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土豪 08

 ヴェルニア内陸部の辺境地帯を東西百里(四百キロ)に渡って貫くその街道は、俗に『辺境行路』と呼ばれていた。

街道とは見做されているものの、別に道が石やレンガで舗装されている訳ではない。

それどころか道とも云えない荒地や草原も『辺境行路』には含まれている。

正確には街道というより、ヴェルニアの東西を結ぶ経路と呼ぶべきであろう。

実態としては、起点から終点まで一本線の道が結んでいる訳ではなく、都市間の交通網や各々の町と町、村と村とを結ぶ諸々の小さな街道を総称して

『辺境行路』と呼称しているに過ぎない。

 『辺境行路』が世人に周知されるようになったのは此処、半世紀ほどであろうか。

行き交う旅人たちが、誰という事もなく自然と呼び始めた名称が自然と定着したものである。

ヴェルニア内陸にある辺土の開拓と探険が進み、内陸を突っ切って東西を行き来する旅人や旅商人が増えるにつれて、幾つもの新たな道が大地に刻まれていった。

やがて、最初から東部ヴェルニア・西部ヴェルニア間の陸路横断を目指す隊商なども増え始め、それに伴って徐々に『辺境行路』の名は広がっていった。

その意味では、比較的に新しい街道と言えるだろう。

 今、女剣士たちが旅をしているティレー・ローナ間の街道筋などは、人の往来が盛んな土地であり、長年、旅人の足によって土が踏み固められ、その分、道行きも快適ではあるが、中には当然、道とも呼べぬ道も少なくない。

 場所によっては、精々二人が並んで歩くのがやっとの狭隘で険しい間道であったり、逆に何もないようなだだっ広い平原を頼りにならない一里塚だけを目印に進まなければならないような箇所もある。

時に、豪族や領主など地元の有力者が勝手に関を築いて通行料を取っている事例も少なくない。

 ティレー・ローナ間の街道とて、実態は、雨が降れば容易く泥濘と化す地面剥き出しの簡素な田舎道に過ぎない。

とは言え、旅する者にとって道と目印が有ると無いでは大違いである。

 公平に云って北国街道が比較的、安全で長い街道である事に違いはなく、人や物が盛んに往来する辺境地域の動脈として近年は旅人や行商人、巡礼、傭兵などに重宝されていた。

街道の場所に拠っては、四、五日歩いても人っ子一人出会わない時もあるが、大抵の土地では半日も歩けば二度か三度は行きかう旅人や農夫とすれ違い、また休息を取っている旅人たちと出会う事も少なくない。



 故に、旅籠からすぐ目と鼻の先にある街道筋の木陰に複数の人影が屯しているのも、それだけであれば、さほど警戒するべき事柄でもなかった。

路傍で休息を取る隊商、或いは農民の集団など別に珍しい話でもないのだ。

街道沿いに生えている柳やブナの根元に屯している人影は、ざっと見ても十五、六人はくだらないだろう。

 一見、休息を取っているだけにも見える。

が、何故か気に入らないといった様子で、エルフ娘は渋い顔で立ち止まっていた。

険しい顔立ちになって耳を蠢かせている様子は、確かに野生の兎にも似ている。

微かな違和感を覚えた女剣士も足を止まる。

黒髪の娘の嗅覚も、また危険の匂いを嗅ぎ取っていた。

「やばいね」

微かに緊張している気配のエルフが囁いたが、女剣士は何がとは問い返さなかった。

静かに頷くと、訳が分からない様子の少年の手を引っ張って見つからないうちに路傍の木陰に隠れ、顔だけ出して前方の様子をそっと窺う。

 一見すると路傍で休息している農夫たちの集団にしか見えなかったが、本能の警告に耳を傾けて足を止めてみれば、理性で考えてもおかしな点が目についた。

注意深く観察すれば、力なく地面に項垂れている数人の男女に怪我人が混ざっているのは、何故であろうか。

地面に寝転んでいる老人は、泥に塗れた子供を抱きかかえている。

血の痕も生々しい襤褸布を着込んだ者もいれば、杖をついている者もいる。

「成人が十人近い。女子供も入れれば十七、八人いるな」

黄玉の瞳を鋭く細めた女剣士の囁きに、遅れて草叢に身を潜めた翠髪のエルフも打てば響くように低い声で呟いた。

「……着の身着のままだね。

放浪民や旅人にしては荷物が少ないし、近隣の農夫にしてはやたらと疲れた表情だ」

「いい所に目を付けるな。エリス。流れ者なら犬を連れている事も多いが……」

言われて薄着に気づき、鋭いなと思いながら女剣士はちょっと笑った。

「十中八九、オークに襲われて焼きだされた農民だと思うよ」

エルフ娘の意見に女剣士も同感で、二人の娘は顔を見合わせる。

少年はよく分かっていないようだが、賢明にも口を閉じていた。

女剣士は、それが癖なのか。頤に人差し指を当てて、陰気そうに呟いた。

「つまり困窮している」

 二人とも黙りこくって、暫らく前方の集団を見つめる。

彼らは焚き火を中心に円を描いており、何かを焼いているようだった。

乞食やならず者の集団、或いは怠け者の流れ者たちがよくそうしているように、大人は男も女も寝転んでいるか、力なく地べたに座っており、子供たちだけが落ち着かない犬のようにうろうろと集団の周囲を歩き回っていた。


 野菜がいっぱいに詰まった自分の鞄を見てから、エルフの娘は女剣士を見つめた。

「お金に困っているし、それにお腹も空かしているだろうね」

女剣士が頷いて、少年の頭に掌を乗せる。

「さて、そんなところに子供連れの女二人が通り掛かる」

沈んだ嫌そうな口調でエルフ娘が続けた。

「見たところ旅人。よそ者で奪い取ってもさほど良心の呵責は覚えないで済む」

女剣士が口角を吊り上げて言葉を返した。

「つい先日にも、街道で農民が襲われていたな。

旅籠の近くに屯っているからには別の連中かも知れぬが、窮状は同じだろう」

エルフ娘は相棒の凶暴な微笑みを見て、何かを懸念したように眉を顰めた。

食料を持った女子供の三人組。客観視すれば無力な鴨だろう。

「それほどに困窮している人間が襲わない理由が?」

オークに住処を追われた村人たちが暴徒となって、近隣の農夫から食料を奪っている光景をつい前日も目撃したばかりである。

「迂回しよう」

 女剣士が結論を告げる。エルフ娘は奇妙にホッとした様子だった。

農夫たちを見た瞬間には互いに同じ結論に達していた。

態々、軽口を叩いたのは、少年に状況を説明するのも兼ねていたのだろう。


 掛け合いを終えると、進路について二、三を打ち合わせてから、二人の娘は街道を逸れて歩きにくい北側の草叢へと踏み込んだ。

「……迂回?」

 腑に落ちない様子ながらも大人しくついて来る少年を連れて、凹凸のある地面を足元を注意しながら少しずつ進んでいく。

地面は泥濘となっていた。鬱蒼とした草叢では、小さな穴や段差に気づきにくい。

初冬だけあって、羽虫や蛇は見当たらなかった。

亀の歩みであるが北側の丘陵の麓まで辿り着くと、それから先は緩やかな傾斜を昇っていくだけだった。

「……アリア」

エルフの娘が坂道を昇りながら、口を開いた。

「ん、なに?臆病と思うか?」

「いや、わたしも同じことを言い出そうと思っていたから」

呟いてから、少しだけ云い難そうに

「寧ろ……」

「私を猪武者だと思っていたか?

だとしても、余計な危険は回避するに越した事はないであろうよ」

軽い笑いを含んだ言葉。エルフは首を傾げてから言葉を紡いだ。

「猪武者とは思ってないよ。ただ、ほら、オークを二十も一人でやっつけちゃうでしょう。

貴女にとっては、さして……」

女剣士が立ち止まった。

何事かと思って振り向くと、睨むように強い女剣士の眼差しがエルフ娘を射抜いた。

「あれは僥倖だった」

半エルフの言葉を遮って、珍しく烈しい声で断言した。

そのあまりに強い口調と眼に呆気に取られたエルフ娘が目を瞬いていると、女剣士が再び歩き出しながら、ぽつぽつと言葉を続けた。


 二十のオークを相手に廻して勝利できたのは、幸運の賜物というしかない。

薄氷の勝利という言葉でも足りない、奇跡に近い僥倖であった。

同じことを十度やれば十度死ぬ。百度やって一度上手くいくかどうか。

二度とすまい。あれを実力だと思い込めば、遠からず死ぬことになる。


 オーク達は敵を娘一人と侮っていた。

奴らは酔っていたし、疲労もしていた。その上に劣った装備で殆どが雑兵であった。

対する女剣士は、足の速さと体力に優っており、一度に相手にするオークが少人数で済んだ。


 幾つもの幸運な要因が手助けして、辛うじて勝利の女神は微笑んでくれた。

勿論、そうした状況を見て取っていたからこそ戦ったのだが、本来の自身の実力は、オーク二、三匹を同時に相手にするのが精々だと女剣士は口にする。

 それにしたって相当なものであるとエルフには思えたが、相手が五匹、六匹となったり、手練が揃えばまず勝てないとも告げられた。

「長槍を持てば、話は別だがな」

 そう嘯きながらも、手練の剣士であっても彼我の力量を見誤れば容易く死は訪れると、自戒するような口調で女剣士は語り終えた。

鋭い視線に貫かれて速くなった動悸もおさまり、翠髪のエルフは重々しく頷いた。

 戦いの技には疎いエルフ娘にとって、友人の力量を正確に把握する事は困難であったから、半死半生とはいえ武装したオーク二十人を倒してのけた女剣士なら、六、七人は軽いだろうなどと何となく思い込んでいた節は自覚していた。

確かに今の今まで過大評価していたのは否めない。

「だから同じ真似は期待するな」

勝利を誇らしく思いながらも、黒髪の娘は浮き立つ気持ちを戒めていたらしい。

「うん。危険を避けるに越したことはないからね」

「然り」

 女剣士は、己が力量について見栄を張らなかった。

草も疎らな軽い勾配を昇りながら、丘陵一つ分を遠回りして旅籠へと向かう途中で、エルフの娘は思っていたよりも友人が好戦的ではないのに安心し、後で役に立つか否かは分からないが、友人の力量と出来ること、出来ないことを概ね正確に把握したのだった。


 丘陵を抜けてから、ゆっくりと勾配を降り始める。

それでも四半刻もしないうちに、三人は旅籠のすぐ傍らの脇道から街道へと抜けた。

木陰で休んでいた恐らくは難民であろう農夫たちは、近くで見れば本当に着の身着のままで、妊婦や老人、老婆に赤子を抱えた女までいた。

 毛布や家畜は愚か、身の回りの品や食糧さえ殆ど持たないようで、草叢を掻き分けて現れた三人に気づいてざわつき、ついで二人の娘が持っている荷物に気づいたのか。

数人の大人達が何か叫びながら、ゆっくりと立ち上がった。

食い物だとでも云ってるのだろうか。

 目が爛々と輝いているのは、離れた場所からでも分かる。

切羽詰った強い視線が、二人の娘が持つ食料に釘付けとなっているのは嫌でも気づく。

錯覚かも知れないが、物騒で剣呑な雰囲気を漂わせているのが、エルフ娘には肌で感じ取れた。

三人が歩き始めると、難民たちも此方へ向かって歩き始めた。

緊張に喉を鳴らしたエルフ娘が、桃色の舌で唇を湿らせた。

「……荷物も食べ物と分らないようにしておいた方がよかったかな」

「今さらだな。次があれば気をつけよう」

 此方へ向かってふらふらと後ろを歩き始める辺境人の難民たち。幼子を抱えた若い女や老婆も混じっている。

徐々に早足になり始める辺境人の集団。

三人から旅籠までの距離は二百歩もないが、難民たちとの距離も五、六十歩程度だろう。

「恐いよ、アリア」

「後ろを振り向くな。歩け。なるべく早足で。ただし、私が良いと言うまでは走るな」

迫ってくる足音がエルフ娘の尖った耳に嫌に大きく響いた。

いざという時は、荷物を捨てて走ろうと考えていた。

「……あの人達。お腹が空いてるんですか?」

少年が問いかけるが、緊張した様子の女剣士が黄玉の瞳で睨みつけられた。

「黙れ」

静かで低いが、どすの効いた烈しい声での警告に少年は思わず躰を竦ませた。

「……食い物。食い物だ」

 低いざわめきがすぐ背後から聞こえてくる。さらに早足となる。

が、かなり迫られたものの結局、三人が旅籠まで追いつかれる事は無かった。

武装していたからか、複数だからか。難民たちも襲う踏ん切りがつかなかったようだ。

「……あっ」

旅籠に入る瞬間、背後を振り返った少年が目を見開いて、何かを云おうとした。

が、そのままエルフ娘に強く手を引っ張られて、旅籠に辿り着いた。


 三人はそのまま食堂を抜け、廊下を歩いて借りている個室まで戻ってから、エルフの娘は大きな溜息を洩らした。

「ふぅ、ある意味、オークと同じくらい恐かったよ」

緊張が解けたのか。冷や汗をかいていたエルフ娘が荷物を置くとそのまま寝台へと倒れこんだ。


 農園の生き残りの少年は何かを言いたげに躰を震わせていた。

脅え、躊躇っている様子でちらちらと女剣士を見ていたが、目を閉じたまま脱力して寛いでいる様子のエルフ娘の方へと話しかけた。

「あの……顔見知りがいました」

エルフ娘が寝転んだまま、薄く目を見開いて少年を見つめた。

「近くに住んでいる農婦の人で……ミースおばさんって」

エルフ娘は沈黙を続けたまま、軽く首を傾げた。

如何解釈したのか、勇気付けられた様子で少年は言葉を続ける。

「何か上げられませんか?いい人なんです」

「駄目だ。近づくな」

 荷物を寝台の横に置いた女剣士が、少年を見もせずに一言で切って捨てた。

不満なのか。生き残りの少年が上目遣いで女剣士を睨んだ。

彼をあからさまに軽侮している女剣士の仕草や動作の一々が少年を傷つけたし、物言いは厳しいを通り越して冷たく聞こえて、到底、この女剣士を好きになれそうになかった。

子供の拗ねた様子を気にするでもなく、女剣士は念を刺すように問いただす。

「顔見知りは一人だけか。他の者には?」

「分りません」

ぷいっと少年は明後日を向いた。

「ならばよい。兎に角、駄目だからな」

「……も、元々は僕の家の食べ物でしょう!」

理不尽に思えて抗議するが、寝台に腰を掛けた女剣士は五月蝿そうに手を振っただけだ。

「物惜しみで云ってるのではない」

 それだけ呟くと、エルフと同じように寝台に寝転んでもう相手にしようとしなかった。

話は終わってない。

悔しさを抱えながら少年がなおも掛け合おうとした時、背後から低い声が掛けられた。

「ああ、君は本当に飢えた事ないんだね」

 エルフ娘の声からは、感情の色や揺れが抜け落ちていた。

笑みを浮かべて少年を見つめていたが、今までの暖かく優しげな微笑と違って、何処か冷たく恐さを感じられた。切れ長の蒼い瞳が眠たそうに薄く開いたままに、なのに鋭く少年を射抜いていた。

「餓えた人間は恐いよ。何をするか分からない。まして子供連れ。

親。特に母親には、子供の為なら何でもする女も少なくない。良い意味でも、悪い意味でもね」

エルフの言葉を引き継いで、黒髪の女剣士が面倒くさそうに続けた。

「飢えは容易く人を獣にする。追い詰められた人間は、何をするか本当に分らない

私も、もしかしたらエリスとても、そうならないとは言いきれない」

 可憐なエルフもあっさりと頷いた。

厳しい冷酷な印象の女剣士は兎も角、少年からすれば女神みたいに綺麗で優しいエルフが獣と云われても想像もつきそうもなかった。

事の成り行きは意外で、エルフの態度の急変は少年には裏切りのようにも感じられる。

まるで自分が悪いみたいに言われて納得できず、だけど反論も出来ずに力なく呟いた。

「……そ、んなこと」


「兎に角、君は此処にいろ。面倒を掛けさせるな」

肩を落とした少年は、女剣士が云って聞かせる言葉に返事もしない。

「退屈かも知れんが外には出るなよ。夜になれば旅籠の親父も暇になるだろうからな。

君の処遇について相談できるかも知れん」

そう云った時の女剣士の口調は穏やかだったが、表情は冷酷で断固としたものであり、これ以上、取り付く暇がないのはひを見るよりも明らかであった。


 幾らか厳しくしようが命を助け、しかも生活の手配をしてくれているのだ。

見ず知らずの他人の面倒を見てくれることは、大変な親切であろう。

大人なら衣食住の世話してくれる有り難さに涙を零しただろうが、相手はお子様である。

性格は悪くはなかったが、辺鄙な土地で甘いところが残った裕福な農園の息子。

要は世間知らずであった。

 此の時、女剣士とエルフの娘も、また少年の頑固さと行動力を甘く見ていたのだろう。

多分に理よりも情で動く生物である子供に、道理を言って聞かせればそれで済むと思い込んでいた女剣士たちも、迂闊であった。

エルフ娘も、女剣士も、二人共に必要なら感情を抑えて理性で動く傾向を持つ人間であったから、尚更に少年を見誤ったのかも知れない。


 宿屋の個室で、怠惰な猫のようにごろごろと寝転んでいた二人の娘であったが、やがて女剣士がむくりと寝台から起き上がった。

「さて、もうじき昼飯の時刻だな」

「ん~、何が食べたい?」

 翠髪のエルフも、欠伸をしながら半身を起こした。

昨晩、泊まったのはオークに襲われたばかりの農園であり、やはりよく眠れなかったのだ。

「君が作るなら、何でもいいさ。でも、今度は肉を焼いてくれよ?」

どこか甘さの入り混じった声と目付きをして、肩肘をついた女剣士がエルフ娘を覗き込んでくる。

「手伝って欲しいけど……」

「私は君の命の恩人だし、怪我人なのだぞ」

先刻までと打って変わって、女剣士は甘えたような声を洩らして強請ってくる。

云ってから、黒髪の娘は微かに瞳を揺らした。自分の出した甘え声に驚いたのかも知れない。


 初めて聞いた女剣士の柔らかな声に、エルフ娘の背筋をぞくぞくと快感が走り抜けた。

気持ちを許し始めているのだろうか。

「……お互い様では無かったの?」

「……ぅん」

甘く鼻を鳴らしての返答に、脳髄が痺れるような嬉しさでエルフの相好が崩れそうになる。

なんと言っているのかは分らなかったが、半エルフは陥落する事にした。

「はいはい。でも、怪我が治ったら手伝ってよね」

 惚れた弱味とは言え、あまり言いなりになると都合のよい女にされてしまうし、それはそれで後で困る。

適当に言い返しながら立ち上がるが、相好を崩しているのでまるで説得力は無かった。

互いに支えあう関係の方が健全であろうし、人生に得るものも多いであろうから、エルフ娘の好みであった。建設的な関係を築けそうだから女剣士に惹かれたという側面も在るかも知れない。

でも、今くらいは動かされてもいいだろう。

 失望したように、白けた表情を隠しもせずに部屋の片隅に佇んでいる少年も、浮かれているエルフ娘には気にならなかった。

気の毒な少年の抱いた淡い恋心に気づいていない訳でもないが、己の恋の成就に手が届きそうな時に他人に気配りする余裕は、流石に親切なエルフ娘といえどもなかった。


 旅籠の台所を借りようと、肉と野菜を抱えたエルフ娘が廊下に出ると少年もついてくる。

手伝ってくれるのかな、などと軽く考えて黙認し、食堂へと向かった。


 食堂では、少なくない人数の農民が集り、飯を食い、酒を飲み賑やかに歓談していた。

近くの農園で下働きをしているゴブリン達が安酒に酔っ払って床に寝転がり、

部屋の片隅では、流れの鍛冶師が豚飼いに短刀を売りつけようとしていた。

奥の卓では、身なりの良い三人組の若者が顔を寄せあわせて、ワインを啜っている。

台所では、粥を煮ている大きな素焼きの壷が湯気を出して暖まっていた。

エルフは薪代も込みで払っており、一々、断らずとも台所を使っていいと親父に了承を受けている。

奥の炉を借りると、農園で見つけた鉄鍋を暖めながら料理の下拵えを始める。

幾らかは保存の効く塩漬け肉よりも、腸詰を先に食べた方がいいだろう。

 最初に野菜を洗うのと水汲みで水場のある裏庭に行くと、十人近い兵士達が屯していた。

玉葱を齧り、雑穀の粥をかき込みながら、思い思いに雑談している。

粗末な武具と厚手の布鎧や革服などの装備から、農兵であろうと推測する。

何処かの豪族がオークと戦う心算かな?

 裏庭に入ってきたエルフ娘の姿に気づいた兵士たちの口笛や軽口を無視して、軽く水洗いを済ませる。

台所に戻って野菜を切り刻み、腸詰をオリーブ油で炒めながら鼻歌を歌っているうち、浮かれていた半エルフは、ふと少年がいなくなっているのに気づいた。

「……あれ?あの子は?」

夕食用に使おうと思って置いておいた人参と玉葱も無くなっている。

誰かが盗んだのかも知れないが、少年が見張っていてくれたはずだ。

「もしかして……」

鍋を炉から外すと、エルフ娘は緊迫した表情で旅籠の表へと向かった。



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― 新着の感想 ―
[一言] エリスもアリアも、略奪された村人たちを助けようする際に幾度となく、要救助者から妨害行為を受けた……ということを理解させることができればよいのですが。 その経緯を話しても信じて貰えるか疑問です…
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