土豪 05
北からの冷たい風が狭隘な丘陵の狭間を吹きぬけて潅木の枯れ枝を揺らし、土埃を舞い上げた。
細い雲の彼方から太陽が淡い冬の陽光を、生々しい破壊の痕跡が残る廃墟へと投げかけていた。
オークに攻め滅ぼされたとは言え、農園は人族の勢力圏に位置していた。
万に一つオークが残っているとしても、大勢であれば気づくであろうし、少人数であればなんとでもなる。
荒れ果てた農園を探索中に不意打ちを受けるのは御免だったので、アリアとエリスはまずは農園を一回りして様子を見て廻ることにした。
崩れかけた建物の内部を窓からそっと覗き見たが、血糊の飛び散った薄暗い床には人族かオーク族の死体が転がっているだけで、遠目から見た通りに生きている者はもう誰一人見当たらなかった。
道の途中で頭蓋を砕かれ死んでいる茶色い番犬に目を留めてから、黒髪の女剣士が前髪をかき上げた。
「犬も死んでいるか。住民は一人残らず鏖殺されたのであろうかな」
一番大きな母屋の間口に廻った途端、半エルフの娘が蒼い瞳を見開いた。
「キャベツだ!沢山ある!」
好物の発見に目を輝かせると、エリスは軽快な足取りで畝を乗り越えてキャベツ畑へと乗り込んだ。
小振りなキャベツを小刀を使って根を千切りながら回収し、土を軽く払い落として次から次へと肩から下げた鞄へと入れていく。
整った容貌をふっと微笑の形に綻ばせながら、アリアは再び建物とその周辺の探索に戻った。
長靴で赤土を踏みしめ、抜き身の長剣を手に握りながら、人気の失せた農園を見て廻った。
人の気配は、その残滓すら建築物に感じられない。
農園の裏手は、小高い丘陵が崩れたのか。聳え立つ崖に面していた。
裏庭の外れにある井戸の近くで、農婦と犬が寄り添うようにして死んでいるのが見えた。
家畜小屋だろう別棟の小さな建物には、数頭の豚を飼っていたらしい。
微かに家畜の餌である木の実や雑穀が散らばり、地面には糞尿の痕跡が残っていたが、無数の足跡からしてオーク達が豚を連れ去ったようだ。
どうやら生存者はいなさそうだった。それに家畜も残っていないと結論付ける。
糞の臭いが漂っている家畜小屋を後にして、母屋の戸口の前に差し掛かると、
足元には粗末な布服を着込んだ農民が二人。死体となって壁際と地面に転がっていた。
頭を砕かれた農民は、ぞっとするような断末魔の形相で宙を睨みつけていた。
何が気になったのだろうか。
戸口の前の敷石を踏みしめながら立ち止まった女剣士は、扉へと向き直ると、黄玉の瞳に鋭い光を浮かべた。
「……ふむ」
壊れた扉をじっと見つめてから、傍らで倒れている農民に目をやり、再び叩き割られた木製の扉をまじまじと眺める。
やがて鋭い目を剣呑に細めると、まるで頑丈さでも確かめるかのように指を伸ばして扉に触れていく。
「大漁だった」
弾んだ声にアリアが振り返ると、詰められるだけのキャベツを鞄に詰めたエリスが近寄ってきていた。
嬉しげな顔をしているエリスの鞄から溢れんばかりのキャベツを見ると、呆れた様子で
「何だね、それは?キャベツなんか放って置いて肉を探したまえよ。肉を」
「これでいいのさ。それより、そっちはお肉は在った?」
問いに肩を竦めると、女剣士は無言で扉を指し示した。
「……これが?」
呟いたエリスの表情は、意味を掴みかねてやや困惑しているようであった。
「如何思う?」
平坦な口調の問いかけに、半エルフは南の海の色にも似た切れ長の眸を女剣士に向ける。
貧しい家では扉を手当てできずに、安い布を垂幕として入口を塞ぐことで防寒対策とするから、
そういう意味合いでは、分厚い頑丈な扉を据え付けられるのは大したものだと思えた。
「壊れているけど、分厚い扉だね。」
「そうだ。そしてどうやって壊したのだろうな?」
呟いたアリアの声は深刻な憂いを孕んでいるように聞こえたので、何か言いたいことがあるのだとエリスは気持ちを引き締めた。
樫製の頑丈な扉は、斧で断ち割った薪のように真っ二つに割れていた。
まるで凄まじい剛力の持ち主に力任せで引き裂かれたかのようだ。
「襲撃者の仕業であろうな」
前髪をかき上げながらアリアは呟き、今度は地面の死体に視線を転じた。
倒れている農民は、頭頂部がぐしゃぐしゃに粉砕されていた。
割れた頭骨からは、白いゼリー状の脳漿が僅かに飛び出しており、
得物であったのだろう。死んだ男が手にしている錆びた中剣は、中ほどから刀身がへし折られていた。
もう一人。壁に叩きつけられて息絶えている若い女性の方は、肩口から胸板まで引き裂かれていた。
黄色い脂肪と赤い肉の入り混じった胸の中身は長時間の外気に晒されて幾らか黒く変色しており、四肢は壊れた人形のように捻じ曲がっている。
臭いはそれほどしない。冬以外の季節であれば、きっと蛆が湧いていたに違いない。
死後二、三日は経過しているだろう農夫たちの無惨な死体は、見る者に奇妙に生々しい印象を与えて、
少しだけ気分が悪くなったエリスは二、三歩を下がってから小さく深呼吸した。
破壊された扉と農民たちの亡骸を見比べてから、エリスは死者たちの冥福を願い、祈りを捧げた。
祈り終わった半エルフの瞳が、女剣士に向けられる。
黒髪の娘は、血や臓器の臭気にもまるで動揺した様子は見せずに、ただ深刻な表情を浮かべたまま、
地面にしゃがみ込んだ姿勢で時折、鋭い視線を走らせては入念に亡骸を調べていた。
恐らくは死体を通して此の惨劇をなした者に迫ろうとしているのだろう。
「貴女が気にしているのは、此の破壊を成し遂げた襲撃者の正体か?」
エリスのややしわがれた低い声での問いかけに、アリアは肩をすぼめながら立ち上がった。
「正体よりも寧ろ力量だな。オークに加わっているのならば、何時、我らと邂逅しないとも限らない」
小首を傾げると、エリスは躊躇いがちに尋ねる。
「……オークではないと?」
黄玉色の瞳に微かに緊張の光を帯びて、アリアはエリスをじっと見つめた。
眼差しは射抜くように鋭い。
「一撃で殺害されている。凄まじい力だ。見たまえ。頭が身体にめり込んでいる程だぞ」
死体を指しての冷静な指摘に、しかし、エリスは嫌そうに明後日の方向に目を反らせた。
次に破壊された扉に触れて目を眇めつつ、黒髪の女剣士は緊張に固く唇を引き締めた。
「分厚い扉も、力任せに破壊している。オークに出来る仕業ではない。
大オークは勿論、ウルク・ハイにも到底不可能だ。連中が束になっても、こんな芸当はできっこない」
其処まで聞いたエルフ娘は大きく溜息を洩らし、囁くようにして結論をそっと呟いた。
「勿論、非力な黒エルフという線もない。だが、襲撃したのは間違いなくオーク。
何か尋常ではない怪物。恐らくは、大型の亜人がオークの軍勢に加わっている」
然りとアリアが肯定する。
「……恐らくは、オグル鬼。いやさ、或いはトロル種かも知れぬが、どちらにしても近隣の民草にとっては難儀な事だな」
黒髪をかき上げながらアリアが重々しく吐き出した溜息に、エリスはふと思い立って訊ねてみた。
「貴女でも手に負えないか?」
「オグルにしろ、トロルにしろ、人族とは比較にならぬ巨躯と膂力を有している。
少々、鍛錬を積んだとて、尋常の人間に敵う相手ではない」
黒髪の女剣士は、知る範囲で最高の剣技の持ち主であったから、半エルフは微妙に強張った顔で俯いた。
エルフの娘は、彼方に広がる雑木林や周辺の小高い丘陵に視線を走らせていたが、女剣士は落ち着かない様子の友人を置き去りにして母屋へと踏み込んだ。
鋭い抜き身を片手にアリアは各部屋を順に見て廻るが、徹底的な略奪を受けたに違いない。
台所は荒らされており、卓上に半分解けたような腐った粥が悪臭を放っている他は食べ物も見当たらず、恐怖に顔を歪めた農夫の亡骸が大部屋の隅、箪笥に隠れるように転がっている以外は、特に目ぼしい物もなかった。
切り刻まれて死んでいる老農夫は、黄麻の上着を着込み革の洋袴を皮の紐で結んでいた。
裕福そうな身なりから農場の主と見たアリアは、悪びれもせずに懐を探ってみるが金目の物など何も出てこない。
老人の指が切られて落ちているのは、大方、嵌めた指輪を奪う為であろう。
服には乾いた血の跡がべっとりと染み付いており、身包みを剥ぐ意味もなさそうだ。
「時化ているな。外れか」
呟いて立ち上がった時に、エルフの娘が遅れて大部屋の入り口に姿を現した。
何やら鉄製の鍵を掌で弄んでいる。
「一番いい寝台がある部屋で、壁に掛かっていたのを見つけた」
「どうせ玄関の鍵であろうよ。丁度、鍵穴と同じ位の大きさだからな」
つまらなそうに鼻を鳴らしたアリアが言っても、エリスは何かが気になるようで捨てなかった。
玩具を見せびらかす子供のように手で重たい鍵を振ってみせる。
「共用かも」
「とんだ期待外れだ。肉も見つからんし財布もない。骨折り損だったな」
端正な顔立ちを歪めると、アリアは苛立たしげに音高く舌打ちした。
「結構、家畜を飼っていたみたいだけど、冬の前に腸詰や干し肉を作ってないのかね」
「家畜小屋も台所も略奪されていた。何一つ残っとらんよ」
口の中でオークの貪欲さを罵っているアリアの傍らで、エリスは何かを探すように家の中に視線を走らせた。
「これだけ立派な農場なら、貯蓄用の室とか在っても不思議ではないけど」
「裏手も廻ったが見当たらなかったな」
掌の鍵を眺めながら、エリスは言い張った。
「兎に角、私は見てないから一度、裏手を廻ってくるよ」
「まあ、好きにしたまえ」
アリアは如何でも良さそうに呟いたが、もう屋内には用もないのでエリスの後ろからぶらぶらと付いていく。
母屋の裏手に廻ったアリアとエリスだが、裏庭には一見、何も無いように見える。
正確に言えば、聳え立った崖際に幾らかの潅木と繁みが生い茂っており、犬と女の死体が蓋をされた井戸の傍らに転がっている。
「ほら、何も無いぞ」
肩を竦める女剣士の傍らで、半エルフは母屋の壁に手をつきながら暫し佇んでいた。
注意深く裏庭を見回していたが、やがて片眉を跳ね上げると裏庭を足早に横切り、切り立った崖へと真っ直ぐに向かう。
エリスが潅木と繁みを掻き分けて生垣の向こう側へと姿を消した後、直ぐにアリアを呼ぶ声が聞こえてきた。
黒髪の女剣士も踏み込んでいくと、一見、何も無いように見えた場所には、生い茂る植物に隠れるようにして崖に小さな洞穴が開いているのが分かった。
洞窟の入り口には、小さな木製の扉が設置されている。
「他所の家の人間がやってきても、ここなら見つからないね。オークも気づかなかったんだ」
アリアが軽く眼を瞠っていると、エリスが少し得意げな顔を向けてきたので素直に賞賛する。
「よく気づけたな」
「これでも、一応はエルフの端くれだからね。
自然に隠されたものを見つけるのは得意です」
言いながら、エリスが扉に鍵を差し込むと錠前の開く音がした。
洞窟の中は、狭い隧道がやや傾斜して地下へと向かっていた。
入り口から差す陽の光が、仄かに照らし出したが奥までは届かない
「暗い。明かりを」
アリアが隧道の途中にしゃがみ込んで、エリスは火起こし弓とおが屑を取り出した。
「少し待ってて」
入って直ぐの場所に松明が置いて在ったので、起こした種火を移して隧道を照らし出す。
改めてみると、隧道はさして奥行きがある訳ではない。
少し歩いたところの突き当たりで、洞窟は小部屋程度の広がりを見せた。
貯蔵室になっているのだろう。
ひんやりした空気の中、低い天井近くに張られた縄には茶色い革袋に入った腸詰やら燻製肉やらが吊るされている。
「ほう」
収穫を前にして、アリアは喜色を明らかにしながら貯蔵室に足を進めた。
手前に吊るされている腸詰に腕を伸ばすと、手に取って臭いを嗅いでみる。
「何時の物だろう?あまり古いと不安だが」
「此処は良く冷えているし、焼けば大丈夫だと思うよ」
アリアはエリスの声に頷くと、次々と豚の腸詰や燻製肉、塩漬け肉、山羊の乳酪や干し肉などを手に取り、片端から背嚢へと入れていく。
「こっちの壷はカラス麦かな。こっちは粟。それに黍か」
呟きながらエリスが見て廻る部屋の隅には、穀類の満ちた素焼きの壷の他に、玉葱や人参など保存し易い野菜も袋詰めで置かれていた。
「野菜も……」
「いらん」
偏食家に一言で切って捨てられた。
「仕方がないなあ」
翠髪のエルフ娘は小さく首を振ると、幾つかの玉葱と人参の袋を手に取った。
「さあ、戻ろう」
朗らかに言ったアリアは、戦利品で重たくなった背嚢を背負い、両手にも肉類の詰まった革袋を幾つかぶら下げていた。
傍目に見れば優に6貫目はある(貫は約3.7キロ)。下手したら十貫近く在るだろう。
「そんなに欲張って持って、食べ……られるか」
重い荷物が怪我に響かないのかとか、料理するのは自分の役目なのだろうなとか、色々と思うところはあるものの、エリスは何も言わずに小さい溜息を一つ洩らして立ち上がった。
二人が隧道から出た頃には、太陽は中天より幾らか低くなっていた。
松明を隧道の脇に捨て、扉を閉めてから鍵を掛けると、エルフ娘は懐に鉄製の鍵を仕舞いこんだ。
エリスの行動に、アリアが首を傾げる。
「どうして鍵なんか掛ける?また此処に取りにくる気か?」
「此の侭、新しい住人が来なかったら……何時か住めたら、なんて駄目かな?」
自信なさそうにエリスはぽつぽつと呟いた。
「ふむ。辺境の法や取引が如何な仕組みかは詳しくは知らぬが……
金なり家畜なり相当の対価を示して民会に話をつけねばなるまいよ」
「やっぱりそうか」
半エルフの娘は露骨に肩を落とす。
「そこらの小屋なら兎も角、これだけの農園となればなあ。
勝手に住み着いてそのまま済し崩しにするには、よっぽど力が無ければ難しかろう。
何れは近隣の郷士なり、富農なりから、親戚筋が名乗り出てくるに違いない」
「虫のいい話か」
エリスも好きで放浪の旅を続けている訳ではなさそうだ。
寄る辺ない放浪を続けるよりは、やはりどこかで安定した生活を送りたいに違いない。
俯き加減になったエリスの横顔は、翳りを帯びていた。
家臣になるように請うてみようかとアリアは数瞬を迷ってから、結局、口には出さなかった。
互いに友達だと思っていても先日の捻くれ具合から察するに、エリスにとって主従関係と友情は同時に成立し難いものかも知れぬ。
説得すれば家臣に出来るかも知れないが、今とは違う関係になりそうな予感もした。
主従で親友。或いは恋人でも、成立すると思うのだけど。
思いながら、育った環境が違えば考え方が違うのも、仕方ないのだろうとも思う。
彼女が友情に夢を見ているのか、自分が汚れているのか。アリアにはよく分からない。
兎にも角にも、一緒にいるのは不快ではなかったから、今はまだ此の関係でいいだろう。
急いで答えを出す必要がある訳でも無し。時が何らかの答えを出してくれるかも知れぬ。
機が熟すのを待とう。そう結論付けて、アリアはゆっくりとエリスの隣でゆっくりと歩き出した。
井戸の傍らを通り掛かった時だ。突然、動物の吼え声が響き渡った。
「なんだ」
アリアは荷物を捨てて跳び退りながら、一瞬で腰に吊るしていた長剣を抜き放っている。
エリスはびっくりしてただ周囲を見回していた。
二人の娘が警戒していると、それまで死んだと思っていた茶色い犬が弱々しく動いていた。
よろよろと躰を起こし、つぶらな黒い瞳で二人の娘をじっと見つめると鼻を鳴らした。
それから踵を返して井戸に鼻を擦りつけながら哀しげに二、三度鼻を鳴らし、再び、何かを訴えるようにアリアとエリスを見つめて、そのままずるずると地面へと崩れ落ちてしまう。
「……なんなんだ?水でも飲みたかったのかな?」
アリアが慎重に歩み寄ってみると、犬はやはり傷を負っていた。
大きくはないが深い傷であり、ぜえぜえと荒い息を繰り返していた。
死んでいないのが不思議なくらいの深手に、寧ろ今まで良く持ったと思う。
近くで死んでいる中年女には、頬に血のついた舌で舐めたような跡が残っていた。
主人だろうか。死してもなお、整った顔立ちから見るに、生前は相当な美人に違いない。
「何が言いたいの、お前?」
しゃがみこんだエリスが、視線を合わせて瀕死の犬に訊ねる。
茶色い犬が何かを必死に訴えかけているのは分かるが、それが何かは分からない。
井戸をじっと見つめている犬は、長くはないように見えた。
「水が飲みたいの?」
最後の願いを叶えてやろうとエリスが木板の蓋を退かし、井戸の中へ縄の付いた壷をゆっくりと下ろしていくと硬い音が響いた。
「枯れ井戸みたい」
何気なく覗き込んで、エルフの娘は息を飲んだ。
陽光が微かに照らした薄暗い井戸の底。小柄な白い人影が蹲っているのが見えたからだ。




