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土豪 17

 夕暮れの太陽が西方山脈の黒々とした稜線に沈む頃には、パリトーの村で丸二日続いたクーディウス主催の民会もようやく幕を閉じた。民会に参加した地元有力者たちの大半は、昼頃から既に帰途に付き始めていた。歓待を受けた大方の郷士や豪族たちは、満足した表情を見せて上機嫌で帰っていったが、幾人かは露骨に苦虫を噛み潰していた。クーディウスの富強を目の当たりにして、恐らくは民会の主催者が既に彼らの競争者に成り得ないほど強力になりつつあると悟ったのだろう。

 引き攣った顔に笑顔を浮かべながら別れの挨拶を交わし、肩を落として悄然と立ち去っていった彼らの後姿を思い出すと、今も初老の豪族は腹が捩れそうなほどおかしくなる。未だ残っているのは一握りの特に初老の豪族と親しい者たちと、彼が名指しして残るように頼んだ郷士、或いは豪族たちである。


「冷えてきたな」

仮設の天幕も撤去されて、がらんとした中庭をゆっくりと歩きながら、パリトーの領主は冬の空を見上げて白い息を吐いた。壮年から中年に掛けての十人ほどの郷士豪族たちと連れ立っているが、いずれも気心が知れた者が多い。他の者も義侠心に恵まれ、或いは己の好悪よりも責務を優先する性情の主であり、いずれも信頼に値するとクーディウスが見込んだ人物である。周囲を取り巻く郷士豪族たちに態々、残ってもらったのは大切な用件があるからだった。

 中庭に並べた長卓に座ると、よい赤身の肉の料理とワインを並べさせ、ゆっくりとした時間と空間を演出して寛いでもらう。背後では赤い服を来た吟遊詩人たちが竪琴をかき鳴らし、葦笛を吹いている。

列席者は中年以上の男が殆どで歳の入った女も三人混じっている。皆、恰幅があって身なりもよく整っていた。

初めは、主人自らがナイフを振るって肉を切り落とし、客人たちの皿に供していく。豊潤な味わいとはいかぬが、良いワインを真鍮や青銅の杯に注いで乾杯を取り、改めて一同を見回した。


「オーク共は何とかせねばならぬ」

此の時代は、ワインの発酵もまだ不完全で、大幅に甘味の残っているものを水や湯で割るのが一般的な飲み方である。酸味の強い果実酒を好んで飲む者もいて、朝からも含めれば既にかなりの量を胃に収めている中年男が酒臭いと息を吐きながら、卓上に身を乗り出した。

「それは同感だ。此の侭、やられっぱなしという訳にはいかん」

対面で肉を貪っていた肥満の男が肉汁のついた指を舐めながら、首を振るう。

「だが、一戦するにしても、オーク連中が何処に攻めてくるか分からんではな」

中庭の四方には大きな篝火が焚かれており、時々、奴隷が薪を注ぎ足していく。炎が瞑目している初老の豪族の横顔を照らしてていた。

「クーディウス殿には、何か考えがお在りか?」

古風な言い方をする白髪白髭の老人が、尋ねかけてきた。

「ある」

険しい顔で列席者一人一人の顔を見回すと、初老の豪族は大きく息を吸い込む。

「我らの縁者郎党で軍団を編成して彼奴らの領土奥深くに攻め込み、村々を劫略して、その心胆から震え上がらせるのだ」


 数人は呆気に取られたようすで初老の郷士を見つめ、残りは目を鋭く光らせた。

「いやっ……だが!」

慌てて叫ぶように何かを言い掛けた数人が、顔を見合わせる。

やがて代表して中年男の一人が質問の口火を切った。

「遠征か。だが兵の食い物は如何する?武具も集めなければならぬし、準備が……」

「糧食はわしが半分受け持つ。兵と武具は諸君らの自前だが、戦利品は切り取り次第」

肥満した豪族が息を吸い込むと、口笛のような音がした。

白髪白髭の老人が鋭い目を初老の豪族に向けて、単刀直入に問いかける。

「……いい話だな。狙いは何だ?」

「決まっている。オークの戦闘部隊を誘き出して一戦し、叩くつもりだろう」

筋骨隆々の郷士が笑って手元の杯を呷り、隣にいた痩せた老人が首を傾げる。

「うむ。だが、損害は馬鹿にならんぞ」

禿頭の豪族が勢い込んで身を乗り出してきた。

「しかし、此の侭では延々とやられるだけだ。どこかで反撃に移らねばならん」

喚くように云った彼の土地はオークの領域に近い。既に話に乗り気になっている。

首肯した白髪白髭の老人が宴の主催者である初老の豪族に問いかける。

「然り。では出兵は何時になる?春先か?」

「いや、此の冬の間だ。春になるまで叩かれっぱなしという訳にもいかぬ。

此の遠征を機に、少なくとも丘陵地帯の南部からは連中を追い払うべきだ」


 初老の豪族の言葉はある種の衝撃を食卓にいる一同に与えたらしい。

暫しの間、列席者たちは沈黙した。思い思いに思索を凝らしているのだろう。

彼ら彼女らは、不安と興奮の入り混じった眼差しで隣の者と目配せしたり、囁きあっていた。

「……勝算はあるのか?」

白髪白髭の老人が鋭い眼差しを針のように細めて、初老の豪族に迫るように低い声で問うた。

「オーク共も冬の間にわしらを攻めてきている」

白髪の老人の強い視線は、初老の豪族に圧力さえ感じさせたが目は逸らさなかった。

肥満した男が弛んだ頬を撫でながら、小さい目を細めて呟いた。

「確かに遠征といっても目と鼻の先。冬に動けん事もない」

白髪白髭の老人は初老の豪族をじっと睨んだまま、酷く静かな声で淡々と言葉を続ける。

「丘陵が邪魔だ。それに我らは丘陵の地理をさほど知らん」

「連中は自分達が攻められるとは思ってない。冬の間に連中の出鼻を挫いておくのだ」

初老の豪族はそれだけ告げて、口をへの字に閉じた。

沈黙したまま、真正面から睨み合ってどれほどか。

やがて列席者のうちに、ざわざわと賛意を示す呟きが広がっていく。

「いや、いい手かも知れん。確かに奴らは守りに入ると弱い」

肥満した男が弛んだ顎を撫でながら呟くと、向かいの中年男も賛同する。

「成功の見込みは充分にある」

「相当、餓えているとは聞いている。やつらも必死でしょうね」

やや不安げに痩せぎすの年増女が口にするが、反対意見とまではいかなかった。

「武器を蓄え、数を揃えて入念な準備を整えれば……」

大きく息を吐いて白髪白髭の男が椅子に座った。眼を閉じると深々と肯いている。

「よかろう。クーディウスを我らの指揮官として軍団を編成しよう。

調子に乗っているオーク共に手痛い一撃食らわせてやろうではないか」


 パリトー村にあるクーディウス氏の館の厩には、見慣れぬ数騎の馬や鳥が繋がれていた。

先ほど中庭で館の主と会食していた十数人の男女の所有物である。

会食の客は、殆どが壮年から老齢の男女であった。

大抵は誂えのよい装束を纏って、剣などを腰から吊り下げている。

一同の後列には、武装した徒歩が付き従っていた。

大半が乗用の馬や鳥に乗ってやってきた事から、恐らく街道筋の有力者たちに違いない。

そう推測しつつも、奴隷となった赤毛の娘は途方に暮れていた。

会食を終えた客たちは順に帰途に付きつつあった。

彼らの従者であろう、幾らか質素ではあるが、きちんとした服装を纏った十数人の男女が、後にばらばらな隊列で付き従いながら門扉を潜って姿を消していく。

中庭にいた村人や農奴達は、通り過ぎる客に頭を下げている。

母屋では侍女や使用人の幾人かが、物見高く来客に好奇心の目を向けていた。

郷士豪族とそのお供であろうか。彼らは何かを話し合っているようだった。

 これだけいれば、北方語を喋れる人物が一人くらいはいたかも知れない。

モアレの危機を訴えれば、一人くらいは耳を傾けてくれたかも知れない。

だが、千載一遇の好機は過ぎつつあった。豪族たちは帰っていく。

宴席に近づこうとする度に、赤毛娘は奴隷の監督官や使用人たちに激しく鞭打たれて犬のように追い払われている。


 最後には業を煮やした召使いにぶっ倒れるほどに激しく殴られて、髪を引っ張られて引き摺られ、手荒く庭の隅に打ち捨てられていた。

先ほど気絶から醒めて、人目を忍んで再び中庭へとやってきたばかりだが、身を低くして物影に隠れて様子を窺えば、来客はその殆どが姿を消していた。

 狂おしい焦燥と切羽詰った想いで赤毛の娘は周囲を見回すと、最後の来客を見送ろうとしている豪族の姿が見えた。目の前には、丁度、人いきれが切れて真っ直ぐに道が開けていたが、赤毛娘は思わず足が竦んだ。

 赤毛娘は奴隷の立場である。南方人の村は、故郷のモアレでは想像も付かないほどに身分差の隔たりが大きかった。客や住居に近づいただけで召使いたちに殴られる。

此れが主人への無礼を働けば、どれ程厳しい罰を受けるか分かったものではない。

或いは殺されるかもしれない。

 躊躇は一瞬だった。

故郷であるモアレ村の窮状を訴える。妹を救う。それが出来れば死んでもいい。

大勢の命が掛かっている。自分一人の命などどれほどのことがあろうか。やりとげるのだ。

今度こそ、間違わない。

神様!ベール神様!どうか、貴女の下僕にお力をッ……

主に織物の神として崇拝されている蜘蛛の神に祈りを捧げながら、赤毛娘は豪族たち目掛けて裸足で駆け出した。


 恰幅のよい豪族と、背の高い郷士が門扉に向かって馬を進めながら会話していた。

その背後には彼らの子息である四人の男女が続いている。

「オーク共め、厄介なことだ。ソレスに睨みつけられた時には冷や汗が出たぞ」

「だが、上手くいった。此れで何とか反撃の目途もついた。いよいよだぞ」

先刻までは、オークの襲撃に対抗すべく議論を重ねていたが一応の合意を見て合議も終わり、今は土産物を持たせて客人たちを見送った所である。

両者の年齢は共に壮年から初老の域に差し掛かっているが、動作はきびきびとして若々しい印象を与える。


 旧知の郷士が引き連れてきた手勢が、門前に整列して主人を待っている。

郎党のうちの若い女が主人に艶やかな微笑を向けているのに目敏く気づいて、初老の豪族は呵呵と笑った。

「相変わらず盛んだな。カディウス。羨ましい限りだ」

「いや、俺も年を取った。そろそろ孫の顔を見たい程度にはな」

金髪の郷士ベーリオウルは旧友の言葉に苦い笑みを浮かべてから、娘のリヴィエラを何気なく眺めた。

傍らにいる金髪の娘リヴィエラの鳶色の瞳は、豪族の上の息子パリスにやや熱の篭った視線を向けていたが、父親の視線に気づくと苦笑を浮かべて踵を返した。

郷士は肩をすくめると、友人の豪族クーディウスに手を振って別れを告げた。

「では、さらばだ。次は戦支度を済ませてから会おうぞ」


 殆どの招待客を見送った白髪のクーディウスが、家人たちを引き連れて友人と最後の挨拶を交わしていると、中庭から何かを喚きながら、みすぼらしい赤毛の娘が走り寄って来た。

僅かに残っている郷士や豪族たちが訝しげな視線を向ける中、赤毛の娘は初老の豪族クーディウスの傍らまでやってくると、屋敷の主人を見上げて何か訳の分からない言葉を必死に捲し立ててきた。

当惑しつつも、悠然とした態度を保ったまま初老の豪族は、赤毛娘を見下ろして背後から駆けてくる召使いたちに不快そうな一瞥をくれた。

「何をしている?これは一体、何の騒ぎだ?」

「申し訳ありません。殿様」

慌てて駆けて来た召使いの一人が棒切れを振り下ろして赤毛娘を引っ叩いたが、彼女は怯まずに豪族に向かって何かを訴えかけている。

 白髪の豪族が当惑し、眉を顰めていると、召使いが再び棒切れを振りかぶった。

「こいつ……訳の分からん事を」

制裁を加えようとする召使いたちと赤毛娘の間に、下の息子ラウルが割って入った。

「待てッ!やめぬか!乱暴は止せ!」

さすがに当惑を隠せぬ初老の豪族が、下の息子にやや険しい疑念の入り混じった視線を向けた。

「何だ、此の娘は……?」

「父上。申し訳ありません。この奴隷娘は、村をオークに滅ぼされて、少し参っているのです」

父親の不快そうに痙攣した頬に気づいて、青年は取り繕うように訴える。

「ですが、狂っているというほどではありません。何時もは普通に働いて……」

だが、案の定、白髪の豪族は露骨に不機嫌な顔を見せた。

白髪の豪族の瞳に、底冷えするような光が宿り始めていた。

使用人は大勢いる。たかが奴隷のことなど一々顔など見もしない。

「ラウル!物狂いなど家において如何する気だ?

 美しい娘だから庇っているのか?とっとと追い出せ」

父親の厳しい言葉に、鞭で打たれたように青年は躰を震わせて俯いた。


 召使いの頭である太った年増女が近寄ってきて取り成すように頭を下げている。

「すみません。何時もは骨惜しみせずよく働いていたんで。何でこんな事を……」

使用人頭の貧相な男が、赤毛の娘の腕を掴むと外に向かって引っ張り始める。

「ほら、慈悲深い旦那さまがお許しくださったんだ!とっとと出て行け!」

赤毛の娘は泣き喚くように腕を振りほどくと、初老の豪族の服の裾に縋りついて涙交じりで何かを必死に伝えようとしている。

流れるような言葉には切れ切れに単語が入り混じっていたが、早くて聞き取れない。

半分は訳の分からない外国語だった。

「馬鹿者が。客人の前で恥をかかせおって……ええい、五月蝿い女だ!」

邪険に足蹴にされて吹っ飛んだ娘は、しかし怯まずに立ち上がった。

「さがれ!さがらんか!えらい殿様方の前だぞ!場を弁えんか!」

貧相な男の腕を振り払って、今度は他の豪族や郷士たちに向かって、身振り手振り交じりで何かを訴え続けている。

皆が困惑している最中、諦める様子のない娘の立ち振る舞いに違和感を覚えて、初老の豪族は眉を顰めて立ち止まった。

「ううむ、この必死さは……本当に物狂いのものか?」


「ええい!この!」

ごうを煮やした召使頭が柳の枝の鞭を振りかぶった時。

背の高い金髪の豪族が、剣の鞘で男の手にした鞭を弾き飛ばしていた。

周囲の人間が唖然としている中、そのまま厳しい眼差しで赤毛の娘を見下ろした。

『もっとゆっくり、言葉を区切って喋れ。気が急くのは分かるがそれでは誰も聞き取れん』

流暢とは言いがたい発音で、だが、郷士の発した言葉に娘の顔にパッと理解と喜びの色が広がった。

赤毛の娘は安堵の涙を零しながら、顔に傷のあるくすんだ金髪の郷士を見上げて、何やら会話を続けた。

周囲に分かるように態々ゆっくりとした南方語混じりの北方語で会話を続ける二人であったが、何を言われたのか。

娘の言葉を理解するにつれて、郷士は険しい顔に緊張の色を露わにして歯を食い縛る。

豪胆で近隣一帯に名を知られた男の尋常ならざる様子に、中庭に残っていた郷士豪族たちは戸惑いを隠せずに顔を見合わせた。


 気が緩んだのか。最後に何かを言って倒れた娘を抱きかかえながら、郷士は食い縛った歯の間から唸り声を上げていた。

「カディウス!どうした?そいつは何を伝えようとしていたのだ!」

昔馴染みの緊張した態度に狼狽し、幾らか昔の口調に戻って詰問する白髪の豪族であった

「ルードよ。オークの襲来でモアレの村が滅んだそうだ」

皮肉っぽく呟いた金髪の郷士の返答に、初老の豪族は数瞬固まり、理解して今度は驚きに顔を歪めた。

良質の布の産地として有名な北方の大きな村であり、初老の豪族とは定期的に取引もあった。

ざわついている郷士豪族の面々を眺めて、金髪の郷士は口元を歪める。

「事実ならば、容易ならぬ事態だな」

衝撃から立ち直り、大きく溜息を洩らした初老の豪族は、当初とは打って変わって同情した視線を郷士の腕の中にいる赤毛の娘へと向けた。

「では、この娘はモアレの村の……」

「生き残りだ。夥しい数のオークだったそうだ。村はオークの手に落ちた。

 この娘は、窮状を訴え、助けを求める為に此処までやってきた」

金髪の郷士の言葉に、初老の豪族は良心の疼きを覚えて苦い顔となる。

「それであんなに必死だったか。」

改めて赤毛の娘の躰をじっと見つめる。

痩せて細くなった身体、四肢は傷だらけであった。

知らなかったとは言え、随分と酷に扱ってしまった。

「たった一人でオークの目を掻い潜り、丘陵を抜けて……勇気には報いてやりたくなった

 償う意味でも話くらいはきいてやらねばなるまい」

赤毛娘の心がけへの感心とモアレ救援の兵を出すか否かは別の問題であるが、初老の豪族にとって、モアレは長年付き合いのある、浅からぬ関係のある村であった。

取りあえずは情報を知らせてくれた礼の意味も込めて、当面の面倒は見てやろう。

痛ましい顔つきで娘の頬を撫でてから、初老の豪族は娘のフィオナを呼ぶと娘の面倒を見てやるように言いつけた。



 またの名を穴オーク、或いはオーク小人とも呼ばれている洞窟オークは、文字通りに洞窟に棲息しているオーク族の一種族である。

地上世界の人里離れた洞窟や地下の空洞、或いは地下世界で見かけられる灰色や緑の肌をした洞窟オーク族は、怠惰で臆病な種族であり、狩りや畑仕事で生計を立てているものの概して貧しい暮らしを送っていることが多い。

遠い過去の時代に共通の祖先から枝分かれしたのであろう。

オーク族の遠い親戚である洞窟オーク族は、だが大元に当たるオーク族とは異なる幾つかの身体的特徴を備えていた。

 まず第一に、洞窟オーク族はオーク族に比して小柄な体躯を持つ事が上げられるだろう。

膨れた下腹に加えて痩せてひょろ長い腕をした矮躯は、スタミナには恵まれているものの見た目通りに非力であり、ドウォーフや穴居人など他の地底に暮らす種族と真正面から戦えば、容易く打ち負かされてしまうだろう。

辛うじて穴小人やコボルドには勝るものの、それらの種族が持つ夥しい数の力に対しては抗すべき術を持たず、結果、洞窟オークは常に他種族に押され、餌食となる境遇に位置づけられていた。

 第二に知られているのは、その歩き方であろう。

長い航海を終えて地上に上がったばかりの水夫のように身体を揺らして、蟹股でひょこひょこ歩くその奇怪な足取りは、他の種族から見れば滑稽であり、笑いを誘うものがある。

地下世界で暮らすようになったための進化か、オークと血が混じった何らかの種族の遺伝的特徴が表に出たのか。

 いずれにしても、ひょろ長い腕を揺らしてバランスを取りながら蟹股で短い足を動かす洞窟オーク特有のひょこひょこした歩き方は、早足にしろ、駆け足にしろ、鈍くて遅く俊敏さにも欠けており、彼らが地上や地下世界の怪物の餌食となりやすい由縁であったが、狩りの時には集団で獲物を囲いこむ方法を好む洞窟オークにとっては、案外、利点もあるのかも知れない。

 そして最後に、此れが尤も重要なのだが、洞窟オークは夜目が効いた。

一握りの不死や妖魔、そして魔界の生物のように真の闇も見通すような魔眼ではない。

他の種族に比べてやや鮮明に物の形や色、距離が分かる程度の夜目であり、闇夜では他の種族同様の盲に陥ってしまうものの、月明かりや星の光の下、昼日中のように行動するには充分な肉体からの贈り物であった。

 そして此れこそ、非力で動きの鈍い洞窟オークをして、彼らよりも強力な種族に対抗させている唯一にして最大の武器でもあった。



 辺境にある人族の農村トリスから、南に向かって半刻ほど歩いた場所にある渓谷地帯に洞窟オーク達が棲まう洞窟が幾つか点在していた。

畑仕事には向いていない洞窟オークたちの胃袋を支えているのは近くの森での採取と野山での狩りであるが、貧しい暮らしである。

 森に踏み込めば、森に棲まうコボルドや森小人、森の民との小競り合いなども日常茶飯事で、野山には野良ゴブリンや他のオークたちも彷徨っている。

時折、取れた鹿や兎、狐の毛皮も以前ほどには大量の穀類と交換できなくなっていた。

此処数年来の不作は、もともと余裕の無い洞窟オークたちをさらに追い詰めている。

 集落には三歳以下の子供オークの姿は殆どない。

少年といえる年齢のオークは地べたに座り込み、虚ろな眼差しで宙を見上げていた。

目は落ち窪み、頬は痩せこけている。飢えが彼らを追い詰めていた。

洞窟オークの中には、餓えに耐えかねてゴブリンや人族、ホビットの集落などに忍び込み、畑荒しや家畜泥棒を行なって食料を持ち帰る者もいたが、当然、見つかればただではすまない。

棒切れで袋叩きにされるのはまだマシな方で、酷い時にはそのまま村外れの木に吊るされてしまう事もあった。



 余りにも強い日差しの下では目が眩んで弱体化してしまうのが、洞窟オークの弱点であるが、

穏やかな日差しの下で過ごし易いのは、やはり他の種族と同じである。

よほどに切羽詰ってない限り、多少の夜目が聞くとはいえ夜間の行動は避けたいものだ。


 その日の朝。まだ、夜明けの光が僅かに東方の空を染めつつある時刻・

渓谷の穴オークの首領であるグ・ルムは、小高い丘から人族の農村であるトリスを遠くに睥睨しつつ、胸のうちで使者が告げた言葉を幾度も反芻していた。


 丘陵のオーク氏族から使者が訪問してきたのは、つい先日のことである。

屈強のオークの戦士たちを大勢引き連れたその癖、吹けば飛ぶような痩せた小男だった。

いかにも弱そうなオークだったが、言っていた事だけはグ・ルムの琴線に触れている。

オークの時代がやってくる。辺境をオークが支配する時がやってきた。

長広舌を振るって協力を求めてきたズ・ナンと名乗ったオークは、延々と主人の凄さと計画の中身について喋り続けたものだ。

偉大なオークの女首領カーラが、今、戦力を集めている最中だ。

渓谷の穴オークたちも、是非、此の征服事業に馳せ参じて欲しい。

しかるべき地位を用意すると約束しよう。


しかるべき地位、か。

吹き抜けた風がグ・ルムの頬を撫でていった。にやりと笑う洞窟オークの酋長。

小柄な体躯ゆえに、オーク族や人族からオーク小人と揶揄される洞窟オーク族である。

グ・ルムにしても、洞窟オークにしては頭抜けて大きい背丈を持つ精々が平均的なオークをやや上回る程度でしかない。

洞窟オークのうちでは優れた戦士として評される酋長も、だが争いを好んではいない。

厚手の布鎧さえ持ち合わせず、碌な武器も満足に蓄えていないオーク小人の二十や三十が戦に馳せ参じたとて、果たして如何ほどの役に立つか怪しいものだった。

精々、数合わせの雑兵や使い捨ての盾として扱われるのがいいところだろう。

豪族の手勢とぶつかり合えば、一撃にして蹴散らされるのは目に見えている。

征服事業とやらに参加する心算はない。顎で使われて部族の貴重な戦士をすり減らすなど愚の骨頂であると考えている。

オークからも、人族からも見下されて、惨めな生活を送っている穴オークである。

オーク族に対する不信と怒りも、人族に対するそれに負けず劣らず深く根深いものであった。


 だが、それにしても、渓谷の洞窟オークたちとトリスの村人たちは、特別に仲が悪い訳でもなかった。狩りで取れた毛皮や肉を持っていけば、塩や穀類、青銅の穂先なんかとも交換できた。

幾らか蔑みや嫌悪の視線を向けられたからとて、ゴブリンたちのように悪戯半分で石を投げつけられるわけでもなく、ホビットたちのように村に立ち入れない訳でもない。

 そう、けして仲が悪かったわけではない。

だから、村人の数も、家の位置も、どの程度の備えをしているかまで知っていた。

考えながら、洞窟オークの酋長は、眼下の平野部に点景となっている農村をじっと一望した。

だからこそ、村人たちも油断している。今なら……むしろ、今しかない。

暁の光に照らされた農村では、既に二、三の人影が動き出しているのが遠目にも窺える。

女だろう。人族の女たちは兎角、よく働くのだ。



 興奮を抑えきれないような、それでいて苦虫を噛み潰したような複雑な顔をしている洞窟オークの酋長の傍らに、弟のグ・ルンが傍らに歩み寄ってきてきた。

「兄貴、戦士たちを集めたぞ」

首長が黙っているので、グ・ルンは言葉を続けてみる。

「丘陵の王女さまのところへ向かうのか?」

此の弟は丘陵オーク族の提案に乗り気なようである。

窺うように酋長を見るが、首を横に振るう。

大人しくカーラとやらの傘下に入る心算は、グ・ルムには無かった。

「……では、何故集めた?」

奇妙な表情を浮かべてから酋長は、しげしげと弟を眺めて口を開いた。

「賭けてみようかと思ってな」

征服事業とやらに参加するかどうかとは別に、洞窟オークの首長には腹案が合った。


 今が決断の時だ。落ちつかなげな動作で不安そうに頬を撫でながら、そう穴オークの長は考えている。

大規模なオーク族の戦争に、穴オークが動員される事は珍しいことではない。

弱い穴オークでも、逃げられないように後ろで高圧的に監督していれば、取り合えず戦争の頭数として数えられない事もない。どうせ使い捨てにする心算に違いないのだ。

だが、それが分かっていても話に乗る連中もいるはずだ。

飢えはもはや耐え難いところまで来ている。

伸るか反るか。追い詰められた彼らは乾坤一擲の賭けに出るのは違いない。

少なくない洞窟オークや野良のオークたちが、カーラの元へ集うだろう。

恐らくは一帯の其処彼処で、豪族たちとの小競り合いが頻発するに違いない。

此れに元からあった丘陵オークの勢力を合わせれば、もしかすればもしかして人族の優位をひっくり返せるかも知れない。


 ふぅぅっと溜息を洩らした。細く長いため息。だが、どちらが勝っても洞窟オークの地位などさして変わる訳もない。

トリスは貧しい村だ。何処の豪族に贈り物を送っている訳でもない。庇護下にある訳でもない。

孤立したちっぽけな村だ。だが、それでも貧しい洞窟オークから見れば、村の畑や家畜、そして人の造った美味い食べ物や酒、布などは非常に魅力的な財貨であった。


 丘陵の頂きに立っていた洞窟オークの長がさっと手を振り下ろすと、丘の稜線に沿って数十の影が立ち上がり、手に手に武器を振りかざしながら、ほうほうと叫びつつ村を目指して一斉に丘陵を駆け下りていった。


 村の連中に怨みがある訳ではない。盗みに入った仲間を殺されたが、当たり前の話である。

ゴブリンの方が見下した扱いをしてくれていたし、ぶち殺してやりたいと思っている。

機会をくれたことには感謝してやるさ。カーラさま。

人族を掃討して村を手に入れる絶好の機会だった。

何かを感じているのだろう。普段は集らない筈の他の部族に加えて、野山を流離う野良の洞窟オークたちまでが幾人も顔を見せていた。

野山の洞窟に寝起きし、人やホビットの町や村で残飯や塵を漁り、つまらないものを売りつけては小銭を稼いで、時々、人間の造るエールやパンと交換してもらう。

村人たちの露骨な蔑みの眼差しには心中に怒りを覚えながらも、諦念の入り混じった歪で鬱屈した野良オークたちの心は、こんな日を待ち受けていたのかも知れない。

乞食や盗みで糧を得る、卑屈な日々にはもううんざりしていたのだ。



 グ・ルムの下に結集したのは、棍棒や青銅のナイフを手にした洞窟オークの成人が七、八十人ほどである。洞窟オークとしてはちょっとした軍勢だった。

丘陵オーク部族の首長たちの元にはせ参じれば、確かに喜ばれるに違いない。

そして二言、三言、お褒めの言葉を頂戴したら、先鋒に立たされる。

そんなのは御免だった。それよりも……

ひょろ長い腕を擦りあわせて、不安を押し殺そうと拳を握り締めた。


 村を手に入れたら、如何する?

畑仕事をする者もいるだろう。家畜の世話をすると言っていた者もいた。

羊を飼うんだ。羊毛を刈って金持ちになるのだと。織物を町に売りに行こう。人並みの生活を手に入れるのさ。

沢山、働く。女たちは子供を産み、育てる。もう餓えない。沢山の子供だ。豊かになれば、行商人だって来るようになる。

そしたら、今まで馬鹿にしてきた連中とは取引しない。頭を下げてくる奴とだけ、取引してやろう。

トリスの女子供だけは生かして置いてやってもいいな。

血が混じれば、人族の町や村にも行けるようになるかも知れない。

鉄の武具を買えば、ゴブリンたちにだってでかい面はさせない。

 鬱屈していた日々を送っていた分、洞窟オークたちの夢は何処までも飛んでいく。

日頃の慎重さも失せて、グ・ルムも浮き立つ心でそんな想像に浸っていたが直ぐに埒もないと妄想を振り捨てた。

酋長には考えることがある。問題は村を手に入れた後だ。人族の村一つ奪ったのだ。

こんな時だから放置してくれると思うが、豪族が怒り狂って攻めてくるかもしれない。

巨大で力の強い人族が青銅や鉄の武具を振るって襲ってきたら、俺たちは一溜まりもない。

震える手を抑えた。決断した以上、もう後戻りはできない。


 兎に角、今は村を手に入れる。それからカーラとか云う奴に会いに行く。

ご機嫌取りに、数人の戦士を連れて行くのも悪くない。全員は駄目だ。

勝てるようだったら、兵士を減らさない程度に協力しよう。

もし、カーラの勝ち目が薄いようだったら、人族の豪族たちに何とか連絡を取ってみよう。

庇護を貰えそうだったら、協力してカーラと戦ってもいい。

いや、先を考えすぎだ。今は村を落とすことだ。

どちらの連中に肩入れするかどうか決めるのも、全てはそれからだ。



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