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土豪 02

 腰ほどの高さの柵を左手に見ながら小道を進み続けると、やがて木々の生い茂った農園の門へと着いた。

 農園の中庭には、数戸の民家や家畜小屋、納屋が立ち並んでおり、果樹の木々の狭間からは農園の持ち主である郷士ベーリオウルのやや古びた邸宅が窺えた。

中庭で木材を運んでいた数人の農奴や小作人が立ち止まり、見慣れぬ余所者へ訝しげな眼差しを向けてくる。

「ベーリオウル殿!ベーリオウル殿はおられるか!」

 栗毛の若者は、しかし堂々とした態度で中庭へと騎鳥の歩を進めると大音声で主を呼ばわった。

黄麻色の毛並みの大足鳥に跨り、上等な拵えの厚手の布服に身を包んでいる。

恐らくは土地の有力な豪族の子弟であろう。

「おう、誰かと思ったら、クーディウスの倅じゃねえか」

 得物を手にして胡散臭そうに闖入者を眺めている男達を掻き分けて、馬小屋から出てきた一際背の高い半裸の大男が前へ進み出てきた。

 年齢は、壮年から初老であろうか。後ろに纏めた長い金髪は微かにくすんでおり、目尻には皺が寄っているが、その堂々とした屈強な肉体は古代帝国の建築家が精魂込めて造った石像の如くに逞しかった。

 若い頃は戦場を駆け回ったのであろうか。

なお壮健な体躯には無数の刀槍の傷が刻まれており、獰猛そうな野獣の笑みを浮かべた顔にも額から顎に掛けて深い裂傷が刻まれていた。

 後ろの馬小屋の入り口では、豊満な裸体を惜しげもなくさらした栗毛の娘が、不満そうに頬を膨らませてお楽しみの邪魔をした若者を睨みつけていた。

「お楽しみの最中に邪魔をしたんだ。つまらん話だったら叩ききるぜ?」

からかうような物言いのべーリオウルだが、眼光は刺すように鋭く険しい。若者が気圧されたように喉を鳴らした。

「ベーリオウル殿。その様子では、此処は無事なようだな」

「何のことだ?」

壮年の郷士が眉を顰めると、

「オークだ」

言ってから若者が咳払いした。


 周囲を囲んできた男たちの間を、緊張とざわめきが走りぬけた。

幾人かは、まるで若者が知らせてきたから、此処にもオークがやってくるとでも言いたげな態度で悪い知らせをもたらした使者をじろりと睨みつけている。

 使用人や農奴たちは緊張した面持ちで低く囁きながら互いの顔を見合わせているが、壮年の郷士は一向に緊張に伝染した様子を見せなかった。

「悪いが飲み物をくれんか?此処まで走りづめだったのだ」

「水を飲ませてやれ」

使用人が近寄って手綱を取ると、農婦が愛想笑いを浮かべてワインの壷を差し出した。

「ありがたい」

大足鳥から降りると、壷のワインを呷って使者の若者はもう一度、咳き込んだ。落ち着いてから、

「それも十や二十ではないぞ。街道から北の農家や旅籠などが襲われている」

「確かか?手長辺りの盗賊が手下を率いて暴れてるんじゃねえのか」

くすんだ金髪をかきながら、べーリオウルは胡散臭そうに鼻を鳴らした。

「違う。我が館に少なくない数の農民が駆け込んできた。

 如何やら彼奴ら、此処二、三日は散発的に襲撃を繰り返しているらしい」

苛立たしげに舌打ちしてから、ベーリオウルは獰猛な笑顔を浮かべる。

「丘にすっこんでいればいいものを。態々、人間様に殺されに来たかよ」

郷士の笑顔には暗い陰惨な翳りが濃密に滲み出ており、直視した若者の顔に怯えが走った。

「で、数は?」

「皆目、見当もつかん」

べーリオウルの鋭い目付きに睨まれて身震いし、使者の若者は慌てて付け加える。

「だが、農園も襲われている。尋常な数ではないだろう。カルルク老人のところなど完全に焼き払われた」

「ほう、カルルクのところが。西の丘に近い分、相当な構えを備えていた筈だが……」

 初めて荘園の主人が幾らか考え込む素振りを見せた。


 西の丘陵地帯がオーク族の巣食っている領域である。危険な土地なので、近づく者は滅多にいない。

踏み込むのは、向こう見ずな行商人か、安酒を飲みすぎて頭の螺子の外れた冒険者くらいだろう。


 オークの領域の近くに棲まう豪胆なカルルク老人の農園は、よく防備が整えられていた。

農園の土壁は高く頑丈で、老人の三人の息子はいずれも屈強な青年であり、

配下の武装農民も含めれば、十やそこらのオークが襲撃してきても撃退できる位の備えも在った。

「あちらこちらに散っているが少なく見積もっても五十以上。もっとかも知れん。

 下手をすると大挙して侵攻してくる前触れではないかと親父殿は危惧している」

使者の若者がいかにも重々しく告げた意見を、べーリオウルは鼻で笑って一蹴した。

「それは有るまい。北方諸国では騎士団が優勢に戦いを進めているからな」

 血も肉もある亜人である、地の底から湧いてくる訳でもない。

大規模に遠征してくるならば必ずある種の前触れは在るものだ。

北方の勇猛な騎士団相手に苦戦しているオークが、南方に兵を向ける余裕などある筈が無い。

荘園の主人にとっては自明の理であるが、父親の意見を一言で斬って捨てられたのが気に入らないのか。

使者の若者は不快そうな表情で、頬を微かに引き攣らせている。

如何やら彼にとって父親の存在は相当に大きいらしい。

 嘲笑を口元に張り付かせたべーリオウルに、使者の若者はやや居心地悪そうに身じろぎした。

「兎に角、一大事というので、農園や荘園を廻って郷士豪族の諸氏に知らせている。

それでベーリオウル殿にも是非知らせなければならんと父の命でやってきたのだ」

「なるほどな。お使いご苦労だった」

「後で館に来てくれ。此れから、少し遠いところも廻らねばならんからな」

 若者の父親はべーリオウルにとって古い知己であり、また一帯の有力な豪族の一人であった。

息子を使いに直に招きが来ては、行かない訳にもいかない。

 壮年の郷士が鷹揚に用件を了解し、使者の若者が再び鳥上の人になろうとした時、農園の入り口の方から甲高い家畜の鳴き声が響いてきた。

 姿を見せたのは、山羊の群れを引き連れ、杖を後ろ手に持った毛皮の服を纏う若い女性。

背中には、やや短い中剣を鞘を革紐で結んで背負っている。

背は高く、鮮やかな金髪を背中に長く編みこんでいた。

「……リヴィエラ殿」

 使者の若者の呟きに、リヴィエラは微かに首を傾げた。

久しぶりに合った幼馴染にゆっくりと歩み寄っていく女性の傍らを、十数匹の山羊が中庭の奥にある水場目指して走り抜けていく。

 目の前に立つ金髪の女性が微笑みかけると、顔を赤らめつつ使者の若者は口篭りながら挨拶した。

「リヴィエラ殿も、無事だったか」

返答はせず、ただ微かに目礼してから、リヴィエラはべーリオウルに問いかけた。

「何事です?父さん」

「オークだ。小僧が知らせに来た」

 つまらなそうな父親に一部始終を聞いてから、リヴィエラが頷いた。

若者に向き直って激励の言葉を贈る。

「無理をしないで、気をつけてね」

「心配してくれるのか?」

「ええ、心配よ」

嬉しそうに顔を崩した使者の若者だが、女性の次の言葉に嫌そうな顔となった。

「君はあまり強くないのだから」

 べーリオウルの爆笑が農園の庭に木霊したが、リヴィエラはからかっている訳ではなく真顔で本当に心配しているように見えた。

怒鳴り返す訳にもいかず、使者の若者は歯噛みしながら

「俺はこれでもクーディウス家の跡取りとして恥ずかしくないだけの鍛錬は積んでいる」

怒りを抑えて顔を赤くして言い張る青年に、口元に手を当てた金髪の女性が悪戯っぽく微笑んだ。

「あれ?去年の村祭りの余興でパリスにコテンパンにのされていたのは誰だったかな?」

「あれは偶々だ。今年こそ勝つさ」

金髪のリヴィエラは、からかうような笑顔を浮かべるとこらえ切れないように吹き出しながら

「あまりパリスを虐めちゃ駄目だよ。君と違って色々と思いつめる性質だから」

「……おっ、俺は」

「冗談。さ、他にも廻るところがあるのでしょう?此れを持っていって」

言葉に詰まった使者の若者を翻弄するのにも飽きたのか、リヴィエラは持っていた布袋を押し付ける。

「胡桃のパンとチーズが入ってるから」

「ありがたい」

 熱意を込めて礼を言った青年はまだ何かを伝えたい様子だったが、荘園の娘が手を振って頑張ってねと告げると、幾度か振り返りながら農園から去っていった。

客が農園から立ち去ると壮年の郷士は面白そうに金髪の娘を鋭い目で見下ろした。

「あんな小僧がお前の趣味か?」

「……まさか。それより」

 リヴィエラは厳しい顔つきになる、と弛緩したような気配が一変して父親のべーリオウルに良く似た鋭い雰囲気を漂わせた。

血に塗れた短剣を懐から取り出して地面に放り投げる。

「オークか?」

「三人。大した奴らじゃなかったけど……」

然したる事でもないかのように言ってから、一度言葉を切ってリヴィエラは軽く首を振った。

「その時は逸れかと思って、さっさと始末した。斥候だったとしたら失敗した」

「じゃじゃ馬が。生かして捕らえるべきだったぞ」

楽しげに獰猛な笑みを浮かべている父親を見て、軽く頬を膨らませると金髪のリヴィエラはもう一度肩を竦めた。

「まあ、いい。明日からクーディウスの館に行く。お前も来い」

「分かった。泊まりになるね。用意しとくよ」

「待て、リヴィエラ」

踵を返した娘の背中に、長身の郷士は呼びかける。

「お前は近隣では一番の器量良しだな」

立ち止まったリヴィエラの顎に手を掛けて、値踏みするようにべーリオウルは娘の顔をじろじろと見定める。

「そうだね」

誇らしげに胸を張る金髪のリヴィエラを見てから、べーリオウルはにいっと笑った。

「小僧はお前に惚れてるようだ。

 精々、機嫌を取っておけば、クーディウスの奥方様に納まれるかも知れんぞ?」

 大笑いしながら踵を返した郷士の背中をむっとして睨みつけていたリヴィエラが、何を思いついたのか。急ににやりと笑って言い返した。

「父さんはあんな息子を持ちたいのか。趣味が悪いね」

憮然とした父親の表情を見て、笑いながら金髪の娘は軽やかに家へと走っていった。



 オークの追撃を振り切って街道まで逃げ延び、竜の誉れ亭に転がり込んだエリスとアリアであったが、気が抜けたのか。

 或いは、傷口から毒素が入り込んだのやも知れない。

満身創痍の女剣士アリアは、その日より全身に高熱を発して寝込んでしまった。

エルフの薬師エリスは、財布から硬貨をばら撒くようにして、ひなびた旅籠では一番よい個室を貸しきると、その日より付きっ切りで看病に入った。


 蛆がいればよかったのだが、寒さの厳しい初冬のヴェルニアには見つからなかった。

なのでエリスは口を注いでから、アリアの傷口に唇をつけて膿を吸出し、吐き捨てている。

傷を洗い、煮沸した糸と針で縫い、薬草を取ってきては湿布を作って巻きつけた。

 薪を絶やさずに炎を燃やし続けて部屋を暖め、解熱の効果のある薬湯を作り、発汗が激しいので、

湧き水で汲んで来た水を、乾いて割れた朱色の唇に口移しに飲ませた。

 深夜には、痛みと高熱の苦悶にもがき、のた打ち回る躰に肌を密着させて、アリアが朦朧としていた意識をはっきりと取り戻したのは丸二日を経てからであった。


 旅籠に辿り着いてから、三日目である。

黒髪の女剣士は、全身に纏わり付いていた重たい苦痛がふっと抜けたのを感じとって、うっすらと目を見開いた。


 まず薄暗い部屋が目に入った。それなりに広い奥行き。

分厚く重たい扉が左手に位置し、右手には閉め切ったくすんだ色の鎧戸がある。

半エルフの姿が見当たらないのが気になったが、寝台の傍には彼女たちの剣と荷物がすべて置いてあったので、何処かに行ってるだけだろう。


 奥の暖炉では弱い炎が音を立てて燃えている。

間近な鎧戸の隙間からは微かな燐光が差し込んでいた。

陽光だろうか。それにしては光が淡く優しい。月光かも知れない。


 朦朧としていた頭の中の記憶を整理しつつ起き上がろうとし、汗だくの身体に濡れた肌着が張り付いている不快な感触に眉を顰めた。

と、廊下に微かに人の気配が近づいてくるのに気づいて、視線を転じた直後、扉が開いて翠髪をしたエルフの娘が部屋に入ってきた。

手には、縄で縛った空の土器を吊り下げている。


 意識を取り戻した友人の姿を認めると、エリスは切れ長の蒼い瞳を細めて美麗な口元を綻ばせた。

排泄物の入っていた素焼きの壷を部屋の隅において木板で蓋すると、エリスは足音もなくアリアの寝ている寝台へと歩み寄ってきた。

「……私は何日寝ていた?」

「丸二日、今は三日目の夜更け」

投げ掛けられた質問に低く擦れた声で応えてから、エリス囁くように告げた。

「もうじき夜が明ける」

意識は朦朧としていても、看病を受けた記憶はアリアの脳裏に刻まれている。

「何か欲しいものはある?」

エルフの娘に問われて、考え込むように俯いた。


 アリアテート・トゥル・カスケード。

カスケード女伯子・アリアテートは、故郷のシレディア郡において頑迷孤高な人柄の持ち主として知られていた。

 戦場においては勇猛で苛烈、幾らかは冷酷にして傲慢。幾人もの名の知れた強者を討ち取ったこの若い女剣士は、向背常ならぬシレディアの郷士豪族勢にとっては、時に頼りに出来る味方であり、時に恐るべき敵であった。


 勇気や公正など、欠点を相殺して余る幾つかの美点に恵まれている為、けして嫌われている訳ではなく、寧ろその人格には一定の敬意を払う者さえいたものの、一方で他者を容易に寄せ付けない人柄は、戦場で見せる恐るべき勇猛さと苛烈さも合い間って、気安い友人関係を構築するには些か難のある人物と見られていた。


 彼女は己が欠点を自覚せぬ訳ではなかったが、無理をして矯正したり、猫を被るよりは、

あるがままの性格を持って親しく出来る少数の人間を大切にしようとの考えの持ち主だった。

豪族や貴族としては余りよい傾向ではないだろう。


 当然の帰結として、整った容貌や少なくない財産、秀でた家柄の持ち主にも拘らず、親しくしようとする者は異性、同性を問わず少なく、女剣士は人に好かれた事、親切にされた経験が余り多くなかった。

だから、エルフの娘が最後まで自分を見捨てずに救ってくれたこと、熱心に介抱してくれたことには、戸惑いながらも強い印象を覚え、感謝していた。

困難な時代だ。誰であろうと、他者を助ける事、他者の為に何かをなすのは大変な事であろう。

だからといって完全に心を許すほど素朴な性格でも、愛情に弱い訳でもなかったが、嬉しいことには変わりはない。


「……腹が空いたし、喉も渇いた。

水と食べ物。それに躰を洗う湯が欲しいな」

「分かった。台所に行って何か貰ってくるよ。お粥でいいかな?」

要望を伝えると頷き、踵を返したエリスの手を何故かアリアは掴んでいた。

自身の行動に戸惑い、何かを言おうとして、だが、言葉が思いつかない。

「……どうしたの?」

しゃがみ込み、笑いながら問いかけてきたエルフの娘。

「助かったのは君のお陰だろう」

女剣士は半エルフの双眸を見つめながら、淡々とした口調で言葉を続けた。

「……シレディアでは、カスケードは多少は名の知られた一族だ。

 私に対して何か望むものはあるか?叶えられるものなら、何でもする心算だ」

アリアの言葉に、エリスの表情は微かに曇ったように見えた。

「……なんでも?気前がいいね。望みを言うがいいということかな」

エリスの低く擦れた力の無い声には、不思議と落胆しているようにも聞こえた。

「私に出来ることなら、なんでもしよう」

本気で繰り返した言葉に、エルフの娘はどこか失望したように溜息を洩らした。

「ないよ。なにもない。貴女が助かった。それだけで良かった」

言って何故か怒ったように立ち上がった。理由の分からない不機嫌さが透けて見える。

「……何か怒らせるようなことを言ったか?」

らしくもなく少し焦って問いかけるアリアだが、エリスからはけんもほろろの反応が返される。

「なんでもない」

「待て、エリス!」

 踵を返して扉へと向かったエルフを追おうとして動いた時に、気分の悪さが襲ってきた。

女剣士は躰を海老のように曲げて、床の上に手をつき軽く咳きこんだ。

 再び寝台に横たわって苦しげに喘いでいると、瞼の上に冷たい手が差し伸べられた。

「ただ、礼をしたい、と……わたしは」

少し躊躇すると、エリスは唇を舐めてから口を開いた。

「友達が助かっただけで私は嬉しかった。

 無償での助けに、値段をつけないと安心できない?」

見つめてくる蒼の双眸に戸惑い、困惑して黒髪の女剣士は問い返した。

「それは……捻くれてないか?」

「そうですね、カスケード卿。私は貧しい放浪の半エルフですから」

 これ以上、突っ込むと拗れそうな予感がした。

気は合っても、出会ってからの時間は短いのだ。

関係を修復できなくなるのも恐かったので、無言になって機嫌を取ろうとエリスを不意に抱き寄せた。

「……はうっ」

 不意打ちに小さく悲鳴を上げて、年下のエルフの娘が固まった。

長命の種族では、同性同士の契りは常命の種族より多く見られる傾向だとアリアは耳にした事があった。

一緒に寝ている時、エルフの娘は肉体的な接触を悦ぶ様子を見せていたから、肌と肌を密着させながらもエリスは女が好きなのかも知れないな、などとアリアは密かに推測していた。

「拗ねないでくれ。感謝してるのだ」

 折れるのも嫌だが嫌われたくもないので、怒りを逸らして懐柔することにしてみる。

優しいながらも力強く抱きしめながら、アリアはエリスの尖った耳元でそっと優しく囁き続けてみる。

「もう駄目かと思った。命を助けられた。私を嫌わないで欲しい」

 そうやっていると半エルフの娘が白い頬を桜色に染めていた。

やはり私に惚れているな。そして恋愛は、常に惚れたほうが弱みを持つのだ。

惚れた弱みに付け込んでのご機嫌取りは上手くいったらしい。アリアは微かに口の端を吊り上げた。

だが、上手く行き過ぎたかもしれない。

「……分かってる」

吐息が触れ合う距離でエリスは潤んだ瞳でアリアを見つめ返してきた。


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エリスがアリアに迫る。


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鐘を打つようなけたたましい金属音の響きが二人の耳を打った。

「さあ、皆様方!朝食の時間ですぜ!竜の誉れ亭の自慢の粥だ!」

廊下の先から親父のどら声が響いてきた。

旅籠の親父が客に食事時間を知らせる為に、鍋だか銅鑼だかを叩いているのだろう。

「……朝食の時間だね」

 いったい何時、体勢を変えたのだろうか。

何時の間にやら横合いに座り直していたエリスが、我に返った様子でフッと躰を離した。

先程までの妖しい気配を完全に消して立ち上がる。

「……私は貴女に会えてよかったと思ってるよ」

 翠髪のエルフの娘は、低い声でそれだけ言うと扉から逃げるように部屋を出ていった。

部屋に一人残された女剣士が、安堵と心残りの入り混じった表情で身を起こした。

寝台に座ったまま、暫し身動きせずに視線だけをくすんだ色の天井に彷徨わせる。

寄る辺のない若者に対して、二人きりの状態で想い人が思わせぶりに振舞えば、暴走するのは当たり前だったかも知れない。

思慕の情に付け込んで思わせぶりな態度など取るべきではなかったと反省する。

「ある意味自業自得か……」

 高鳴った動悸を抑えながら、指先で触れた唇にはまだ火傷したような熱い痺れが残っていた。

危なかったような、惜しかったような。

しかし、嫌ではなかった。

「受け入れるにしろ、拒むにしろ……身体を癒してからの話だが」

気持ちを整理しながら、天井を見上げたアリアは少しだけ困ったような口調で呟いた。

「さて……どうしたものかな」



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