襲撃 12
川辺の小集落に迫るように緩やかな丘陵が連なった地勢が南北に何処までも続いていた。
冬の訪れと共に寒々しい冷気を孕んだ大気が北方から押し寄せてきても、丘の麓に繁茂する下草は色褪せずに緑を帯びていたが、頂きに近づくにつれて荒々しい赤土の地肌がむき出しになり、黒々とした潅木の影や色褪せた繁みは冷たい風にそよいでいる。
乱れた髪に腰まで裸になった男が、ぐったりしている老婆を背負って田舎道を歩いていた。
歪んだ泣き顔で時折、労わるように何かを話しかけているが、老婆はどう見ても死んでいる。
道を譲った二人の娘の目の前を、凶兆のように通り過ぎていった男を見送ってから、不安に駆られたのか。
エルフの娘はそっと身を寄り添ってきた。
「……憐れな」
女剣士の呟きは、北風の中にかき消された。
怪我人たちの休んでいるあばら小屋を出てから、二人の娘は互いに何が在ったのかを簡単に説明しあった。二、三の言葉を交わしてから、戦いに疲れ切った重たい足取りで二人の娘は村長の家へと足を向けた。
さっさと旅籠に戻って休みたかったが、その前に顔くらいは出しておくべきだろうと、やや陰気な沈黙に支配されながら、連れ立って田舎道を黙々と歩いていく。
この土地の情勢をもう少し見聞するか。それともさっさと離れるべきか。
思案を巡らせていた女剣士は、ふと隣を歩いているエルフ娘に視線を転じた。
隣を歩いているエルフの娘も、心此処にあらずといった風情で、俯きがちに何かに思い耽っている。
大方、今朝に知り合った農婦の容態のことでも考えているのだろう。
女剣士には女剣士で、別に考えるべきことがあった。
異民族や異種族の侵攻というものは、山崩れや津波のような災厄によく似ている。
多少、剣の腕が立ったところで個人では抗いようがない。もし、今回の襲撃者がオーク小人と揶揄される非力な洞窟オークなどではなく、正真のオーク族であったなら、如何に剣の達者とは言えアリアに出来ることなど殆どなかっただろう。精々、尻尾を巻いて逃げるしか手は無かったに違いないし、それとて運が良ければ逃げ切れたかどうか程度の話である。
傷を癒す為にずるずると旅籠での滞留を延ばしていたが、危機感が足りなかったかな。
大規模な侵攻には大抵、前触れとしての小さな略奪や侵攻が付き物である。
落石と同じか。小さな徴候を見逃さずに、さっさと立ち去るべきだった。
最初に小さな石が落ちてきた時点で、死に物狂いでその場から離れるべきなのだ。
後から、幾つもの大岩が転がり落ちてきたら、もう逃がれようがないのだから。
二人の娘が三叉路になっている空き地を横切ると、前方に村長の小さな家が見えてきた。
辺境では珍しくない泥と木材で出来たあばら屋の前に、年増女とドウォーフの職人が顔を揃えて女剣士を待ち受けていた。
「アリア殿、無事でなによりじゃ」
「おう、捕らえたか。グルンソム殿。
此れで彼奴らの企みについて幾ばくかの手がかりも掴めよう」
戸口にもたれていた白髭の老ドウォーフは手を上げて挨拶し、女剣士は慇懃に応じた。
戸惑ったような表情の村長は、手にしていた壊れた木材を地面に放り捨てながら首を振って訊ねてくる。
「なんだい?こいつは」
「連中の主だった者の一人。部族の長。或いは戦頭か。私の見たところしかるべき地位にあるのは間違いない。
色々と聞きたいことがあってな」
空き地の反対側では縄で繋がれた数人の洞窟オークが、槍を手にした村のゴブリンたちに小突かれて甲高い悲鳴を上げていた。
「……長ねえ」
疑わしげに呟いた村長が五月蝿そうに睨みつけても、しかし、仕返しの虐めに夢中になっているゴブリンたちは気づかない。
損害の穴埋めに奴隷として売り飛ばす予定だった洞窟オークの俘虜たちだが、此の侭では一人二人は虐め殺されてしまうかも知れない。
ゴブリン達も村を守る為に勇敢に戦ったし、仲間を失ってもいる。
仕方がない。気が済むようにやらせてやるか。
村長のリネルはひとつ溜息を吐いてから、旅人の女剣士と向き直った。
「生贄を求める気持ちはあるかも知れぬが、雑魚で満足して欲しいものだ。
こやつには色々、聞きたいことがある故にな」
女剣士の言葉に頷きつつも、気絶している洞窟オークの顔を覗き込んで村長は首を傾げた。
「なんか間抜けな顔だね……疑う訳じゃないが、こいつは本当に連中の首魁なのかい?」
「ふむ、何者かはすぐに分かる」
応じた女剣士が冷え冷えした瞳で地べたに横たわっている洞窟オークをちらりと一瞥する。
「起きろ」
頭を蹴飛ばして起きないと見るや、近くの潅木まで歩いて手頃な枝をへし折った。
失神している洞窟オークの掌の指の間に挟みこむと、いきなり踵で踏みつけた。
「ぐあああ!」
枯れ枝のへし折れるような音と共に、大柄な洞窟オークが雷に打たれたかのように身体を跳ねさせた。
エルフ娘は眉を顰めて彼方を向き、年増女も嫌そうな顔をしているが口は挟まなかった。
「やあ、おはよう。オーク殿。目覚めの気分は如何かな?」
女剣士の口調とは裏腹に黄玉の瞳に映る冷酷さに村長が思わずたじろいで曖昧に何かを呟いた時、道の反対側から甲高い叫びが上がった。
生き残った洞窟オークたちは村長の家からさほど遠くない空き地に集められていたのだが、俘虜の一人が簀巻きにされた族長に気づいて激しく暴れ始めたのだった。
「ああ!う!グ・ルム!お、長ッ!」
立ち上がって叫びながら女剣士と村長たちの側まで走ってこようとするが、見張っていた猛り狂ったゴブリン小人が怒鳴りつけながら、縄で編んだ鞭でピシリと打った。
「てめえ!大人しくしてろ!」
「ぎゃ!」
叫んだ洞窟オークを何発も鞭打つと、腫れあがった皮膚がついに裂けて血が流れ始める。
ざわついていた周囲の洞窟オークも静かにすすり泣いたり、悔しげに俯き唸ったりしていたが、ゴブリンの見せしめを見たためか、もう暴れるものはいなかった。
海老のように背を折り曲げて地面に這い蹲り、身体を震わせている洞窟オークに当惑した眼差しを向けてから、村長が訊ねかけた。
「……で、こいつをどうする心算だい?」
洞窟オークたちの嘆きと叫びの一部始終を見れば、確かに族長のようだ。
今の騒ぎは目立ったものの直ぐに収まった為に、村人や他所からやってきた農兵たちなどで注目しているものは案外と少なかった。
幾人かは興味深そうに視線を向けてきたが、顰め面した老ドウォーフと長身の女剣士が揃っているのを見て、それでも敢えて近づいてくる好奇心旺盛な者はいなかった。
「取り合えず……家の前でこれ以上、拷問はしないでおくれ」
気分が悪そうな村長の言葉に、女剣士は肩を竦めながら問いかけた。
「……尋問だよ。ふむん、どこか場所を借りられぬか?」
「納屋にでも放り込んでおくかい。裏手にあるよ」
老ドウォーフは洞窟オークを引っ担いで、家の裏手にある納屋までやってきた。
女剣士と村長も付いて来ているが、エルフ娘は尋問に興味がないのか。
娘の相手をしながら家に残っていた。
納屋の土間に乱暴に放り込まれて洞窟オークは呻き声を上げた。強く縛られているし、指も折られている。
それに此の怪物のようなドウォーフと手練の女剣士がいては、暴れても万に一つも勝ち目は無さそうである。
「ふふ、惨めだな」
投げかけられた女剣士の言葉に、痛みと緊張で脂汗を掻きながら洞窟オークが睨みつけた。
人族の東国語だが、南方の人語やオーク語とも文法は同じで共通の単語は多く、洞窟オークにも意味は通じた。
「征服のための大切な兵力が失われてしまったな」
洞窟オークはギクリと身体を震わせた。
それを見てほんの僅かに女剣士の黄玉の瞳が細められた。
「仲間たちにどう言い開きする心算だ?貴様一人の計画でも無いのに」
「まだ潰えた訳ではない」
洞窟オークがしわがれ声で言い返してくる。
表情には薄い笑みを浮かべながら、しかし、女剣士は内心で舌打ちしたい気分になっていた。
どうやら当たって欲しくない予想が当たっていたらしい。
他所のオークたちと連携しているか、さもなくば黒幕がいるのか。
だが、今は事前に企みを感知できたことをこそ、よしとするべきであろう。
「いいや、終わりだ。すべては終わったのさ。お前一人の愚かな先走りでな」
女剣士は嘲りの口調で挑発し、洞窟オークを激怒させて口を滑らせようと試みる。
「……終わってなどいない!始まりだ!始まったのだ!
わしが!わしらが敗れても!必ず辺境のオーク族が辺境の征服を成し遂げるのだ!」
「出来るとでも思うか?貴様らの貧弱な兵力がどうやって……」
まったく内心を見せずに、仲間の事を吐かせようと言葉の応酬を繰り返すアリアであったが、問答の内容に焦った村長が余計な口を挟んできた。
「ちょっと待った!へ、辺境征服ってなんだい?!」
切羽詰った村長の叫びに、カッと目を見開いた洞窟オークの長は何かに気づいて口を閉じた
そうだ、こいつは何故、秘密の計画を知っている?
わしに喋らせる心算だ。かまかけか。迂闊であったわ。
わしはどれだけ喋った。
冷や汗を掻きながら、洞窟オークの長は女剣士を睨みつけて宣言する。
「……もう、何も喋らんぞ」
洞窟オークの長グ・ルムは食い縛った歯の間から言葉を洩らすと、それきり亀の甲羅のように沈黙に閉じ篭ってしまった。
「……お馬鹿め」
言われて、自分の失態に気づいたのだろう。
音高く舌打ちした女剣士に睨まれて、村長が決まり悪そうに口ごもって呻いた。
いや、わたしも注意しておくべきだったか。
尋問の素人を立ち合わせるなら、事前に留意するべき事柄を伝えておくべきだった。
やってしまった事は仕方ないと、女剣士は瞬時に思考を切り替える。
最低限の事は聞けた。拷問
洞窟オークの長は拷問を受けることを覚悟していたが、女剣士は踵を返してそれ以上、何もせずに納屋から出て行った。
老ドウォーフと村長もその後を追いかける。
「拷問はせんのか?」
裏道を歩きながら白髭の老ドウォーフが訊ねると、女剣士は頭を振った。
「無駄だよ」
怪訝そうな顔つきの白髭の老ドウォーフと村長に、女剣士は肩を竦めて言葉を続ける。
「見れば分かる。強情な奴だ」
「まあな」
老ドウォーフは渋々、頷いたので、女剣士は内心で少し安堵した。
有効な手段だとは思いつつも、拷問を好いてはいない。
戦いを好んではいたが、抵抗できない相手を甚振るのは嫌なのだ。
拷問吏の役割を引き受けるのは気が進まない。
「あとは、豪族なり何なりに引き渡せばよかろう」
罰の悪そうな顔の村長が、何か言いたげに咳払いしていた。
喋らせる心算だったのだと今さらに悟ったらしい。
邪魔してしまったのを気に病んでいるのか。
女剣士も口を開いた。
「邪魔してくれたな、村長殿」
辛辣な口調ではないが思わず絶句した村長に、淡々と言葉を続ける。
「此方も注意しておくべきだった。知らなければ、口を挟んでも仕方ない。
辺境の征服計画なんてものがあると分かっただけで収穫であろうな」
それでお終いだと言葉を区切ってから、女剣士は付け足す事を思いついた。
「それと、尋問の内容。力のある豪族なり、大きな町の執政官なりに知らせておくべきであろうな。
どの程度、本気に取るかは分からぬが、警告だけはしておくべきだろう」
年下の女に気圧されたことを怒ったような、貴族の不興を買わずに助かったような微妙な顔つきをして村長が頷いた。
「ああ、分かったよ。それにしても、あんたの言う事は一々、もっともだねえ」
村長の感嘆交じりの口調にも、やや皮肉の棘が混ざってしまったかも知れない。
家の表口へ戻ると、音楽が聞こえてきた。
何やら女の子と遊んでいたエルフの娘が草笛を吹いていたらしい。
戻ってきた三人組を見て立ち上がると、
「先ほどはどうも……お礼も言ってなかった」
ドウォーフに頭を下げてから、女剣士に向き直る。
「疲れたよ。旅籠に戻ろう」
「そうだな……興味深い話も幾つか聞けたしな」
後でエルフの娘にも、尋問の内容を伝えておこうと女剣士は考えた。
「ああ、待っておくれ。夕餉は食べていってくれないかね」
帰ると聞いた村長が、慌てて声を上げた。
「あんたたちには随分と助けられた。娘も助けてもらったみたいだし」
勝利の祝宴を兼ねて、村を助けてくれた者たちへ宴の席を設けるらしい。
ささやかな礼と言う訳なのだろう。
「どうする?」
エリスが首を傾げて訊ねてきたので、女剣士は鷹揚な物腰で頷いた。
「では、相伴にあずかるとしよう」
洞窟オークのレ・メムは、耳をつんざく苦悶の叫び声に眼を覚ました。
身動ぎしつつ辺りを見れば、仲間たちの亡骸が転がっている。
ぬるりとした感触に頭に触れると、痛みと共に赤い血が指を濡らした。
どうやら繁みの中で気を失っていたらしい。
気を失っていたのを死んだと思われて、放置されていたのだろう。
そっと茂みの外を窺えば、敬愛する部族の長グ・ルムが人族の女に痛めつけられていた。
「気分は如何かな?」
洞窟オークから見れば劣等種族に過ぎない人族の女が、嘲りの言葉を掛けて偉大な酋長グ・ルムをいいように甚振っている野を目にして、小さな洞窟オークは血が沸騰する想いで歯軋りした。
「……あいつ……あいつめ」
睨みつけると如何やら人族共とドウォーフは、グ・ルムを連れて何処かへ移動する心算らしい。
オーク小人のうちでもさらに小柄で、故に臆病で慎重なレ・メムは、距離を取ってそっと後を尾けてみた。
幸いにも気づかれる事なく、酋長が納屋へと連れ込まれるのを突き止めることが出来た。
中で何やら激しく言い争っている声が聞こえたかと思うと、すぐに敵の三人が出てきた。
「豪族」とか「拷問」とか、何か物騒な人族の言葉で早口に喋りながら、通り過ぎていった。
兎に角、今が好機である。
レ・メムは納屋へと忍び込めば、剥き出しの土の上で酋長が縛られて転がされていた。
「ひどいやつらめ!……ああ、ひどいやつらだ!」
オーク小人は、憤慨しながら部族の長に駆け寄った。
「……誰だ?」
オーク語の呟きを聞きつけたのだろう。
うつ伏せに倒れて蹲ったまま、洞窟オークの長が呻き声で尋ねてくる。
「長、レ・メムです!忠実なレ・メムです」
「……おお」
呻いたグ・ルムが身動ぎして、血に塗れた顔を上げた。
縄で厳重に縛られていて、身動きが取れない様子だった。
「長、今助けます」
レ・メムは縄に齧りついたが、オーク小人の牙は弱く、縄は硬くて噛みきれない。
「外へ……わしを引っ張ってくれ」
長の声に頷いて、オーク小人はグ・ルムを外へ出そうと大きな身体を引き摺り始めた。
ふうふう言いながら入り口まで引っ張ったところで、物影に足音が響いてきた。
表口の方で声が聞こえてくる。一つは女の声、二つは甲高い子供のような声。
「お前たち、見張りを引き受けてくれるかい?」
「いいっすよ!」
「まかしちくれな」
さあっと顔が青ざめたレ・メムを酋長のグ・ルムは小声で厳しい声を掛けた。
「何をしている!さあ、わしを引っ張るのだ。急げ。猶予はないぞ」
「ああ、駄目です。旦那様!とっても逃げ切れたものじゃありません。おしまいだ」
血の気が引いて及び腰になったオーク小人に、グ・ルムは諦めるなと叱咤する。
「弱気になるな、さあ、引っ張ってくれ!」
村人たちの声は納屋の陰で立ち止まったまま、何やら話しつづけている。
「あとで酒と焼いた肉を持ってくるからね。しっかりと見張っておくれよ」
「あいさ!姐さん!」
「おいらたちに任してくれれば、ぜったい安心だベ!」
此処までか。グ・ルムは歯噛みして目を閉じてから、小人に囁きかけた。
「レ・メム逃げろ。そして丘のオークたちに伝えろ。人族共に計画が洩れたと」
「……そんな。おいてなんて……」
「行け!早くしろ!レ・メム!いかねば尻を蹴飛ばすぞ!」
主の命令にすすり泣きながらレ・メムが繁みに隠れるのと、棍棒を手にした二人のゴブリンが物陰から姿を見せるのはほぼ同時だった。
慌てて駆け寄ってくるゴブリンたちに、一瞬、下僕を見られたかとグ・ルムも肝を冷やしたが、
「こいつ、逃げようとしてるべ!」
「ふてえ奴だ!」
罵るゴブリンたちに蹴り飛ばされるだけで済んだのは僥倖だろう。
「頼むぞ。レ・メムよ。伝えてくれ」
身体を丸めて暴行に耐えながら、洞窟オークの長は祈るようにつぶやいた。
すすり泣きながら、後ろを振り返り、振り返り、任務を託された洞窟オークのレ・メムは繁みを這って納屋から遠ざかっていった。
「待っててください、旦那様。このレ・メムめが必ず『大きいもの』たちの助けを呼んできますだ。だから、どうかご無事で」




