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土豪 34

 一般に冒険者と称される者たちの社会的な地位や立場は、かなり低いのが実情である。

 しかし、中には僻地へと赴いては稀少な銀製品や工芸品、或いは塩や砂糖などの香辛料、瑪瑙、琥珀などの宝石、絨毯や蜻蛉玉のような奢侈品を仕入れて他所へと売りに行き、少なからぬ利潤を得る商才の持ち主たちもいる。

 普通は商人の仕事であるが、危険を伴う土地を旅して小規模に商う者のうちには、誇らしげに冒険商人と自称する者たちがいた。

 さらには、そうした商人の護衛として雇われる戦士や秘境にて大蜥蜴や黒貂、銀狐など稀少で高価な毛皮を追い求める狩人のうちにも冒険者と名乗る者たちがいる。

 だが、普通は冒険者は傭兵であり、傭兵は盗賊であり、然るに冒険者は盗賊と見做す者も世には少なからずいたし、それは半分は事実でもあった。

 豪族や諸侯に雇われて、領土を荒らす盗賊団や近隣の有力者の私兵と戦う者。そうした傭兵のうちには、解雇された期間には冒険者として振舞う者もいれば、盗賊となる輩もいる。

 一口に冒険者と言っても、その内実は渾然とし、また千差万別であって、富む者、力ある者が尊重されるのは、貧しく、力ない者が、忌避されるのは如何な時代、如何な社会でも変わらない。

 一握りの高名な英雄を除けば、冒険者の大半は、傭兵や盗賊、浮浪者や乞食の同類であり、民草から猜疑され、忌み嫌われているのが実情であった。


 レオとリースの二人は、南王国出身の二人組で、セスティナの北辺から辺境に掛けてを活動の舞台とする放浪の冒険者であった。

 彼らの主な仕事は行商人や旅人の護衛であるが、時には豪族や諸侯の雇われ兵になることもある。稀に好機に恵まれた時には、辺境で採れる漆黒の自然石や瑪瑙などを安値で仕入れ、南王国で売り捌きもしたし、畑を荒らすゴブリンやコボルドを追い払い、人喰いのオークの群れに浚われた子供を喰われる寸前に助けだす勲を上げもした。

 喰う為に様々な仕事をしてきた二人だが、盗賊の真似事だけはしてこなかった。

腕が立つか立たぬかは余人の判断に任せるとして、冒険者としての評判はまずまずのものがある。

長い歳月を掛けて培った評判は中々のものであり、辺境の幾つかの村では、顔見知りの村人が家に招き入れて、食事を振舞ってくれる程度には信用を勝ち得ている。

様々な生業で口を糊している放浪者のうちでは、比較的に恵まれていると言って良いだろう。


 洞窟オークの襲撃から、三日が経っていた。

薄暗い小屋の中、藁の寝台に横になって静養している栗色の髪の女性にレオは声を掛けた。

「リース。何か、欲しいものはあるか?」

寝ているかとも思ったが、暫らくして毛布の下からくもぐった声が返って来た。

「喉が渇いた」

肯きながら、縄に結ばれた素焼きの壷をぶら下げて立ち上がるレオ。

 河辺の村を襲ってきた洞窟オークと剣を交えた際、浅からぬ傷を負ったリースであったが、大枚払って手当てを受けたエルフの薬師の腕は悪くなかったようで、傍目にも快方へ向かっている。

相棒のレオとしては一安心と言うところで、僅かに顔を綻ばせていたが、小屋を出る際、深手を負って寝込んでいる旅の男とその傍らに侍る子供の哀しげな眼に視線が合った。

何か悪いことをした訳でもないが、僅かに後ろ暗い感情を覚えてレオは視線を逸らした。

怪我人たちが寝泊りをしているあばら家には、今も苦しげな呻きが響いており、リースは陰気な寝床を出たがっていた。

 もう少し容態が良くなったら……いや、今日にでも、顔見知りの村人に家の隅でも間借りさせて貰えないか頼んでみるか。


 小屋を出て冒険者の青年は歩き始めた。と、珍しく南風が吹いていた。

遠く海の香りを運んできたのか。冷たい風の中には、微かに潮の匂いが含まれている。

 井戸へと歩いていく途中、冷たい風に身体を震わせると、レオ青年は擦り切れた薄いマントを首筋へと寄り合わせて震えた。

 空模様は晴れ渡っているが、南の地平には鈍い灰色の雲が広がっている。

降るかな。今日も、肌寒い一日になりそうだ。

憂鬱そうな表情をして足早に通り過ぎる田舎道も、雨が降れば一帯が泥濘と化す。

そうなれば、出歩くことも侭ならず、火を囲みながら狭い小屋の奥で縮こまって過ごすしかない。


 井戸の見える広場を前にして、衝撃を受けたようにレオは思わず足を止めた。

自分の行動が理解できずに瞬きしながら、改めて広場に視線をやり、息を飲んで傍らの岩陰へと身を隠した。

 前方に影が蠢いていた。数十もの革鎧や厚手の布鎧を着込んだ黒い影が、素早い動きで広場を走り抜けていく。

……オーク。それも鍛えた戦士だ。

 腸の底が緊張にきゅっと引き締まる感覚が腹を貫いた。文字通りに胆が縮んだ。

ガチガチと歯の根を鳴らしながら、レオは身を伏せたまま少しずつ後戻りしていく。

見つからなかっただろうか。

気配が全然違う。此の間の洞窟オークとは、動きも気配も別物だった。

何よりあれほどの人数がいて、誰も吼えていないのが異様な雰囲気を醸し出している。

耳元に感じた濃厚な死の気配に、レオは糞尿を漏らしそうなほど脅えていた。


 這いずりながら見えない距離まで後戻りすると、そこから身を翻して可能な限りに地を駆ける。

短時間で血の気は失せ、足は震えていた。

如何する?オーク。戦う?村人に知らせる?無駄だ。どうしようもない。

兎に角、リースを連れて逃げる。それしかない。

先日の洞窟オークとは訳が違う。見た瞬間にレオは理解していた。

村人なんかが対抗できるような連中ではない。

一人一人がかなりの場数を踏んだ戦士達の集まりだ。

誰を取ってもレオやリースと互角か、もしかしたら強いだろう。

見つかれば、間違いなく殺される。


 まだ無事な村人に伝えようとも考えなかったし、声も出なかった。

声を出せば見つかりそうな気がしてならない。冒険者の青年は心底、震え上がっていた。

 怪我人たちの集められた小屋が見えてきた。が、あばら小屋の周囲に幾つもの黒い影が蠢いているのを目にして、レオの心臓は再び跳ね上がった。


 小屋のある少路に、倒れた村人とそれを取り囲むようにして数匹のオークがうろついている。

慌てて雑木の影に隠れ、そっと様子を窺うレオの背中を冷たい汗が流れ落ちていった。

小屋から出てきたオークが、毛皮で縁取りされたマントを得意げに仲間に見せつけている。

見覚えのあるマントだ。旅人の一人が持ち物としていた代物に間違いない。

歯軋りしつつ顔を背けたレオだが、リースの安否を確認せねば心休まらぬと再び視線を小屋へと戻した。

気は急くものの、レオ一人では数の勝るオークたちに対して手のうちようがない。

のこのこ出て行っても、剣の錆になるのが関の山だろう。


 焦慮に胸を焼き焦がしながら逡巡しているレオの耳に、微かに泣き叫ぶ女の声が届いた。

瞬間、決断する。勝ち目が薄かろうがやるしかない。蛮勇も止むを得ない。

飛び込めば、相棒に逃げる機会くらいは作ってやれるかもしれない。

相棒の危機に、此処が先途と飛び出そうとしたレオの背にこつんと小石が当たった。

仰天して振り返る。と、其処では近くの葦の草叢から強張った顔つきのリースがレオを見ていた。

 窄めた唇に人差し指を当て、それからゆっくりと肯いた。

無事だった。固くなっていたレオの全身から安堵で力が抜けた。

泊まっていたあばら小屋に脅えを含んだ視線を送りながら、リースがレオを手招きした。

「無事だったか」

慎重に駆け寄ったレオの囁きに肯きつつ、リースは緊張を隠さずに小声を事情を説明した。

「間一髪ね……外が騒がしかったから、窓から飛び出した」

決断の早さは、流石に冒険者と言うべきか。

闘争の能力は騎士や熟練の剣士に劣るとしても、危地に瀕してのしぶとさは伊達ではなかった。

「広場の方にもな、何十人もオークがいた」

抑えながら囁いたレオの声もまた震えていたが、馬鹿にする様子もなくリースは肯いた。

「村の中央が抑えられたか、リネル姐さんは……」

言いかけたリースだが、あばら家からは相も変わらず叫び声や荒々しい怒鳴り声が聞こえてきた。

残念だが他人の心配をできる余裕はなさそうだ。リースは思考を切り替えた。

「人の心配している場合じゃないね……如何する?レオ」

「逃げるしかない」

 この様子では、村から逃げ出すのも生易しいことでは無さそうだった。

しかし、自分たちの無事だけを計るなら、辛うじて見込みもあるだろう。

レオの意見に俯いた冒険者の女性は、暫らく考え込んでいたが小声で考えを告げた。

「助けを呼んでこれないかな」

竜の誉れ亭なら、豪族の巡察隊が来ているかも知れない。

しかし、レオは暗い顔で首を横に振るう。


 冒険者といっても、統率の取れた武装集団を前にして何が出来る筈もない。

逃げ出す方が安全だろうか、それとも此の侭、近隣から人族の応援が来るまで隠れていれば助かるだろうか。

思案を凝らす二人組の冒険者だが、答えが出ようはずもない。

取り敢えずは見つからぬように行動しようと、木立に隠れながら脅えた鼠のようにそっと移動を始めた。



 枯れ草の生い茂る街道をのんびりと歩きつつ、エリスは数年前に南方に赴いた際の体験談を友人に披露していた。

「で、その町の執政官さまは流行り病を収める為に、薬師たちを集めてね。

治った時には、ご馳走を振舞ってくれたの。凄いお祭り騒ぎだったよ」

隣を歩いているアリアは、朝食の残りの腸詰を齧りながら適当に相槌を打っていた。

「特に羊のもつを揚げて香辛料を振った料理が美味しかった」

「羊のもつ?」

口元の脂を拭いながら首を傾げたアリアに、エリスは肯きかける。

「美味しいよ、特に揚げたて」

「……油で揚げるのか?揚げ物をそんなに振舞うほど大量に作れば、油だって馬鹿になるまい」

東国では油はそれなりに値の張る品物だから、アリアは不思議そうに訊ねる。

「揚げ物も、作るのにはいい油が必要だから、残念だけど辺境だと難しいかな。

ミュートスはセスティナのさらにずっと南だから、暖かくてオリーブ油が安いんだよ。

土地に拠ってはワインやエールよりも安いくらい。葡萄を作ってない土地もあるんだけど、そうした土地は代わりに蜂蜜を使ったお酒が多くなるの」

「ふむん」

興が乗ったのか。アリアは興味深そうに耳を傾けている。

女剣士の様子を見て取って、エリスは身振り手振りまで交えて南方での見聞録を語り続けた。

「特にギーネ地方の沿岸に在る荘園はね。オリーブの樹が、こう見渡す限りに広がっていた。

収穫の時期には、人手が足りなくなるからよそ者の亜人でも雇ってくれたね」

「そんな揚げ物が安く売られるほど油が大量に作れるのか」

恋人のハスキーな声に耳を傾けながら、当初は半信半疑であったアリアだが、やがて顎に指を当てて考え込む。

「交易船を仕立てれば儲けられそうだが……駄目だな。セスティナの軍船に邪魔立てされるであろう」

南方との交易路を開拓しようにも、間違いなく横槍を入れてくるであろう強力なライバルの存在に思い当たり、東国諸侯の一人であるカスケード伯子は腹立たしそうに眉を顰めた。


 東国諸侯と南王国は犬猿の仲であるが、その競争は海の上でも行なわれている。

過去に幾度と無く衝突した南王国だが、陸戦では兎も角、海戦では分が悪いとアリアは見ていた。

同輩の豪族諸侯のうちにはセスティナ海軍何するものぞと侮っている者も少なくないが、カスケード伯子アリアテートは意見を異にしている。

船員の練度は兎も角、船の数においては、恐らく南王国海軍は東国諸侯の艦隊に対して互角か、優越しているだろうと見積もっている。


 まして件の土地は、王国軍の軍船が徘徊する南西海域のさらに先に位置している。

碌に地理も知らず、航路も確立されておらず、水先案内人もいない状況で未知の海に乗り出したとて、到底、うまく事が運ぶとは思えない。一か八かの勝負になるだろう。

下手をすれば、船員ごと拿捕されてお終いである。

「南方との交易は、業突く張りのセスティナ人共に独占されているが故……」

結論付けたアリアが不満げに唸ると、エリスは他人事の気楽さで呑気に呟いた。

南王国セスティナ東国諸侯ネメティスは仲悪いものねえ」


 苦い顔つきで天を仰いでいるアリアを眺めながら、エリスは話題を転じた。

「揚げたといえば、新鮮な海老を油で揚げて塩を振った料理があってね。此れも美味し……」

あっけらかんとしたエリスが中断していた食べ物談義を続けたとき、強い南風が吹き付けて草木を揺らした。

「……寒ッ」

エルフの娘が暖かい毛皮の服に亀のように首を埋めるのを見て、くつくつと笑った女剣士は故郷に想いを馳せる。

「海老の揚げ物か。そのうち食べてみたいな。東国の海では鮭や鱒、そして蟹なんかが取れる。どれも美味い。特に北の海で採れる冬の蟹は、身が引き締まっていてな」

「蟹かぁ、南でも食べたけど」

エリスの口には合わなかったのだろうか。あんなに美味しいのに。

アリアは不思議そうに目を瞬いてから、

「蟹は海の深い処にいて捕まえるのは中々難しい。蟹取りの名人は、特に大きい奴を一人で捕まえた者は皆に尊敬され、その甲羅は武具の材料として高値で取引される。

 大きな蟹を一匹倒せば、一年は遊んで暮らせるだろう」

「蟹だよね?」

「蟹だ」

 エリスが過去に食べた事のある南国の蟹は、精々が掌大の大きさであった。

対してアリアの思い浮かべている北海の蟹は、一尺半から二尺(60cm)。

中には牛や馬よりも巨大、且つ人を捕食する奴もいるが、不思議そうに首を傾げる二人は齟齬に気づいていない。



 南方に視線を走らせたエリスは、地平の彼方に灰色の雲が蟠っているのを見て、驟雨が来そうだなと呟いた。

「……今日は何が食べたい?アリア」

「君の作るものは何でも美味いからな。何でもいい」

「魚醤のスープを作ろうと思っているのだけれど……」

料理担当のエリスが肯きながら思案を凝らしたとき、唐突にアリアが足を止めた。

「……気のせいかな」

怪訝そうな顔つきで前方を眺めながら、アリアはなにやら逡巡を見せていた。

が、やがて周囲を見回すと、エリスの腕を掴んで見繕った草叢の影へと歩き出した。

「なに、こんな野原で……そんな……」

頬を朱色に染めるエリスに、アリアは呆れながら

「馬鹿、気づかないか?」

友人の緊張感が薄れているようにも見えたので、危惧を抱いた女剣士が嗜める。

「冗談だよ。此方に向かってくるね」

西方山脈の黒い稜線が見渡せる方角へと、真っ直ぐに視線を投げかけたエリスが肯いた。

「気づいていたか?」

「うんや、今気づいた」

やや緊張しているのか。人差し指の関節を噛んでから、エリスも草叢の後ろへと隠れた。

アリアは、確かに油断も隙も見せない。

その用心深さが、エリスには旅の連れとして心強く感じられる。

頼もしそうにアリアを見てから、エリスは耳を澄ませたが、すぐに蒼い瞳に緊張の色を走らせた。

「かなりの人数だよ、荒々しく叫んだり喚いたりしている」

「どうにも物騒な感じだ。やり過ごすぞ」

言われるまでもない。危険を避けるのに越したことはないのだ。

最近の辺境はどうにも物騒だとぼやきながら、エリスも肯いて同意を示した。

生い茂る草叢の後ろに姿を伏せながら、アリアはエリスの尖った耳元に口を寄せた。

「そうだ。君の『耳』で詳しくは分からないか?」

「やってみる」

尖った耳を兎のように動かしながら、エルフの娘は目を瞑って神経を集中した。

「十人……はいないな。七、八人か」

真剣な顔つきで気配を探りながらの報告に、アリアは厳しい顔をしながら繁みの後ろに身を伏せた。

「……走って近づいてくるね」

耳を澄ませるまでもなく、荒々しい叫び声がアリアにも聞こえてきた。

「気をつけてね」

用心を促す半エルフの声。十中八九、オークだろうなと予想しつつ女剣士が繁みからそっと顔を出すと思いも寄らぬ光景が目に入った。

目の前でオークの集団に追われているのは、泣き喚いている小さな一匹のゴブリンだった。



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