襲撃 07
辺境を南北に貫くように蛇行して南の沿岸地方へと流れるゴート河の岸辺。
艀をもやっているうらぶれた渡し場と隣接する川辺の村では、今も、洞窟オークと村人たちが血で血を洗う闘争を続けていた。
元々、川辺の村は戸数十にも満たないささやかな小村落であり、村外れに住むホビットやゴブリンたちを含めても、まともに戦える村人の数は三十にも満たなかった。
納屋に寝泊りしている雇われ者や悪天候に足止めされた旅人たちが加勢することで、村人たちは辛うじて数に勝る寄せ手相手に拮抗していたが、もしこれらの助勢がなかったら、村はとうに洞窟オークたちが制するところになっていただろう。
村の片隅にある土壁の傍で、背後に子供たちを庇いながら、トリス村の農婦ノアは目の前に立ちはだかっている洞窟オークたちを睨みつけていた。
固く強張った表情のノアとは対象的に、二匹の洞窟オークは余裕綽々の態度を取っている。
にやにやと厭らしい笑みを浮かべて追い詰められた獲物たちを眺めていた。
「さて……どう料理してやるよ?オ・アッゾ」
「女は楽しめそうだが、猿共の餓鬼はいらねえだろ。ゴ・ウル」
槍と石斧を手にした二匹の洞窟オークは、嘲弄する態度を隠そうともせずにまるで値踏みでもするかのように農婦とその背後に隠れて脅えている子供たちを見比べていた。
「森のゴブリン共に売りとばせば、餓鬼共も小遣い程度にはなるぜ?」
「おめえは頭がいいな、ゴ・ウル。決まりだな」
洞窟オークたちが口元に嘲弄するような笑みを貼り付けて、ノアと子供たちに迫ってきた。
オーク語は理解できないものの洞窟オークたちの態度から、ニュアンスは充分に伝わってきた。
後ろは土壁、行く手は洞窟オークに完全に塞がれている中、蒼白な強張った表情で唇を噛んだノアは覚悟を決めた。
傍らに落ちていた棒切れを拾い上げると、小柄な洞窟オークたちを睨みつける。
「ほうっほうっ!戦う気だぜ。こいつ」
「いいぞ、掛かって来い!猿の女め!」
小柄な亜人たちは甲高い笑いながら、一匹が退くと一匹が進み、一匹が進めば一匹が退いて、楽しむように、弄るように槍と石斧でノアを少しずつ疲れさせていく。
強張った顔で叫びながらぶんぶんと振り回している農婦だが、狩りもしたことも無ければ、棒切れでちゃんばらごっこさえした経験さえなかった。
ついに洞窟オークの石斧を受けて、痛みによろめき、絶望に喘いだ。
「……ああっ、コルさま、お救いくだせえッ!」
収穫を司る農業の神の名前を叫んでから、農婦は最後の力を振り絞ってオークたちに飛び掛かった。
「……お逃げえッ!」
子供たちに向かって叫んだ瞬間、足音も殆ど立てずに横合いから疾風のように走ってきたエルフ娘が、笑っていた洞窟オークの即頭部にいきなり棍棒を叩き付けた。
奇襲を受けた洞窟オークの片割れは、一撃で横転すると奇妙に痙攣し始める。
完全に伸びている洞窟オークを前にして、何が起こったか理解できないでいるのだろう。
洞窟オークも、農婦も、急に飛び込んでいたエルフを呆然として見つめていた。
「……また、やってしまった」
エルフ娘は、何故か苦い表情を浮かべて何ごとかを呟いていたが、農婦を見つめると頷いて腕を振った。
ハッとして農婦は子供たちに叫んだ。
「皆!逃げるよ!」
蜘蛛の子を散らすように子供たちが四方八方に逃げ散っていく中で、
突如、洞窟オークが顔を真っ赤にして濁声で咆哮を上げる。
「てめぇ!エリフィ!グ・ルン!おらぁ!此の穴兎が!ぶっころぉお!」
興奮しすぎたのか、洞窟オークの叫び声は所々、呂律が回らずに意味不明の言葉になっている。
オークや盗賊に比べれば迫力に欠ける叫び声ではあるが、本物の殺意を向けられるのは、やはり気持ちのいいものではない。
岩陰に置いてきた荷物が、誰かに取られたりしないといいな。
そんなことを考えながら、とっとと田舎道を逃げ出したエルフ娘の背中を、槍を振り回す洞窟オークの叫び声がどこまでも追いかけてきた。
洞窟オークの長グ・ルムの胸に宿った疑念と不安は、徐々に恐怖と絶望へとその姿を変えつつあった。村人たちの倍近い人数を集めた筈が相手方を突き崩せないどころか、味方の洞窟オーク達は消耗して押され始めている。
なまじ、狩りや戦いの場数を重ねてきたからだろうか。
どうにも味方の分が悪いのが、グ・ルムの目にははっきりと見て取れる。
川辺の村人たちが新鮮な活力に満ちて動き回っているのに対して、味方は動きが鈍く、声も出なくなってきている。
よくない徴候だった。トリス村を攻めた時の疲れが今になって出てきたというのか。
今は辛うじて持ち堪えている洞窟オークたちだが、今や崩壊寸前の戦列を支えているのは一重に気力だけである。
その気力の糸がぷつりと切れた時、体格と武具で村人たちに劣るグ・ルムの手勢は、一気に人族によって蹂躙されてしまうに違いない。
今のままではその気力が底をつくのも、そう遠くない先のように思える。
それを薄々と悟っているのか、時折、縋るような目付きで戦っている兵が酋長をを見つめてくる。
何とかしてくれ、グ・ルム!トリス村の時のように勝利をもたらしてくれ、と。
だが、近隣の洞窟オークでは一の使い手である筈のグ・ルムが前に出て奮戦しても、村人に僅かな手傷を負わせただけに留まって、戦局は殆ど揺るがなかった。
結局、体力を無駄に浪費したグ・ルムは、今は後ろに下がって指揮を取るのに専念している。
まるで悪い夢を見ているようだった。足から力が抜けそうになるのを歯を食い縛って持ち堪えて、グ・ルクは必死で考える。
わしらの力はこんなものか。奇襲でなければ、人族の農夫にすら通用せんのか。
何か逆転の手はないのか。此の侭では、味方は敗北してしまうやも知れぬ。
グ・ルムが取り乱さないのは、長が狂乱した姿を見せればその瞬間に洞窟オークたちの士気と戦列が崩壊すると悟っていたからに他ならない。
一重に長としての責任だけで持ち堪えていたものの、グ・ルムが胸に秘めたる焦燥と恐怖は、いまや彼を押し潰す寸前にまで圧力を高めていた。
所詮は烏合の衆なのか。
洞窟オークの酋長は、逃げ腰になっている流れ者の洞窟オークたちを横目で見て苦しげに表情を歪めている。
よそ者など入れるべきではなかった。
今から逃げ出したら、間違いなく壊走に陥るだろう。
纏って退くことなど絶対に出来ん。人族共に散々に追い討ちを掛けられるに違いない。
そうしたら、どうなる?
グ・ルムは、部族の若衆や働き盛りの中年、壮年のオークを軒並み渓谷から連れて来ていた。
後に残してきたのは女子供と僅かな老オーク、若干の不具の者たちだけである。
彼らが戦死したら、誰が残された者たちの面倒を見るのか。
性悪の洞窟ゴブリン共や野人、穴居人、穴小人どもの餌食になってしまうに違いない。
戦を甘く見ていた。此の侭では、弟の仇を討つどころか群れが崩壊する。
初戦を余りにも容易い勝利で飾ってしまった為に、人族を侮る気持ちが生じていたのかも知れない。
二進も三進もいかなくなった洞窟オークの族長が冷たい汗で背中を濡らしながら、声を枯らして味方を鼓舞していると、突然、横合いで鬨の声が上がった。
村人も洞窟オークも一瞬だけ手を止めて、何ごとかと視線を向けてみれば、横道から飛び出してきた十人ほどの人族とドウォーフの一団が、喚声を上げて洞窟オークの集団へと突っ込んでくるところであった。
村人方の増援のようだ。先頭に立っているのは黒髪の女。手には血塗れの長い剣を持っている。
今度は此方が挟まれたか。
洞窟オークの酋長は、苦い表情となって周辺に散らばっている洞窟オークたちに迎え撃てと号令した。
族長の横合いで、殆ど同数の洞窟オークと新手の村人たちが衝突した瞬間、女と干戈を交えた先頭の洞窟オークが一撃で打ち倒された。
黒髪の女剣士が猛然と突撃を繰り返し、手にした長剣が乱舞する度に、一撃で洞窟オーク一人が切り倒されて二度と起き上がらない。
その横のドウォーフも凄い。
振り下ろした鉄の槌は、受けた杖や棍棒ごと洞窟オークを薙ぎ倒してしまう。
戦っていた洞窟オークたちが、目に見えて怯んだ。
逆に村人たちが歓声を上げ、一層、嵩に掛かって攻め立て始める。
まるで悪夢だった。
足元の地面が崩れていくような錯覚を覚えて、グ・ルムは胸焼けするような吐き気を催した。
弟の仇に執着したのが間違いだったのか。
部族が滅びる。トリスを手に入れただけで満足しておけばよかった。
頭のうちで不吉な想念がぐるぐると廻ってグ・ルムの理性的な思考を侵していく中、目まぐるしく戦場を跳び回っていた女剣士が、ついに洞窟オークの壁を突破した。
野生のダイア狼のように獰猛な笑みを浮かべた女剣士が近寄ってくるのを、グ・ルムはどこか虚ろな光を湛えた瞳で眺めていた。
黒髪の女剣士を先頭にして村人の一団が突撃を敢行するも、洞窟オークたちは一瞬だけ見せた動揺から即座に立ち直ったように見える。
可愛くないな。女剣士は鼻を鳴らすと、先頭を切って吶喊する。
あばら屋の前に陣取る洞窟オークの指揮官を指呼の距離に捉えつつ、向かってきた十匹ほどの洞窟オークと新手の村人たちが衝突した。
此処で力を出し切ってしまっても構わない心算で、女剣士は乱戦の中を飛び回っていた。
パティエの刀工が鍛えた鋼の刃が舞う度に、洞窟オークが悲鳴をあげて倒れていく。
女剣士が三匹、ドウォーフが二匹を屠って、忽ち、洞窟オークの壁を打ち崩して突破すると、指揮官の傍らに侍っていた複数の洞窟オークたちが顔を見合わせてから向かってきた。
護衛なのだろうか。指揮官の周囲にいた洞窟オークは六匹。全員、襤褸のマントを羽織っている。
二匹は背後に族長を庇って動かず、四匹が女剣士とドウォーフへと向かってきた。
守られながら、毛皮のマントを纏った洞窟オークの指揮官は呆けたような表情で此方を見ていた。
威嚇の声を上げる洞窟オークの護衛たちと、女剣士たちは二対一で戦闘に入る。
打ちかかって来る洞窟オークの棍棒をあっさりと躱すと、女剣士は流れるような動作で反撃に移り、横合いに長剣を薙いだ。
下から跳ね上がる鋼の剣閃を、洞窟オークにしては意外と素早い反応を見せて、護衛の戦士が辛うじて躱した。
完全に躱しきれずに脇腹を切り裂かれつつも、身を捩って致命傷は避けた洞窟オークは、苦痛に表情を歪めながらも反撃してくる。
さらにもう一匹は、邪魔にならない位置から廻り込んで槍を突きこんできた。
同時にドウォーフが何やら叫び声を上げたが、其方に注意を向ける余裕は無かった。
今までのようにバラバラに掛かってくるのではなく、素早く役割を分担して連携してきた。
場数を踏んでいる?それに、思ったより出来る。こいつら結構、手強い。
女剣士は軽く唇を舐めると、後ろに飛び跳ねて距離を取り、仕切りなおすことにした。
相手は二匹。それでも優勢に戦いを進めているが、今までのように容易くはいかなそうだ。
「させるかよ!人族の豚野郎!グ・ルムには指一本触れさせねえ!」
得物を振りかざして女剣士に向かってくる洞窟オークたちは必死の勢いで、守っているのが重要人物だと自分たちから教えてくれる。
やはり護衛というわけか。指揮官はさしずめ部族の戦頭であろう。族長かも知れぬ。
自分が雑魚を引き受けて、その間に族長をドウォーフが抑える。
その予定が、護衛が案外手強かった為に、早くも女剣士の目算が崩れていた。
まあ、いい。戦で意外の出来事が起こるのは当たり前か。
このままこいつらを打ち倒して、わたしが確保するのもよい。
手加減は苦手であるが、死んだら死んだで仕方ない。
瞬時に思考を切り替えて、一転、洞窟オークの護衛たちを猛然と攻め立てる。
切り結んでいた護衛たちは、常の洞窟オークたちより幾分かマシであったが、それでも女剣士を梃子摺らせるには程遠い。
必死の勢いで僅かに時間を稼いだが、奮戦も其処まで。
女剣士が冷静に立ち返って攻めかかると、忽ち二匹ともに切り倒されてしまった。
ドウォーフも一匹を倒して、もう一匹を猛然と追い込んでいる。
護衛の一匹が小剣を構えて前に進み出る一方で、最後の護衛は族長に何かを言っていた。
「逃げろ!おめえは死んじゃならねえ」
なおも躊躇している族長の腕を掴むと、護衛はあばら家へと引っ張っていった。
立て篭もる心算だろうか。無駄なことを……
思いながらも、だが、其処から先は女剣士も敵の様子を窺う余裕は無かった。
三匹目の護衛戦士は、文字通りに死に物狂いの戦いぶりで女剣士に食い下がってくる。
腹を薙がれて致命傷を負いながらもなおも切りかかってきた洞窟オークは、戦乱の東国でも名の知れた戦士であるアリアを、ほんの少しだけ感心させたが、所詮、技量と体躯の差は気迫だけで埋められるものではなかった。
反応の速さも、敏捷さも段違いの女剣士が、流れるような動作で剣を受け流し、そのまま一瞬に反撃に転じて首筋を薙ぐと、洞窟オークは血飛沫を撒き散らして地面へと倒れ伏した。
結局、三匹目の洞窟オークも二十を数える間に討ち死にしたが、しかし、貴重な時間を稼ぎ出すことには成功していた。
同時に白髭のドウォーフも、護衛の最後の一匹を突き倒していた。
二人が視線を交えて頷きあい、頭目格の立て篭もったあばら家へと足を向けると、窓から襤褸を着た洞窟オークが逃げ出すのが見えた。
何となく臭いと感じた女剣士が後を追おうと足を早めた時、あばら家の入り口から毛皮のマントを付けた洞窟オークが飛び出てきて目の前に立ちはだかった。
「俺が族長のグ・ルムだ!掛かって来い!人族の豚ど……」
次の瞬間、パティスの刀工に鍛えられた鋼の剣が恐ろしい速さで楕円の軌道を描いた。
隙だらけの洞窟オークの首を一瞬で跳ね飛ばした女剣士は、何故か不機嫌そうに舌打ちしてから、落ちてきた首のお下げを宙で掴み取って高く掲げる。
「族長は討ちとったぞ!貴様らの負けだ!」
毛皮マントを纏った洞窟オークの族長の身体が、ぐらりと揺れてから大地に崩れ落ちた。
強く烈しい女剣士の声に戦場は一瞬静まり返り、ついで一気に拮抗が崩れた。
武器を投げ捨て、悲鳴を上げて逃げ惑う洞窟オークの侵略者たちを、村の人族やホビットの農夫、そして僅かなゴブリンなどが怒り狂って追い掛け回し、容赦なく鋤や鍬、棍棒、槍などを振り下ろしていく。
集団戦からあっという間に乱戦へ、そして追撃しての掃討戦に移行する最中、女剣士は行く手に立ちはだかった数匹の洞窟オークを切り倒しつつ、やや離れた土手を目指して戦場からの離脱を図った。
軽い勾配を登っていく最中、横合いから飛びかかってきた洞窟オークを一撃で切り倒して土手の頂きに辿り着くと、黄玉色の鋭い瞳で道を見下ろした。
趨勢は完全に定まった。洞窟オークは誰も彼も逃げ腰で、村人たちから逃げ回っている。
今日は、朝から随分と戦った。もう休んでもいいだろう。
女剣士は手頃な岩に腰を降ろしてから、疲れた表情で大きく息を吐き出した。




