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襲撃 10

 蟹股で揺れるように走る洞窟オークたちの重たい足音が、田舎道を走るエルフの娘の背中をいつまでも追いかけてくる。

「……しつこい」

 間違いなく狙われていると確信して、エリスは元気の無い口調で呟いた。異様に執念深い洞窟オークの追跡に、いい加減うんざりしながら村の中央を目指している。追っ手の人数は七、八人もいるだろうか。脚力に任せて、引きずり回してやる方策は取れない。

普段は軽やかなエルフ娘の足取りからは、しかし、疲労によって常の俊敏さが失われていたし、鈍重な洞窟オークとはいえ、それだけの人数がいれば、分散して行く手行く手に廻り込んで来る策も使えるであろう。


 まったく厄介な事になったと思いながらも、しかし、エリスは一時の混乱から立ち直って生来の冷静さを取り戻していた。

村には、まだ其処此処に乱戦の気配が漂っている。少し迷ったものの、より人気の多いほうへと逃げたほうがいいだろうとエルフは結論した。

村の中心部には、まだ戦の余韻冷めやらぬ村人たちが大勢いるに違いない。他の洞窟オークに襲われるかも知れないが、他の人に助けてもらえる見込みも大きい。

他力本願ではあるが、彼らに助けてもらおう。

実際、村の中央に近づけば近づくほどに、村人の姿は増えてきている。

その中で、エルフを追い掛け廻している洞窟オークたちの姿は、相当目立つ筈だった。


 エルフ娘が田舎道を駆け抜けている姿を見ても、村人たちは誰も気にしなかった。勝利に興奮して駆け回っているように見えたのは、別に彼女だけでは無かったからだ。次いで追跡者たちが突入してくると、これは流石に目を瞠って迎え撃とうとしたものの、一塊になって勢いがついている洞窟オークの一団を止めることは誰にも出来なかった。

 中には呆然とした表情で横を駆け抜けていく洞窟オークの集団を見送った農民もいた。思ったように村人たちが当てにならず、汗だくのエルフ娘は喘ぎながら重い足を必死に動かしている。

頭が痒い、沐浴したい。前に沐浴したのは何時だったか。

死の危険に晒されているのに、そんな変な事ばかりが頭の中をぐるぐると浮かんでは消えていった。

村人たちに紛れ込もうにも、頭巾はもう取ってしまっているし、今さら変装する時間も余裕もない。

疲れが彼女の足をさらに重くしていた。追いかけてくる洞窟オークたちとの距離が、少しずつ少しずつ詰まってくる。

荷物を捨てようか。いや、そんな暇さえないだろう。

 洞窟オークたちには意外とスタミナがあるようで、恐ろしい気迫を保ったまま勢いよく追いかけてくる。手間取っている間に追いつかれてしまう。追いつかれたらおしまいだ。

たった一人の半エルフでは、碌に抵抗も出来ないまま嬲り殺されてしまうに違いない。

自分が敵うとか、戦うとか、そんな思考は欠片もエルフの脳内には思い浮かばなかった。



 前方から、武装した農民兵たちの一隊が歩いてくる。兎に角、大勢。十数人もいる。

ついに目当てのものを見つけたエルフ娘の顔が、パッと明るくなった。

着衣に乱れも汚れもないのは不思議だと思いつつ、これ幸いと駆け拠った。

「……た、助けてッ!!」

喘ぎながら助けを求めてきた美女に戸惑いながら、農民兵たちが顔を見合わせた。

「どうしたんだ?エルフの姉ちゃん」


 走りすぎたのか。エルフ娘の太股は、立ち止まった瞬間から軽く痙攣を起こしていた。

不安そうな面持ちで振り向いたエルフの娘は、喚声を上げて追いかけてくる洞窟オークの一団を指差した。

「洞窟オークたちが襲って来て……」

近隣から助けに来た農民兵の一団は、顔を見合わせてから棍棒や六尺棒、青銅の穂先の槍などを揃えて洞窟オークたちへと向かっていった。

人数では倍近く勝っている筈の農民兵たちだったが、果たしてあの気迫に抗せるだろうか。

足止めにしかならない気もする。エルフ娘は足を止めずに距離を稼ぐことにした。

「先に行け!グ・ルム!」

「すまん! 」

案の定、大柄なオークは足止めに徹した一部の部下たちを残してなおも追いかけてくる。

「そう上手くはいかないか」

呟いたエルフ娘だったが、多数の敵を前にして大半の洞窟オークは脱落していた。


 洞窟オークたちが妨害を突破するまでに、エルフ娘はかなりの距離を稼いでいたし、

村の中央に入るにつれて段々と村人の姿も増えてきている。

倒れている洞窟オークたちの亡骸が其処此処に転がり、勝ち鬨を上げている村人たちの中には、生きている洞窟オークたちを見かけて、獲物を手に追いかけ始める者も少なくない。

此れなら、時間切れまで逃げ回っていれば……

苦しい息の下で、エルフの娘は何とか村の広場にある村長の家まで辿り着いた。

合流を期待していた女剣士の姿はなかったが、代わりに、あばら屋に屯って談笑している五人組の男女の姿が映った。

 郷士、或いは富農なのか。小剣や中剣、槍を携えて、厚手の布服や革服を纏った彼らは、見た目、かなり強そうであった。

「なにかあったのか?エルフさん」

エルフ娘の只ならぬ様子に若い郷士の一人が話しかけてくる。

「オークの一団が此方に向かってきています」

自分が追われていると云わなかったのは、少しずるかったかも知れない。


 頷きあった五人組が、洞窟オークの一団を迎え撃とうと剣を引き抜いて待ち構える。

異変に気づいた村人たちも獲物を手にどんどん集ってきていた。

此れなら流石にもう大丈夫だろう。

洞窟オークたちが、村の広場に姿を見せた。

 待ち構えている大勢の村人を前に一瞬、躊躇した洞窟オークたちだが、しかし、エルフ娘を目にした先頭の洞窟オークが吼え声を上げると正面から吶喊してきた。

剣を振りかざした郷士に、短剣や粗末な槍を振りかざした農民兵たちが、次々と洞窟オークたちに群がっていく。乱戦を眺めながらエルフ娘が足を休めていると、大柄な洞窟オークが乱戦を突破して、こっちへと駆けてくる姿が目に映った。

「……嘘」

途中で立ちはだかった村人を大柄な洞窟オークが投げ飛ばしたのを見て、エルフ娘は驚愕に目を瞠った。

呆気に取られて呟いたエルフ娘は数歩を後退ってから、慌てて逃げ出した。逃げるエルフ娘の背後で、時折、村人の喚き声が聞こえるが、追って来る洞窟オークの吼え声はなおも消えない。


 ありえない。なんなんだ、あいつ!

それにどうしてそこまで私を追いかけてくる?

流石に此処まで追いかけてきているのは僅かな数だったが、エルフ娘の恐怖心は大きく膨れ上がっていた。

「グ・ルンの仇!逃さぬぞ!」

 呪うような響きのオーク語の叫び声が背中から聞こえてきて、意味は分からぬながらも、ひぅっと悲鳴を洩らして首を竦める。

蟹股で揺れるように走る洞窟オークだが、疲れ切ったエルフ娘よりは幾分か早かった。

喘ぎながら、足をもつれさせているエルフ娘に段々と喚声が迫ってくる。


 此の侭では追いつかれる。村人の姿は少なくなるが、仕方ない。見通しのいい村の中央から脇道へと逸れて、エリスは隠れられる場所が多い村の北へと逃げ込んだ。手近な繁みに隠れてやり過ごそう。

素早く葦の繁みに隠れて逃げ始めるが、後ろで叫び声と足音がする。

「グ・ルンの霊よ!祖霊たちよ!力を貸してくれい!

 地底を統べる闇の王バゾンガよ!我に猟犬の鼻を与えたまえ!」

意味は分からずともオーク語の朗々とした叫びに振り返れば、繁みが揺れている。

洞窟オークが追ってきているのだ。

「ええ!?嘘でしょう!」

エリスは小声で毒づいた。

見通しの悪い葦の繁みの中でどうしてこうも正確に後を追ってこれるのか。訳が分からない。

曲がりくねって逃げ惑うが、まだ確実に後を追いかけてくる。

舌打ちするやエリスは葦の繁みから飛び出して、村外れへと向かった。

それでも此の侭逃げ続けていれば、安全を確保できる筈だった。


 道々に佇む村人たちは、敗残兵の洞窟オークを追い詰めている者もいれば、道端で休んでいる者もいるが、不思議と追いかけてくる大柄な洞窟オークだけが目に入らないかのようにすれ違ってしまうし、洞窟オークも彼らには襲い掛からなかった。洞窟オークの狙いはただ一人、エリスだけらしい。

どれ程、村の中を逃げ回っただろうか。そう大きな村ではない筈なのに、やけに広く感じられる。

ぜえぜえと息を乱して、エルフ娘はふらつく足取りで田舎道を歩いていた。

……捕まる……もう駄目だ。

執念深く追跡されて弱気になったエルフ娘が足を止めてしまう。

これ以上、足が動かない。

喘ぎながら立ち止まったエルフ娘は、大分、薄まってきた砂煙の向こうに近づいてくる影を睨みつける。

やられてたまるか。

エルフ娘は諦めが悪かった。

歯噛みしながら、追跡者を迎え撃とうとエリスは頭を絞った。

棍棒では少し辛い。何か武器になるものは落ちてないだろうか?

槍でも弓でも……落ち着こう。

そんないい物が落ちてるはずもない。村の中央で拾っておけばよかった。

武器、相手の注意を一瞬でも逸らせる。

目潰しとか、作っておけば良かった。駄目だ、考えが廻らない。

よろめいたエルフ娘は、岩陰に隠れて腰を降ろした。

何時まで持つだろうか。少し休もう。


「何処へ……行ったァ!」

岩陰に隠れていると、何やら争う物音が響いてきた。

そっと顔を出して様子を窺うと、足を止めてエルフ娘を探して叫んでいた洞窟オークに、二人組の若い男女の傭兵が剣を振りかざして切りかかっていた。

近くにいた村人も棍棒を振りかざして傭兵たちに加勢する。

しかし、大柄な洞窟オークの気迫は凄まじいもので、三対一でも負けていない。

遠目に駆けてくる洞窟オークたちの姿が見えた。

手下まで追いついてきたら、村人たちはやられてしまうかも知れない。


 距離を稼いでおこう。立ち上がろうとして、足が痙攣した。

少し休んだ為か、急に疲れが押し寄せてきた。

蓄積した疲労と恐怖に足がもつれる。もう走れない。

……こ、殺される。

エルフ娘が脅えていると、横合いの繁みががさがさと鳴った。

エリスが脅えた表情を向けると同時に、幼い少女が繁みから顔を出した。

「こっち!こっちだよ!」

駆け寄ってきたのは、さっき逃がした村長の娘である。

真剣な顔で手招きしているので、ふらふらと近寄ると、小さな暖かい手に引っ張られる。

「走って!あと、ちょっと」

途中にいた傭兵や村人たちを蹴散らした洞窟オークたちは、三匹まで数を減らしながら尚もしつこく追いかけてくる。



「お爺さん!助けて!お爺さん!」

 村長の子供に手を引かれて飛び込んだのは、老ゴブリンの住んでいる小さな家だった。

奥は穴倉になっているが、ゴブリンの翁の住処は人気がなくシンと静寂が支配している。

「お爺さん。いないの!」

少女は泣きそうな顔で焦りながら、部屋の中を見回している。

「……いない」

「後ろに下がってて!早く!」

子供に言いながら、入り口を睨んでエルフ娘は軽く唇を舐めた。

どの道、もう此れ以上は走れそうもない。

目潰しでも何でも用意して置けばよかったな。

部屋の奥に行って震え始めた少女を横目で見ながら、追い詰められたエルフ娘は沈痛な面持ちで棍棒を構え、覚悟を決めた。

 やがて小屋の入り口に小さな影が三つ、逃げ道を塞ぐように並んで姿を見せた。

先ほどエルフ娘が骨の一本を折ってやった洞窟オークがせせら笑いを浮かべている。

大柄な洞窟オークの方は、感情の窺えない静かな瞳でエルフ娘を凝視していた。

小さな鎌を手にした三人目は、顔を真っ赤にしてエルフ娘を睨みつけている。

「……これは、グ・ルンから貰った短剣よ。此れでお前の皮を剥いでやる」

歯を剥きだしてせせら笑っている洞窟オークの背後から、さらに小さな影が一つ、猛烈に駆け寄ってきた。


「子供になにしちゃるかぁッ!」

 飛び出してきた老ゴブリンが、一番後ろにいた洞窟オークを槍でぶっ刺した。

「きゃっ!」

不意打ちを受けた洞窟オークが、思わぬ深手に甲高い悲鳴を上げて飛び跳ねた。

苦しげに呻きながら振り返った洞窟オークの腹に、ゴブリンはさらに槍を突きこむ。

反撃しようとして小さな鎌を振り上げ、だが脱力して崩れ落ちた洞窟オークを飛び越えると、老ゴブリンは槍を振りかざして大柄な洞窟オークに挑み掛かった。


 同時に、最後の力を振り絞ったエルフ娘が、油断剥き出しにせせら笑っていた洞窟オークに飛び掛り、顔に棍棒を叩きこむ。

へし折れた歯の欠片がパラパラと地面に撒き散らされ、洞窟オークが悲鳴を上げて仰け反った。


 飛び掛った老ゴブリンは意外と素早い動きで洞窟オークに槍を突きこんだが、頭目は身を捩って躱すと穂先は分厚い肩に突き刺さった。

唸りを上げたゴブリンが槍をぐりぐりと突き回すが、洞窟オークの頭目は苦痛に顔を歪めながらも怯まない。

「ぬう!」

 大柄な洞窟オークが槍の柄を掴んで力を込めると、老ゴブリンの槍は戦闘用の頑丈なそれではない。

柄が細い狩猟用の槍は、中ほどから軋むような音を立ててへし折れてしまう。

槍を失った老ゴブリンが小さな短剣を出して構えるのと同時に、大柄な洞窟オークが飛び掛って揉み合いとなる。


 口元を血で濡らした二匹目の洞窟オークが、力なく床へ崩れ落ちた。

「あいつは私を狙っている。反対側に逃げて」

額の汗を拭いながらエルフ娘が少女が告げた時、入り口から重たい鈍い音が響いた。

洞窟オークが老ゴブリンの身体を抱え上げて、壁へと投げ飛ばしたのだ。

「ぎゃ!」

真っ直ぐに宙を飛ぶと壁に叩きつけられて、老ゴブリンは伸びてしまう。


 最後の障害を倒した大柄な洞窟オークが向き直ると、エルフ娘は地面に蹲って脅えているように見えたが、やはり最後まで見苦しく足掻く心算らしい、立ち上がり逃げ道を探るように壁際を這い回る。

「大人しく死ね」

「御免だね」

嘯いたエルフ娘に、横合いから気絶していたように見えた洞窟オークが飛び上がって掴みかかった。

「……今だ!仇を!」

「は、離せッ!」

喚いたエルフ娘が折れた鎖骨に棍棒を振り下ろすと、叫んでいた洞窟オークは白目を剥いて崩れ落ちる。今度こそ気を失ったようだ。


 大柄な洞窟オークが唸りを上げながら突進すると、何時の間に手に握っていたのか。

エルフ娘は小石と砂を目潰しに投げかけた。

視界が潰れたのか、大柄な洞窟オークは涙を零しながら石斧を振るうが、暗闇に包まれた視界の横でエルフ娘の駆け抜けていく足音が聞こえてしまった。


 どんなに逃げようが、何処までも追いかけて必ず捕まえてやる。憤怒に顔を赤く染めた大柄な洞窟オークが家から出ると、エルフ娘が木に昇っていく姿が見えた。

 到底、洞窟オークに昇れそうもない大きな高い樹木に、猿のように器用に登りながら、洞窟オークのほうを見て笑顔を浮かべた。

「降りて来い!」

「いやだよ!」

頭上へ向けて洞窟オークは怒鳴るが、エルフ娘は手の届きそうのない枝に腰掛けながら、相手にしなかった。

「……しつこいな、諦めなよ!」

大柄な洞窟オークは、エルフ娘の嘲弄するような態度に憤怒に目が眩みそうになる。

こんな事があっていいのか。

仲間たちの犠牲を払って目前まで追い詰めながら、逃がしてしまうのか。

此の侭では、何れ村人たちが集ってきて討ち取られてしまう。

こんな事はあってはならない。


 洞窟オークの頭目は、暫らく恐い顔をして樹上のエルフ娘を睨みつけていたが、踵を返して歩き出した。

諦めたのかな。

そう思って追跡者を眺めていた半エルフは、思わず息を呑んだ。

ゴブリンの小屋へと入っていた洞窟オークは、出てきた時には村長の娘の腕を掴んでいた。

泣いている少女の喉元に小さなナイフを当てて、洞窟オークは静かな表情でエルフ娘を見上げた。

「……卑怯者」

搾り出すように呟いたエルフ娘に、子供を人質にとった洞窟オークが語りかける。

「……降りて来い」

黙って睨みつけてくるエリスに見せ付けるように、大柄な洞窟オークは幼い少女の首に手を掛けた。

「此の子が死んだら、お前の責だ。見捨てられるか?」

暫らく首を傾げて沈思していたエルフ娘は、洞窟オークに問いかけた。

「私が降りていけば……その子を離すと約束するか?」

「……いいだろう」

本気かどうかは分からない。

いずれにしても、こいつの手下はもういないし、時間を稼いでいるうちに村人たちが駆け込んでくれば逆転の芽もある。

エルフ娘は頷いてから、洞窟オークに告げる。

「……今から降りる」



 地面に降りたエルフ娘は、蒼い瞳に昏い光を湛えて洞窟オークをじっと見つめた。

「……その子を離せ」

啜り泣いている幼い少女の掴んだまま、洞窟オークは牙を剥きだして薄い笑みを浮かべる。

「もっと近寄れ」

今から行なうのは、喧嘩ではなく命を賭けた決闘であるがやる事は変わらない筈だ。


 最後の対決を前にして、喉を鳴らして唾を飲み込むと、エリスは大柄な洞窟オークの傷だらけの全身に視線を走らせて、おおよその強さを推し測ってみる。

腕は太くて長い。力も強そうだ。身長は低いけど、目方は向こうの方があるかも知れない。

全体的にがっしりとして重心が低そうだ。

肩にゴブリンの槍が刺さっているままなのに平気な顔をしている。

全身の彼方此方に細かい切り傷や刺し傷が出来ている。

それはそうだ。途中であれだけの人やホビットにぶち当たって、無傷で済む筈がない。

だけど、不死身の怪物に思えて、思わず震えてから思い直した。

違う。こいつだって疲れている。体力に限界はあるはずだ。


 エルフ娘が近寄ると、洞窟オークはその腕を掴んでから少女を突き飛ばした。

と同時に、エルフ娘は拳を固めて洞窟オークに躍りかかった。

いきなり肩を思い切り殴りつける。

 が、洞窟オークは応えた様子もない。

趣向が気に入ったのか。ナイフを投げ捨てると、せせら笑って殴り返してきた。

腕を上げて防いだものの、エルフの華奢な身体が後ろへ数歩揺らいだ。

左手でエルフの右腕を掴んだまま、洞窟オークは何発も殴りつけてくる。

 一方的な殴り合いになった。

拳の雨を降らされながら、何とか身体を揺らして凌ぎ続けるが、長くは持つ筈もない。

強烈な打撃を喰らってくらくらしながらエリスが倒れると、洞窟オークの族長が伸し掛かってきた。

「しね……あばずれが」

洞窟オークの方が体重も力もあったが、エルフ娘も死に物狂いになっていた。

腕を伸ばして洞窟オークの肩に刺さっている槍の穂先を掴み取ると、もう一度、同じ傷口に振り下ろした。

絶叫した洞窟オークを何度も突き刺した。吹き出した返り血がエルフの秀麗な美貌を赤く濡らす。

洞窟オークが力強い腕を振って払い除けると、槍の穂先は遠くへ跳ね飛ばされた。

しかし、流石のグ・ルムも、もはや右腕は効きそうになかった。激しい揉み合いとなる。

互いに主導権を握ろうと、相手を掴んだまま地面の上を転がりまわり、拳を振り回して、相手に叩きつける。


 エリスは振り回されがちだが闘志は充分で、洞窟オークの傷を狙って殴りかかるが、グ・ルムはそれを予期していた。

「卑怯者が……傷ばかり狙いおって」

拳を掻い潜るとエルフの腹に重たい一発をお見舞いする。

強烈な拳を腹に打ち込まれて、エリスの口に胃液が逆流してくる。

動きが止まったエルフ娘に、洞窟オークがここぞと拳をたたきつける。

腕で防ぎながら、しかし、何発も拳が振ってくる。

偶のエリスの反撃は洞窟オークに効いたように見えず、徐々にエルフ娘の反抗する力が弱っていく。

「……あう」

いいのを喰らって呻いたエルフ娘に止めを刺そうと、洞窟オークが大きく拳を振り上げて、何者かに掴まれた。

「……勇敢なお嬢さんじゃな」

白髭のドウォーフが赤銅色の腕で洞窟オークの腕を掴んでいた。


「は……はなせッ!ちびの地虫がぁ!」

 洞窟オークの罵りに軽く目を細めると、白髭のドウォーフは固く握った拳でその頬桁を張り飛ばした。

仰け反った洞窟オークはよろよろと立ち上がると、血の唾を吐き捨てた。

人を殺せそうな凄まじい視線でドウォーフを睨みつけると、叫びながら殴りかかる。

殴られたドウォーフは鼻血を吹き出しながら肩を竦めると、鉄槌のような拳を洞窟オークにお見舞いした。


 胸に重たい打撃を受けた洞窟オークが呻いた。信じられないといった様子で目を見開いてドウォーフを見つめる。

さらにドウォーフが拳を降らせると、その度に足元をふらつかせて洞窟オークはなす術もなく後退していく。執念深い怪物のような洞窟オークが、まるで子供扱いされていた。

「……ぐうう」

呻いた洞窟オークの腕を掴むと、白髭のドウォーフは軽々と地面へ投げ飛ばしてしまう。

背中を強打した洞窟オークは、唸りながら立ち上がって殴りかかるが、ドウォーフは赤銅色の太い腕でもう一度捕まえるとさらに投げ飛ばした。

「糞ぉ!」

 洞窟オークは、地面に捨てたナイフへ駆け寄ると拾い上げ、ドウォーフに切りかかった。

白髭のドウォーフが万力のような腕で、振り下ろされた洞窟オークの腕をはっしと掴んだ。

洞窟オークとドウォーフの額に血管が浮かび上がり、力比べに二本の腕がぶるぶると震える。

そのまま腕を捻じりあげているうちに、洞窟オークの腕から鈍い音が響いてありえない角度へと曲がってしまう。

 腕が折れた洞窟オークが絶叫していると、ドウォーフの強烈な打撃が振ってくる。

胃の腑を打たれ身体をくの字に折り曲げた洞窟オークが、血を吐きながらドウォーフに告げる。

「……殺せ」

白髭のドウォーフは無言でさらに殴りつけた。

洞窟オークは顎に強か強烈な打撃を喰らい、白目を剥いて崩れ落ちた。

それきりピクリともしない。

「うむ?これはいかん。死んじまったか?」

首を傾げているドウォーフに、漸く立ち上がったエルフ娘が怪訝そうな視線を向けた。

「それの何が問題なの?」

「剣士殿は色々聞きだすために生かしておいたほうが云いと……」

言いながら、白髭のドウォーフは肩を竦める。

「まあ、死んだものは仕方ないの」

エルフ娘は洞窟オークの胸が軽く上下しているのに気づいて、ドウォーフに告げた。

「生きてるよ」


 白髭のドウォーフが縄を取り出して生け捕りにした洞窟オークの首魁を縛り上げていると、何処からか村長の娘が駆け拠ってきて、エルフの娘を見上げてきた。

「その娘が助けを呼びに来たんじゃよ」

ドウォーフの言葉に頷きながら幼い娘の頭を撫でると、エリスはもう一匹の洞窟オークへと冷たい視線を向けた。



 水が顔にかけられた。

「ぶっ……ぶばっ!」

洞窟オークのゴ・ウルが目を醒ますと、目の前にはエルフの娘が立っていた。

「目が醒めた?」

呼びかけてくる声はこれ以上なく冷たい。蒼い瞳は冷え冷えとした光を湛えている。

「……何のつもりだ」

呻き声を上げて身を起こそうとした洞窟オークは、そこで初めて後ろ手に縛られている事に気づいた。

「けじめかな。ノアの事とか、色々と……」

冷たい瞳で洞窟オークを眺めていたエルフ娘は、手に短剣を弄んでいる。

洞窟オークの顔色が変わった。

尊敬する友人から貰った大事な短剣を、よりにもよって当の仇が弄んでいる。

それが洞窟オークには許せなかった。

「……返せ!」

喚いた洞窟オークにエリスは優しく微笑みかけた。

「返してあげる」

そのまましゃがみ込むと短剣を洞窟オークの懐、心の臓へと突き立てた。

痙攣しながら倒れた洞窟オークを塵を見るような目で眺めてから、エルフ娘は首を振った。

「……甘かった……悪党に改心するかもとか、馬鹿ばかしい」

ふっと力が抜けたように、エリスは酷く疲れた表情で呟いた。


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