、連携して小刻みに歩調を合わせながら戦う為、寸断して一気に押し込むのも、引き離して個々に相手取るのも難しかった。
正攻法でも、しかし、カスケード伯アリアテートは、高い力量を有している。
虚実を巧みに織り交ぜた小刻みな突きと払い、そして素早い前進と後退に二対一にも拘らずオークたちは翻弄され、見る間に手傷が増えていく。
だが、浅い。アリアも中々、決定的な一打を放てないでいる。
腕を血で濡らしながら、オークたちは言葉を交し合っていた。
「こいつ!強いぞ!」
女剣士の振るう鋼の刃は速く鋭かった。鋳鉄の剣が、見る見る刃毀れしていく。
オークたちも腕に自信が無いわけではないが、正直、一対一では、あっという間に殺されていたに違いない。
目の前のアリアは兎に角、異様に素早いのだ。おまけに足捌きが抜群に上手い。
太刀筋は鋭い殺気を発しており、少しでも油断したら命を取られそうだった。
二匹のオークは、全身を冷たい汗に濡らしながら死に物狂いになっていた。
二匹とも革製の腹巻をしているが、鋼の剣を前にそんな防具では気休めにもならない。
こんな使い手の剣を喰らったら、下手をすれば諸共に臓腑を断ち割られてしまう。
「オズ・ムー!ババモ!助けてくれい!」
一瞬の躊躇を見せていたものの、押され始めたオークたちは直ぐに仲間に助けを求めた。
「はっ、女一人に総掛かりか?」
剣を振りながら、無駄口を聞く余裕がアリアにはあった。だが、黒オークと緑オークは単純な挑発に乗ったりはしない。
正直、二対一で歯が立たないのは屈辱であったが、オークたちは身を焼く怒りに耐えていた。
時間を稼いでいるだけでいい。それで目の前の女剣士を挟み撃ちできるのだ。
歯を食い縛りながら、真剣な表情でアリアの長剣を凌いでいる。
太股を刺され、脇腹に切り傷を負いながら、苦痛にも拘らず、必死の気迫で持ち堪えて動きの鈍る様子を見せなかった。
顔を合わせて駆け足となった三匹のオークが、すぐ背中まで迫ってきたのが足音で分かった。
恵まれた体躯と優れた才能に加えて、幾度となく死地を潜り抜けてきたアリアは、尋常ではない使い手だった。
けして弱くないオークの戦士二匹を相手取りながら圧しているが、しかし、一気に押し込もうとしてもオークたちも粘り強く持ち堪えていた。
剣の達者であるカスケード伯子を相手に、たった二人で持ち堪えるオークの身体に次々と傷は刻まれ、出血は増えている。
今のままでも勝てるだろうと、アリアは踏んでいた。例え、三対一でも負けはしない。
だが、四対一、五対一になると。そろそろ思い切って逃げるかな。
エリスも逃げ切った筈だ。
足の速さには自信も在る。今なら、余裕を持って撤退できるだろう。
そろそろ退き時かとアリアを思案した時だ。視界の端で布袋が勢いよく宙を飛んでいった。
よく見計らって狙ったのだろう。楕円軌道を描いた小さな布袋が、近づいてくる援軍のうちの一匹にぶつかる。
見事にぶつかった袋の中身の粉が、顔に茶色いまだらな痣のあるオークにかかった。
目が眩み、思わず腰から崩れ落ちたオークが、不快そうに唸りながら首を振った。
「なんだ」
飛んできた方角を見ると、逃げたと思ったエルフがスリングを片手に木陰に立っていた。
「……飛び道具か……長耳め」
起き上ったオークは額から僅かに出血していた。
中には石でも入っていたのか。
地面に落ちた布袋は意外な硬さを持っていて、オークは忌々しげに蹴り飛ばした。
額の傷に触れた指先に奇妙に痺れを覚えてオークはすぐに身体の違和感に気づいた。
顔を歪め、顔を押さえて呻いてから異様な咆哮をあげて跳躍した。
奇異の瞳を向けてくる仲間のオークに構わず、凄まじい絶叫し始める。
「うお!いってええ!顔が!燃えるッ!」
顔を掻き毟りながらの仲間の狂態に、女剣士の目前のオークたちが動揺したのか動きが鈍った。
一瞬の隙を見逃すアリアではない。
加速を付けて飛び込み、鋭い突きを放った。反射的にオークが剣を横に払った。
弾かれる。
弾かれることを予期していたアリアは、そのまま身体を捻ると一瞬で軌道を修正し、そのまま下から上へと刃を跳ね上げた。
中剣を持った黒オークの武器を持たぬ左腕が寸断されて、宙に舞った。
「おお!」
体勢が崩れて、喘ぎながら後退する黒オークの喉が次の瞬間、切り裂いていた。
焦ったもう一匹のオークが雄叫びと共に斧を振るうが、アリアは見事に見切って紙一重で躱した。
秀麗な美貌を間近で捉え、その黄玉の瞳が冷たい光を放つのを目にして緑肌のオークは背筋に死神の息吹を感じた。
顔に怯えが走る。俊敏な敵を捕らえきれず、必死のオークは次に横合いの薙ぎを放つも、此れもアリアに躱された。
一気に踏み込んでくるアリアを前に、絶叫した手斧の緑オークの下腹が長剣に切り裂かれた。
目の前で仲間二人が屠られると、残った二人のオークは動揺したようにたたらを踏んだ。
アリアは、息もつかずに勢いのままに襲い掛かる。
残り二人は、幸いにも最初の二人ほどの使い手ではなかった。
加えて、勢いが違った。
二人は怯んでいたし、先ほどの二人は持ち堪えれば、助けが来ると知って死力を尽くしていた。
飛び込んできたアリアに反応して、迂闊にも大振りした小剣が、返しの太刀で切り裂かれた手首と共に地面に落ちた。
もう一人は、棍棒を振り下ろしたが、地面を這うように横っ飛びしたアリアに太股を切り裂かれていた。
動きが鈍り、武器を取り落とした二匹のオークは、もう駄目だった。
恐怖に歪んだ表情のまま、喉笛を切り裂かれ、切り落とした刃に心臓を貫かれて大地へと崩れ落ちる。
四匹目のオークを倒して、一息ついたアリアが苦い顔をしてエリスに視線をやった時、背後から驚きの叫び声が上がった。
三匹のオークが顔を見合わせながら、呆然とした様子で街道に立ち尽くしている。
「……おいおい、これ。どうなってるのよ」
「アリア!新手!」
エリスの叫びに言われるまでもない。
身を翻したアリアは、距離を取りながらオークたちと睨み合いつつ息を整える。
目の前には人族の無傷の女剣士。仲間五人が倒されて、地面に転がっている。
たった二人の女を襲って返り討ちにあうなど誰に予想できる筈もない。
四人は刃物で急所を切り裂かれて、絶命していた。
傷の大半が身体の前面についているのは、信じたくはないが、恐らく真正面から戦って敗れた証左だろう。
恐ろしいほどの手練と言えた。
一人は今も苦しそうにもがきながら、今も地面で身体を不気味に痙攣させている。
白目で喉元を掻き毟りながら、口の端から泡を吹いていた。
「エルフの方は毒を使うぞ……気をつけろ」
一瞥した灰オークが仲間に発した言葉を耳にして、何故かエルフ自身が後ろめたそうな表情となる。
驚愕に固まっていたオークたちだが、改めて気を引き締めながら武器を構える。
改めてアリアを睨みつけているうち、大柄な灰オークがやがて何かに気づいたように目を細めた。
「……モアレで暴れまわった奴を聞いているか?ザジ」
オーク族の間にも、世間話のやり取りはある。何処からか噂を耳にしていたのだろう。短槍を構えた小柄な灰オークが、警戒心も露わに睨みつけながら、隣の仲間にオーク語で返答した。
「二十人を殺したってあれか」
もう一匹のオークが歯を食い縛る。
「……黒髪の女剣士だったそうだな」
三匹のオークは慎重に距離取りながら、アリアと睨みあっていた。
刹那、呼気を整えていた人族の女剣士が、矢のように恐ろしい速さで飛び込んできた。
切りかかるアリアの剣を、辛うじて中剣で受け止めたのはオークにとっての僥倖であった。
尋常ではない技量に加えて、アリアの太刀筋は速く、鋭く、威力を伴っていた。
下手をすれば、今の一撃で手首なり腕なりを飛ばされていた。
どっと冷や汗をかきながら、アリアの剣を受け止めた灰オークの腕に、重たい痺れが走っていた。
女の癖になんて膂力だ。体型からして敏捷さを得手とする剣士とオークは推測していたが、その癖、一撃の重さまでもそこらへんの戦士を上回っていた。
それでも三対一なら勝てない相手ではない。
歯を食い縛りつつ判断するが、まだ毒を使うエルフもいる。油断はできない。
「よくぞ防いだな」
女剣士の嘲弄混じりの賞賛に、僅かな東国訛りを聞き取り、オークの脳裏に閃くものが合った。
そうか……こいつ。
「シレディア人だな!」
相手の正体を看破したオークの叫びを理解したのか。舌打ちした女剣士は、灰オークの振るった斧の一撃よりも素早く飛び退って、再び距離を取っていた。
「下郎め、我が血族の名を何処で耳にした?」
嫌悪と蔑みの対象であるオークが故郷の名を口にしたことを、不快に感じたのか。
或いは、まったく別の意味で逆鱗に触れたのか。
アリアの纏う気配が、より剣呑で研ぎ澄まされた危険な雰囲気へと変貌していく。
「いいや、構わぬ。その名を戦場で口にしてただで済むと思うなよ」
アリアの放つ危険な気配を敏感に察知して、武器を構えたオークたちが一瞬、息を呑んだ。
「なにやら、怒らせたみたいだぜ」
「故郷の悪口を言われたとでも思ったんじゃないのか?」
「美人が怒ると恐いね、凄い迫力だ」
軽口を叩きながらも、オークたちは相対している女剣士と彼女の手にする鋼の長剣を油断のない目つきで鋭く睨みつけていた。
改訂について
12/11/22
名称を変更 レヴィナス河⇒ゴート河
12/11/23
土豪 36、37に加筆修正




