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土豪 06

 何気なく井戸を覗き込んだエルフの娘が息を呑むと共にぎょっとして後退った様子を見て、女剣士は怪訝そうに眉を顰めた。

「どうした?」

「……井戸の底に誰かがいるようなんだが」

「……どれ」

 如何にも歯切れの悪いエリスの言葉を受けて、アリアも同様に枯れ井戸を覗き込んでみれば、確かに陽射しも碌に届かぬ穴底に隠れるようにして蹲っているのは、性別も年齢も定かでない子供であった。

 アリアは首を傾げながら、エリスと顔を合わせた。

恐らくはオークの襲撃から生き延びる為に、農園の住民が井戸の底へと隠れたのだろう。

「……人族の子供のようだが、小柄な亜人かも」

「子供だよ」

女剣士には見分けられない薄闇の中の人影も、半エルフの鋭い瞳には充分に識別できるらしく断言した。

「……して、生きてるかな」

「分からない。おーい!大丈夫か!おーい!」

地上から呼び掛けるエリスの低い声がわんわんと井戸の中に反響したが、地の底に蹲る人影はピクリとも動こうともしない。

「動かん。もう死んでいるのではないか?

オークの襲撃が幾日前かは知らぬが、水も食べ物もなくずっと井戸の底に隠れていたとしたら……今は冬だしなあ」

頤に曲げた人差し指を当てながらアリアが懸念を洩らしたが、エリスは首を振った。

「かも知れないが、生きてるとしたら此処で見捨てるのも寝覚めが悪い」

 翠髪のエルフ娘はどうにも井戸の底にいる者を助けたいらしい。

 憂いを帯びた美麗な横顔から視線を逸らした女剣士は、井戸の底までの距離を目測で測ってみた。

深井戸の類ではない。それでも人の背丈の優に三、四倍はあると見えた。

人一人を抱えて登ってくるのは中々に難事業には違いない。

「ふむ……無駄骨かも知れんぞ」

アリアは呟いたが、エリスは井戸の傍らに目を閉じて息絶えている茶毛の犬をじっと見つめた。

「……此の犬は。主か、友かは分からないが、井戸の底の人を助けたかったんだ」

例え、相手が犬であっても死に逝く者の頼みは断れないという事か。

アリアは少し俯き加減の姿勢のままに、足元の赤茶けた地面を長靴の先で擦ってみた。

井戸の周りの灰色の縁石をじっと眺めてから、家畜小屋の壁に丸めて吊られていた縄があったのを思い出して

「分かった。納屋……家畜小屋か。壁に縄が掛かっていたな。持ってくるから待ってろ」

「いや、わたしが持ってこよう。あそこだね」

云ってエリスが走り去ったので、近くにある樹木に寄りかかって井戸を眺めながら口角を吊り上げた。

「運のいい小僧だな。いや、まだ助かるとは限らんか」


「在った」

縄を肩に掛けて、エリスが家畜小屋から駆け戻ってきた。

樹木の幹にロープの端をしっかりと結びつける。

「ロープの長さは足りるかな……ん、これでよし。と」

縄の長さには随分と余裕があったので、二重に束ねてから数箇所を結わく事で簡単に切れないようにすると、女と子供。二人分の体重を支えるには充分であるように思えた。

アリアは頷いてから

「頑丈そうなロープだ。これなら何とかなろう」

「では、行くよ」

降りようと身を乗り出したエリスを、何を考えたのかアリアが肩を掴んで押し止める。

「待て、私が降りよう」

切れ長の瞳の半エルフは、怪訝そうな眼差しを女剣士に向ける。

「なぜ?私の方が身軽だ」

「君は子供一人背負って登れるか?」

それと、とアリアは抱いた懸念を付け加える。

「滅多にある話ではないが。不死ではないだろうな?君では対処できまい」

 エリスは表情を微かに強張らせた。

確かに滅多にない話ではないが、偶にはある話だ。

アリアは眠る時には、必ず片手で届く場所に長剣を置き、枕の下に短剣を忍ばせている。

大胆な性格と同時に、慎重で用心深い性質が同居しているのも不思議にも思える。

「……用心深いね。分かった。では、お願いする」

「うむ、行ってくる」

 女剣士のみならず、争いの絶えない東国の人々の間では同時に霊や不死への恐れも極めて強い。

早々は居ないが、巷のうちには殺された者が新たな眷属となる高位の不死もいる。

いや、噛み付くだけで死の呪いを伝染させる恐ろしいゾンビーさえいるのだ。

そんな訳で、不用意に近づいて不死に噛み付かれるのは御免蒙りたかったので、用心して片方の腕にはぐるぐると布を巻きつけた。

 荷物を置いて、念の為に短剣を口に咥えると、女剣士は縄を伝って井戸を降りていく。

降りる際には長靴が岩肌を削る音も発したが、人影は全く動こうともしない。

地底に下りてからは、息を殺して慎重に人影に近寄っていく。


「少年か」

声を立てずに唇の動きだけで呟くと、アリアはそっと足首に触れた。

十歳にも満たないように見える少年の身体は、ぐったりとはしていたもののまだ体温を感じられた。

ついで首筋に手を当てて脈を測ると、弱々しいながらも僅かに脈があった。

「生きてるな。大丈夫か?」

意識が混濁しているのか、呼び掛けてもぐったりとしたままに全く返答が無い。

ぐったりとしている少年を背負うと布で身体に縛りつき、しっかりと縄を掴んで登り始める。

「ふ。ぬ」

 余り成長していない子供の身体とはいえ、病み上がりの人間が人一人背負って縄をよじ登るのは結構な重労働であった。

少ない息継ぎで一気に頂上付近まで登ると、エリスの伸ばしてきた手を借りて縁石を乗り越え、地面へと少年を降ろした。

「……生きてるぞ。ふぅ、重たかった」

 息を切らして縁石に寄り掛かった女剣士を労うでもなく、エルフの娘は少年を受け取ると肌の冷たさに息を飲み、直ぐに地面に横たわらせた。

少年の身体は冷え切っている。顔は蒼白で唇も紫色に近い。

切れ長の瞳に憂慮の色を浮かべたエリスに、アリアが難しい顔をして声を掛けた。

「……旅籠まで持つかな?」

「火を起こして暖めないと」

 エリスは少年を抱き上げると、足早に母屋へと歩き出した。

溜息を洩らしたアリアも、荷物を拾い上げると翠髪のエルフ娘の背中に続いた。



 屋敷で尤も間取りの大きな部屋に少年を抱えて二人の娘が入ると、床板がぎしぎしと軋んだ。

恐らくは農園主の居室であったのだろう。

頑丈な寝台に敷かれた布は肌触りもよく、綺麗な毛皮なども部屋の隅に転がっていた。

母屋に入って少年を寝台に寝かせると、水筒から水を飲ませる。

「冷え切ってる……暖めないと。火を焚くから、毛布を掛けて躰を擦ってやって」

「分かった。大丈夫か?」

少しだけ顔色が生気を取り戻したのを見てから、エルフは火起こし弓を取り出すと、種火を起こし始めた。

 女剣士は荷物から毛布を取り出し、部屋の毛皮などもありったけ掛けて、声を掛けながら四肢を擦ってやるが、少年は呼びかけにも殆ど反応はない。

「……服も湿っているな」

 此の侭では埒が明かない。

アリアは周囲を見回して、寝台の下に置かれたかなり大きめの櫃に気づくと引っ張り出してみた。

蓋を開ければ、中身は思った通りに衣装箱である。

毛織物の毛布や毛皮の他。布で裏打ちされた毛皮の防寒着や、幾重にも布地を重ねた上着のような、お誂え向きの暖かな衣服が幾枚も入れられて、きちんと燻してあるようで虫食いも殆ど見られない。

 女剣士は微笑を浮かべてエルフに声を掛けたが、火を起こすのに夢中になっているようで振り向きもしなかった。

仕方ないので何枚か適当に見繕ってから、少年を脱がせ始める。

種火と藁屑で炉に炎が燃え上がるとエリスが立ち上がったので、女剣士は手伝いを求める。

「おい、此の子を脱がせるのを手伝ってくれ。服が湿ってるから着替えさせるんだ」

炉の炎に小さな枝を放り込んでいたエルフ娘は、一瞥してから頷いた。

「着せるのは大変だし、だけど濡れた服を着せておくよりは裸のままでいいよ。

 私がやっておくから、アリアは裏にあった薪を持ってきてくれる。

 炉に置いてある分量では、足りそうにない」


 アリアが裏口から薪を抱えて戻ってくると、ぶつぶつ呟いているエリスが入れ代わりに部屋から出て行く。

「確か台所に」

 足早に広間に向かうと、冷え切った暖炉に置かれている鉄鍋を取り上げた。

中には腐ったシチューが浮かんでいるが、エルフ娘は外に出ると中身を地面に放り捨てた。

表の井戸の水で鉄鍋を洗い流すと、今度は水を入れて部屋に戻ってきて扉を閉める。

「何処へ行ってたんだ?」

炉では炎が大きく踊っていた。薪をくべながら女剣士が文句を云った。

「お湯を沸かしにね」

 炉の上に鉄鍋を置くと、エルフ娘は子供へと歩み寄って様子を見た。

歯を食い縛って、酷く震え続けていた。

翠髪のエルフは秀麗な顔を伏して一瞬だけ考えると、すぐに躊躇無く服を脱ぎ捨てた。

肌着姿で毛布に潜り込むと、四肢まで冷え切った少年の身体に肌を押し付けて抱きしめる。

「……仕方ないな」

 少し迷ってから女剣士も上着を脱ぎ捨てると、毛布に潜り込んだ。

炉に大きく炎が燃え上がり、閉め切った室内を明るく照らして暖めていく。

湯が沸くとエリスは寝台から抜け出し、余分な布を浸しては絞り、少年の四肢を包んで、冷えては取り替えた。

また熱くなった布で、少年の躰を丁寧に拭いていく。

懸命に手当てをするうちに苦しげであった少年の呼吸も整い、顔色も段々と良くなっていった。


 部屋が暖まってくるにつれて、毛皮の中に包まっている黒髪の女剣士に眠気が押し寄せてきていた。

アリアは生欠伸を噛み殺しつつ、見知らぬ子供を懸命に手当てするエリスの姿を眺める。

感心すると共に、視線には冷ややかな感情も入り混じっていた。

案外と人がいいな。だがそれも過ぎれば毒になる。

それに……なんだ。誰にでも優しいのか。つまらない。

友人が善良な人格だと確信すると同時に、命懸けで助けてくれたのも自分が大切だったからではないのだろうか、と疑念を抱いてしまう。

軽侮する程に恩知らずな訳ではないが、どこか面白くない。

勝手に期待して勝手に幻滅しただけなので流石に口には出さないが、やや興ざめした想いを抱いていると、エルフの娘が毛布にもぐりこんできて手を握ってきた。

「ふふ」

 裸体を晒した女剣士と毛布の中で向き合った薄着のエルフ娘は、美貌を崩して嬉しそうに微笑んでいた。

私を好きなことに代わりはないか。

「君も人がいいな」

少し機嫌を直して呟いた。

醒めた気持ちと憂慮が半ば混じりあった言葉に何かを感じたのか、エルフの娘は顔を引き締めると、女剣士に深く沈んだ蒼の瞳を向けてきた。

「……誰にでも優しい心算ではないよ」

 気持ちを正確に察してきた鋭さに、アリアは内心で舌を巻いた。

心でも読めるのかな?それとも前に誰かにそう云われた経験でもあったのか。

軽く狼狽しつつも表には現さずに、アリアは何を云ってるのか分からないとでも言いたげに微かに首を傾げてみせた。

少し迷ってからエルフ娘は訥々と昔語りを始めた。

「ええと……子供の頃から、人を助けたり、物を分け与える行為を行うと、人物を安く見積もられるのが不思議だった。

病人を拾って助けたら、最初は感謝していたのに段々と当たり前に奉仕する事を求められたりね」

 気持ちだけで行動する人間には、先の事を考えられない類の人物も多いから、同一視されたのだろうと女剣士は推測する。

 確かにお人よしだったかも知れない。共同体の規範に従うだけの、智恵の足りない人間の処世術という側面で捉えられたのかも知れないね。

長い睫毛を伏せつつ、そんな風に過去を吐露してから美貌のエルフは言葉を続けた。

「だから、今は助ける人間は選んでいる。誰でもというわけでは無いし、時間にも物にも余裕がある時だけ。

それに命と引き換えにしても助けたいと思うのは、やはり特別な人だけだ」

 訥々と言い繕うエリスの訴えたい事は、何となく通じてきた。

女剣士の胸中で、自分が軽んじられそうな気配を敏感に感じ取ったのだろう。

先手を打って己のうちの行動理念や優先順位を明かしてくるのには、以前に似たような状況で知己と喧嘩別れでもした経験でもあるのだろうか。

「……信じてくれないかなあ?」

 苦しげに洩らした吐息のような言葉と共に、心細げに握った手から微かに震えが伝わってきた。

拒否されるのが恐いほどに自分に惚れたらしいと知って、アリアの胸も痛むように疼いた。

そこまで私に委ねるのか。きちんと物を考えられる人間なのに。

演技半ばだとしても愛い奴。

嫌われたくなくて一途な風のエリスを見てるうちに、心は確かに揺れていた。

エリスの弁解がある程度は己の気持ちを満足させたのに気づき、保護欲にしろ独占欲にしろ、エルフの技で巧みに煽られたのか、それとも天然なのか。

アリアは胸の奥から微かに熱くなったと息を洩らすと、初めて自ずからから顔を近づけて唇を合わせる。口づけはほんのりと甘かった。

 段々と心に踏み込まれてきているのを自覚して、此の侭ではなし崩しになってしまうな。

それも悪くはないかも知れないが。頭の片隅で考えつつ、目を閉じて口づけに応えるエルフ娘の髪を優しく撫でた。



 壁際の暖炉では、時折、揺れる炎がパチパチと音を立てて爆ぜている。

闇の中で馥郁たる甘い香りが鼻腔をくすぐった。

幼い少年の知らなかった女の体臭が、本能を強く刺激して目覚めを誘う。

身動ぎすると柔肌の感触に包まれているのを感じ取った。

「……かあさん」

未だ母親の恋しい年齢である。少年が呟きながら薄く目を見開くと、見知らぬ女性が顔を覗き込んでいた。

尖った耳は、話に聞くエルフ族だろうか。それにしても信じられないくらい美しい女性だった。

喉を鳴らしてから、少年はまるで女神に魅入られたようにぼんやりと顔を見上げた。

「だ、だれ?」

 慄きの入り混じった戸惑った幼い声に、エルフの女性が無言のうちに寝台で上半身を起こすと彼女の肩掛けていた毛布がはらりと板敷きの床に落ちる。

優美な曲線を描いた白い肢体が薄明に浮かび上がった。

身体はだるさが残り、節々が痛む癖に下半身にある一物が、期せずして痛いほどに勃起した。

「もう大丈夫だね」

 自然の摂理を気にした様子もなくエルフ娘は微笑みを浮かべ、愛撫するように少年の頬を指先で優しくなぞった。

 頬の熱さを自覚した少年が当惑を隠せずに赤面していると、背中から手が廻される。

力強い腕に後ろに引き寄せられて、背中に柔らかな二つの感触が触れた。

「こやつめ。それくらい元気なら、もう問題あるまい」

 耳元で囁かれた笑いを含んだ声は、此方もやはり女性のものであった。

首を廻してみれば、背後にも黒髪の美しい女性。

恥ずかしげもなく裸身を晒し、起き上がった。

 均整の取れたしなやかな裸体には、だが筋肉がうっすらと盛り上がっており、肌に刻まれた幾つもの古傷が尋常ではない生を送っているのが一目瞭然だった。

一瞬、無法者や傭兵の仲間だろうかと少年は勘繰ったが、しかし、やはり整った女の容貌には、どこか侵すべからざる厳粛な雰囲気を漂わせていて、瞳には理性の色も浮かんでおり、何とはなしに悪漢の類とも思わなかった。

 寧ろ性別も年齢も異なりながら、何故か一家の長である厳格な祖父を思い出させて、嫌悪感は覚えずとも苦手に感じられたので、黒髪の女が手放してくれると少年はおずおずと優しげなエルフの方へと身を寄せた。


 天国なのか。地獄なのか。

少年がただ戸惑い、困惑の眼差しを彷徨わせていると二人の娘から説明があった。

「我らは農園を訪れた旅人だ。井戸の底でお前を見つけた」

二人の美女は、少年を挟んで裸で暖めてくれたらしい。

どうやら生きては助かったらしい。

欲情を抱くにはまだ幼い年齢ではあるが、気恥ずかしさを覚えて少年は顔を伏せた。

「何があった?覚えている事を聞かせて欲しい」

「あ……影……巨大な……影が……」

女剣士に問われて口走った言葉に少年は蒼い顔をして震えだす。

幼い茶色の瞳には生々しい恐怖の色が張り付いている。

エルフが背中から毛布を掛けたが、長時間、小柄な身体はがたがたと恐怖に震え続けていた。

「役に立たぬ奴だな」

 黒髪の女剣士の露骨な物言いに、思わず涙を零した。

役立たずには違いない。母親と愛犬が庇ってくれなければ、間違いなく死んでいた。

先の見えない不安。苛む恐怖と後悔が少年の心を打ち砕く。

「……此の子はまだ十歳くらいだよ」

怒った様子のエルフの抗議に、上着を着込みながら女剣士が鼻を鳴らした。

「シレディアなら、十歳の女の子でもオークの首を跳ねるぞ」

「それは言いすぎ」

眉を潜めるエルフ娘に、女剣士は口の端を吊り上げた笑みを向ける。

「私は十歳。妹は八歳の時だった」

「……八歳?」

唖然として聞き返すが、どうやら本当らしい。

「うむ。誘拐した盗賊を殺して、自力で帰ってきた」

「獰猛だなぁ。一緒にしては駄目だよ」

「勇猛と言いたまえ。兎に角、人の上に立つべき郷士の子息が容易く涙を見せるな。男なれば、なおさらであろう」

言われて、少年は涙をぐっと我慢した。

「偉いね」

エルフは優しげな笑みを浮かべながら、少年の頭を撫でる。

「私はエリス。そっちのおっかないのがアリア。君の名前はなに?」


「ケイルです。僕はケイル。あの……母さんは……」

先の見えない不安に苛まれながらもおずおずと少年が問いかけると、顔を見合わせた。

裏の枯れ井戸の近くで亡くなっている女性がいた。

多分、母親だろうと見当をつけながら、エルフ娘は口を開いた。

「さあ、私たちには分からないな。見つけたのは君だけだから」

「そう……ですか」

沈み込んだ少年を見下ろしながら、黒髪の女剣士がおとがいに指を当てて考え込む。

「此処に子供一人を置いておく訳にもいくまい。取りあえず街道筋に在る旅籠につれて行く心算だ」

少年が見上げると、女剣士は改めて少年の顔を見つめてきた。

「其処まで行けば君の親戚筋の誰かに連絡もつこう。ケイルよ。親戚の名前は覚えてるか?」

黄玉の鋭い眼差しと目が合った少年は無言で頷いた。

「では、それでいいか?」

再び、頷いた。

厳しい態度だが蔑ろにされてる訳ではないと感じて、多少の安堵を覚えつつも、やはりエルフ娘の方が好きだった。何より、いい匂いがする。

「さて、お腹も空いただろうし、何か作るね」

翠髪のエルフが、そう云って立ち上がった。



 人参や玉葱、キャベツを井戸で水洗いしている間に、鉄鍋に入れた水を沸騰させる。

 沸騰したお湯に岩塩と干し肉を放り込んで出汁を取り、さらに雑穀を入れて蓋を閉めると煮込んでいく。

 時折は蓋を開けて適度にかき混ぜながら、乾燥豆や砕いた胡桃も頃合を見て順に投入。

「……また粥か」

 不満げな女剣士を無視してエルフ娘が料理していると、気を取り直してきたのか。

「……何か、手伝います」

 言って立ち上がった少年の、しかし、足元が覚束ないのを見てエリスは押し止めた。

「無理はしないでいいよ。今は休んでなさい」

「そうだ。ゆっくりと休むがいい」

何か言いたげな半エルフの視線を無視して、女剣士は寝台の上でしどけなく寝転んでいた。

「でも……少し動きたいんです」

「……いい子だね。それでは此の皿を拭いてくれる?」

 少年が大きな木製の鉢や小皿を抱えて布で拭きはじめると、やがて粥が完成した。

木製の鉢に湯気を立てている粥を移してから、香草を散らし、再び鉄鍋に水を汲んできてお湯を沸かし始める。

「先に食べてていいよ」

 言いながら沸騰した湯に干し肉と岩塩を放り込み、切り刻んだ玉葱や人参を煮込み始める。

 キャベツの葉を切り刻んで投げ入れてから、料理が完成したのは夕刻に近づいた頃だった。

「さあ、食べるが良い。まあ、元々は君の家の食料だがな」

 なに一つ手伝ってないアリアが偉そうに述べた。

湯気を立てている雑穀のお粥と、人参とレタス、玉葱の浮かんだスープ。

 共に塩味の粥とスープであるが、ヴェルニアでは南方の一部都市を除いては香辛料は殆ど流通しておらず、塩と香草類が唯一の調味料に近い。

 岩塩ですら、高価で貴重な調味料なのだ。

 火加減。具の茹で具合と割合が絶妙の域に達しているエルフ娘の料理は、暖かさも在ってそれでも冬の夜に素晴らしいご馳走だった。

 丸太椅子に座り、卓について湯気を立てる粥に匙を入れた。

 口の中に暖かい味が広がると、確かに生きている実感が湧いてきて、それだけで少年の目には涙が滲んでくる。

「何日も食べていなかったのだから、ゆっくりと食べなよ」

「は……はい」

 エルフはやっぱり優しかった。少年は母親の事を思い出す。

「エールは造ってなかったのか?」

 女剣士が物足りない様子で訊ねてくる。

「……た、多分、オークが持っていったんだと」

「それもそうか」

 頷きながら、スープに手を伸ばした。


 少年は十歳ほどにも見えたが、こうしてみるともう少し年上にも見える。

いずれにしても、子供と呼んでいい年齢だった。

子供好きなのか。エルフの娘は目を細めて食事する姿を見つめていた。

「……子供は可愛いね」

エルフ族は百年に一人くらいしか生まれない。

人に近い半エルフ種族ですら、十年から二十年に一人しか赤子を産まなかった。

「涎が垂れてるぞ」

女剣士の言葉に驚いて口の端を袖で拭った。

「……嘘!」

「嘘」

からかった女剣士は笑いながら、睨みつけてくるエルフの娘に問いかける。

「欲しいのか?子供?」

「……アリアの子供なら産んでもいいけど」

「どうやってだ」

少年が不思議そうな顔をしているので

「気にするな。エルフだからな。時々、訳の分からん事を言い出すのだ」


 食事の終わった頃には、時刻はとうに夕刻を過ぎていた。

壁の向こう側では冷たい風がびょうびょうと音を立てて吹きすさんでいる。

「……夕方だね。如何する?」

 寝台に腰掛けたエルフ娘が女剣士の顔を覗き込む。

「此処で泊まるのは、気が進まぬ。オーク領に近すぎる。危ういぞ?」

「だけど、出発するとして歩ける?」

「……あ、はい」

 口では肯定したものの少年の顔色はまだ悪く、具合もよく無さそうだとエルフは見て取った。

「……無理だね。もう夜も近い。今日は此処に泊まって明日の早朝に戻ろう?」

「仕方ないな」

 エリスの言葉に頷いたアリアは、寝台の端に取り置いておいた暖かな衣服をエルフ娘に投げ渡した。

「冷えてきた。着るがいい」

「……此れは?」

 見覚えのない衣服を渡されて怪訝そうに訊ねるエルフ娘。

「寝台の下に衣服の入った櫃が残されてた。小さな櫃だったから、見逃したんだろう」

 革の裏打ちされた毛皮服を嬉しそうにエリスは羽織った。

「わあ、暖かい。ちょっと大きいかな。でも、仕立て直せば……」

 エルフ娘は声を弾ませて立ち上がると、チェスト(櫃)を漁って小さめの毛織服と毛皮のマントを取り出した。

「これ着てなよ」

「……これはお祖父さんの服だ。怒られちゃうよ」

 手渡された少年は恐れ戦いて拒んだが、女剣士に鼻で笑われてしまう。

「……気の毒だが、君の言うおじいさまはもう死んでいる」

 助けてくれたのは確かだったが、同時に火事場泥棒を悪びれた様子もなく行う二人組を少年は不思議そうに眺めた。

「来るがいい。美人二人が添い寝するこんな機会はそうそうないぞ?」

 手招きする女剣士と微笑を浮かべているエルフの娘。

 幼い少年には、良い人間かも悪い人間かも見当がつかなかったが、当面は此の二人組に頼る以外に手は無さそうであった。



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― 新着の感想 ―
[一言] 植物の知識さえあれば、それなりに緑が生い茂ってるところなら好きなように薬用植物や芳香植物を採って使えますからね。薬草も香辛料も、食べ物に風味を与え防腐作用や肉体機能の昂進に使えるという意味で…
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