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土豪 09

 人は日々、物を食べる。一日二食とみても年に730食。

穀類に換算すれば、最低でも年に30貫(一貫目は約3.7kg、凡そ100kg)にもなるだろうか。

 昨年、一昨年、一昨々年と、辺境では三年来の不作が続いていた。

今年は、オークの襲撃で冬の種蒔きすら出来なかった所もある。

飢饉に至るほどの凶作ではないが、市や町では麦や雑穀はかなり値上がりし、街道には賊徒が跳梁するようになっていた。

 オーク族による襲撃はあまりにも迅速で激しいもので、村人たちは乏しい備蓄すら持ち出すことが叶わなかった。

来年の収穫も当てにできず、人々には他人に縋るか、奪うかしか手は残されていない。

だが、辺境の村々には余裕がない。

精々が親戚や親しい顔見知りを二人、三人受け入れるのがやっとであった。



 では、喰えなくなった者は如何すればいいのか。

僅かに足りない程度であれば、野山を巡って食べられる山菜や雑穀を採ることで飢えを凌ぐか、近隣の富農なり、郷士豪族なりに不足した分の食料を借り受けるのが一般であろう。

利息は通常、一年後の倍返しであるが、中には秤を誤魔化して三倍、四倍の利息をとろうとする者もいる。

 いずれにしても返せなければ農民たちは土地を奪われて小作人となり、それでも不足分の食べ物を借り受ける者の半数ほどは小作人に転落する。

畑から取れる収穫は、もはや一家だけの物ではなくなるが、それでも生きていく事は出来る。


 町へと出稼ぎに向かう者もいる。此れは大抵、壮健な男か、若い夫婦であった。

石積み、壁作り、荷運び、穴掘り、溝作り、ごみ捨てに排泄物の処理。

町へ行けば、仕事は何時でも幾らでもあるが、必ずしも雇用主が食べていけるだけの報酬を支払ってくれるか否かは別問題だ。

 この時代に、賃金の相場はあって無いようなもの。

豊作の時期はよい。食べ物は安く、都市へやってくる農民も少ない為に、仕事はより取り見取りで、

人手が足りない為に雇う側も常より多い賃金を弾まざるを得ない。

農村部にはない娯楽や食べ物を楽しみながら、ちょっとした小金を貯められるだろう。

中には、節約しながら数年を働いて小さな家と土地を買える者さえいる。


 此れが不作となると一変して話が変わる。

不作の時期、都市にはまず食えなくなった近隣の農村地帯から人が流れ込む。

 だが、都市それ自体に食料を生産する能力は低いのが普通であった。

近郊に広がる畑の収穫は、殆どは元々の都市の人口を辛うじて養えるか、足りない程度でしかない。

近郊の農村部でも、まずは自分たちの食い扶持を確保してから余剰分を売り払う。

 農村が自分たちの食べる分すら確保できない凶作などの時期は、下手をすれば都市に流れ込んでいた食料の供給が全く停止する事もあった。

 当然、都市内部での食料の価格は従来の倍から十倍にも高騰し、一方で仕事を求める放浪者や難民が大勢流れ込む為に都市での労働人口は余る事となる。

主人は口を糊するのもやっとの安い賃金で雇われ人を扱き使いながら、しかし、都市での食料の値段は例年の倍以上にも上がっている。


 餓えは常に貧困層を直撃する。

食べ物が廻るのは第一に裕福な市民。第二に職人や商人。

確実に食えるのは此処までだろう。

 市の執政官や顔役、役人たちが良心的であったり、有能であれば第三に下層の庶民。

第四に、元から都市に住まう貧困層、さらには貧民まで配給が廻る事もあろう。

 しかし、市の為政者たちがよそ者。特に市に最近やってきた貧しい食い詰め者の面倒を見ることなど絶対にありえない。

 異邦人が市に流れ込めば流れ込むほど、食料の供給を圧迫し、犯罪は増加する。

元から住んでいた市の民草が被害を受けるのだから、歓迎される筈もない。

大人数で連れ立って都市に入ろうとすれば、豊作、平作の時期でもいい顔はされない。

ましてそれが不作の時期ともなれば、警戒され、城門にて追い払われるのが常であった。


 他に本当に最後の手段として、自らを奴隷として豪族に売り込むという方法もあった。

とは言え、よほどに切羽詰った貧農か怠け者であっても好き好んで奴隷となる者などいない。

しかも、惨めな境遇に陥るのが確実とあって、幾ら解放される目があるとは言っても、此れを選ぶのはよほどの愚か者だけであるとも言われている。

 凶作、飢饉の発生時に限れば、農民が地縁を頼りに土豪の奴隷になるのは、富裕な者が貧しい者の面倒を見るという救済の側面を兼ねてはいるとは言え、

やはり最悪に近い手段であることに違いは無かった。




 何時の間にか、少年の姿が見当たらない。

僅かに呆然としつつもエルフ娘が鋭い視線で食堂を見回していると、狼狽している様子を見かねたのか。

「メルヒナさん」と旅籠の一人娘であるジナが、エルフ娘を氏で呼び掛けてきた。

「子供を見なかった?」

渡りに船と問いかけるエルフ娘に対して、若い娘が頷いた。

「食べ物を抱えた坊やですか?表へ」

若い娘の話によれば、肉と野菜を抱えて旅籠の外へと急ぐ少年の姿を見咎めたそうだ、声を掛ける間もなく飛び出して行ったらしい。

「……やっぱり」

下唇を強く噛んで、半エルフは溜息と共に美しい表情を歪めた。

念の為にアリアに告げておいたほうがいいだろうか。

だが、行ったばかりなら直ぐに追いかけた方がいいようにも思える。

「あ、表はいまオークに追われたよそ者がうろついていて危ないですよ」

忠告に数瞬を躊躇しながら、結局は足早に旅籠の外へと向かうエルフ娘の背中を眺めて、旅籠の娘は首を微かに傾げて自問する。

「カスケード卿にお知らせした方がいいかな?」

エルフ娘は悪い人間ではないようだし、東国人の女剣士には幾らかの心づけも貰っている。

念の為に教えておくくらいはした方がいいかも知れない。




 冬の空に天高く雲が流れ、辺りには早朝の冷たい空気がピンと張り詰めている。

旅籠の戸口の前にある街道に、薄汚れた人族や亜人の一団が集っていた。

着の身着のままに粗末な布服や襤褸の毛布を躰に巻きつけただけの十余人の老若男女が、疲労困憊した様子で地面に座り込んで旅籠の壁を見上げ、

或いは足を引き摺るようにして扉へと入っていった。

 一行には寒さに歯を鳴らしている幼い子供や、疲れきった様子の腹の膨れた妊婦の姿も在った。

虚ろな視線を彷徨わせている貧相な老人に年増女の胸に抱かれている幼子もいれば、戸口近くにへたり込んで膝小僧を抱えている若い娘も含まれていた。

頭目らしい白髪の老人が、旅籠の使用人になにやら必死に頼み込んでいる。

「……何か貰えないかな?」

「気の毒だが、うちだって他所様に施しするほどの余裕はないんだよ」

旅籠で下働きをしている痩せた女が、けんもほろろに物乞いたちを追い払っていた。

「……厚かましい乞食が」

扉前の粗末な椅子に腰掛けていた傭兵が、錆びた短剣を片手に弄びながら険悪な顔をして睨みを効かせている。


 怯んだように顔を強張らせている老人に、朝飯を食らっていた旅籠の客のうちの誰かがぼそっと呟いた。

「……乞食共が、とっとと失せやがれ。酒が不味くなるぜ」

難民の一人でオークとの混血だろう。小さい牙のある青年の顔が屈辱にさっと顔が蒼ざめた。

「こ、乞食だと!俺たちは!」

「お前らが乞食以外のなんだって云うんだ!」

今度は奥の方から別人の声が上がった。

旅籠の食堂には、十人以上の客がいた。

 誰も彼もが疑惑と警戒を色濃く漂わせている眼差しを向けてくるばかりで、どうやら難民たちは露骨に歓迎されてないらしい。

不安そうに顔を見合わせる物乞いの一団は、オークの襲撃に焼け出された農民たちだった。

丘陵近くに住んでいた農民たちは、街道筋の住民たちとは殆ど面識が薄く、交流も途絶えがちであり、今日までの折り合いは良くも悪くもなかった。


 食堂の奥の卓。

長い金髪を背中に編みこんだ娘と屈強のドウォーフ、向こう傷のウッドインプが朝っぱらから顔をつき合わせて安いエールを啜っていた。

不穏な空気を感じ取ったのか、三人ともに微かに旅籠の入り口へと視線を走らせる。

器量のいい金髪の娘が、放浪者たちをためつすがめつ眺めてからその正体を推測する。

「多分、丘向こうの連中だね。街道筋の農民よりずっと貧しいんだ」

郷士の娘に楽しげな口調と眼差しで告げられた二人の亜人は、陰気な表情で顔を見合わせながら杯を傾ける。



「丘の連中は言葉も違うって話だが、ちゃんと人間の言葉も喋れるんだな」

不穏な空気が漂い始める中、奥にいた農夫の一団が嘲りを込めてさらに言葉を続けた。

「ゴブリン語を話すと聞いたぜ」

酒場にいたゴブリンが怒ったのか。唸りながら放言した男を睨みつけた。

「オーク語じゃなかったのか」

「オークが混じってるじゃねえか。そいつが奴らの襲撃の手引きしたんじゃねえのか?」

半オークの青年の顔が憤怒で真っ赤に染まっているが、禿頭の男がいきり立つ仲間を必死に抑える。

「もう一度、云ってみろ!」

「やめろ、やめるんだ。あんたらもやめてくれ!」

「なんか、文句があるのか!オークよぉ!」


「やめとけよ」

 そう声を掛けたのは農夫の一団の中心に座る青年で、傍らに置いてある壷に手を掛けている。

立ち上がると前に進み出てきて腕を広げつつ、難民たちに話しかける。

「食い物が欲しいってんなら、此処にある。値段次第で売ってやってもいいぜ」

壷には雑穀が入っていた。行商人と取引しようと川沿いの村から運んできた蕎麦である。

「それは売り物かい」

「ああ、銭や塩と交換しようと村から運んできたんだけどな……

 オークが出るってんで行商人たちは皆、南の方に行っちまった。で、処分に困っていたのさ」

青痣で顔を腫らした青年の言葉に、村人たちは顔を見合わせた。

子供も大人達も、皆、腹を空かせている。

旅籠の粥で食事など頼んでいては、あっという間に手持ちの金など尽きてしまうだろうが、

火を貸して貰って自分たちで料理すれば人数分の粥くらいなら用意できそうだと考える。

「売ってもらえるんなら、有りがたいね」

進み出た老人をじっと見つめてから、青年がいやらしく口元を歪めつつ頷いた。

「いいだろう」

「助かったよ。銭が幾らか持ち出せたからね」

老人は、数枚の磨り減った小銭を大切そうに懐から取り出すと、青年に手渡した。

農夫の青年は、重みを確かめるように手にした銭を弄んでから懐に仕舞う。

「……そっちの袋を出しな」

木の椀で雑穀を掬い上げると、麻袋へと入れていく。

一杯、二杯、三杯。

さして大きいとはいえない袋の三分の一程度まで入れてから、青年は手を止めた。

「これだけだ」

焼け出された丘陵近くの村人たちは呆然とし、ついで抗議した。

「そ、そんな馬鹿な。あれだけあれば、袋一杯分くらいは買える筈だぞ!」

幾ら欠けた貨幣とは言え、青年は雑穀程度には明らかに不当な値段をつけていた。

「欠けてたからな。あれじゃ、半分の価値しかない。それに不作で食い物は値上がりしているのさ」

そう嘯く農夫の青年の論法に、老人が呆然と戸惑い、驚愕した様子で口ごもった。

「……そ、そんな法外な話があるものかね!ちょっと欠けてるからって」

「だからなんだ。嫌なら、他で買えよ」

 悪意剥き出しに言い放った青年の仲間だろう。

街道筋の農夫達が進み出てくると青年を守るように囲んで、難民たちを睨みつけた。

皆、手には棍棒や六尺棒、殻竿などを手にしていた。


「あっ、足元を見やがって!こっちには飢えている子供がいるんだよ!」

「そうだ!お前ら、それでも血の通った人間か!」

抗議する中年の農夫と半オークに、青年はわざとらしくそっぽを向いた。

「はっ、お前らなんかに恵んでやるものは蕎麦一粒ないね。

何故か怒りと嫌悪を剥き出しにしてぶつけてくる青年の態度に、難民たちの雰囲気が剣呑さを増していく。

双方とも頭に血が昇りつつあった。

「そ、そんな真似をして恥ずかしくないのか!」

「五月蝿え!俺たちは正直な農民だ!恥ずかしいことなんて一つもねえ!」


 難民には、壮健な男たちが十人ほどいるように見えたが、雑穀を売った農夫側も同数程度のいきり立っている若者がいた。

旅籠にいる近隣の住民からすれば、元々が顔見知りでもなければ言葉も少し違うのだ。

他の客も人族、亜人問わず若い男の何人かは難民たちを睨みつけながら、農夫側に加勢しそうな姿勢を見せている。


食堂の片隅。胡瓜と人参のピクルスを注文されて、旅籠の娘は三人組の卓に料理を運んだ。

「殺気立ってるぜ。グレムよ」

囁きながら小柄なウッドインプが椅子を少し退いて中腰になった。

喧嘩が始まったら、巻き込まれないように部屋の隅へ行く心算らしい。

「不味いな。これは」

膨らみ続ける酒場の緊張は、頂点に達した瞬間に破裂するだろう。

その後に来るのは、どうしようもない混乱に違いなかった。

「あの男は態と喧嘩を売ってるね。殺し合いかね?」

酒の肴を摘まみながら何故か目を輝かせている郷士の娘を横目にして、この人は何を考えているんだろうと旅籠の娘は微かに眉を顰めた。

「血の気の多いお嬢さんだな」

言いながらドウォーフも楽しげにくつくつと笑っている。



 他の客も多くが遠ざかろうとしている中、数人は顔見知りの街道筋の農夫たちに加勢する気配を見せている。

旅人の往来の多い街道筋とは言え、貧しいよそ者たちは流石に気に食わないのだ。

血の雨が降るのは避けられそうに無いと誰もが思った瞬間、

「止めろ!!馬鹿野郎共が!うちの宿で揉め事はゆるさねえ!」

肥えた身体に太い腕をした旅籠の親父が、奥の厨房から姿を見せる。

巨大なのし棒を手にしている巨漢の吼え声は、双方を萎縮させるのに充分な迫力を有していた。

「やるんなら、表に出てやれ」

 槍と短剣で武装している用心棒の傭兵に並んで、猪みたいな親父が押し殺した声で睨みを利かせると、静まり返った食堂にさすがにそれでも暴れようという命知らずな者はいなかった。

やがて農夫たちが、決まり悪そうに一人二人と食堂の奥へと戻っていった。

憤懣やるかたないといった様子であった難民たちも、力なく顔を見合わせてから僅かな雑穀の入った袋を大事そうに胸に抱いて旅籠から出て行った。



 それが今朝の出来事。何をしでかすか分らないよそ者たちに対する嫌悪と警戒は当然あるが、一行には女子供も混ざっていた。

 財産と頼りがいを持ち合わせた父親に感謝と安堵を抱きつつも、旅籠の娘は難民たちに対する同情を禁じえず、しかし、それでも何かを恵もうとは考えなかった。

一人、二人なら助けてもいい。

 しかし十人、二十人の寄る辺ない難民と、哀れみだけで関りを持つのは危険すぎる。

乗じた大人数が徒党を組んで暴徒と化せば、今度は自分達が奪われるかも知れない。

庇を貸して母屋を取られるという諺のように、下手に情けを掛ければ全てを失いかねないのだ。

だから、よそ者を追い出す農夫たちの排他的な対応さえも、あくどいとは思いながらも咎めようとは思わない。

残念だけれども、世の中には差別が身を守るという側面もまた在るのだ。

「……本当に世知辛いなあ」

そうボヤキながら、ジナは旅籠の奥に続く廊下へと足を向けた。

上客用の一番上等な個室。其処にエルフ娘の連れである女剣士もいる筈だった。



 街道から外れた岩と茨が転がる赤土の曠野。

木と木の狭間に散らばるようにして難民たちは幾つかの焚き火を囲んでいた。

「糞ッ、畜生!あいつら。あいつらめ」

 半オークの青年が地面を叩いて、吼えていた。

恰幅のいい年増女が近寄って、厳しい口調で声を掛けた。

「ギネ。自分を哀れむような真似は止めるんだよ。何にもなりゃしない」

半オークは俯いたままに悔しげに声と体を震わせていた。

「だけど、おばさん。だって、俺は……俺たちは」

「ギネ。私たちはずっと正直にやってきた。恥かしいことを何一つしてないよ。真っ当に生きてきたんだ」

歯噛みしながらも、半オークは顔を上げる。

「家を失った哀れな人間を蔑んで楽しいってんなら、蔑ませておけばいいんだ」

じっと見つめてくる半オークに説いて聞かせるように頷きながら、年増女が言葉を続ける。

「神さまは見ているよ。あんたがきちんと生きてきた事も、あいつらのした事も……」

 神々の助けを当て込んでいるというより、そうした論法で幾らかでも心慰めてやりたいと思っての言葉なのだろう。

励まそうとの気持ちを感じ取ったのか、半オークの青年は頷くと顔を掻きながら立ち上がった。

「あんたは男の子だ。頼りにしているんだからしっかりしてくれよ」

「……頼りか」

年増女の言葉に気を取り直した半オークが苦く笑いながら、一行の顔ぶれを見回した。

「だけど……どうすればいいって云うんだ」


 火の傍に横たわりながら、止まない咳を続ける身重の娘と寄り添っている青年。

一枚の毛布に二人で包まり、暗い顔で火を眺めている若い夫婦。

空腹にぐったりしている幼いわが子を抱いて、一心に撫でている中年女。

 栄養不足から疥癬に陥ったのだろう。

ぶなの木により掛かり、躰をぼりぼりと掻いている痩せた子供が力の無い眼差しで見上げてきた。

二十人近い難民のうち、半オークに直接の顔見知りは五、六人に過ぎない。

残りは、知人の知人か。或いは、途中で合流してきた見知らぬ他人。

いずれの素性もオーク族に襲撃されて、住処を追われた農民たちとしか分からない。

 出会った当初、幾人かの難民は猜疑に満ちた視線を半オークの青年に向けていたものだが、今はそんな元気もなくなった様子で毛布に包まって咳き込んだり、或いは地面にへたり込んで、力なく空に視線を彷徨わせている。

暗い顔で座り込み、落ち窪んだ目を光らせている男女の中には、何をしでかすか分からない者たちもいる。

 先ほども、何の心算か。数人が通りかかった旅人たちを追いかけていた。

追い詰められれば、盗賊の真似事を始める者が出ないとも限らない。

半オークの青年も、心のうちの何かが麻痺してきているような感覚を覚えていた。

自分は賊にならないと言いきれるだけの自信は、今の半オークには無かった。


「食べ物はどの位ある」

禿頭の男に話しかけられた白髪の老人が、渋い顔で首を横に振った。

先ほどの旅籠で幾らかの雑穀が手に入ったが、粥にしても今日明日を凌ぐのがやっとだろう。

食料の蓄えも残り僅かで、手持ちの金も乏しくなってきていた。

一行のうちには、見ず知らずの人間も増えている。

飢えと寒さ。何より希望の見えないことが一行を苛み、苦しめている。



 火の傍でぐったりとして苦しげに寝そべっている身重の娘と寄り添っている恋人の若い男。

やがて若い男は立ち上がると、隣に腰掛けていた痩せた男に近寄ってじっと押し黙った。

戸惑いながら、痩せた男が傍らに佇んでいる男に声を掛けた。

「……奥さんの様子は如何だ?」

「咳が止まらない。もっと暖かくしないと」

呟いた男が、痩せた男に親しげに話しかける。

「なあ、毛布を貸してくれないか?」

「……駄目だ。こっちも寒いくらいだ」


 また別の焚き火では、暗い顔をつき合わせてやや年嵩の夫婦が相談を重ねていた。

「……これからどうなるんだろ」

やはり身重の女。大きな腹を抱えて、揺れる炎を眺めながら不安そうに呟いている。

二人の子供たちは背後で力なく毛布に包まっている。

「守ってみせるさ。俺はお前たちの為なら何でもする」

だが、その言葉にも身重の女は深刻そうに押し黙っている。

夫が小枝をへし折って、焚き火に放り込んだ。

「町にでようと思っている」

「……冬に?」

「子供を養うには、仕方ない。二人で一緒に行こう」

妻の方は町に出るのは気が進まない様子らしく、無言で首を横に振った。

「……働き口を探さないと」

「行った事が無い」

 怖気づいた口調で夫に嫌だと訴える。

小さな村落の純朴な農民にとっては、大きな村や町などは人の悪意が渦巻いている場所にも思えるのだ。

町に出た無学な農民が妙な契約を結ばされて、売り飛ばされたり、拘束されたなどの話は幾らでも転がっている。

食い物にしようとする奴は、何処にでも幾らでもいたが、夫はそれでもと訴える。

「一緒に行けば、何とか……」

「それよりも何処かの豪族を頼れないかな」

「十何人も養う余裕がある豪族なんて……それに家族を食べさせれば、その分も借金を負わさる」

妻はふと顔を上げた。

「クーディウスとかなら、五、六年働けば解放してくれるかも」

名案が思い浮かんだとでもいいたげな様子で旦那に訊ねかける。

「それは……働ける奴が一人で奉公した場合の話だろう?

 子供たちを養えば、その分も借り入れはどんどん増える」

 豪族のところに転がり込んだとしても、結局は借金を背負わされて、最後には奴隷になるしかないと言う。

蓄えも持ち出せなかった。いい手はないかと、頭を絞って必死に模索するも何も浮かばない。

「如何する。町にいくか?それとも……」

「町にいって如何するの?」

 夫の低い声での呟きに、妻が哀しげに呟いた。

ひどく生活に疲れた様子で、女の目尻には深く皺が刻まれていた。

それでも妻は若く、美しかった。美しかったが、それだけだ。

頭もさして良くない、何かの技を持つ訳ではない。それを自覚している。

不作の時期に町に行っても、まともな働き口など無い。

出来るのは精々が春をひさぐ事くらいか。

豪族の館に奉公しても、慰み者にされないとも限らない。

それは嫌だと思った。思っていた。

 追い詰められれば、いずれ奴隷でも、娼婦でも、生きる為なら仕方ないと割り切るに違いない。

しかし、手遅れになる前に決断できるだろうか。

町や豪族の土地に辿り着く力さえ残っているかどうかも分らない。

大半が生まれてこの方、村から半日以上も離れた経験の無い人間たちである。

町の場所などおぼろげにしか知らない。

 焼け出されてすぐに目指したとしても辿り着けたか如何か分らないのに、肩を寄せ合って集り、途方に暮れているうちに残されていた僅かな猶予が失われていったのにも気づいていなかった。

もはや移動しても弱った女子供の一部が脱落するのは間違いなく、仮に辿り着いても、入れてもらえるかすら定かでは無かった。

奴隷や娼婦になるのさえ運はいる。

運が足りない者は、野垂れ死んで曠野に屍を晒す事になるだろう。


 それでも、己の才覚と幸運を頼りに町へと向かった者たちもいた。

自らもそうするべきだったのかは、難民たちには分らない。

もっとも幸運な数名の者たちは、縁戚のいる近隣の村へ世話になった。

近隣の農園や郷士豪族の館へ転がり込んだ者達もいたが、その席は既に埋まっているし、働けない者。身重や老人。子供などは引き取るのを拒否された。

二人や三人なら兎も角、十名、二十名の人間を養う余裕はどの豪族にもなかったらしい。


 遠い町を目指すか。近隣の村に向かうか。郷士や豪族に世話になるか。

どれも出来ない者に加えて、また足手纏いになる身内を見捨てるに忍びない者たちも此処に残されていた。


 若い男が、咳き込んでいる恋人の為に毛布を借りようと、深刻な顔で話し込んでいた夫婦に近づいた。

「……なあ、毛布を」

「ねえっていってるだろ!」

夫は、苛々した様子で若い男に怒鳴り返し、そのまま噛み付いた。

「さっきから五月蝿え!うっとおしいんだよ!手前は!」


 険しい顔をした大人たちが怒鳴り合う姿を目にして、繁みの背後に隠れ潜んでいた少年は躰を竦ませていた。

頭の片隅で、ちりちりと鈴の音に似た音が鳴っている。

進むな。すぐに戻れ。引き返せと、音は少年に警告していた。

 それは奇しくも少年を見つけて保護した旅人たちと同じ論法で、頭の中では間違っているという思考と今すぐ逃げるべきだという感情がぶつかり合って、身動きが取れなくなっていた。

恩人たちが美人で優しそうだっただけに冷淡な言動には落胆し、腹立たしかった。

綺麗なら、心も綺麗であって欲しいなどとおぼろげに期待していたのかもしれない。

だから、少し意固地になっていた少年は、荒涼とした現実を目の当たりにして頭が真っ白だった。

目の前では殺気立った男たちが叫びながら揉みあい、女が金切り声を上げている。

「殺してやる!」

「はなぜ!こんぢぎしょうが!」

なんだろう。これは。

恐い。足が震えている。繁みの後ろに隠れたまま、引き返してしまいたくなる。

食料を抱きかかえて立ち尽くしている少年の背後に、何時の間にか年増の女が佇んでいた。


 腕を掴まれれて難民たちの中に引き出されると、周囲が一斉に鎮まり返った。

強い視線が集るのを感じる。嫌な感じの視線も混ざっていた。

落ち窪んだ眼には、怒りと苛立ちに溢れた餓えた光が宿っている。

少年の背を、どっと吹き出した冷や汗が濡らした。

胃の下の辺りが嫌な風にキュッと縮まり、緊張に口の中がからからに乾燥して舌の根が張り付いた。

「その子は誰だ?こんな処で何をしている」

目の前に人影が立った。

低い鼻梁に窪んだ瞳と分厚い瞼。それに小さな牙を持つ醜い容貌の亜人だった。

数日前のオークが襲撃してきた光景が、生々しく少年の脳裏に蘇った。

「……あ……あ」

恐怖の喘ぎを洩らし、少年の漏らした小水が足を伝って地面を濡らした。



 何があったのかは分からない。

エルフが見つけた時には、少年は泣きながら必死に駆けていた。

そのすぐ背後の茂みから幾人もの男女が飛び出してくるのを目の当たりにして、

エルフ娘は一瞬、少年を見捨てようかと本気で思案した。

目の前で痩せた男が少年に追いつき、何か不明瞭な叫び声を上げながら少年の髪を掴んだ。

殴られたのか、鼻腔から血を垂らしている少年が、嫌々と首を振るのを嗜虐に満ちた嫌な笑みを浮かべて、腕を捻じり上げるのを見届けた瞬間、エルフの身体は勝手に動いていた。

「その子から手を放せッ!」

 棍棒を引き抜いて、エルフ娘は横合いから暴漢に跳び掛かっていた。

躊躇無く即頭部に棍棒を叩きつけると、近づいてきている難民たちが怒りの叫びを上げた。

一声も無くぶっ倒れた男を放置して、地にしゃがみ込んですすり泣いているを無理矢理に立ち上がらせると走り出した。

「立ちなさい!立って逃げるの!」

厳しい声音に指示された少年は愚図りながら走り出した。


 身体が半分勝手に動いたのもあるが、エルフは脳裏では逃げ切れるとも判断していた。

旅籠はすぐ傍である。逃げ込めれば、女剣士も、親父や用心棒の傭兵もいる。

追ってくる難民たちも手は出せない。

跳ぶように地を駆ける半エルフの足は中々の俊足で難民たちは追いつけそうもない。

 もう大丈夫か。

エルフ娘がそう思って気を緩めた瞬間、街道脇の茂みが揺れて黒い影が飛び出してきた。

歯を剥きだした怒りの表情で飛びかかってきた男がエルフ娘の細い体を突き倒した。

振り払おうと必死に揉み合っているうちに難民たちが追いついてくる。

蹴りが飛んできた。

「このアマ!」

「こいつもいい服着てやがるぜ!たっぷりと持っているに違いねえ!」

 押し倒されたままに乱打が降り注ぎ、同時に乱暴な手が躰を弄って持ち物を探った。

或いは制止する心算か。

ほんの数人だけが、押し止めようとでもしているかのように他の難民にしがみ付いている。

「止めろ!止めるんだ!」

半オークが声を枯らして叫ぶものの、嘲りの声が返ってくるだけだった。

「綺麗事を言うでねえぜ!オーク野郎が!」

「父親の言うことが聞けんのか!御主まで何の心算じゃ」

杖を振り回している老人が中年の男を叱り付けるが、横にいる別の男に凄まれている。

「爺さんも邪魔するって言うなら、ただじゃすまねえぞ!」

少年の方も所詮は子供の足。すぐに難民に捕まったようで泣き叫ぶ声が聞こえてきた。


 拳と蹴りの雨を、エルフの娘は躰を捻じって必死に躱していたが、いいのが一撃鼻に入った。

目の前に星が散った。頬を切ったのか。鼻血なのか。

粘着質の液体が喉に流れ込んで、エルフ娘は不明瞭な呻き声を漏らした。

間抜けだな。やっぱり甘さがわたしの命取りになった。

血の泡を吹きつつ、半エルフは死を覚悟した。

腹と頭部を庇いながら、躰を丸めて暴行の衝撃を出来るだけ逃しているエルフの胸元に手を突っ込んで、若い難民の一人が巾着を奪い取った。

「ひひっ、すげえ!たんまり持ってやがる」

財布を開いて、中に詰まっている硬貨に音程の外れたような笑い声をあげる。

「おう、これでたっぷりと飯が……」

 隣から覗きこんでいた中年の難民が、いきなりくもぐった唸り声を上げた。

己の胸から生えた白銀の剣先を不思議そうに眺めてから、すうっと顔から血の気が引いていく。

何事かを呻きながら、背後に首を廻そうとして剣が引き抜かれた。

同時に、白目を剥くとそのまま糸の切れた操り人形のように大地に崩れ落ちる。

「な、なんだ!てめえは」

 若い難民が焦りながら振り返ると、其処には黄玉の瞳に冷たい炎を揺らめかせ、鮮血に濡れた抜き身を手にした黒髪の女剣士が佇んでいた。



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