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土豪 26

「……曠野の民が、敵と見做してきた辺土の民の為に働こうとはね」

郷士の娘が掛けた言葉に、目の前に立つ髭面の蛮族は獰猛な笑みを深めた。

鷹のように鋭く冷酷な眼差しに油断のならない痩せた顔立ちをしているが、それほど野卑な感は受けない。

髭の覆われた口元と目尻に刻まれた皺から中年だろうと踏んでいた傭兵隊長は、だが、見せた笑顔から意外と若いことにパリスとリヴィエラは気づかされた。

後ろに控えるがっしりした白髪の老兵が、低く潰れた擦れ声で笑いながら云った。

「わっしらは傭兵だ。金さえ貰えれば誰にでも雇われる」

耳障りに響いた乾いた笑い声に片目を瞑ると、リヴィエラは胡散臭そうに首を振った。

「誰にでも……ね」

どうせ雇うならば、同じ傭兵にしても南方や西国のような文明地の者か、せめて同じ辺境の出の方がいいとリヴィエラは思っている。

郷士の娘リヴィエラが危惧したのは、目の前の毛皮を纏った男が密偵ではないかと言うことだ。

将来の戦に備えて、目端の鋭い利け者を敵の懐へと飛び込ませるのは聞かない話でもない。

辺境の民の防備を探る為、炎狐族なり、土蛇族など有力な蛮族の何れかに使われている間者の類かも知れぬ。

そう懸念してリヴィエラは鋭い視線を、曠野風の衣装を纏う傭兵に向けた。

過去の蛮族との戦で行なった所行から、報復されるのではないか。

そうした脅えも抱えている郷士の娘は、必要以上に疑念と警戒が入り混じった眼差しで売り込んできた傭兵たちを見据えていた。

胡乱な目付きを隠そうともしない郷士の娘とは裏腹に、豪族の息子パリスは目の前に立つ黒い毛皮のマントの男を値踏みするように眺めていた。

「例え相手がオークであれ、金を出すなら雇われるという事か?」

黒髪の男は愉快そうに笑い声を上げた。それから、にやりと笑みを浮かべた。

「……パリス?何を考えているの?」

郷士の娘リヴィエラは、蛮族出の傭兵に向ける疑惑の目を隠そうともしていない。

油断ない表情で睨みながら、曠野の蛮族などは信用に値せぬと幼馴染に耳打ちした。

しかし、豪族の息子パリスは鋭い目付きを傭兵の一団に注ぎながら、なにやら考え込んでいる。

「だがね、リヴィエラ。俺たちが雇わなければ、彼らはオークに売り込むかもしれないぞ」

それに中々に腕も立ちそうだと、漂わせる雰囲気からパリスはまず評価している。

「勝手にさせればいいよ。蛮族なんて信用ならない」

偏見と共に吐き捨てたリヴィエラを、しかしパリスは思いもしなかった静かな目付きで一瞥すると、交渉を持ちかけてきた傭兵の頭に向き直った。

「辺境の豪族とは云え、我が家に仕官を望む輩は少なくない。

売り込んでくるからには腕には自信があるのだろうな」

意中を測ろうと、豪族の息子は強い眼差しを傭兵の頭目に向けた。

「まずはどれだけ働けるか、見せてもらえるかな」

パリスの言葉に、傭兵の頭目がにっこりと笑った。

強かそうな顔立ちに、意外と人懐こい表情が浮かぶ。

「そいつは報酬次第だな」

「大した自信だ。口で言う実力の半分もあるのなら、此方から願いたい程だが」

幼馴染が曠野コルヴから来た傭兵たちの雇用に乗り気なように見えて、リヴィエラは不安を覚える。

「反対だな。彼らは、見ず知らずのよそ者……

まして、辺境の民を獲物と見做す曠野コルヴの蛮族。

到底、信用できるものではない」

内陸から来た蛮族たちを雇用する事に、リヴィエラはどうしても気が進まなかった。

二人の護衛も、郷士の娘に同調するように露骨に険悪な眼差しを傭兵団に向けている。

「若さま。こいつらは信用なりませんぜ」

「そうでさぁ」

「止めておこう。パリス。

少数でも、手勢は信頼できる者たちで固めておいた方がよい」

些か執拗な程に反対する金髪の娘リヴィエラの言葉を受けると、育ちがいいだけにパリスは流石に躊躇いを見せ始めた。

傭兵隊長は苦笑いを浮かべる。

「確かに俺は曠野の出だがね。雇い主には従うぜ。

そして、雇い主を途中で裏切ったことは一度もない」

頭目の言葉にも、リヴィエラの嫌悪と疑念の眼差しは、変わらなかった。

「……お嬢さんには信用ならんか」

豪族の子弟らしい目の前の若い男女を見つけて売り込んでみたが、どうにも見込みはなさそうだった。

男の方は乗り気なようだが、他の三人には露骨に警戒されている。

珍しい反応でもない。

傭兵団の頭目は、苦い笑みを浮かべつつ不器用に肩を竦めた。

辺土の民。特に曠野と接する外縁部の住民たちは、オークに対する以上に、蛮族の侵入に悩まされてきた歴史がある。

「まあ、無理にとは言わんさ。他にも雇い主はいるしな」

此れはどうも見込みが薄そうだと見て取ると、交渉を打ち切ることにした。

踵を返す蛮族たちの背中を見ながら、リヴィエラは豪族の息子を促がした。

「さあ、パリス。行こう。部下達もそろそろ出ている筈だ」

だが、パリスは旅籠の壁際へと戻っていく傭兵の背中に声を掛けた。

「あんたの名前を聞いておいていいか?」

蛮族の傭兵は立ち止まった。振り返ると、意外そうに瞳を細めてから再び笑った。

「旦那、俺はレクスという。

気が変わったなら、また来てくれ。暫らくはここら辺に滞在しているんでな」

ひらひらと手を振ると、傭兵たちの頭は元いた壁際の椅子へと腰を掛けた。


肯いた若者とお供の三人、そして案内に雇われた行商人が旅籠から出て行くのを見送ってから、椅子に腰掛けた傭兵の傍に手下達が歩み寄ってきた。

「どうします。しゃあないから、オークに売り込んでみますかい?」

最初に口を聞いたのは痩せた亜人。ついでやはり曠野出らしい老傭兵が尋ねる。

「それとも曠野コルヴ地方に行くか?」

「もう冬に入ってるし……寒さが厳しくなる前に決めないとね」

若い女傭兵が口を開くと、老傭兵が肯きつつにやりと笑った。

「曠野に行くなら、春先に辺境ネレヴへの略奪部隊に加わる手もある」

「そういや、曠野はあんたの故郷だったね。曠野に行くかい?」

女傭兵が首を傾げてから訊ねてきたのを、暫し黙考してから傭兵は答えを出した。

「いや、もう暫らくここら辺に留まる」

レクスの言葉に、痩せた亜人と老いた傭兵が顔を見合わせた。

「どれくらいです?」

「女たちや餓鬼共も、そろそろ休ませてやりたい」

部下たちを横目で見てから、何か期するものがあるのか。

重々しい口調で顎鬚を撫でながら、傭兵隊長は断言する。

「そう長くはないはずだ。」

「だけど……向こうは名前も告げなかった」

不満げに呟いた女傭兵を、傭兵のレクスは灰色の眼差しで無言で眺めた。

けして険しくはないが強く鋭い視線に、女傭兵は自然と口を閉じた。

「冬を越えるに不安を覚えない程度の蓄えは在る」

いいながら、黒い毛皮を纏った傭兵隊長は豪族の息子が出て行った扉に視線をくれた。

髭の生えた口元には、薄い笑みを張り付けている。

「多分、数日内にもう一度来るだろうよ」



旅籠の裏手へと続く埃っぽい小径を歩きながら、リヴィエラは陰気な表情で沈黙に閉じ籠もっていた。

二人の護衛と案内に雇った老行商も、所々、凹凸が浮かび上がった剥き出しの地面を黙々と後ろからついて来ている。

草生す小径を踏みしめながらやがて厩の前までやってくると、そこでは旅籠の下男が馬と鳥に水と飼い葉を与え終わっていた。

薄暗い厩に入る。冬なので藁の匂いは薄かった。それだけに馬糞の臭気が鼻腔をついた。

馬の首筋を撫でてから優しく声を掛ける。

その後に背後にゆっくりと用心深く廻ると、丸々とした馬糞が転がっている。

馬の体調はいいようだ。

元気を回復した様子の栗毛の馬の前に立って、数瞬を躊躇ってからリヴィエラは隣で藁を抱えたパリスに声を掛ける。

「……何を考えている?」

パリスは黙殺した。鞍として尻に引く毛皮の下に、忙しく新しい藁を入れている。

自分でも藁を抱えたリヴィエラは、怯みそうになりながらもう一度声を掛けた。

「蛮族は信用できない。懐に招き入れるのは危険すぎる」

豪族の息子パリスが作業を止めて、立ち止まった。

「あいつは大丈夫だ」

幼馴染の平坦な言葉に、根拠はあるのだろうかとリヴィエラは眉を顰めた。

「それに疑っていたら何も出来ない」

思わず耳を疑ったリヴィエラは、きつい眼差しをパリスに向けた。

人を信じるのは美質だが、行き過ぎれば弱点になる。

実は馬鹿だったのか、危惧を抱いて幼馴染を凝視してみる。

「あれはッ……」

リヴィエラの劇的な反応に、パリスは苦笑を浮かべた。

鞍代わりの毛皮を平坦に均しながら、葦毛の馬の首を撫でている。

「……悪党だろうな。殺しも略奪も何とも思っていない。それくらいは分かる」

分かってない訳では無いらしい。

「では、何故?危険な奴だよ」

郷士の娘リヴィエラの意見も、半分は身を案じての懸念から発したものらしい。

それと感じ取ったのか、パリスも幾分か態度を軟化させた。

「其処まで分かっていて、どうして?」

再び質問をぶつけてくるリヴィエラに、考え込んでいたパリスも肯き返した。

「君も、一兵でも欲しいと言っていただろう」

「それは……だけど」

戸惑いを隠せない様子のリヴィエラを残し、パリスは馬を引きながら厩を出た。

「それに悪党ではあるが、俺たちの身包みを剥ぐ程度のつまらん真似はしない。

悪事をするなら、村の襲撃なり、家畜の略奪なり、もっとでかい事をするに違いない。

割の合う機会が巡ってくるまでは、虎視眈々と待つだろう」

馬の背中に跨りながら、パリスはじっと厩に佇むリヴィエラを見つめた。

「金を払っている間は、払った報酬分の働きは見せてくれるさ」

レクスは悪党ではあるが、彼なりに筋のようなものを持っている。

短い問答で、パリスはそう感じ取っていたのかも知れない。

豪族の息子の言葉は、しかし、猜疑心が強くて、目の前にある物しか信じないリヴィエラには、理解できないものだった。

渋々と肯きながらも、合点がいかないリヴィエラは微かに首を捻った。

あのように下劣な悪漢たちを雇うのが平気ならば、何故、カスケード卿に助力を求めるのをあれほどに嫌がったのだろう。

曠野出の蛮族の傭兵なんかよりは、人品共に遥かに上等であろう人物だというのに。

「……使いこなせる自信があるの?」

馬上のリヴィエラの質問を受けたパリスは、暫し沈黙していた。

「さあな。見込み違いかもしれない。何となくそう感じただけだからなぁ」

それから、手を差し伸ばして老行商を馬の背中へと乗せると、なんとも無責任な返答を呟いたのだった。


淡い太陽は、中天よりやや西よりに差し掛かっていた。

空には、冬の澄んだ冷たい空気が張り詰めている。

何処までも遠い地平線の彼方から吹きつけた風が乾燥した丘陵を抜けていった。

赤茶けた盆地にうずくまるようにして、寂れた小村落トリスがあった。

土と泥のあばら家が点在した散村を取り囲んだ冬の丘陵を、小さな影が四つ、ひょこひょこと連れ立って歩いていた。

「……親父たちが戻って来ないや。何やってるんだろうな」

先頭に立つグ・スウがぼやくように云うと、野生の果実を齧っていたジグ・ルがペッと種を吐き出した。

「まだ三日目だ。戦ってのは、続く時には長く掛かるものだぜ」

グ・スウが、物知り顔に賢そうなことを言ったジグ・ルを睨んでいると、痩せた男の子のウィ・ジャがどもりながら相槌を打った。

「そ、そうだよ。北の街道までなら、大人数だと往復だけで一日は掛かる」

最後を歩いている大人しい女の子のスー・スは、手に素焼きの笛を大切そうに抱えながら無言で後をついてきている。

四人の足元には、灰色を呈した枯れ草が広がっていた。

枯れ草もまだらな剥き出しの丘陵を散歩する四人は、洞窟オークの少年少女たちであった。


トリスを攻め落とした洞窟オークたちだが、休む間もなく族長以下の男たちは次の村を攻め落とさんと遠征に出ている。

虜囚の村人たちを大人しくさせる為に残した数人の戦士たちを除けば、村に残されたのは戦う力を持たぬ老人と女、前の戦で深く傷ついた傷病者。

そして今、野原を歩いている四人のような、未だ一人前とは見做されぬ少年たちであった。

彼らより年少の幼子や赤子は、殆どいない。

過酷な飢饉によって多くが命を落としている。

彼らより年上の戦える若年の洞窟オークも、大人たちに付き従って戦場へと赴いていた。


「心細いのかよ?」

洞窟オークにしては上背の在るジグ・ルが、面白がるような調子でグ・スウをからかった。

「ちがわい!」

グ・スウは歯を剥き出し、躍起になって否定した。

「……お袋が不安がっているんだ」

「あ、あんな大勢の戦士が集った光景みたことないよ

人間たちなんかやっつけてやってるさ。負けっこない。負けっこないよ!」

ウィ・ジャが興奮したように同じ言葉を繰り返した。

「それでもさ。使いの一人くらい寄越せばいいのに」

ジグ・ルがぶつぶつ言ってると、スー・スが近寄って微笑んだ。

「優しいんだ」

頬を染めながらグ・スウが今度は弱々しく否定した。

「そ……そんなんじゃない」

「戦の間は余裕なんかない。皆、必死だし夢中なんだ。

戦ってのは、そういうもんだ。特に大戦だしな」

ジグ・ルが空を見上げながら呟くと、痩せたウィ・ジャが小声で首を捻った。

「だ、だけど……そ、そろそろ帰ってきてもおかしくない」

「もしかしたら、もう戦は終わって略奪に夢中になってるのかもしれないぜ」

ジグ・ルが楽天的な意見を述べると、グ・スウは腰の小刀を叩いた。

「そしたら、こんな玩具じゃなくて、もっと立派な武器を貰いたいなあ」

「お、お前の親父は、族長じゃないか。き、きっとくれるさ。立派な剣を」

痩せたウィ・ジャの言葉に幾分、得意げな態度になってグ・スウは威張って云った。

「へへ。それと、お袋の世話をさせるのに、奴隷がもう一人欲しいな」

戦へと赴いた大人たちに代わって、村の留守を守るのは自分たちだ。

そんな小さな誇りを胸にグ・スウは腰に吊るした小刀をぐっと握り締めていた。

やがて小さな洞窟オーク族の小さな少年少女たちは、野山を歩きながらぺちゃくちゃと陽気にお喋りを続けているうちに、目当ての小高い丘陵の中腹に辿り着いた。

中腹は、程よく広い空き地になっている。

持ってきたぼろい板切れを潅木に立てかけてると、大人しいスー・スを除いた子供たちは、それを人族の兵士に見立てて戦ごっこをし始めた。


石を投げつけたり、棒切れで叩いたりしながら、誰かが上手く的に当てた時は、やんやと喝采し、練達の弓使いになりきり、棒切れで叩いた時には勇戦士になりきった。

そしてスー・スは、岩に腰掛けながら、楽しそうにそれを眺めているのだった。

「やあ、やっつけてやる。悪漢の人族も、ちびのホビットや狡賢いドウォーフ、高慢ちきなエルフだって」

若い三匹の洞窟オークが次々と湧き出る人族の大軍をやっつけているうち、何時の間にか、太陽が西方に傾いていた。

強くなってきた夕日に眩しそうに目を細めてから、疲れた三人と一人は、冒険を打ち切った。

基本、暗いところで暮らす種族である洞窟オークは、強い日差しに弱いのだ。



四人の洞窟オークの子供たちが、気持ちのいい風がそよぐ丘に寝転んで空を眺めていると、突然、怒鳴り声が響いてきた。

「こりゃ!何している!」

グ・スウとジグ・ルがびっくりして跳ね起きながら振り返ると、若い戦士二人を連れた洞窟オークの老人が杖を振り回しながら、四人へと向かってきていた。

「この悪餓鬼どもめ!村から離れてふらふらしおって!」

「ちがわい!人族と戦うために鍛錬してんだ!」

グ・スウが叫ぶと、老人は鼻で笑った。

「はっ、尻の青いひよっこ共が戦に出るなど十年早いわい!」

ジグ・ルも立ち上がると、真面目な顔で老人に懇願した。

「次の戦には、俺も加わりたい。爺さんから族長に話してくれよ」

「かっー!尻の青いひよっこが!御主にはまだまだ早いわい!」

叱り飛ばされ、特に気弱そうなウィ・ジャとスー・スは身体を震わせた。

だが、悪態をつきながら、言葉とは裏腹に洞窟オークの老人の顔には微笑が浮かんでいる。

どうやら最初から本気で怒っていた訳でもないらしい。


「爺さんこそ、昼寝するんなら村でしろよ」

ジグ・ルがぼやくように云うと、老人は再び杖を振り回した。

「かっー!馬鹿者!見張りじゃ!村に怪しい奴が近寄らんようにするんじゃ。

ここにおれば、ほれ、通りかかる者がおったら一目瞭然じゃからな」

スー・スが目尻に指を当ててすんすんと泣き出した。

怒鳴り声にびくびくして涙目になっている優しい顔立ちの少女を見ると、老人も厳しい顔つきに後悔の色を滲ませ、少しだけ優しい口調になって云った。

「さあ、もうじき日が沈む。村に帰れ。子供たち。

そして母親の手伝いをするのだ。夜の守りは大人たちに任せるんじゃ」

老いの衰えから戦士として一線を退いたものの、それまでは幾度となく激しい戦いに参加して、ゴブリンや穴小人から氏族を守ってきた老人の言である。

族長から一目置かれている人物を相手にしては、流石に反骨精神旺盛なジグ・ルも、ぐうの音も出ずに引き下がった。


トリス村の東には、辺境を南北に走る小さな田舎道が在った。

近隣の農夫や豚飼いなんかが行き交うだけの所々が草に埋もれた田舎道だが、トリスを訪ねるには、此の道をやってくる必要があった。

苔生した石の塚を目印に西の脇道に逸れ、丘陵の狭間を縫って細い道を進むとトリスへと辿り着くのだ。

子供たちを追い払ってから、老人は枯れ草の上にゆっくりと腰を降ろした。

トリスへと繋がる唯一の通り道を見張るには、絶好の地形であった。

道をやってくる者がいれば一目で分かるし、丘陵を越えてくるにしても、街道の方角から近づいてくるならば此処を避けては通れない。

用心のし過ぎかと思わないでもないが、オークの吟遊詩人や旅人から聞いた噂話では、最近では街道を人族の警備隊が彷徨しており、オークを見つけ次第に捕らえているとも耳にしていた。

万が一を思えば、老いたオークの心も自然と引き締まる。

老兵と二人の戦士は、思い思いの場所で村の見張りについた。


若い洞窟オークの戦士が、腰掛けていた岩の下に陶器の笛が転がっているのに気づいたのは、見張りを始めて直ぐだった。

見覚えのある笛だ。子供たちの居た場所に転がっていた事もあり、直ぐに小さな少女のお気に入りだと気づく。

「あいつめ。忘れ物をしたな」

持って行ってやるか、と笛を拾い上げると、老人に告げてから若い洞窟オークは小走りに後を追いだした。


小道を行く子供たちを追い駆けてすぐの箇所だ。洞窟オークが小走りに急いでいると突然に道端の繁みが音を立てて揺れた。

何の前触れもなく、唐突に揺れた繁みにびっくりして飛び跳ねた後、洞窟オークは慌てて木製の槍を構えながら様子を窺った。

「……なっ、なんだ!」

目を見開いて観察するも、やはり何事もなく茂みは揺れ続けていた。

「誰だ!出て来い!」

脅えを含んだ声に応えているのか、繁みは幾度も揺れている。

洞窟オークは、そっと槍で繁みを突いてみる。と、何の反応もなく繁みは揺れ続けていた。

「……むぅ」

小動物か、それとも何らかの怪しげな植物なのか。

怪訝に思い、じりじりと近づいた洞窟オークは、用心しながら恐る恐る繁みの裏手を覗き込んだ。

繁みの根元に細い縄が結ばれ、揺らされていた。

なんだ、これ?

洞窟オークが怪訝そうな顔を浮かべた瞬間、横合いの地面の窪みから黒い影が飛び掛ってきた。

獲物に飛び掛る蛇のように二本の腕が素早く伸びて洞窟オークの喉に絡みつくと、そのまま恐ろしい力で締め上げる。

喉を圧迫され、陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクと開閉しながら、洞窟オークはもがいた。

何とか仲間に警告を出そうとするも、そのまま力強い腕によって体がぐんと地面から浮かび上がる。

肺の中の空気が洩れて耳の奥で轟々となっていた。目の前が真っ赤になる。

実際には、呻き声も出ない。声帯がぎりぎりと押し潰される。

頚骨のへし折れる軽い音と共に、白目を剥いた洞窟オークの四肢が弛緩した。

脱力した肉体が失禁すると、素手で敵手を殺した襲撃者は、僅かに微笑を浮かべながら、ぐにゃりとした身体を地面へと投げ捨てる。



「ナ・グムめ。遅いのう」

「あいつはうすのろだから、悪餓鬼共にからかわれているのかも知れませんぜ」

老オークのぼやきに笑っていた洞窟オークの戦士は、傍に迫る死の気配を感じ取る事は出来なかった。

背後にある木立から音もなく襲撃者が歩み寄ってくるのにも気づかずに、殆ど一瞬で寄り掛かっていた木陰に引っ張り込まれた。

編みこんだ金髪を背に垂らした外套の美しい人族だったが、若い女とは到底、思えない凄まじい腕力の持ち主だった。

厚手の皮手袋をした大きな掌が洞窟オークの口元を塞ぐと同時に、喉元を鋭い短剣が抉った。

友人と同様、二匹目の洞窟オークも声も上げられずに絶命した。


何時の間にか、目に映る場所にいた見張りの若者が消えていた。

小便かとでも思ったが、幾度も戦に出た老オークの勘が違うと告げた。

自然と手元にある青銅製の小剣を引き寄せながら、老オークは叫んだ。

「何者じゃあ!」

鋭く一喝した時、潅木の影からぬっと影法師が立ち上がった。

金髪をした人族の外套の女だった。

目の前にいるのに、気配が殆ど感じられない。凄まじい違和感を覚える。

老オークの背中に汗がどっと吹き出した。まるで影法師とでも対峙しているかのようだった。

異様な気配を纏う敵に相対しているだけで、老オークの気力が枯渇しそうになる。

舌で唇を湿らせた瞬間、外套の下から閃いた刃が老戦士の肺腑を抉った。

そのまま捻りが加えられる。

「……くっか」

肺に空気が入った。血反吐を吐きながら、老オークが崩れ落ちると、止めの一撃が首を薙いだ。

一合も刃を合わせることも出来ず、老いたオークは命を刈り取られた。

「……こいつで最後かな」

恐怖に表情を強張らせた洞窟オークの亡骸を見下ろしながら、リヴィエラは小さく呟いた。

喉元に手を当てて確実な死を確認すると、洞窟オークの亡骸の足を掴んだ。

手馴れた様子で見つかりにくい窪みへと放り込むと、軽く頭を振ってぼやいた。

「もう一つも片付けておくかな……それにしても鈍った」

得意の隠形術も、全盛期には野生の草原狼にすら気配を悟らせずに背後を取れた。

それが、こんな老いた穴オークに勘付かれるほどに鈍っていた。

身体が成長した代償だとしても、子供の時分より技に劣るというのは、リヴィエラにとって些か面白くなかった。



老人に窘められた洞窟オークの子供たちは、そのまま草道を村へと向かっていた。

「あ……笛!」

突然の叫びとともにスー・スが立ち止まった。

「忘れたのか?」

グ・スウ少年の問いかけにスー・スは俯き加減に肯いた。

「間抜けのスー・スめ。自分だけで取って来いよ」

長身のジグ・ルが面倒くさそうに少女を罵った。

スー・スは、ますます目を伏せると悲しげに下唇を噛み締めた。

「一緒に戻るか?」

グ・スウが問いかけるも、穴オークの少女は首を振った。

「ううん……取って来る。待っててくれる?」



「あっ……あった」

走って戻ったスー・スだが、何故かそれほど戻ることもなく道の途中で笛を見つけた。

「でも……どうして」

地面に転がっている笛を拾い上げて、血がついているのに気がついた。

驚いて目を見張り、不安そうに周囲を見回して気がついてしまった。

死んでいた。

繁みの直ぐ傍に、見張りの洞窟オークの若者が何者かに殺害されたのだろう。

首の骨が異様な角度に曲がって、無残な亡骸となっていた。

スー・スの足が竦んだ。

逃げよう。直ぐに村に知らせないと。

そう思っているのに足が動かない。

と、肩に手を掛けられた。

心臓が口から飛び出すかと思うほどに驚愕した。

冷や汗が洞窟オークの幼い少女の全身から吹き出て、動けなくなる。

『手』の持ち主が、ゆっくりとスー・スを背後へと振り返らせた。

何時の間に、立っていたのだろう。

背後には、灰色の外套を着た器量のいい人族の女性が佇んでいた。、

優しげな顔立ちで、じっとスー・スの顔を見下ろしている。

「また、子供か……そういう星の巡りなのかな」

何か疲れたように呟いてから、一転して酷く酷薄な表情を形作った。

恐怖がスー・スの小さな心を襲い、背筋を総毛立たせた。

「……あ……う」

肩に置かれた掌の力が段々と強くなっていく。少女の身体が竦んだ。

冷酷な目付きが妖しい光を発しているように思えて、蛇に睨まれた蛙のようにスー・スは動けない。

涙が溢れ出た。自分がここで死ぬと洞窟オークの少女は直感した。

死にたくない。そう思うが声も出ない。

涙目で見上げていると、

「スー・ス!」

背中から声が聞こえた。

「グ・スウ!来ないでぇ!」

振り返った瞬間、背中を灼熱の痛みが貫いた。

「……あうっ!」

血塗られた刃先は胸まで貫通していた。

スー・スの小さな軽い身体が転倒し、陶器の笛が地面へと転がった。

「女の子か」

スー・スの髪を飾る赤い色の紐を見て、血塗られた剣を手に人族の女は僅かに表情を曇らせた。




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