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土豪 12

 旅籠『竜の誉れ』亭の裏手には、雨水を溜める古い水桶が設置してある。

あまり清潔ではない水なら、隣接する丘陵の頂にある井戸まで歩く必要もなく、そこで手に入るのだ。

裏庭にある水桶で顔を洗ってから、女剣士は愛剣にへばり付いた血糊をある程度、洗い流した。

 手桶に水を汲んで部屋に持ち帰る為に旅籠に入ると、彼女を見止めた客たちの会話が途切れて、食堂が水を打ったように静まり返った。

みすぼらしい服装を着た下層の連中、見るからに性質の悪そうな乞食や放浪者たちすらも、強張った顔で目を背けるのが女剣士には滑稽であり、またほろ苦くも思えた。

私を人食いの怪物とでも思ってるのか?まるで腫れ物に触るような扱いだな。

誰も彼もが女剣士と視線が合うのを恐れているかのようにあらぬほうを向いている。

 途中ですれ違った中年の男。装束からして放浪の剣士だろうが、好奇と畏怖の入り混じった視線を投げかけてきたものの、東国人の女剣士は何一つ気に止める様子もなく廊下を進んで個室に戻った。

壁に組み込まれた暖炉ではまだ火が揺れていたが、広い部屋の中は一人だけだと妙に寒々と感じられる。

 返り血のついた衣服をもそもそと脱ぐと、予備の服を着込むでもなく、上着と下帯のはしたない格好のままで小さな桶で血のついた衣服を洗い始める。

旅籠の召使に心づけを与えて任せてもよかったのだが、着ていた服は気に入っていたし、旅の最中では替えの服も少ない。自分でやる方が手っ取り早い。

洗濯を終えると、今更になって何処に干そうかと迷い、濡れた服を片手に落ち着かない熊のように部屋の中をうろうろ歩き回った。

 結局、両面の壁についてる松明用の環に縄を通して洗濯物を干すと、そのまま寝台に力なく座り込んだ。下着姿で寝台に腰掛けたまま、床板へと滴り落ちる水滴を視線で追い続ける。


 やがて瞼を閉じると、降りてきた闇の彼方にエルフの面影と恐怖の入り混じった瞳を思い起こした。

食い詰めた農民といえど、数が十余人ともなれば女剣士でも必ずしも勝てるとは限らない相手である。

一つ間違えば、袋叩きにあって殺されたかもしれない。

切り込む時には、死を覚悟した。

やるか、やられるかの場面で相手のことを考える余裕など無かったのだ。


 にも拘らず、文字通りに命掛けで守った相手から恐怖の眼差しを向けられてしまっては割に合わぬ。

少なからぬ好意を抱いている相手でもある。流石に女剣士もへこんでいた。

悄然と肩を落としたまま、シレディア人の女剣士は足をぶらぶらと宙に遊ばせた。

他人の目の在る場所ではけして見せないが、一人きりでは子供っぽい動作をする癖があった。

誤解を受けても仕方ない振る舞いであることは分かってる。

分かっているが、変えようとは考えない自分には救いが無いのであろうか?

頑迷固陋で不器用な己の有り様を、稀には呪わしく思う時もあった。


 一つ嘆息してから頭を切り替えると、次に手に掛けた難民たちを思い返す。

彼女は別に鏖殺を後悔はしていない。後悔など微塵も無い。

百度同じ状況に遭遇すれば、女剣士は百度でも同じことをするだろう。

 後悔はしてないのだが、他にもっとマシな手段は無かったのかは模索するべきだろうと考えてもいる。心楽しめない戦いの後など、時間が許せば女剣士はこうして思索に耽ったりもする。

 次に似たような状況が起きた時、殺さずに済むような方法はないか。

偽善でも何でもいい。出来ることはやっておきたい。

エルフ娘への慕情も脇へやって、真剣に模索する。或いは将来、己の領地で同じような事が起きないとも限らない。だが、何も思いつかない。女剣士の智恵と知識では、都合の良い方法など降ってこない。

思いつく手はどれも此れも現実味が薄いか、即効性を欠いている。

そもそも簡単に思いつく程度の策なら、土地の豪族もやってるだろう。

いや、あの若者たちが後継者では期待薄かも知れないが。


 唇の端を皮肉な笑みに吊り上げて、叩きつけられた言葉を脳裏に蘇らせる。

「……人として欠けてる、か」

青臭い奴だと思った。馬鹿馬鹿しい言い掛かりだが、やはり気分は良くない。

豪族の若者の言い分は、彼女に子供の時分を思い出させた。

葛藤し、思索もした果てに善悪の彼岸を乗り越え、為すべき責務を為すようになった今は思い起こす事もなくなっていた。

知り合った下層民を殺した異腹の姉や家臣に、似たような言葉を吐いて食って掛かった覚えがある。

実際には、その下層民の少女は仲間に命じられてカスケードの嫡子を攫う為に近づいてきたのだが。

あの時のじいも、やるせない気持ちだったに違いないな。帰ったら謝っておこう。

あの女には……あいつはいいや。謝る必要ない。

誰でも一度は見かけの優しさに目が眩まされるのだろう。

多分、麻疹のようなものだ。


 辺境でのオークの襲撃とその要因。数年来の辺境の不作が根底にあることは間違いなかろう。

飢えは侵攻の理由としては十分に過ぎるが、オーク達が最終的にどの程度の目的を目指しているのかが気になる。

農家や農園を略奪して、一時的に食料を補えばそれで満足なのか。

或いは、幾つかの村を恒久的に支配して勢力圏を拡大したいのか。

それによって、これからも襲撃が続くのか。

難民はさらに増加するのかも変化するだろう。

辺境の情勢に大規模な変動が起これば、その影響は東国にも波及する。

シレディアとて無関係ではいられないだろう。

 他にも旅の本来の目的を忘れるべきではないし、エルフ娘との出会いと関係。

考慮すべき複数の事柄が、女剣士の脳裏にひしめき合っている。

だが、どうすればよかったのか。どの問題も容易には答えが出そうにない。


「……爺さまの言ってた通りか。私もまだまだ甘い」

君主にとって、問題の先送りはけしていい結果をもたらさない。

その意味で、君主は逃げてはならない。けして逃げる事を許されない。

だが、同時に必ずしも迅速な解決が最良の手段という訳ではない。

物事には、相応しい時期というものがある。

解決するには、常にそれに相応しい時期を見計らう事が必要だ。

今は理解できずともいい、覚えておきなさい。


 当代のカスケード伯である祖父から言い聞かされてきた言葉の意味が漸くに女剣士にも実感できた。

一見、矛盾していたように思えていた言葉が、なるほど。煩悶する女剣士の頭の中で、かちりと合わさった。

「時が解決してくれるという事もあるのだな」

己の行動を鑑みれば、エルフ娘の件に限れば確かに性急に過ぎたかも知れない。

あんなに急ぐ必要は無かった。

近しい者が狙われるのは確かではあるが、今すぐという訳でもないのだと後悔した。

「愚かだな……くだらぬ」

手遅れの上に、振られた。いや、自分で振ったのだから救いようが無い。

今頃、農園に向かっている最中であろうか。

 ほろ苦い溜息と共に小さく吐き捨てると、未練を捨てて気持ちを切り替えようと寝台から立ち上がった時、

「……何がくだらないの?」

ややしわがれた低い女の声が、部屋の扉の方から女剣士へと掛けられた。


 入り口に手を掛けて、エルフの娘が様子を窺うように顔だけが部屋を覗き込んでいた。

「……エリス」

思わず呼び掛けた女剣士の言葉に、ピクリと尖った耳を震わせると、とととっと軽い足音を立てて小走りに歩み寄ってきた。

「呼んだ?」

寝台の横に歩み寄ってきたエルフ娘を見上げると、困惑しつつ女剣士は訊ねかける。

「何時からそこに、いや、戻って……」

「ティレーまで連れて行ってくれるのでは無かったのかな?」

「君は……冬を越える為にティレーに行くのだろう?」

俯いている半エルフの顔は、暖炉を背後に影になっていて女剣士からはよく見えない。

「冬越えなら、あの農園でも……」

曖昧に言葉を濁し、手を伸ばせば届く距離に佇んでいるエルフを眺めている。


「行き先は、自分で決めてきた。これからも自分で決める」

エルフ娘は、女剣士の隣に腰掛けてきた。

 ぶっきら棒な口調で告げると、それきり沈黙したまま床に視線を彷徨わせているエルフの綺麗な横顔をじっと見つめているうち、妙な緊張感が女剣士の胸郭を締め上げて、動悸が速くなるのを感じる。

不快ではないのに、酷く居心地が悪かった。

 颯爽としていた姿も、竹で割ったように明快な物言いも消えうせて、おずおずと躊躇いがちに見ている己の姿に気づき、女剣士は平常心を取り戻そうと呼気を整え始めた。

いなくなると勝手に決め付けて、戻ってきた相手に勝手に不意打ちされている。

初心な未通娘でも在るまいに、相手の態度に一喜一憂してどうも馬鹿馬鹿しい振る舞いを見せそうになってしまう。

何時の間に私の方が惚れていたらしい。気持ちというのは不思議なものだな。


 率直に己の気持ちを認めると、エルフの娘の言葉に耳を傾けた。

「迷惑なら……嫌だというのなら、別れるよ」

冷静に立ち戻った女剣士は、淡々として素直に告げる。

「いや……嫌ではない。凄く嬉しいぞ」

「よかった」

翠髪のエルフが微笑むを見ただけで、女剣士の胸に穏やかで暖かな熱が生じて広がった。

「……でも、どうして?」

「恋人にはなれなくても、一緒に旅は続けたいって云った」

蒼い瞳に微かに憂いを帯びながらも、エルフ娘の眼差しには強い何かが宿っていた。

咎めるような険しさでもなく恐怖に澱んだ影でもない、柔和な深い瞳を真っ直ぐに。

表情には蔭がさしていたが、それでも笑みを湛えて女剣士を見つめてくる。


 廊下の先にある食堂の方からは、楽しげなざわめきや笑い声が響いてくる。

豪族の私兵たちが騒いでいるようだ。

女剣士の凛々しい容貌に見とれながら、エルフの娘はおずおずと腕を伸ばした。

掌を重ねると、黒髪の女剣士も拒否せずにそっと握り返してくる。

微笑みながら大きい掌だと思う。エルフの娘よりもごつくて骨太く、遥かに力強い。

 東国人……特にシレディア人の戦場における凄まじさは、エルフ娘さえ耳にしていた。

曰く悪鬼羅刹の如く、曰く一人で他国の兵三人に匹敵する。

しかし知識で知っているのと、実際に見ると聞くでは大違いであった。

己とさして年齢の変わらない若い娘が、虫を潰すみたいに人を虐殺しておきながら、まるで動じていない。

女剣士から見れば、他者から物を奪おうとした時点で難民たちは女子供も含めて、既にオーク族や盗賊の手長と同類でしかないのだろう。

 それは人々の気質が穏やかな南方の森に育った若いエルフにとっては、重たい驚きであったけれど、同時に責めるのは筋違いなことも翠髪のエルフには分かっていた。

女剣士はそのように育ったのだから、共に在りたいのなら受け入れるしかない。

俯きながら、半エルフは己の桃色の唇を軽く噛んだ。

ある意味、私も勝手な人間だ。

見ず知らずの女子供の命よりも、アリアの方がずっと大事なのだから。

「……震えている。寒いのか?」

女剣士が心配そうに訊ねてくるので、煩悶していたエルフの娘は口を濁して曖昧に呟いてから

「そっちこそ、服を着たほうがいいよ」

下着姿の黒髪の娘が苦笑して頷くと、予備の服が入った荷物を取り寄せた。

荷物を漁り、予備の服を探している女剣士の背中を見ながら、エルフ娘の瞳は不安に揺れていた。

気持ちを悟られたくない。好きであると同時に、本当は幾らか恐いのだ。

アリアは、自分では気づいていないのだろうか。

難民を殺していた時の彼女の口元には、楽しげな薄い笑みが張り付いていたのを。



 冷たい木枯らしが渓谷を吹き抜けていくと、赤髭のドウォーフが羽織っている茶色のマントが、鳥の羽音に似た音を立てて風に靡いた。

 薄いマントには、幾度も補修を繰り返したのだろう。継ぎ接ぎと当て布だらけ無様なモザイク模様となっており、隅の方は擦り切れている。

そろそろ布を張って、本格的に修繕したかった。今度の仕事で金が入ったら、布を買えるだろう。

何処の布を買うか。此の辺りなら、モアレの村がいいな。あそこの布は、値段の割りに糸の質が良く強靭で仕上げがいい。

 そんなことを考えながら、腰のベルトに手斧を吊るしたドウォーフが革靴で大地を踏みしめていく。

赤い曠野を越えて小高い丘が連なる丘陵地帯に踏み込んでからは、土が黒く変わっていた。

「風が強いな。埃っぽい空気だぜ」

前を歩くウッドインプが、鼻を鳴らしながら毒づいて空を見上げた。

小柄な体躯にひょろ長い手足のウッドインプは、何とはなしに蜘蛛を思わせる。

暗緑色の目立たない衣服を纏い、腰の縄にはちゃちな作りのナイフと筒状の棒がさしてある。

普通は森の奥深くで暮らしている事が多い種族だが、中には他種族の領域に出かけていく好奇心旺盛な者も少なくない。探究心の強さなどは、ホビット族にも似ているだろう。


 遠く蒼穹の高みでは、白い雲がゆっくり流れていくのが窺える。

周囲は既にオーク族の縄張りで、奥になるほど警戒は厳しくなっていく筈である。

だからという訳ではないが、進めば進むほどに周囲の切り立った崖が次第に迫ってくるようにドウォーフには感じられた。

「大軍が素早く通れる地形じゃないな」

ぼさぼさした黒髪を掻きながら洩らしたウッドインプの言葉に、屈強なドウォーフが赤ひげを撫でながら渋い顔で同意の頷きを返した。

だから、辺りに出城なり、トンネルなりがあってもおかしくない。

雇い主の郷士親子は、そう睨んでいた。

 見つければ大手柄だが、喜ばしい報告という訳でもない。約束以上の金は出ないだろう。

みすぼらしい装束を纏った二人組の冒険者たちは、大岩の転がる渓谷を探索しながら、しっかりとした足取りで慎重に歩いていた。

オーク族の領域である丘陵地帯に侵入して、既に半刻(一時間)が経過している。

曲がりくねった渓谷は、益々、狭くなっていくように思える。

時折、立ち止まっては、二人の亜人は高い岩に昇って辺りの様子を見回したり、大地を這い回ってオークの軍勢の痕跡を探したりしている。

 時折、見かけるオーク族の歩哨や巡回の兵士をやり過ごし、或いは迂回して、二人は丘陵地帯を進んでいった。

太陽の光も切り立った崖に阻まれて届いておらず、周囲は薄暗いが元々、地底暮らしに適応したドウォーフ族も、鬱蒼とした森の深部で暮らす事の多いウッドインプも、人族よりはずっと夜目が効くので問題はなかった。


 最近は街道筋にもオーク族が頻繁に出没していた。

斥候であろうか、或いは小遣い稼ぎなのか。二人から五人程度の少人数で、道行く旅人や農夫を襲っては持ち物を巻き上げたり、家畜や女を浚っていく。

オークの出没する経路を逆に辿り、突き詰める。出来るならば、オークの出城を発見する。

それが二人の依頼された仕事であったが、探索はしかし、熟練の冒険者であるドウォーフたちにしても一筋縄ではいくものではなかった。

 渓谷は時折、他の渓谷と連結しており、或いは行き止まり、冒険者たちの行く手を阻んでいた。

あたかも迷路のような複雑な地形を見せて広がっている通路に、疲労したウッドインプが岩に座り込んで額の汗を拭った。

「よお、これは……ちょっと簡単に行き来できないんでねえの?」

愚痴るように腰に吊るした山羊の胃袋の水筒を煽ってから、ドウォーフに投げ渡した。

宙で水筒を受け取ったドウォーフも、一口だけ嚥下して返した。

中身のエール酒が、冷え切った躰を僅かに暖めてくれた。

袖口で乱暴に顎に流れた酒を拭うと、ドウォーフは顎鬚を撫でながら陰気な表情で考え込んだ。

ドウォーフが沈黙しているので、ウッドインプが言葉を続ける。

「此処を越えたらオークの領土なんだろうが、そう簡単に往来できる距離じゃないぜ」

「小競り合いの決着がつかない筈だな。下手すりゃ長引きそうな仕事だ」

ドウォーフが呟く。前金は貰った。それとは別に毎日食い物も支給されているし、鉛銭で小銭も三日ごとに貰えるが、成功報酬のほうが遥かに魅力的だった。

レムス銅貨は、海を隔てた南方の商業都市で鋳造された渡来の貨幣である。

ヴェルニア南方から辺境、東国に掛けての広大な地域で流通している。

三十レムスあれば、つつましい庶民なら半年は楽に暮らせる。それほどの価値を持つ貨幣だった。

雑穀の粥だけで暮らすなら、二年は喰える。もっとも酒も肉も口に出来ない暮らしなど、ドウォーフのグレムには死んでも御免であったが。

 どれだけの大金が懐に転がり込んで来ようが、結局は酒と博打であっという間に使い切ってしまうには違いないが、それでも放浪の冒険者二人にとって三十レムスという金額は、取りあえずは安い命を張るのに充分な報酬だった。


「兎に角、此の侭じゃ埒があかねえ」

渋い顔してのウッドインプの言葉をドウォーフも苛立たしく認めた。

「お嬢も旦那も結構、焦れていたからな。そろそろ、なんか成果ださんと首切られるぜ」

気楽なただ酒がお終いになるのは、やるせない。

岩に座っていたウッドインプが、身を乗り出して予てからの腹案を口に出してみた。

「へへ、おいらにゃいい考えがあるのよ?お嬢も納得、俺達もお得ってやつがあ」

「一応、聞くだけ聞いてやるから、云ってみろよ。ザグド」

きいきいした甲高い声で説明するのを聞いたドウォーフも感嘆して、賛成の声を上げる。

「なるほどな。そりゃいいな」

監視の目を避けながら、こそこそとオーク族の動向を探る地味で退屈な斥候仕事には飽き飽きしていたのだ。

 ウッドインプが頷くと、さらに踏み込んだ点を二、三述べた。出来れば単独行動している奴が望ましいが、間抜けなオークでもさすがに一人でうろついている馬鹿はいないだろう。

「理想は二人までだが、三人までなら何とかなる」

赤髭のドウォーフが口を開いた。ドウォーフ族らしい自信に満ちた物言いだが、あながち自信過剰でもない。赤髭のドウォーフは幾多の亜人や怪物と戦いながらも、今日まで生き残ってきた。

冒険者としての己の技量と判断には、それだけの自信と自負を抱いている。

「それじゃ、一回戻ってよ。お嬢に報告だ。街道で待ち伏せしようぜ」

吹いてくる冷たい木枯らしに軽く身震いしながら、ウッドインプが立ち上がった。



 旅籠で昼飯を済ませたクーディウス一行が再び街道の警邏に戻っていったのは、正午を一刻ほど過ぎた頃であった。クーディウスの後継者に好かれていない女剣士と、酔った兵士たちが顔を併せれば不測の事態が起こらないとも限らない。

 揉め事を避ける為、二人の娘が部屋を出たのは豪族の兵士たちが居なくなってからであり、広い食堂には客も少なく閑散としていた。

豪族の郎党たちは旅籠の亭主の好意で一杯ずつエールを振舞われたらしく、出発する時には陽気に騒いでいたが、オーク族の襲撃に脅かされている近隣の農夫たちには、騒々しさが却って力強い印象を与えていたようだ。

残っていた農民たちは、どこか明るい雰囲気を漂わせて談笑していた。


 足元に散らばる藁や食べ物の滓を蹴飛ばしながら、エルフの娘が台所に入ってみれば、焼いた腸詰も炒めた野菜も、どうやら誰かが食べてしまったようで影も形もない。

 部屋の片隅にいたゴブリンたちが、慌てて口を抑えたのは果たして何故だろうか。

兎に角、エルフ娘は台所を借りると、小さな小刀を巧みに操り、再び料理を造りはじめた。

使えそうな調味料は、岩塩と酢、オリーブ油、香草、ワイン。

旅籠の親父や農夫たちから買い取れる食材は、卵、山羊のチーズ、バター、黒パン。

一般的にワインは甘さが強く残っており、お湯で割って飲むのも楽しみ方の一つである。

首を捻ってから「スープだな。うん」


 お湯に豚の塩漬け肉を放り込んで出汁を取りながら、玉葱を切り刻んでいく。

「ブイヨンがあればいいのだけれど」

呟きながら、手際よく切り刻んだ玉葱をオリーブ油で炒め続けて、黄金色になったら出汁を取っていたお湯を足し、炒めた人参とキャベツを入れた。

少しでも食べ易くなるように、買った黒パンを吊るして湯気を当てながら、腸詰を焼き、人参、キャベツをオリーブ油で炒める。

切り刻んだ香草の葉を散らし、腸詰には炙ったチーズを乗せた。

少し掬い取って味見をしてから、慎重に塩とワインを適量だけ入れ、炙った山羊のチーズ、豚の腸詰と塩漬け肉を適当に具として追加する。

ちなみに、スープの具で食べる腸詰とチーズと、皿に乗せるチーズと腸詰は取り分けてある。

後は、卵で目玉焼きを作りながら、黒パンとチーズ、腸詰を皿に乗せて出来上がりである。


 その間、女剣士は何を手伝うでもなく、食堂の隅の席で湯で割って暖めたワインを楽しみながら、料理の出来るのを待っていた。

エルフ娘の料理する手元を、時折、旅籠の親父がかなり真剣な顔つきで覗き込んでいたのが、女剣士にはまた意外であった。

親父は、その度に手元の羊皮紙になにやら書き込んでいるが、どうやら料理のレシピを模倣しているようだと当たりをつけた。

真似られるのが嫌なら、エルフ娘も断るだろうから承諾済みなのだろう。


「外見に合わず、なんとも……」

思わぬ親父の勉強熱心に口元に小さく笑みを浮かべてると、次に鋭い視線を走らせて、食堂の反対側の席でやはりエールを啜っている外套姿の女を密かに注視した。

 先刻、囲まれた際に観察した折では、田舎豪族の私兵には目立った使い手はいなかった。

武器からしても、練度からしても、オークの雑兵たちとほぼ互角程度の腕前だろう。

まあ、あの人数で行動しているなら、オークにも容易く負けはすまい。

 女剣士なら同時に二、三人を相手にしても負けない自信があるが、あの娘だけはどうも気になった。

歴戦の戦士の鋭敏な感覚が、外套を纏った娘の周囲に漂う濃密な血の匂いを嗅ぎ取っていた。

両手両足の指の数で足りない程度には、他者の命を奪う経験を積んでいるに違いない。

その証に、他の連中とは瞳の色がまるで違う。

霧の掛かったように感情を見せない、透明な膜が覆っている殺人者の瞳。

会話をしながらも、瞳だけは全く揺れずに冷静に此方を観察していた。

あの瞳。歴戦の傭兵か、本物の騎士。或いは卓越した斥候などの持つそれのようだ。

技量云々はおいておくにしても、ああした目を持つ戦士は得てしてかなり粘り強い。

さて……敵に廻せば、厄介なことだが。

 暗緑色の装束を纏ったウッドインプが、旅籠の入り口に姿を見せた。長い金髪を編みこんで背中に揺らしている外套の女が顔を上げると、ウッドインプが駆け寄ると、二人は顔を寄せ合い、何やら熱心に話し始めた。


 ベーリオウルと言っていたな。

密かに金髪の娘を観察している女剣士には、その名に聞き覚えがあった。

東国や辺境、南王国の地域に掛けて綺羅星の如く散らばる勇士豪傑のうちでも、特に名だたる数名や一族と何らかの因縁のある者たちについては、女剣士も名前くらいは記憶している。

ベーリオウルは、その一人だった。


 あのベーリオウルの娘なら、うら若い娘が戦いの技をよく仕込まれていても不思議ではない。

木製の杯を卓上に置くと、女剣士は荒涼とした冬の光景が広がる窓の外を眺めた。

本格的な冬が訪れ始めたヴェルニアの街道を、木枯らしが吹き抜けていく。

本来であれば、当にティレーについている予定であったのだが、遅れている代わりに色々と面白い体験をしている。


 エルフの娘が台所から出てきたのを視界の隅で確認すると、女剣士は思索を打ち切って笑顔を向けた。何時の間にやら、酒場の片隅にいた外套を羽織った女が消えていた。

食堂の隅の席で、頬肘を付きながらちびちびワインを啜っている女剣士のところに、湯気の立っている卵焼きと黒パン、チーズ、腸詰。そして野菜スープが運ばれてくる。

「チーズと玉葱があったし、腸詰も混ぜて簡単なオムレツにしても良かったのだけど」

「では、夜はオムレツが食べたいな」

ついでに先ほどの親父の謎めいた行動を聞いてみると、やはり羊皮紙には、文字が書けないなりのレシピ。

玉葱やキャベツらしい下手糞な絵が細々と書き込まれているらしい。

いずれは、旅籠の料理にレパートリーが増えるかも知れない。

女剣士が考えているうちに卓の上に料理を乗せると、エルフの娘は手を合わせてエルフ語で貰った命への感謝の祈りを捧げ始める。

幾らかマシになったとは言え、傷ついた喉の影響で未だに低いしわがれた声しか出せないエルフ娘だが、ハスキーな音楽的な声音での歌うような祈りはそれでも聞く者の気持ちを穏やかにさせる美しい旋律を伴っており、室内に解けゆく詩は女剣士の耳にも心地よく響いた。



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