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襲撃 11

 女剣士の足元。誰の者とも知れぬずんぐりした指に赤い甲冑を纏った蟻が群がっていた。

川辺の渡し場に攻め寄せてきた洞窟オーク達も、今やその殆どが息絶えて大地に無惨な屍を晒していた。

 道端を歩いているゴブリン小人が、地面に散らばった武具の類を拾い集めていた。その向こう側では、頭から血を出して路傍に蹲っている人族の青年の傍らを村人の亡骸を運んでいる数人のホビットたちが通り過ぎていった。年端もいかない子供が、泣き叫びながら田舎道を横切って走り去っていったかと思えば、夫や子供の安否を問いながら彷徨い歩いている農婦の姿も在った。

疲れ切った表情を顔に張りつけて、歩くことも叶わぬ怪我人を肩で支えて歩いている男たち。

 ところどころにある血溜まりを避けながら、少し視線を走らせれば、路傍の奥や繁みの影など、そこかしこに物言わぬ屍が転がっている。大地に横たわる屍の殆どは洞窟オークのものではあるが、それでも村人の犠牲が皆無な訳もない。

 暴力の痕跡が色濃く残る風景を、女剣士は眉毛一筋動かさずに見ていた。不具になった者もいるであろうし、傷を負い静養を必要とする者もいるだろう。それでも、百近い数の洞窟オークが攻め寄せてきた事を鑑みれば、犠牲者の数は驚くほど少ない。襲撃の規模に比せば、被害は極めて小さいといっていいだろう。兎に角は勝った。そして生き残ったのだ。



 北の彼方より吹き付ける冷たい風が、女剣士の頬を打った。先ほどまで視界を遮っていた黄色い砂塵も、大分、収まってきているように感じられて、女剣士は薄く笑みを浮かべた。

 常にない喧騒に包まれている川辺の渡し場の田舎道には、ざわついた雰囲気が漂っている。他所から応援にやってきた農兵や兵士たちが歩きまわる姿も見られた。

 興奮冷めやらぬ大勢の人々が行き交う小道を進みつつ友人のエルフ娘を探し続けているうち、道端で数珠繋ぎに縄打たれて連行されている洞窟オークの捕虜の姿が目に入った。

「慈悲を、人族の旦那方……どうか、お慈悲をぉ」

 僅かに生き残った洞窟オークたちだが、泣き叫んで村人たちに慈悲を乞うている。その末路はけして明るいものではなく、恐らくは内陸の曠野なり、或いは北方からやってくる奴隷商に二束三文で引き渡されるのだろう。その後は、鉱山に売り飛ばされるか、巨大な石臼の挽き手として鞭打たれ、酷使される日々が待っているに違いない。

脆弱な洞窟オークたちであれば、過酷な労働に三ヶ月から半年でも寿命が持てば上等だろう。


 俘虜たちが連行されていく光景を眺めていた女剣士だが、ふと怪訝そうに片方の眉を跳ね上げる。

そう、洞窟オークは脆弱な種族だ。単独では人族と争う事など考えられないほどに。オークとは云っても、連中は意気地の無い臆病な種族。だけど、雑木林で追い詰めた洞窟オークの最後を思い起こす度に、女剣士の胸のうちにはどうにも嫌な感覚が蠢くのだ。

 やはり引っ掛かるな。私は何かを見落としてはいないだろうか?

 誰かに扇動でもされたか。或いは、裏で糸を引いているものがいる?

死んだオークの捨て台詞が気にはなるものの、首を振って懸念を打ち消した。

「……まさかな」

 我意の強いオーク連中が、部族の境を越えて連携するなどそうそうに在ることではない。人里離れた洞窟に隠れ住む無知な愚か者共が、他のオーク族の略奪を耳にして我も我もと調子付いただけの話であろう。

 心の奥底で不快にざわつくものを感じているものの、勘だけでは根拠に成り得ない。具体的な物証がある訳でもないのだ。

頤に指を当てて悩む女剣士だが、過去の経験からオーク族を我欲に満ちて愚かな種族、協力など出来ない種族だと見做していた。

たとえ目先の欲望によってオークたちが手を結んだとしても、其れは一時の事。

その紐帯は弱く、脆いものであり、要所要所では己の欲望を大義に優先させるオーク族には、多大な犠牲を払ってまで戦い抜くことはできぬだろうとたかを括っている。

実際、それも全くの偏見という訳では無かったから、オークの動きに幾らかの疑念は抱いていたものの、僅かな手がかりから真実へと辿りつくことは此の時のアリアには出来なかった。

服の布地についた細かい砂を払い落とすと、女剣士は思索を打ち切った。

軽く鼻を鳴らして、大股の歩調で起伏の多い田舎道を歩き始める。

 無意識のうちにオークを侮りながら、アリアは己が驕慢に気づいてはいなかった。

オーク族の思惑が何であろうと、もうじき女剣士はエルフ娘と連れ立ち、ティレー市へと向かう予定だった。

一端、此の地を離れてしまえば、その後に辺境の片隅で何が起ころうが、自分たちとは何の関りも無くなるのだ。その筈だった。




 川辺の村の村外れには、葦の繁みが生い茂る沼沢地が広がっている。北の沼沢地に面した小高い丘と原っぱは、普段は村の子供たちにとって絶好の遊び場だったが、今ははしゃいでいる子供の影一つ見当たらない。

 灰色の石が緩やかな斜面に転がる小高い丘の手頃な岩に腰掛けたエリスは、虚脱した表情のままあらぬ方を眺めていた。

 傍らの地面には、後ろ手に縛られた洞窟オークが苦悶に表情を歪めたままに死んでいる。彼方へとゴート河の流れていくさまを一望できる小高い丘からは、村の喧騒がほぼ鎮まったのが見て取れた。

蟻のように忙しなく動き回る村人たちの様子からも、まず勝ったと見て間違いない。


「……気分が悪い」

 呟いたエリスは深々と息を吐いてから、河辺の村から視線を逸らした。

洞窟オークに殴られた頬は嫌な熱を持って疼いていたし、覚えも無いのに首も痛んだ。何処かで捻ったか、引っ掻かれたかしたらしい。そして何より、酷く気分が悪かった。

悪党一人殺しただけなのに、先ほどから胸のむかつきが収まらないのだ。

今までも数度あったことなのに、何故だろうか。

今日に限ってひどい胸糞の悪さが続いている。

幾度か深呼吸してみたが、胸の奥にわだかまった気持ちの悪さは収まるどころか、いまや吐き気を催すほどに強くなっていた。


 何時までも、此処で無為に時間を潰している訳にはいかない。

置いて逃げてきた農婦の母子が無事か、河原に戻って確かめねばならないし、友人のアリアも心配である。

腕の立つ剣士ではあるから十中八九無事であろうが、此方を探しているだろう。

なのにエルフの娘は、動く気になれなかった。

いっそ此の侭、逃げてしまおうか。

頭の片隅でそんな卑劣な考えさえ思い浮かんだ。

「んや……逃げても何の解決にもならないか」

どれほどの時間をそうしていただろうか。遠く西方山脈の黒々した稜線を呆けたように眺めていたエルフは、村の方から丘陵を目指して近づいてくる人影にも気づかなかった。


 聞き込みながらエルフを探し当てた女剣士が軽い勾配を登ってきたが、エルフ娘は下草を踏みしめる足音が近づいてきても身動ぎ一つしなかった。

女剣士が目の前に立つと、やっとのろのろと顔を向けてきたが、その表情は酷く憔悴している。

接近を気にしなかったのではなく、気づかなかったのだろう。

誰かが傍に来たと知って狼狽した様子で腰を浮かせたが、女剣士だと気づくと躊躇いがちに踏み止まり、小動物のような眼差しでおずおずと見つめた。


 エルフの娘の白皙のかんばせは返り血を浴びて真っ赤に染まり、強張った表情で御守りのように青銅製の小さな短剣を懐に強く握り締めていた。

女剣士が戸惑いながらも観察すれば、エリスの忙しなく動く蒼の瞳には、脅えたような色と共に濁った光が宿っていた。

エリスの蒼い瞳に宿った暗い光は、女剣士のよく知る人種の其れと酷似していた。

「……なんて様かね」

殺人者の眼をした友人と視線を合わせたアリアは、一瞬、見間違いかと改めて見つめてから、エルフ娘の痛々しさに微かに息を呑んで目を伏せた。

一瞬、何故か逃げる気配を見せたエルフの娘を穏やかな眼差しで見つめてると、傍らに転がる洞窟オークの後ろ手に縛られた死骸を一瞥し、再びエルフ娘に視線を戻した。

「……無事だったんだね、よかった」

エルフ娘がか細い声で呟いたので、女剣士も応じて頷いた。

「君もな」



「アリア……わたしは……」

 戸惑いを隠せずに呟いているエルフ娘は、激情に駆られたのか、よほどに赦せぬ理由が在ったのか。

瞳に宿る澱んだ影を見間違いとも思ったが、なるほど敵を冷酷なやり方で処刑したらしい。

「……似合わぬ真似をしたな」

ぽつりと呟いた言葉がそのまま女剣士の率直な想いであったが、勘に触ったのだろう。

中腰に立ち上がったエルフの娘が、挑むようなきつい目付きで女剣士を睨んだ。

「なにが……ッ!?何も知らない癖に!」

身体を震わせて思わず叫んでから、ハッとしたように口を閉じて、エリスは力なく腰を降ろした。

「怒る元気はあるようだな」

歯を食い縛って地面に視線を彷徨わせているエルフ娘に、女剣士は穏やかな視線で見つめていたが、やがて友人の頭にぽんと手を乗せると、クシャリと翠の髪を撫でた。


 対面の岩に腰掛けると、女剣士はエルフの娘の翳りを帯びたかんばせに、いたわりの混じった視線を向けた。

泣きそうな顔をしている。だが、涙も出ないのだろう。

犯した罪に対する良心の呵責にか、或いは己のうちなる悪に気づいての恐れゆえか。

強張った美貌を苦悩に歪めているエルフの娘は、何を言うでもなく節目がちに俯きながら陰気な沈黙に閉じ篭っていた。

 最初は、後ろ暗そうにきょときょとと視線を逸らしていたエリスであるが、女剣士は何も言わずに、ただ凪いだ水面のように静かな眼差しを向けるのみだった。

時折、頬を神経質に痙攣させていたエルフの娘であったが、そうしているうちに、沈黙のうちにも労わる気持ちが伝わったのか。

落ち窪んだ眼窩の底で暗い影が差していた蒼い瞳も、漸く落ち着いて女剣士を見つめ返してきた。



 エリスの気持ちが落ち着いてきたのを見計らって、女剣士は水筒と亜麻のハンケチを取り出した。

高価な亜麻製のハンケチを水で濡らすと、手を伸ばして返り血に染まったエルフ娘の顔を丁寧に拭い始める。

「いっ……痛い」

 何者かに殴られたのか。エルフの頬は、赤く腫れあがっていた。

僅かに身動ぎしたエルフの娘は何かを言いたげにしていたが、しかし、されるがままに無言で優しい扱いを受けているうちに、やがて人心地を取り戻したのだろう。

伏した瞳から熱い涙が溢れ出ると一滴、二滴と頬を零れ落ちていった。

すすり泣いているエルフの娘は、握り締めていた青銅の短剣を厭わしげに投げ捨てた。

女剣士が水筒を傾けてくれたので、エルフは手を動かしてごしごしと顔を洗った。

掌にべったりと浴びた返り血が綺麗に洗い流されていくにつれ、蒼い瞳には理知的な光が舞い戻ってくるのが見て取れた。


 女剣士は何を言うでもなく、鼻を啜らせてるエルフの肩に手を伸ばすと、穏やかに身体を引き寄せた。

ただ抱きしめられているうちに彫像のように強張った表情にようやくに赤味が戻ってからも、エリスはアリアの胸に体重を委ね続けた。

千を数えるほども、そうしていただろうか。

大分、落ち着いたのだろう。涙を拭い去ったエルフの娘が長々と溜息をついた。

心細い時に慰めを受けて、一度、蒼い瞳に刻まれた翳りが消えはしなかったけれども、常の明晰さを取り戻しつつあるのがその表情からも女剣士には見て取れた。

 エリスとて、初心な箱入り娘ではない。

無法の曠野を放浪するうちに、他者の命を奪った経験も二度や三度はある。

自力でも、いずれは混乱と衝撃から立ち直ったに違いない。

正気を取り戻したと見て女剣士が抱きしめていたのを放してやると、エルフは名残惜しそうに熱いと息を洩らした。


 エリスは瞬きしてからまじまじと女剣士を見つめて何かを囁いたが、何を言ったのかは聞き取れなかった。

「……ん?」

訊ね返すも、エルフの娘は誤魔化すように首を振ってから謎めいた微笑を浮かべる。

「何でもないよ。河原にノアを置いて逃げてきてしまった。行かないと」



 連れ合いを探していた中年の女性が、草原の片隅で変わり果てた夫を見つけて泣き叫んでいた。

小さな村である。村人たちの皆が顔見知りだ。女性を慰めつつ家まで送ってから、村長のリネルは疲れた表情で天を仰いだ。今は勝利に興奮の色を隠せずにはしゃいでいる村人たちだが、

怪我人の手当て、死体の埋葬、壊された家や家具の修理や整理、片付けるべき問題は山積しているが、余りに多すぎて何処から手をつければいいのかも分からなかった。

娘のメイは無事だろうか。大事な旦那の忘れ形見である。探しにいかないと。

疲れた表情で家に戻れば、忌々しいオーク小人たちに略奪を受けたらしく、やはり散々に荒らされている。

「……ちくしょう」

 足元に転がる割れた壷の破片を蹴飛ばしてから、年増女は頭を掻き毟った。

それから力なく地面へとへたり込んで呻いていると、入り口から中年の男が姿を現した。

質素な布服を纏い、手には血に濡れた青銅の剣をぶら下げている男は、村の顔役の一人だった。

「無事だったか」

 やはり疲労の滲んだ表情で室内を見回してから、座り込んでいる村長に呼びかける。

年増女の背中は酷く小さく頼りなく見えたが、それでも働いてもらわないといけない。

彼も含めた無知な農民のうちでは村で一番、頼りがいのある人間なのだ。

「で、此れからどうする?」

 年増女はぼんやりとした表情で顔を上げると、もつれた髪のまま暫らく口を聞かなかった。

「……死体を片付けないとね。兎に角、腐る前にやらないと」

「そうだな」

 顔を顰めてから、中年男が陰気な溜息を洩らして

「どうしようもない。他所の連中も人手は貸してくれるっていったけど、穴を掘る道具がない」

 村にある農具で墓穴掘りに使えそうなのは、木製の鍬とシャベルだけだ。

青銅製の鍬が一つだけあるにはあるが、それとて大変な貴重品でもある。

突然、年増女がひっひっと異様な笑い声を上げたので、中年男はギョッとして後退った。

狂ったかと思ったのだ。

「墓穴一つを掘るのに半刻掛かるもの。百人も死んでいるのに。どうするよ?ねえ?」

 大袈裟な数だが、やけくそ気味の年増女は数える気にもなれなかった。家の傍らにある繁みにも血を流した洞窟オークたちが転がっている。村人や旅人の墓穴を掘るのだって、どれだけ掛かるか分からない。冬だから今すぐ腐ると言う恐れがないのだけは、救いであった。

「曠野に捨ててくるか、雑木林まで持っていくか。

 野獣が始末をつけてくれるか。それだって大変だけど……」

自分で喋っているうちに、それでもいいかと思えてきたので村長は頷いた。

死体の始末については目途がついたが、村の働き手が幾人も怪我を負っている。

畑も荒らされたし、村人は財貨を失っている。

元より攻めてきた洞窟オークを撃退する為の戦であった。

勝ったからといって何かを得た訳でもない。

「それで……なくなった旅人だが……持ち物とか」

 中年男が何かを言いかけた時に、甲高い叫び声と共に子供が家に飛び込んできた。

「おかあちゃん!」

 胸へと飛び込んでくる娘の屈託のない笑顔に、村長も笑顔を浮かべる事ができた。

「ああ、無事だったかい。メイ」

「うん、グルンソムがたっけてくれた!」

 少女の声で田舎道に視線を向ければ、彼方から樽の如き体型をした白髭の老ドウォーフが歩み寄ってくるのが見えた。

何を考えているのか。肩には縄で簀巻きにした洞窟オークが担がれている。

地面に投げ出された洞窟オークは気を失っているようであり、当惑した村長は旧知の老ドウォーフに訊ねかける。

「なんの手土産だい、そりゃ?」

 問われた老ドウォーフが億劫そうに地面に腰を降ろした。

「……剣士殿が来てからの説明するでな」



 エルフ娘と女剣士がついた頃には、河原には人影も少なく閑散としていた。

戦闘の痕跡だろう。河原の石の上のところどころに新しい血痕が散っている。

土手をうろついていた村人に聞いてみれば、怪我人は近くの小屋に運び込まれたとのことなので行ってみると、農婦はまだ生きていた。

泥と木で出来た粗末な小屋に在る粗末な藁の寝床の上に、他の怪我人たちと一緒に横たわっている。

小屋の片隅では、血の滲んだ包帯を額に巻いた女傭兵が力なく蹲っており、相方の若い傭兵が慰めていた。

 乱戦に巻き込まれたらしい中年男の巡礼が、布の巻かれた足を押さえて呻いている。

包帯の状態も、巻き方も、乱暴だが、それでも手当てしないよりはマシなのか。

農婦は、腹を強く縛られていた。

傍には娘が不安げに母親を見つめながら手を握っていた。

小屋に入ってきた翠髪のエルフ娘を見とめて、汗だらけの顔にふっと微笑を浮かべた。

「ああ、無事だったかい。よかった。死なれたら、助けた甲斐もなかったからね」

 逃げた事を責めるでもなく無事を喜んでくれる農婦に、エルフの娘は苦い微笑を返して顔を覗き込んだ。

「……傷の具合は?」

「大分、楽になったよ。」

 痛みには襲われているようだが、表情は悪くない。

一見、このまま助かるのではないかと思えそうな顔色だった。

エルフは包帯の上から傷口をじっと観察する。

農婦は、青銅の槍に脇腹を貫かれていた。

エルフの持つ治癒術では、内臓が破れていた時点で手の施しようがない。

だけど傷が内臓を傷つけていなければ、何とか持ち直すかもしれない。

「ちょっと御免ね」

 身を乗り出したエルフ娘は腹部の傷口に鼻を近づけて匂いを嗅いだ。それから僅かに首を傾げて、身を引いた。姿勢を正したエリスは藁の寝床に横たわっている農婦をじっと見つめる。

「……痛みを和らげる薬草とか、必要かな?それくらいなら出来るけど」

「ありがたいね……ニーナのためにも早く治さないと」

 農婦の言葉に、エルフ娘は穏やかな微笑と共に頷いた。

「そうだね」

女剣士は小屋の入り口の壁に腕を組んで無言で寄りかかっていた。

「母ちゃん、本当によかった」

「……大丈夫だよ。誰があんたを一人にするものかい」

 何かを堪えて縋るように手を握ってくる少女に、農婦は微笑みかけた。

「また、来るよ」

 笑顔のままエルフの娘は別れを告げて立ち上がった。彼女の後ろについて女剣士は、一度だけ農婦の母子に振り返って黄玉の瞳を微かに細めた。小屋を出て数歩歩いてから、エルフの被っていた笑顔の仮面がひび割れた。沈痛な表情で空を仰いでから、憂鬱そうにエリスは深い溜息を洩らした。


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