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土豪 07

 何処からか土壁を越えて侵入してきた隙間風が翠色の髪を揺らした。

早朝の冷気が心地よく肌を刺激して、エルフ娘の目覚めを誘う。

暖炉に揺れる弱々しい炎が、薄暗い部屋の中を仄かに照らしていた。

閉めきった鎧戸から差し込む暁の冷え冷えとした曙光に、埃が空中を泳いでいるのが見えた。

 目を擦りつつ半身を起こして、見覚えの無い部屋を寝ぼけ眼で見回しているうちに、今いるのが北にある農園の母屋だと思い出して半エルフは頭を掻いた。

暫らく泊まっていた旅籠の個室に慣れすぎて、軽い違和感を覚えたようだ。

エルフの娘はそのまま寝台から抜け出して、猫のようにゆっくりと躰を伸ばした。

「んっ。ふぅ……」

 気持ちよさそうに目を閉じて伸びをすると、全身の関節が軽い音を立てて鳴った。

厚手の服に毛皮を着込んでいたので、起き立てにも関らずに身体の中心は火が灯っているように暖かく感じられた。

 寒さの厳しい冬の朝には、初めての経験だった。

暖かい服を持っている人はいいなあ。私も何時か物持ちになりたいものだ。

ささやかな希望を抱きながら寝台を振り返ると、女剣士に毛布を奪われていた。

女剣士は意外と寝相が悪く、寝台の中央を占拠している。

寝台の隅に追い詰められた少年は、苦しそうに唸っていた。

軽く微笑んで床に落ちている毛布を一枚拾い上げ、少年に掛けてやる。


 壁際の暖炉では、炎は大分小さくなっている。

燃え尽きた薪は、白い灰となって手前に堆く(うずたかく)積もっていた。

火が消えかけているのに気づいて、エルフ娘は小枝から薪を注ぎ足していく。

金属製の火箸なんて上等なものはないから、手で丁度いい位置に放り込んでやると、やがて再び勢いよく炎が燃え出した。

灰は洗剤などにも使える。

 何気なく積もった灰を、暖炉の傍らにある灰塗れの素焼き壷に入れてから、もはや無人と化した農園では誰が必要とする訳でもないと気づいて苦笑して手を止めた。


 食堂にある調理用の炉に火種を移して、夕食の残りの粥が乗った土鍋を乗せる。

適当な石で組み上げただけに見える簡素な調理用の炉は、見た目よりしっかりしていた。

暖炉の上に置かれた飲料水用の素焼きの壷を持って、鼻歌を歌いながら外へと出る。

「……寒ッ」

 ぶるっと躰を震わせてから空を仰ぐと、東の地平では太陽が今まさに天空へと昇ろうとしていた。

朱の入り混じった金色の光が天蓋に蟠る夜を打ち払い、闇を西の果てへと追い散らそうとしている。

暫し、日の出に見入ってから、エルフ娘は井戸に歩み寄った。

地下から汲み上げた水は手が痺れるほどに冷たい。

掌に掬って口だけゆすいでから、水を素焼きの壷に入れて母屋へと踵を返した。


 黒髪の娘はまだ寝ていた。

気持ち良さそうな寝息を立てながら、唇の端からは涎が垂れている。

手を伸ばして何気なく拭き取ってやってから、指先をじっと見つめる。

喉が鳴った。変態みたいだと思いながらも、エルフ娘は指先をそっと舐め取った。


 嫌われていない。

寧ろ脈があるのだから変な行動をするべきではないと思いながら、エルフ娘は止むに止まれない。

寝顔を覗き込んで、間近に想い人の寝顔を見ているだけで胸の底から幸福感に包まれる。

女剣士の肌には、まだ生々しい傷跡が残っていた。

 見知っただけのエルフなど見捨てて逃げても不思議ではなかった状況で、傷つきながらも攻め寄せるオークから助けてくれた。

狂った村人に激昂されて命を落としそうになった時も、意識を取り戻せたのは半ばくらい此の友人のお陰でもある。


 命を救われたからか。優しくされたからか。

或いは、心の隙間を埋めてくれそうな気がしたからかも知れない。

十六の生誕日に故郷を出て以来、エルフの娘はエリオンの森には帰っていない。

近くまで戻った事はあったが、何とはなしに帰ることが出来なかった。

時折、旅先で出会う同郷や近郷の者たちから、故郷や知人の消息を聞くのを唯一の楽しみに半エルフは生きてきた。

「安いな……私も」

 洩らした呟きに人間として安さを自覚しながらも、エルフ娘は膨れ上がった気持ちを抑えようもなかった。

なんで異種族なんだろ。彼女がエルフなら。私が人族なら。

いいや、せめて異性ならな。女同士は東国の文化でどの程度に許容されてるのだろう。

尚武の気風がある厳しい土地とは聞いているけれども。

「中々、上手くいかないな」

低い擦れた声で呟いてから、エルフ娘は蒼い目を憂鬱に煙らせて嘆息した。

だけど、それでも望みがない訳でもない分、ましなのだろう。

例え役不足だとしても人は誰でも手持ちの札で頑張るしかないのだ。


※ 力量が状況に通用するか否か。

※ 札遊びに例えれば、役不足という言葉の使い方はおかしくないと個人的には思います。



 黒髪の娘が欠伸をしながら目を醒ました時には、鉄鍋にお湯が沸いていた。

エルフは小さな素焼きの椀にお湯を入れて差し出してくる。

「白湯だよ。身体が温まる」

 薪の取れない土地では、ただの白湯でもそれなりに贅沢な代物である。

手間隙を考えれば、朝から白湯は薪の豊かな南方の森で生まれ育った者故の発想かも知れない。

いずれにしても、冬の朝には、水よりも身体にいいだろう。

確かに胃の腑の辺りから身体が温まるのを感じる。

「ありがとう。これはいいな」

手渡された時に、微かにエルフ娘の匂いが女剣士の鼻腔をくすぐった。

人族の体臭とは全然違う、春の花を連想させる優しい香りが微かに女剣士を酔わせる。

白湯を受け取って啜りながら、朝食の事を訊ねる。

「粥は?」

「今、暖めてる。もう食べられるよ」

 粥の残りを入れた土鍋を調理用の炉に掛けていると告げて、エルフ娘は台所へと向かった。

準備は万端に整っているようだ。

 半エルフの立ち去った方向を見つめてから、黒髪の娘は静かに溜息を洩らして目を瞑った。

美人で気立てがよく、料理が上手い。

そこそこ世間知に長けているのに、あまり擦れてないのもいい。

大抵の男なら、あんな娘を嫁にしたがるに違いない。

黒髪の女剣士にも、それなりに貞操観念はある。

好意を抱いた相手だからといって誰でもいい訳ではないが、エルフの娘になら応えてもいいかなと思わないでもない。

エルフ族の愛人は間々ある話であったし、女同士にしても東国では珍しくない。

「……信じていいのかな」

 黒髪の娘は小さく擦れた声で呟いた。

信じた相手に裏切られるのは御免だった。

いや、裏切りという言葉は正確ではないだろう。

十余の小王国が乱立し、数多の小領主や大小の豪族が割拠する東国では、小競り合いは日常茶飯事であり、顔見知りが敵味方に別れて戦場で殺しあう光景もまた珍しくもない。

黒髪の女剣士も、また過去に親しい友人や縁戚が敵に廻った経験を持っていた。

 好きな人間や愛した人間と戦場で切り結びのは、控えめに云っても楽しい経験ではない。

誰もが自分の思うように生きらない戦乱の地の非情さを考えれば、東国とは全く関係ないところで恋人を見つけるのは悪くない考えに思えるし、何よりエルフ娘の一途さに対してひどく心惹かれるものを感じ取ってもいた。

信じたいと思う。

短い付き合いとは言え、今日まで目にしたエルフ娘の行状と言動を鑑みれば、その人柄は充分に信頼を抱かせるものであったし、契りを結ぶのに不足ない人格を有しているように思えた。

「……後は私の気持ち一つか」

 エリスは既に自分の気持ちをはっきりと伝えてきている。

エルフは比較的に気の長い種族とは言え、女剣士が答えを出すのを何時までも都合よく待っていてくれるとも限らない。

ましてあの美貌である。保護者役の女剣士と同行してからは隠す事もしていない。


「……おはようございます」

 少年が起き上がってきたので、女剣士は思索を打ち切った。

腑抜けていた表情を引き締めると腰掛けていた寝台より立ち上がる。

「おはよう。朝食を食べたら直ぐに出発するよ。今のうちに荷物を纏めておき給え」

「はい」

頷いた少年のお腹が、ぐうっと大きく音を立てて鳴った。

「食堂でお粥を温めているそうだが……お皿にスープが残ってるな」

女剣士は小さな卓に手を伸ばして木皿を取った。

焼き締めた雑穀のパンを少年に渡すと、スープに浸して食べ始めた。

「ゆっくり食べなさい」

優しい声に農園の生き残りは頷いてから、顔色を窺うように恐る恐る話を切り出してきた。

「……あの」

「気の毒だが、私たちに埋葬するだけの余裕はないよ、たった二人で道具もない」

言葉を遮って、冷たい輝きを孕んだ黄玉の瞳を立ち竦む少年へと向けた。

そう告げると、図星だったらしい。

力なく俯きながら、か細く小さな声で呟くように

「……爺ちゃん……かあ……ちゃ」

泣きそうな顔で目尻には涙が浮かんでいたが、それでも泣こうとはしなかった。

暫らくの間、黒髪の女剣士は少年をじっと見つめていたが、少年の頭に手を伸ばして溜息を洩らすように呟いた。

「せめて家の中に入れてやろう。このまま朽ち果てさせるのだけは余りに酷いからな……それ位なら手伝うよ」



 村から連れて来た兵士たちは、旅籠の裏手にある井戸の傍らで水を飲みながら身を休めている。

人数分の早めの昼食を旅籠の親父に頼んでから、猥雑な雰囲気の漂う旅籠の食堂で座れそうな場所を探した。

 入り口に面した酒場兼食堂は、旅籠で一番安い雑魚寝の為の大部屋も兼ねている。

漆喰の剥がれかけた壁際に寝転がる貧しげな人族やゴブリンのうちには、身形の整った女連れの青年に胡乱な目を向けた者たちも居たが、腰に吊るした剣を目に留めるとさりげなく顔を逸らすか、興味をなくした様子でまた元のように寝転んだ。

「やあ、フィオナ!パリスも!此処だよ!」

 食堂の反対側から自分たちを呼ばわる声を耳にしてクーディウス家の姉弟は顔を上げた。

隅のテーブルについて、ワインを啜っていた三人組のうちの一人。

鮮やかな金髪をした娘が粗末な椅子に腰を掛けて、二人の方へと手を振っている。

茶色のフードを羽織った彼女もまた背中に中剣を背負っている。

 同席していた赤ら顔のドウォーフと暗緑色の服を着たウッドインプが、卓上の小袋を懐に収めると腰を上げて立ち去るところだった。

「リヴィエラ!」

 旧知の郷士の娘に出会い、顔を綻ばせた。

歩み寄る途中に立ち去る亜人の二人組とすれ違う際、顔に傷のあるウッドインプが鋭い視線で己と姉を一瞥したのに青年は気づいていた。

「久しぶり、パリス」

 挨拶をしてきた郷士の娘は、旅籠の主人に上等なワインを二杯注文する。

旧交を暖めあうように挨拶を交えてから、旅籠から出て行く二人の亜人の背中に視線を送った。

「今の連中は?」

「冒険者だよ。オークの動きに少し気になる事が在ってね。ちょっとした仕事を頼んだんだ」

「……冒険者か」

金髪の青年は、侮蔑と好奇心の入り混じった呟きを洩らした。


 冒険者とは、村や町を流浪しながら危険な仕事を好んで引き受ける人種である。

仕事の内容は千差万別で、主に隊商や旅人の護衛を引き受ける者。

盗賊や凶暴な亜人の追跡を行う者。一攫千金を望んで遺跡や洞窟に赴く者。

或いは人跡未踏の地の探索に命を賭ける者。黒豹や犬歯虎などの毛皮を狙う狩人や、

危険な森で貴重な果実や薬草などを取ってくる薬師など様々な種族や技能の持ち主がいる。

 身分も元は騎士や貴族の者もいれば、敗残兵や傭兵、村を飛び出してきた農村の子弟、僧院や神殿で修行を積んだ神官や僧。鍛冶屋や行商人もいれば、乞食同然の者もいる。

総じて冒険で生活の糧を得ている者たちの呼称ではあるが、勿論、四六時中を冒険している訳でもなければ、殆どの冒険者が冒険の報酬だけで生活できる訳でもない。

 普段は町や市に屯して人夫仕事や穴掘り、石積みなどで口を糊する者もいれば、町から町へ売れそうな物資を行商して歩く者もいる。

 傭兵となる者もいるし、都市で盗賊家業を行う者、山賊や海賊となる者もいた。

 稀にオグル鬼やトロルを討つような英雄的冒険者が実在しない訳ではないが、大半は生きる為に仕方なく危険な仕事を選んだ、厄介なごく潰し。

 武装した流れ者や傭兵以上の者ではなく、定住している者たちからは余り良い印象はもたれていない。

「不審者に見えるかもしれないが、見かけた時は見逃してくれるとありがたい」

からからと笑いながら身を乗り出す金髪の娘に、一帯の警邏を行っている豪族の息子は苦笑を浮かべて頼みを引き受けた。


 豪族の娘フィオナが、椅子に腰掛けてから友人に疑問をぶつけると、手を振って郷士の娘が説明する。

「ところでリヴィエラは何故ここに?ベーリオウル殿は?」

「親父さまは、近くの民家や農園を廻ってるよ。手勢を集めがてら近隣への警告を兼ねてね。

 そちらに顔を出せるのは明後日くらいになるかな。

クーディウス様には、手勢を集めてから顔を出すと伝えておいて欲しいと」

顔を見合わせてから、クーディウス家の姉弟は頷いた。

「父上は、ベーリオウル殿の顔を見たがっていたわ」

 豪族の娘の言葉に、ベーリオウルのリヴィエラは肩を竦めて頷いた。

「なんだかんだ云っても、長い付き合いだしね」

「いや。寄り合いには、他の郷士豪族も大勢、顔を出す。中には親父殿と不仲な者もいるらしくてな。

 恐らく会議の前に一人でも味方が欲しいのだろう」

豪族の息子の言葉に、金髪のリヴィエラは眉を顰める。

「そんなに?」

「ああ。大きな話し合いになる。そして難しい話し合いにもなるだろう。

オークの数も襲撃の回数も尋常ではない。

ここ数年来はこんな襲撃は無かった。農園が三つも焼き払われた。

豪族たちは、近くに出先の砦か何かを築いたんだろうと見ている。

それを突き止めて叩かないと、延々と襲撃に晒されるのではないかと不安に見舞われているようだ」

クーディウス家の息子の言葉に、郷士の娘リヴィエラは唇を舐めた。

「……と、なると丘陵地帯に赴いて決戦か。大戦になりそうだね」


 武者震いに躰を震わせてから、リヴィエラは気づいたように掌を打ち合わせた。

「そう云えば、ボズウェル爺さんの村が襲われたのは知ってた?」

「いや。初耳だな」

「爺さんの話だと、襲撃者の中には巨人族まで混じってるそうだ。爺さん、完全に震え上がっていたよ」

豪族の息子パリスは、掌で顔を覆った。姉のフィオナは溜息を洩らして力なく笑う。

「巨人族ねぇ」

「話半分としてもオグルを呼び寄せたのか」

 姉弟とも辺境にある有力豪族の子女として、異民族や異種族と戦う覚悟は出来ている。

いざという時は己で己の身を守れるように、女子でも心構えくらいは叩き込まれていた。

豪族の姉弟の憂鬱そうな様子を眺めながら、郷士の娘リヴィエラは楽しげに笑う。

「連中、本気で攻め寄せてきたのかな?」

「分からないけど、覚悟は決めておいたがいいね。貴方も、私たちも」

フィオナがポツリを呟くと、旅籠の親父がワインを運んでくるまで三人の間に陰気な沈黙が舞い降りた。


「ま、とりあえず深刻な話は此処まで。

わたしは、明日の昼までに顔を出せといわれてるから。今はゆっくり出来るんだ。

旧交を温めようよ。二、三年碌に顔を合わせてなかったし」

ワインの杯を掲げながら、暗くなった雰囲気を払おうと郷士の娘が務めて明るい声を出した。

「それはいいな」

豪族の息子が顔を綻ばせると、誘惑するような笑みを耳元にまで寄せて囁いた。

「ふふん、両手に花だね。そろそろ私も旦那様を探さないといけない年齢なのだけど、

なんなら一緒の部屋に泊まっていくかい?パリス?」

「馬鹿」

「いけずめ」

 意外と本気だったのか。冗談だったのか。郷士の娘は舌打ちした。

いずれにしても一言で返されたリヴィエラは、卓の傍らを通りかかった旅籠の親父に目を転じた。

「そうだ。親父さん。一番、いい部屋を用意して貰える?」

肥えた体格の旅籠の親父が、問われて口ごもった。

「それがですね。お嬢。泊まってるお客様がおりまして……

此れがそこらの旅商人や農民なら兎も角、その御方は東国人の貴族様で……しかもシレディア人だとか」

郷士の娘も豪族の息子も、親父の言葉に顔を見合わせた。

「あー、それは怒らせると恐いね」

「東国……ネメティスの貴族か。それでは無理を言う訳にもいかんな」

シレディア人について諸々の噂を耳にしたことの無い豪族の娘フィオナだけが、二人の納得した様子を不思議そうに見つめている。

「大部屋なら一つ開いてますが。お嬢の貸切ということで」

親父の言葉に鷹揚そうに頷きながら、郷士の娘は注文をつけた。

「では、そこで頼むよ。それと肉とワインも」

「それが肉が切れちまって。北の農園で仕入れてるってのはご存知でしょう?

あそこが襲われて、もうどうしようもないんで」

「おいおい、バウム親父。長い付き合いのわたしは誤魔化せないよ。

あるだろう?こう、年始の祝いの為に取っておきのやつとかさ」

郷士の娘は、旅籠の親父の言葉を本気に受け取らない。

親父は、トロルみたいな顔を歪めながら渋々と頷いた。

「豚の塩漬け肉なら在るんですが……」

「なにが塩漬け肉だい。用心深い貴方がそれを持ってない筈ないよ?」

「まさかでさ。あっしは正直だけが取り得の男ですぜ」

「北の農園……スウェルスのところが襲われたのかな。

兎に角、そうなれば新しい仕入先が必要だろう?」

郷士の娘リヴィエラは身を乗り出して、親父へ話しかけた。

「うちは山羊も豚も沢山飼ってる。仕入れるなら安くしておくよ。

何なら年始には新鮮な豚肉……いや、子豚一頭持ってこさせてもいい。

さあ。正直になりたまえ」

「へっへ。取って置きの豚の腸詰をお出ししますぜ。塩と香草のうんと効いた奴です」

旅籠の親父は頭を掻きながら、新鮮な牛乳も酸っぱくなりそうな愛想笑いを浮かべた。

「やっぱり隠していたな。こいつめ」

「お嬢にはかなわねえや。焼いてきますぜ」

「うん、上等のワインも、もう一杯ずつ付けてくれ」


「随分と、なんだろ。慣れているんだね」

 近隣の人間にとって交流の場である酒場だが、豪族の娘であるフィオナ・クーディウスは、盛り場などに出入りした経験などまるで無かった。

少し羨ましそうに友人の顔を見つめる。

「子供の頃から、見知った顔だからね」

ワインを啜った郷士の娘が言葉を続けようとした時、戸口の外から恐ろしい断末魔の絶叫が届いた。



 農園の人々の亡骸を大部屋に丁寧に並べてから、女剣士とエルフの娘、農園の少年は懇ろに冥府への魂渡りの無事を願う祈りを捧げた。

 裏の枯れ井戸の傍らに倒れていた女性はやはり少年の母親であった。

死者には祖父と兄たちも含まれていて、涙ぐむ少年をエルフの娘はそっと抱き寄せた。

朝の澄んだ大気の中、簡素な弔いの儀式を済ませてから、農園を発った三人は街道を目指して一路、南へと進んだ。

 女剣士とエルフの娘に挟まれるようにして、農園の少年は時折、よろめきながらも足を止めなかった。

「歩けるか?」

額に汗を吹き出しながらも、少年は女剣士の問いかけに頷いた。

「うん……はい」

「よろしい。ただし、苦しくなったら何時でも云いなさい」

 植物も疎らな小高い丘陵に囲まれている盆地の農園を後に、曲がりくねった獣道や間道を半刻も進めば、直ぐに街道へと到着するだろう。

翠髪のエルフは時折、甘葛や香草の類を見つけては足を止めて摘んでいた。

少年も温い水の入った革の水筒で幾度か喉を潤しつつ、額の汗を拭いながら呼吸を整える。

「それだけ野菜が在るのに、まだ足らんのか?」

「味付けに必要なんだよ」

 街道が目に窺える小高い丘陵の頂きまで登った所で、女剣士が少年の顔色を見て小休止を取った。

岩陰にある草叢に荒い息の少年を休ませながら、二人の娘は少し離れた位置で街道の様子を眺めている。

「暖かいね。風が冷たいのに」

厚手の布に毛皮で裏打ちした質素だが上等な衣服を着込んで、エルフ娘は声を弾ませている。

「余りはしゃぐな。その服は少年にとっては身内の形見なのだからな」

横目で草叢に寝込んで休ませている少年を見ながら、女剣士が注意を促がした。

「……あ」

 ぬくぬくとした感触に顔を綻ばせていたエルフが、迂闊な行動を取った自分に気づいて口元を押さえる。

余りに気まずそうにエルフ娘が俯いたので、女剣士は肩を引き寄せて抱きしめる。

小さく息を飲んで腕の中に納まったエルフの尖った耳元で、小さく囁いた。

「寒いな……今年の冬は。一人では凍えそうだ」

「……うん」

 その姿勢のまま暫らくじっとしていると、やがて二人の背後で少年の起き上がる気配がした。

まだ調子は万全とは言いがたい様子ではあったが、大分顔色は良くなっていた。

旅籠はもう四半刻も歩けば到着する距離にあった。

 風の吹きすさぶ寒空で休ませるよりは、旅籠について休ませた方がいいだろうと判断し、再び一行は歩き始めた。

「……僕は、どうなるんでしょうか?」

街道まで降りて直ぐ、誰に向けてという訳でもなく少年がぼそっと呟いた。

「私は東国の人間だから、辺境の慣習には詳しい訳ではないが……」

前置きしてから、女剣士は見下ろした少年と視線を交わした。

「まずは、信頼出来そうな親戚筋などから後見人が付くことになるだろうな。

 だが、オーク領に近い農場。誰も名乗りを上げない恐れもある。

 その場合は恐らく、君は親戚の誰かに引き取られる事になるだろう」

其処まで云ってから、何かに気づいたように眉を顰めた。

「待て。君の一族は、此の土地に根付いて何年くらいだ?」

「え?御免なさい。分りません」

唐突な質問に面食らっている少年を、女剣士が見つめた。

「ふむん、例えば、君のお爺さんは此の地で生まれ育ったのかね?

 それとも二、三十年前に、南方なり西国なりから移民してきたのか?」

女剣士に凡そでよいと告げられてから、少年が思い出したように口を開いた。

「お祖父さんが子供の頃の傷が建物にありました。だから……」

「この地に根付いているのなら問題ないな。

 親戚がまるでいないという事もまずないだろう」

頤に指を当てて首を傾げた女剣士が、少し考えてから

「一族で誰か信頼出来そうな者はいるかね?近くなら送り届けるのもやぶかさでは……」

「アリア。前に誰かいる」

 人間世界の慣習法には全然詳しくないので、それまで口を挟まずに大人しく耳を傾けていたエルフ娘が押し殺した警告の声を発した。

女剣士が鋭い眼差しを向けると街道の前方。何者であろうか。

十を越える人影が街道筋の樹木の周囲に屯っている様子が窺えた。




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