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土豪 16

 天高く白い雲が流れている。

昨日とは打って変わっての突き抜けるような青空が彼方まで広がっていた。

 朝の澄んだ空気が漂う辺境の街道を二人の娘は散策していた。二人の足元には背の低い青々とした草花が、此の季節でも疎らに生い茂っている。

 ガマの穂やオトギリソウなど、薬草に使える草花の多くは春から夏、秋に掛けて咲くもので、此の季節には入手を期待できない。

冬には中々、良い薬草は見つからないが、辺土に生えるナズナやタンポポ、アブラナの一種などは、一年を通して道端に見かけられた。


 街道を歩いているエルフ娘は、それらの薬草を見つけては立ち止まって、丁寧に摘んで腰の袋へと仕舞いこんでいくのだった。

「それが君の生業か?」

傍らで草笛を吹きながら歩いていた女剣士が、立ち止まって問いかけてみた。

「それもある。町とかで薬師に売ると、割合いいお金になるんだ」

半エルフにとっては大切な収入源の一つらしい。

「君自身も薬師だろう?

君くらいの腕がある薬師ならば、何処でも食べていけるのではないか?」

黒髪の女剣士が、少し意外に思って翠髪のエルフに訊ねかける。


 見つけた冬タンポポを嬉しそうに布に包み込んでいるエルフ娘だったが、その質問で急に憂鬱そうに表情を曇らせると溜息を洩らした。

「世の中、そう上手くはいかないよ。薬師の仕事だけでは食べてはいけないんだ」

金についての問題が心中をよぎったのか。

翳りのある表情で口にするエルフの横顔を見ながら、女剣士は疑問をぶつけてみた。

「……腕のいい薬師なら大きな町に定住すれば喰うに困らないだろう?」


 実際に女剣士自身が、己の肉体でエルフの医師としての腕を確かめている。

傷がまるで化膿していない上、縫われた箇所の治りは異様に早い。数箇所も切り刻まれたのに、経過は順調そのもので恐いほどだった。

鎮痛や解熱についての薬草の知識も豊富で、出来るなら故郷へと連れ帰りたいくらいの腕をしていた。

エリスが己の価値を理解しているのか否かは分からないが、見る目のある者にとっては貴重な技と知識を持つ術者の筈だった。

「……エルフと言っても若い女の薬師だよ?君なら信用する?」

 やや不可解に思ったが、考えてみれば年配の医師と若い女を並べれば、女剣士とて何となく前者を信用するだろうと思い直した。女剣士自身も、外科手術は力ある男の医師の仕事だとも何となく思い込んでいた節がある。薬草師はその殆どが女性ではあるものの、大半は年老いた老婆の印象であるし、若い女が凄腕の薬師といわれても違和感を覚えるに違いない。

「では、普段は何をして生活の糧としているのだ?」

話してくれるか否かは分からなかったが、友人の事がもっと知りたくなったので女剣士は何気なく聞いてみた。

「例年なら、冬の今頃は南方にある顔見知りの農園とかで過ごしていたんだけどね」

半エルフの娘は、愚痴る口調で今の時期に辺土を彷徨っている事情をぽつぽつと話し始めた。


 農園や果樹園などで初夏から秋口まで働いた自由労働者が、見返りとして冬越えの面倒を見てもらう契約を結ぶのは、よくある話である。大抵の自由労働者がそうであるように、エルフ娘もまた、南方と辺土の境にある農場で春から秋まで働いていたそうだ。

 勿論、過ごす場所はよく吟味して選んでいたし、実際、農園主である老人の人柄もあって、農園の使用人には良い人間が多く、穏やかな雰囲気に包まれて過ごしやすかったらしい。

其れが一転、事情が変わったのは、農園主の老人が急な病に倒れたからである。

エルフ娘も人を見る目は在る心算であったが、流行り病の流行までは見通せなかった。

町や村、農園などが疎らに点在し、人口密度の薄い辺土と違って、南方では一旦、流行り病が起きると大流行に至ることがあった。

 余り大した病気ではなかったが、体力の衰えた老人には酷であったらしい。

エルフ娘の看病も虚しく老人は儚くなり、変わって農園の跡を継いだのは町からやってきた老人の息子である。

此れが老人とは似ても似つかない駄目男であったそうで、大変に女癖が悪く、農園の女に次々と手を出した挙句にエルフ娘も無理矢理に愛人にさせられそうになった。

身の危険を感じて働いた給金も貰わずに逃げ出す破目に陥るとは思ってもいなかったと締めくくった。

「……荷物も幾らかは置いて来ざるを得なかったんだよ。服とか、服とかさ……ああ、もうっ!」

嫌そうな顔に身振り手振りで説明していたエルフ娘が、悔しそうにぶんぶんと拳を振っている。

「冬になると野山に食べ物も無くなるし、なので町に行けば……ほら、冬でも仕事があるからね。

ここら辺で一番、大きな町だとティレーだから。ローナでも良かったんだけど」


 幼い頃より厳しい訓練を受けながら、成人してよりは十を越える戦に参加して若年にして古参兵となっている女剣士だが、一方で額に汗して働いた経験は少なかった。

「……なるほど。美人は大変だな」

好奇と同情が相半ばする心境で黒髪の女剣士が呟くと、しかし、翠髪のエルフは首を横に振った。

「ううん。今になってみれば、良かった気もする」

言ってふいっと彼方の丘陵へと視線を逸らした美貌のエルフ娘に、女剣士は首を傾げる。

「……何故だ?」

訊ねられれば、応えなければなるまい。

「結果としてみればね、アリアさんと出会えましたから!」

勢いで宣言してから照れたのだろう。エルフ娘の頬が見る見る桜色に染まった。

照れているエルフ娘に見つめられ、数瞬遅れて女剣士も頬を紅潮させながら柔らかく微笑んだ。

「……そうですか。嬉しい。うん、嬉しいよ」

「そ……それに手持ちも増えたからね。働かないでもいけそうだよ」

袋の上から盗賊からの戦利品の財布を叩いて、半エルフは女剣士に微笑みかけた。

まだ頬は幾らか赤いのを互いに確認して、少し胸が暖かくなりながらも照れくさい。

「冬の仕事はきついから、出来るならやりたくなかったんだ」

エルフの話では、冬の仕事で躰を壊してしまう自由労働者などは存外に多いと言う。

「此れだけあれば、雑穀粥くらいなら食べていける。

 適当な廃屋に潜り込めば、何とか暮らしていけるし」


 先に貧民や放浪者が巣食っている事も多いとエルフは愚痴るのだが、女剣士には想像の付かない世界であった。

「名目上の持ち主は別に居るのに、争うのか。

 ふむ。要するに王国内での豪族の縄張り争いのようなものだな」

己の知らなかった民草の暮らし、それも下層の庶民や放浪者の生活についてエルフが語る薀蓄の内容は興味深いもので、女剣士は興味津々な態度を見せてながら真剣な顔つきで一々、頷いていた。

耳を傾けているうち、幾つか抱いた疑問をぶつけてみるが、

エルフ娘は嫌な顔もせずに説明してくれるので、女剣士はいよいよ感心する。

それなりの識見と穏やかな人格を有する上に気が合うなど、此れは得がたい友かも知れない。


 一方で、会話を通じてエルフの方も女剣士の内面を推察していた。女剣士にとって豊かな生活は、当然過ぎて当たり前のものらしい。彼女が雑穀粥を啜る時があるとしても、其れは戦争を遂行する上での不便の為であって、貧しさに強いられたからではない。

 恐らく女剣士にとっては、貧困は恐怖や嫌悪の象徴ではなく、好奇心の対象であるのだ。ここら辺は完全な貴種である女剣士と、貧しい放浪の旅エルフとの価値観の違いなのだろう。

女剣士の母方エイオン一族は、青銅器時代の高名な英雄テュルフィング以来、五百年続いている由緒正しい家系だそうだ。

 何処まで本当か眉唾だと女剣士は笑っていたが、話半分としても相当なものではある。かといって、王侯ほどに庶民の事情や暮らしから浮世離れしている訳でもない。

正真の高貴な出であるが、多くの成り上がりなどとは違って己の富裕を鼻に掛けたり、他者を居丈高に見下したりする点がないので、エルフ娘は逆に結構、語らい易かった。

 エルフの説明が要点を抑えて分かり易いのも合ったが、女剣士もそれなりに頭の回転が速く、放浪生活について抱いていた疑念に対しての説明を直ぐに呑み込んだ。エルフ娘もまた、女剣士の素性や生活について知りたいと思っていた。

普段から疑問に思っていた貴族や豪族の生活についてや徴税の仕組みなどに対しても質問は飛び、互いの視野や視点に刺激を受けつつ新たな知識も得られたので、二人にとっては中々に実りある時間となった。


 ゴートの川辺にある名もない小村落に辿り着くと、二人の娘は渡し場の小屋に住む鶏がらのように痩せた老婆に、幾度目かの同じ問いかけをした。

「……艀はまだ直らんのかね?」


 オークの襲撃で傷ついた艀は、今も対岸で大工によって修理されているとのことだが、一体、何時になったら交通が再開するのかが分からない。

苛立たしげに髪をかき上げている黒髪の娘を落ち窪んだ目で見上げると、痩せた老婆はもごもごと口を動かして質問に応える。

「そんにゃあ、言われてもわからんにゃねよ。

 痛んでる縄を交換ちするいうてたからね。もうちっと掛かると思うよ」

訛り混じりの言葉で告げた老婆の方もいい加減にうんざりしたような顔をしているのは、きっと他の旅人たちからも同じ質問なり苦情なりを幾度も受けたからに違いない。


 小屋の周囲に視線を走らせれば、途方に暮れた様子の旅人たちが頭を寄せ合って相談している姿などが、ちらほらと見かけられた。艀の渡し場の直ぐ傍では、流れの職工らしきドウォーフの老人が、パイプを揺らしながら傭兵らしい男女の二人組と暇そうにカードで遊んでいた。

オーク族との小競り合いの噂を耳にして、他の街道へと廻った者もいるだろうから、常時よりは旅人の数は減っている筈であるが、それでも慣れや時間的余裕などの理由から、迂回しない旅人も少なくないのだろう。

 村道や旅人の小屋では、旅装の巡礼や行商人、傭兵などが所在無げに村に屯している姿が見掛けられた。艀が壊れた為に足止めされている旅人たちは、オークの出没もあってかどこか殺伐とした雰囲気を纏っており、村の中は、普段よりもピリピリとした雰囲気に包まれている。

小屋を後にした二人の娘は、連れだって川筋に沿った歩道を歩き始めた。



 川原に立ってみれば、ゴート川の対岸にも焚き火が焚かれており、此方を窺っている人影がちらちらと見受けられた。

巡礼や自由労働者、傭兵らしき姿が窺えたが、やはり足止めを食ってる旅人なのだろう。

 やがて業を煮やしたのだろうか。対岸をうろついていた旅人の一人が、いきなり服を脱ぎ始めた。

衣服を袋に詰めると素っ裸でいきなりざばざばと川へと入っていく。

ゴートの川幅は、どう見積もっても五十歩幅(約十五メートル)から七十歩幅くらいはあった。

此の季節は、水も冷たい。二人の娘が水浴びした頃より、ずっと気温は低下している。

ゴート河は、意外と川底も深く、水流も強く激しかった。

泳いでる途中で、早くも流されそうになっている。

「……うわ、馬鹿がいるよ」

呆気にとられたエルフが思わず呟くと、女剣士も首を傾げる。

「まさか泳いで渡る心算か。相当に水泳に自信が在るのか?」

旅人は踏ん張りながら渡っていたが、中央くらいで水流の強さに進めなくなったのだろう。

途中の岩にしがみ付いて、身動きが取れなくなってしまう。

頑張っているが、やがて無情にも男の荷物が流された。

川の両岸で爆笑が巻き起こった。

村人か誰かが縄を持ってきた。先に石を結んで分銅とし、振り回して投げつける。

 何度か試して、ようやく男のところまで届いた。

男が縄を掴むと、投げた男とその周囲にいる数人が引っ張り始めた。

何度か流されかけながらついに渡りきった時、男の唇は完全に紫色になっていた。

手荷物を失い、濡れ鼠になりながら真冬の川を渡りきった素っ裸の男に対して、群集は惜しみなく喝采を送るが、後に続くものは居なかった。

半裸の男が焚き火に近寄っていくが、荷物を失って此れから如何するのだろうか。

「面白いものを見れた。世の中には突拍子もない奴がいるものだな」

充分に突発的な見世物を楽しんだのだろう。

女剣士が笑いすぎて目の端に浮かんだ涙を拭いていると、エルフが肩を竦めて声を掛けた。

「さて、もう旅籠に戻ろうよ」


 帰りの道の最中、村外れの小屋では腰を降ろした旅人が五人見かけられた。

寛ぎながら情報を交換し合っているので、少しだけ足を止めて小屋に入ってみた。

値踏みする視線を向けてきたが友好的な笑顔を浮かべると、美しい女性の二人組である。

直ぐに旅人たちに受け入れられたので、それとなく水を向けて会話に混じってみる。

「……昨日も、オークと兵士たちがやり合ったそうだ」

「双方が六、七人死傷して……何時になったら収まるのか」

「南の方の道に行ってみるか?」

「だけど、橋の通行料は高いだろ。艀の方が……」

挨拶してから二人は小屋を後にすると、仕入れた噂を吟味しつつ再び道を歩き始めた。


「気になった話はあるかね?」

女剣士が声を掛けて来たので、エルフ娘は唇を舐めてから頷いた。

「オークとの小競り合いが増えているのとか、あとは兵士たちに通行料を取られたとか」

「村から出る道は一つではないけど、そのうち私たちも会うかもな」

兵士が小遣い稼ぎに、通り掛った旅人や農夫から通行料を徴集する。

それ自体は、取り立てて珍しい話ではない。

「小銭で済むのなら払ってもいいとも思っているが……」

女剣士の窺うような視線にエルフ娘も嫌そうにその見方を首肯する。

「もっと大切なものを要求されないとも限らないね」

浮かない口調で呟いてから空を見上げる。

「……ゴート東岸も、随分と治安が悪くなってきたものだ。

 傷が治るまでと思っていたが、艀が直ったら早めに川向こうに渡った方がいいかも知れんな」

前髪をかき上げながら女剣士が押し殺した声で呟くと、半エルフも同意して頷いた。

 戦時下の兵士というのは気が立っているものだ。女の二人連れ、それも旅人の立場で出会いたい相手ではない。

風が吹いて埃っぽい田舎道から赤い塵を巻き上げる。丘陵が連なる彼方に向かって二人の娘は街道を歩いていった。


「力を貸しなよ。ガーズ・ロー」

黒オークのガーズ・ローは、目の前に座っているオークに胡乱な視線を向けた。

 灰色の肌をした屈強な身体には、戦傷が目立つ。

上背は同じ程度だが、体重はガーズ・ローよりも幾らか大きいだろう。

贅肉ではない。筋肉だ。太い腕には血管が浮かんでいる。

「……取引は済んだはずだぞ」

黒オークの声は重々しく、濫りに言い返すことを躊躇わせる力が在った。

「俺たちタータズム族と丘陵の部族が合力してモアレ村を落とす。

 戦利品はそちらのもの、俺たちは村を得る。

 それで話はついたはずだ」

 北方から流れてきたタータズム族と丘陵のオーク部族が協力し、人族からモアレ村を奪ったのは半月ほど前に遡っての出来事だった。

北方で人族との勢力争いに敗れて放浪していたタータズム族は、安住の地を得る。

年来の不作に餓え、不満も溜まっていた丘陵のオーク部族は、奴隷と家畜、そして戦利品を獲得する。

タータズム族に安住の地を与えるべく、ガーズ・ローも丘陵部族に話を持ちかけ、後には折衝に駆け回った一人だった。

 今、黒オークが住んでいるのも、修繕が住んだばかりの村の家の一軒である。

いい村だ。それだけに与えたのが惜しくなったと考えてもおかしくないと警戒していた。

「ああ、違うんだよ。誤解させたね」

笑うと意外と愛嬌のある顔立ちで、目の前の灰色肌のオークは言葉を続けた。

丘陵地帯でも有力なオーク部族の長の三人の子供の一人。

言ってみれば『王女』さまだろうか。

「あたしが欲しいのは、あんたなんだよ。名高い傭兵のガーズさね。

 勿論、タータズム族の協力だって、出来るなら欲しいけどね。

 そっちはそっちは族長に掛け合ってみるさ」

言いながら手をひらひらと振って、喰えそうにない愛想笑いを浮かべながら小さい目で黒オークの反応を窺う。

「あんたのことは何度か耳にした。

 しぶとい戦い方をするいい戦士だって、グルゴスが褒めていたよ。

 頭も切れて色々と頼りになる男だってね」

「……そいつは光栄だ」

己の感情を悟らせないように、黒オークは用心深い声で無表情に返答した。


 黒オークは、かつて北のオーク族の勇士グルゴスの友人であり、腹心の部下でも在った。

北方で高名なフェルメアの騎士団を罠に掛けて殲滅した逸話から、グルゴスは騎士殺しの二つ名で若いオーク族には憧れと共に、人族の間には憎悪を持って知られている。

しかし、かつての友の名を耳にしても、黒オークの胸中に蘇るのは懐かしさではなく苦い思いだけだった。

 騎士団をせん滅する作戦に、黒オーク自身は最後まで反対していた。

手柄に執着するグルゴスに懇願され、仕方なしに渓谷に誘い込んで追い詰める策を提案したものの、窮鼠と化した騎士団との血みどろの戦いでは昔からの仲間の過半が死んでいる。

名声を得る為の代償として、グルゴスは鍛え抜いた子飼いの戦士の半数を失っているのだ。グルゴスの身内の大半や黒オークの弟も、その戦いで戦死している。

 新たな名声を得たグルゴスの元には、各地からオークの戦士が集まってきたが、黒オークは友人のやり方には付いていけなくなって袂を分かち、以来会ってはいない。


 それからは、タータズム族の族長であるラ・ペ・ズールに拾われるまで、雇い兵として黒オークは様々な土地を渡り歩いていた。

時に人族やホビット、エルフなど他種族の領主の旗の下で戦ったこともあれば、前歴や出自を問わない傭兵部隊に入った時期もあった。

戦った相手も人族やホビット、ゴブリン、ドウォーフ、そしてオークと様々であった。

胸糞の悪い扱いを受けたこともあれば、種族や宗教を越えて友情を育んだ相手もいた。


「あんたとグルゴスとの間に、昔、何があったかは聞いてる」

丘陵部族のオークの言葉で、ガーズ・ローの顔に険しい表情が浮かんだ。

「詮索されるのは好かんな。それに他人にとっては如何でもいい事だろう」

「そうだね。悪かった。あたしも他人の事情に深入りする心算はないよ」

 掌で顔を叩いて、気さくそうな態度で謝罪する丘陵部族のオーク。

ぶすっとして答えながらも、黒オークは目の前の女に少しだけ興味を持った。

グルゴスがそう易々と言いふらす男とは思わなかった。

或いは此の女にグルゴスに口を開かせるだけの何かがあるということだろうか。


「ただね。人族共から平地を取り戻すには、一人でも腕の立つ戦士がいるんだ。

 腕が立って、信頼できて、出来るなら頭も切れるなら云う事はない。

 最初はグルゴスに頼みにいったんだけどね。断られたよ。だけど、其処であんたの名前が出たのさ」

 オークの王女が前に身を乗り出すと、木の椅子がみしみしと軋んだ。

黒オークが村長の家で見つけた椅子だった。

壊れないだろうな。戦利品の中では一番、気に入っていたんだがと心配になる。


「人族から平地を取り戻すか」

 黒オークが呟いた。辺境では、古くから複数の種族がモザイクのように割拠していたと黒オークは聞いていた。どちらが先に辺土の住人になったのか。

人族は当然に辺境を自分たちの土地だと思っており、オークは人を駆逐して取り戻そうと考えている。


「言うは易しだ。だが、人族の方がずっと多いぞ?」

人物を計る意味も含めて、黒オークは馬鹿にするように鼻を鳴らして目の前の女オークの反応を窺ってみた。

「大した戦力ではないが、森小人やホビット共とて、やつらに組するだろう。到底、勝ち目があるとも思えんな」

嘲るような黒オークの言葉に、灰色オークは歯を食い縛りながら渋々と頷いた。

己を偉そうに見せる為の虚栄心や、盲目的な敵愾心で大言壮語しているわけではなく、ある程度、現実を踏まえてはいるらしい。


 住み易い土地を占めているのだから、人族が数の優位に立つのは当たり前だった。

小規模な襲撃を繰り返しているようだが、それだけで勝てる筈もない。やがては人族の備えも厳重になり、じきに反撃が来る筈だ。

オーク族の領域へ帰還する際に便利な場所を占めているとはいえ、いい加減に襲撃帰りの兵がモアレ村に逃げ込んでくるのも止めてもらいたいものだ。人族とて勘働きの鋭い者は幾人もいよう。

村の防備が固まる前に、オークの手に落ちたと人族に悟られないとも限らないと、黒オークは懸念していた。


「あいつらはモアレがこっちの手に落ちているとは知らないね。それがこっちの強みさ。

 今、丘陵の他の部族や近隣の穴オーク、森の連中にも使いを出してる」

黒オークが沈黙を守っていると、丘陵の王女は言葉を続ける。

「ならず者や悪党の洞窟ゴブリンたちなんかにもね。

 春を待って大きな戦力を集結させてたら、南下して一気に叩くんだよ」

言いながら、灰色オークは懐から丸めた羊皮紙を取り出した。

「地図もね。作ってるのさ。

 今行っている襲撃には、連中の兵力や備えを調べる狙いもあるんだよ」

どうやら、この王女様は考え無しという訳でも無いようだ。

黒オークは、ほんの少しだけ丘陵部族の王女に対する評価を上方修正する。

「ほう、見ていいか?」

「ああ、あんたに見て貰うために持ってきたんだ」

手書きの地図を手渡しで受け取り、黒オークは鋭い視線を走らせた。

もとより正確な測量の技術など存在もしなければ、必要もされていない世界だ。

地図は大まかな位置関係と意味が分かれば、それでよい。


 世には地図の読み方すらも分からない人間もいれば、東西南北すらない地図もある。

皮紙製の地図は悪い出来ではなかった。黒オークも地図の読み方を知っている。

顔の在る太陽が描かれているのが、陽が昇る方角。すなわち東であった。

川や丘、目立つ大岩や大木なども目印として描かれている。

大体の地形と主な村の位置、村の横に記された棒の数は、人族の戦士の数だろうか。

「此れ一本で大体十人だよ」

灰色の肌をした逞しい女オークの注釈に頷きながら、黒オークは机に広げた地図を読み解いていった。

「こっから、大軍でこう攻めてね」

丘陵オークが地図上を太い指でなぞっていくと、モアレの真っ直ぐ南の幾つかの村を指差した。

「街道の辺りを占領したら、段々と領土を広げていくんだ」

ずっと暖めていた策らしい。

地図を目にしているうちに、黒オークは久方ぶりに胸の奥で血が騒ぐのを感じていた。

「どうだい?あたしの作戦は」

伏せていた顔を上げると得意げに豊満な胸を張った灰色オークに、黒オークは頷きかけた。

「悪くない」

満足げに頷いている丘陵の王女に、しかし、黒オークは地図の一点を指差した。

「だが、もしやるなら、でかい村を一番最初に叩くべきだな」

「何故だい?」

丘陵地帯の王女さまが首を捻った際に、首筋にも巨大な傷があるのが見えた。

白兵戦で受けたものだろう。戦では先陣を切る性格なのか。

「油断しているのを叩けるのは、二、三度だけだ。

 もっと云えば、確実なのは最初の一度だけだな」

なお不信そうな灰色の女オークに、黒オークは説明を続けた。

「頭が取られれば、誰だって混乱するだろう?

 人族を一致団結させないように、軸になりそうな奴を叩くんだ」

腑に落ちたのか、王女が頷いた。

「その後、連中の混乱が収まらないうちに、出来るだけ一気に領土を広げるんだ。

 此処まで領土を広げれば……」

黒オークが地図の上に指で輪を描くと、王女は目を丸くして首を横に振った。

「無理だよ。大軍って言っても、精々五百かそこらだ。そんな兵力はない」

「村を全部攻めたり、焼く必要はない」

黒オークは指摘にも揺るがずに、自論を披瀝し続ける。

「重要なところだけを充分な戦力で占領してしまうんだ。

 奇襲は最初しか効果がないからな」

頭の中で言葉を噛み砕いているのだろう。表情を歪めながら王女が頷いている。

「で、此のクイス、フォーナ、パリトー。三つのでかい村を占領して

 見ろ。一帯の東は川。南は森、西は丘陵だ。

 外から軍がやってきても少数で防げる。

 で、後は環の中に閉じ込めた村を料理すれば……」


 地図の上で指を動かしていた黒オークが言葉を切ると、

発想の転換を強いられたオークの王女は険しい表情で暫し唸り続けた。

「凄い!」

やがて部屋を震わせるほどの大音声で叫んだ女オークが目を輝かせた。

「いい!あんた最高だよ!ガーズ・ロー!大した軍師だね!

 ああ、やっぱあたしは間違っちゃいなかった!あんたに頼みに来て正解だったよ!」

王女は興奮した様子で黒オークに抱きついて、その頬に接吻してくる。

「おいおい。あくまで全部が上手くいけばの話だ。

 此れから村々の守りを調べねばならん。それに……」

呆れて諭すも、丘陵の王女さまは聞いてない様子である。

「こうしちゃ居られないね。みんなに紹介するからさ。来ておくれよ」

手を掴むと玄関へと引っ張っていこうとするのを、黒オークは強い口調で遮った。

「カーラ。俺はまだ力を貸すと決めた訳じゃない」

呆気にとられた様子でオークが目を瞬いている王女に、黒オークは頭を振った。

「なんでだい?つれないね。ここまで来て」

「前の族長には恩義がある。俺は村と氏族を守らなければならん」

やがて丘陵の王女は肩を大きく竦めてから息を吐くと、人懐っこい笑顔を向ける。

喰えない笑みだと思いながらも、黒オークは苦笑して頷いた。

「地図は残していくよ。ガーズ・ロー。力になってくれると信じているからね」

それだけ言い残すと、大きな背中を揺らしながら扉から悠々と出て行った。

真剣な表情を浮かべたまま、残された黒オークは何時までも食い入るように手元の地図に見入っていた。



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