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追跡 06

 夕暮れに染まる丘陵の頂で、黒髪の女剣士は地に横たわったエルフの娘を膝枕しながら、彼女の新緑に似た翠色の髪を撫で付けていた。

「……また助けられた」

「……気にするな。お互い様だ」

 はにかんだような微笑を浮かべて、エリスはアリアの膝に顔を埋めた。

西日に照らされている頬には血の気が戻っていた。夕陽の茜色による錯覚だけではない。つい先程まで死 体のように冷たくなっていた肌に宿る暖かさと顔色に、

もう大丈夫だろうと判断すると、アリアは億劫そうに立ち上がった。

指先の離れたのを感じ取ったエリスが、擦れたと息を洩らしながら不満そうに見上げた。

「気持ちいい……もう少し撫でて」

 甘える声は些か潰れていたが、そっと見上げてきたエルフ娘の可愛らしい媚態に動かされずに、女剣士はクシャリと友人の頭を乱暴に撫で付けてから

「南に戻れたら幾らでも」

 言って、倒れている青年と村娘を鋭い眼差しで見つめた。

遥かな西方の山脈の黒い稜線の上空では、黄昏の紫と茜色が入り混じっていた。

日の沈む前に片付けなければならないことが在る。


 長剣を肩に担ぎ、まずは赤毛の村娘へ向き直って問いかける。

「さて……お前はローナへと向かったと思ったが、如何して此処にいる?」

些かの疑念の入り混じった眼差しを向けられ、娘は眉を潜めながらも淀みなく説明した。

「……村人の誰か一人は、南へ向かうべきだったから。

 見ず知らずの旅人が知らせるよりは、村人から告げられた方が豪族も動くと思うし。

 なので、貴女達と一緒に行かせて貰おうと思って追いかけてきた」

「ふぅん。まあ、別に同行は藪かさでもない。元よりその心算であったしな」

 自ずから訊ねた癖にさして興味もないといった様子で、アリアは鼻を鳴らして会話を打ち切った。

問答の最中、視界の隅でエリスがふらつきながら立ち上がっているのが見えた。

「立てるかね?」

翠髪のエルフは差し伸ばされた腕に掴まって立ち上がったが、だるそうな様子を隠せずに手近な針葉樹の幹に寄り掛かって、女剣士が腰帯に差した短剣を指差した。

「……ねえ、それを貸してもらえるかな?」

もう一つの用件を自分で片付ける気なのか。

女剣士は鞘ごと短剣を引き抜いて、エルフ娘に手渡した。

「いや、やるよ。君も一つは得物を持っていたほうがいいだろうからな」

「ありがとう」

受け取った翠髪のエルフ娘は、優しげな容貌には似合わないどこか獰猛な笑みを浮かべて、倒れている青年へと歩み寄っていった。


 何処を如何痛めつけたらこうなるのか。

打撲による内出血や裂傷によって、農夫の青年の顔や体の皮膚は赤と青と紫の痣でまだらに変色している。

関節を砕かれたのかも知れない。左腕は肘から変な方向に曲がっていた。

大男と真正面から殴り合っても、普通はこうはならないのではないか。

青年の連れ合いは姿が見えない。

やはり、あの後オークに殺されてしまったのであろう。

蚊の鳴くような声で繰り返し恋人の名を囁きながら、青年は地に伏せて啜り泣いていた。


 普段なら哀れみを催すであろう青年の姿も、殺されかけた今のエリスにはいい気味だとしか思わない。

視界にエルフ娘が入ると、青年は驚愕に目を見開いて顔を青ざめさせた。

「死んだと思った?」

 エリスは拉げた声で尋ねる。己の喉から出たとは思えない冷たい響きの声音。

エルフ娘の手にした短剣が夕陽を受けて鈍く輝き、農夫の青年が緊張に喉を鳴らした。

先程まで農夫の青年に宿っていた狂気に近い憤怒も、破れかぶれの勇気も、女剣士に散々に叩きのめされた事で何処かへ消えうせてしまったようで、彼本来の大人しそうな顔つきに露骨に脅えを張り付けて、動かない身体で後退ろうと弱々しく地べたでもがいていた。

「まるで虫けらだね」

何故か、笑いの衝動がこみ上げてきた。

「……な、何をする気だ?」

「分からない?」

 憎々しげに睨み付けてくるエリス。

傍らに立つ女剣士は、青年が反攻に転じた際の用心に備えてその一挙一動に注視していた。


 立ち尽くしていた赤毛の村娘が、恐る恐ると話しかけてきたのはその時だった。

緊張を和らげようとそっと唇を舐めて湿らせると、おずおずと口を開いて半エルフに語りかける。

「……こ、殺す心算?」

村娘は訊ねたが、愚問だろう。

「さて、どうしようか?」

エリスはクスクスと笑いながら、己の首、黒い痣の残る首を撫で廻してしゃがれ声で呟いた。

「……凄く苦しかったし、凄く恐かった」

言葉を区切ってから、村娘を切れ長の蒼い瞳でじっと見つめる。

「生かしておくと思う?」

普段は温和な性情をしているエルフ娘が、さすがに怒りを隠そうともせずにその頬が昂ぶった感情に痙攣している。

 救いを求めるように村娘は周囲を見回したが、勿論、黒髪の女剣士には止める気などない。

逆に邪魔する気なら容赦はしないぞとの意志を込めて、村娘を睨みつけた。

アリアの鋭い視線に射竦められて、思わず怖気を震いながらも赤毛のジナは退かなかった。

「……ま、待ってほしい」

庇うように青年の前に立ちはだかり、跪いてエリスを見上げると必死に命乞いした。

「あ、貴女が怒るのはもっともだ。

 こいつが、この馬鹿がした事は殺されても文句が言えないことだと思う」

「……そう思うならいい加減、其処を退いて欲しいな。喉も痛いし、休みたいんだ」

エリスが苛立たしげにつめたい言葉を吐き捨てる。

村で見せたような優しげな様子はかなぐり捨てていた。

「だ、だけど、それを重々承知の上でどうかお願いします。

 何卒、許していただけないでしょうか?」

両手を汲んで頭を下げつつ懇願するも当然に黙視される。

「……どうしたものかな?」

苦笑したエルフ娘が困ったように横を向くと、友人の視線を受け取った女剣士が前に出てきた。

「……そこをどけ」

野生の狼を思わせる鋭い眼光に貫かれて、恐怖に竦みながらも村娘のジナは退かなかった。

「お、お願いします。ど、どうか。どうか、お慈悲を……」

「もう一度だけ言ってやる。そこを退け」

 退こうとはしない。

ジナの再度の懇願にアリアの狼を思わせる黄玉の瞳が硬質の光を放った。

勇敢だが、愚かな娘だ。女剣士が剣を引き抜いた。

村娘の瞳に涙が浮かぶ。目をギュッと閉じて、青年に覆いかぶさった。

青年が絶望の呻き声を上げる。

長剣を握る腕に力を行き渡らせて、刃を振り上げようとした時、小さく吐息を洩らしてエルフ娘が制止した。

「……待って」

さすがにアリアは歩を止めたものの、黄玉の瞳に意外そうな光を宿してエリスを鋭く一瞥した。

「……まさか許す気ではあるまいな?」

陰気そうに苦い顔をしたエルフ娘は肩を竦めると、赤毛の娘の傍らにしゃがみ込んだ。

「……彼は貴女の想い人なの?」

「いいえ」

即答に小首を傾げて、エリスは赤毛の村娘をじっと見つめた。

「では、何故?」

「……これも、これの兄も、連れ合いも、みんな顔見知りなんです。

 同じ村で生まれて、同じ村で子供の頃から一緒に育ちました」

涙目で震えながら、赤毛のジナは鼻声で偽らない心情をエリスに吐露した。

「……大勢が死にました。とても大勢が。

 だから、もう。これ以上、誰にも死んで欲しくない」

「……大勢が死んだ、か」


 意外な言葉だったのだろうか。

呆けたように呟いてから、エリスはその眼差しを倒れている青年へと向けた。

「私は逆恨みで殺されかけた。その意味では、彼を裁く権利がある」

青年は怯えと恐怖の入り混じった眼差しで、アリアとエリスを見つめていた。

じっと見つめてから、翠髪のエルフ娘は口を開いた。

「……何を勘違いしているのか知らないけれども、貴女の連れ合いが死んだのは私の責ではない」

愛妻の死に言及されて、農夫の青年がエリスの双眸を睨みつける。

「彼女がオークたちを抑えていたのに、族長を殺したから」

エリスの口から出たのは酷くしわがれた声だった。或いは声帯が潰れたのだろうか。

麻痺している感覚があるにも拘らず、ズキズキと喉が酷く痛んでいた。

本当は喋らないほうがいいに違いない。きっと、後で激しく痛み始めるだろう。

「嘘だと思う?他の種族に比しても、オークには頭目の仇を討とうとする風習がある。

 力の掟といって、族長を殺した者を討ち取ったオークが次の族長になるの」

 話しながら、今後はずっと此の潰れた声と付き合うことになるかも知れないとエリスは思った。

生きていただけで幸運だと思えた。

剣を持っていた。身を守ろうと思えば守れたのに躊躇した。

しわがれた声を耳にする度に自分の愚かさを思い知らされるだろう。

膝を曲げて屈み込み、青年の茶の双眸を覗きながらエリスは言葉を続けた。

「信じられないなら、後で古老なり戦士なり知ってそうな人に聞いてみればいい」

青年の瞳が動揺したように微かに泳いだ。理解していると見て、言葉を続ける。

「オークたちが貴方たちを追い掛け回したのは、貴方が族長の仇だから。

 彼女はそのとばっちりを受けたの。自業自得なのよ」

青年が大きく目を瞠った。自分の言葉の効果を確かめて、微かに目を細める。

「貴方がオークの酋長を殺さなければ、死なずにすんだの」

大きく喘いでいる青年の顔から血の気が引いていった。

「貴方が彼女を殺した」

それだけ告げると、エリスは立ち上がった。


 黒髪の女剣士はムスッとした様子を隠そうともせずに、隣に歩み寄ってきた翠髪のエルフを見つめた。

「……まさか許す心算かね?」

不機嫌そうな口調で問われて、不思議そうにエリスは首を傾げた。

「いけないかな?」

黒髪の女剣士は頷いて断言した。

「君の考えが分からん……逆恨みするような輩だ。また襲ってこないとも限らぬ」

「かもしれないね」

擦れた低い声で呟いてから、エリスは肯いた。

「……甘いな。殺すべきだ」

「分かってる」

吐き捨てたアリアを、エリスは揺れる蒼の瞳でじっと見つめた。

ため息を洩らしながら、黒髪の女剣士は肩を竦めた。

「心配してくれているのは分かる。我儘かも知れないが……済まない」

エルフ娘の言葉に、微かに視線を逸らしながら女剣士は頷いた。

「いや……好きにするがいい」

黒髪の女剣士の視線を合わさない態度に、翠髪のエルフ娘は唇を噛んだ。

「怒ってるか?」

己の小振りな胸に手を当てながら、エリスが問いかける声はおずおずとして小さい。

アリアは首を振って否定した。

「怒ってはいない」

 短いぶっきらぼうな返答に、エルフがますます俯きがちになった。

嫌われたのかと蒼い瞳が気落ちしたように沈んでいるのを見て、人族の娘は頭を掻きながらボヤくように言葉を続けた。

「どちらが正しい訳でも、間違っている訳でもなかろうよ」

溜息を洩らしながら、やや背の低いエリスの頭に手を伸ばして、髪をかき乱した。

「だけど、あの有様では普通に殺してやった方が慈悲やも知れぬな」

「……自分の愚かさを抱きしめて生きるに耐えられぬなら、いずれは自裁するでしょう」

エルフ娘の言葉に女剣士は小首を傾げながら、瞳を細めた。

「存外、残酷なのだな。君も。まあ、いいさ」

別口で逃げてくれるなら、仮にオークが追ってきても囮になるかも知れんしな。

これは口に出さずに結論付けるとアリアは肩を竦めると、青年を放置したままに背を向けて歩き出した。

少し背の低いエリスはふらついていたので、腕を貸すとぎゅっとしがみ付いてきた。

「もしあいつがまた襲ってきたら……今度こそ私が守るよ」

「……うん」


「で、どうする?豪族に急を知らせねばならんのだろう?

 南に一緒に来るかね?それとも彼をつれて南を目指すか?」

 赤毛の村娘に対しては蟠りはないのか。アリアは、佇んでいる赤毛のジナに声を掛けた。

仰向けで地面に倒れたまま、虚ろな表情で空を見上げている青年が気になる様子だったが、村の為にも応援を呼んでこなければならない。

結局は赤毛のジナも、小走りで二人の旅人の背後を追いかけて歩きだした。


 丘陵を進みながら、村娘は苦しげに歪んだ表情で呟いた。

「……なんでだろう」

深刻で重々しい響きにエリスが物問いげに首を向けると、ジナは目じりから涙を零していた。

苦い微笑を口元に浮かべて、

「御免なさい……マーサも、クームも、そんなに悪い人ではなかったのよ。

 マーサも物持ちでも無いのに他の人が困った時は食べ物を持ってきてくれたり、クームも迷子になった子供を捜して危ない森に入ったり……どうして、こんな事になっちゃったんだろう」

目尻を拭いながら俯いて歩き続ける村娘に、

「なら、君が覚えておいてやるといい」

意外な人物の意外な言葉に、ジナは顔を上げて黒髪の女剣士の横顔を盗み見た。

だがアリアはそれきり喋るでもなく、前を向いたまま黙々と傾斜を進んでいく。

村娘は足を止め、何かを迷った様子で立ち尽くしたままに天を仰いだ。


 狭い渓谷は完全に夕陽の照らす朱色に染まっている。

歩き続ける二人の娘の足元には、長い影が伸びていた。

やがて廃屋が見えてくる位置まで来ると、アリアが急に立ち止まり、腕にしがみ付いていたエリスが何事かと顔を見上げた。

 真剣な表情でじっと見つめると、戸惑った様子で立ち尽くしているエリスをぎゅっと抱擁して、その形のいい尖った耳元でそっと低く囁いた。

「……よかった」

抱きしめられて目を白黒させていたエリスも安堵の想いの込められた呟きを聞くとゆっくりと目を細めた。

「……えへへ」

そのまま、嬉しそうな微笑を浮かべて黒髪の女剣士の肩に静かに顔を埋めた。



……お前が殺した。

倒れている農夫の青年の脳裏にエルフ娘のしわがれた声が鮮明に甦った。

「……俺が殺した」

虚ろな声が唇から洩れるが、すぐに吹きつける風の音に呑まれて消えていった。


 自分が逃げた時の妻の表情を思い起こす。満面の笑顔だった。

見捨てた夫が逃げるのを望んでいた。

愚かしいほどに一途で、自分には勿体無いほどの娘だった。

彼の中では、兄と妻が世界の殆ど全てだった。

二人のいなくなった世界で生きる事を考えるだけで、絶望と後悔に狂おしく胸が締め付けられる。

だから、自分の直ぐ傍で足音がした時も、青年は逃げようとは思わなかった。


 顔を覗き込んでいるのは、見慣れた容貌だった。強気そうな瞳をした赤毛の美人。

戻ってきたのだった。

赤毛のジナは、何か言いたげな様子で何も言わずにじっと青年を見下ろしていた。

虚ろな目付きのまま、青年も、娘をじっと見つめ返した。

「……とりあえず、立てる?」

 先程まで丘陵を吹き抜けていた北風も今は収まっているが、もうじき日も暮れる。

やがて丘陵の狭間に夜風が吹き始めれば、冷たい外気は容赦なく体温を奪っていくだろう。

赤毛のジナは、青年を無理矢理立たせると、近くに在る草地まで引っ張っていった。

柔らかい草が濃く生えており、風を遮れる盆地となっている。

死んだように無抵抗な青年に憐憫の眼差しを向けて、赤毛の娘は溜息を洩らした。


 幼馴染のクームの行動は、一言でいえば滅茶苦茶だった。

だが、無理もないともジナは思う。

昨日と今日で見知った顔の大半が死んでしまった。

言わば世界が壊れてしまったのだ。

赤毛のジナが曲がりなりにも正気を保っていられるのは、

妹を救う為助けを呼んで来なければならないと心に思い定めているからかも知れない。

 もし自分が天涯孤独となったり、或いは妹が死んでしまっていたら、今と同じように正気を保っていられただろうか。

そう思うと、幼友達でもある農夫の青年を旅人達と同じ視線で断罪する気にはなれなかった。

「あんたは馬鹿だよ」

 赤毛のジナの厳しい言葉にクームはびくりと躰を震わせた。

それ以上、声を掛けるでなくジナは青年の額に手を当てて、動かないままに見つめている。

やがて青年の強張っていた表情が割れて、その瞳に涙が溢れ始めた。

幼友達の膝に額を押し当てると、青年は呻きを上げて低く慟哭し始めた。



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