北の村 08
原生の自然が色濃く残るモアレの村には、彼方此方に小高い丘や草叢、木々や繁みが点在している。
見通しは悪かったが、その分、隠れる場所にも不自由しない。
農家の離れの納屋もまた、起伏のある土手に周囲を囲まれていた。
エリスとアリアは手近な樹木に身を隠すと、遠目にそっと様子を窺った。
絶え間なく悲鳴の響いてくる木造の納屋を小柄なオークが取り巻いているのが見える。
表の見えるところでも五匹。
二匹は長柄の武器を持ち、まだ泥濘の残る田舎道をちょこちょこと歩き回っていた。
残りは納屋の土壁に寄りかかったり、座り込んで屯している。
納屋の入り口がある裏手の様子は見えなかったが、他にもまだいるのは確実だった。
納屋から、再び悲鳴が聞こえてきた。と同時に、それを圧する複数の醜い哄笑も響いてくる。
オークは総じて弱い者虐めが好きな種族である。まして相手は、彼らが憎む人族のか弱い娘。
これ以上に嗜虐心を満足させる相手などそうはいない。虐め殺すまで、甚振り続けるに違いない。
「……くッ」
半エルフの娘が木の幹を拳で叩きながら悔しげな声を洩らした。
「馬鹿な真似はするなよ?相手は最低五匹で全員武装してる。恐らく他にもいるぞ」
肩を掴んでの女剣士の囁き。
「分かっている」
エリスは木の幹に額を寄せて、暫らく悔しげに肩を震わせていた。
やがて大きく溜息を洩らすと顔を起こして、「……行こう」と力無く呟いた。
田舎道には時折、単身や少人数の人影が見えたが、人族に対する戦勝がよほど嬉しかったのだろうか。
オークたちは例外なく騒がしく喚き立てていたから、遠目にも迂回するのは容易だった。
緊張感など欠片もないようで、村には歩哨も見張りも見当たらず、二人の娘は、オークとの遭遇を慎重に避けながら、村道を南へと歩いていく。
エリスは、如何にも元気の無い様子だった。
肩を落とし、地面を見つめてトボトボと歩いている姿は、見ているだけで気の毒に思えるほどで、時折、溜息を洩らしたり、表情を歪めて苦しげな顔をしていた。
アリアは半エルフの娘の優しさに共感を覚えないでもなかったが、こんな状況では自分の命を優先するべきだと思った。
何とか慰めたいと思いつつ、村の出口に近づいてきた時、エリスが怪訝な顔をしてふと立ち止まり、形よく尖った耳を猫のように動かした。
「どうした?」
アリアが訊ねると、首を振って当惑したように連れを見つめた。
「……この先。相当な人数がいる」
村の出口に近づくに連れ、やがて人族の娘の耳にもその騒音が届いてきた。
坂道の上にある小さな小屋の物陰から、二人の娘はそっと様子を窺った。村の出口には、開けた空き地となってる場所がある。広場となっている大きな家屋の前。夥しい数のオークが、来た時には誰もいなかった広場を埋め尽くしていた。
五十から六十匹もいるに違いない。盛んに歩き回り、或いは笑い転げる土に汚れた子供や雌のオークの姿も見かけられる。雄のオークはどいつもこいつも酔っているのだろう。足取りもふらついているが、肌も露わな人族の女に挑み掛かって、汚い尻を振って励んでいる奴もいた。
北部地方に多い赤毛の若い女を、一匹の若いオークが後ろから抱え込んで大声で叫んでいた。
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R18描写警告部分
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感情のない声を受けてオークは吼え、猛り狂っていた。
「お前ら猿共は下等生物よ!俺達偉大なるオークに奉仕するべき奴隷種族なのよ!
それを罪深いエルフの地兎共やお前ら生意気な猿が俺達オークからでかい綺麗な町を盗んで、美味いものを食ってやがる!
許せねえ!おお、許せねえよなあ!間違ってるぜ。だから正してやるのよ!」
聞いているだけで気分が悪くなってくるような、他種族への激しい憎悪と深い劣等感に満ちた醜悪な物言いであった。
「あれ……如何思う?」
眉を顰めたエリスが囁くように小さな声で、隣で伏せているアリアの耳元で訊ねた。
「そうだな」
黒髪の女剣士は、暫らく広場にいるオークたちを黄玉を思わせる鋭い眼差しで観察してから口を開いた。
「見えている所で六十人。だが、小屋に呼び掛けている様子からまだ何人かいるだろう。
かなり酔っている様に見える。
体つきからして、到底、鍛えているようには見えぬし、武器も粗末なものだ。
いずれも雑兵の類であろうよ」
エリスは村娘たちの事について訊ねたのだが、アリアはオークたちについて答えた。だが、雑兵の類とは言え、あれだけの数になれば手練の女剣士にも到底、手に負えない。
良質な布の産地として、それなりに名を知られたモアレの村である。半ば焼け落ちている大きな家屋は、恐らくは近隣でも名の通った富農の家だったのだろう。辺境の村落にしては立派な佇まいが、廃墟となった今も隅々に見て取れた。
広場の中心で盛んにかがり火を焚いて、其処には二十匹近いオークの姿が見えた。近くには驢馬や馬が引いている数台の荷車や幌馬車が連なっており、オーク達とは違う黒い体色をした細い人影が働いていた。
広場の隅には裸に剥かれ、大股開きで息も絶え絶えに転がっている十数人の裸の娘たち。身体中にオーク達の体液がこびり付いているようで、うち数人は絡み合うように隅で積み重ねられている。
不潔なオーク共は大声で喚き立て、怒鳴り声で吠え立てていた。半壊した家屋から箪笥や椅子、卓など使い古された調度を持ち出しては、叩き壊して焚き付けにしている。
「あんなものでもオークにとっては貴重な財貨になる筈だが……
連中が後先考えんのは、いつもの事か」
ぼやいたアリアの視線の先で広場の中心に在る巨大なかがり火へオーク共は次々と薪を放り込んでいた。
「ラ・ペ・ズールはいい頭領よ。俺達にまたこんないい村をくれたからよ!」
「ズ・イムに猿の肉を食わせてくれたしな!たらふく猿共の肉をよ!」
かがり火の周囲にいる成人した雄のオークたちが特に威勢がいいようだ。
鮮血に濡れた刃を宙に振り回しては、甲高い叫び声を上げて自慢話を繰り返している。
「毛なし猿共、泣き喚いてやがった。情けない奴らよ。偉大なオーク族に勝てると思ったのかよ!へっ!」
「ラ・ペ・ズールは偉大な酋長よ!ついていけばえばり腐った豚共を千匹だって殺せるぜ!」
彼らのなめした革鎧や革服、厚手の布服などは、返り血に赤く染まっており、オークには手負いや不具の者も見えたが、いずれもまだ吠え立てる元気はあるようだった。
「俺たち、オークがヴェルニア全土を征服するのさ!」
「ほぅほぅ!あの女は猿にしてはいい味だったぜ。牝穴も、太股の肉もよ!」
気が大きくなっているようで、聞いてる者が不愉快になりそうな大言壮語を繰り返している。
半エルフの娘は、野蛮人としか言いようのないオークの行状に絶句していたが、女剣士の声で我に返った。
「……さて、此処にいるので全員かな?」
「分からない。宴の様だから大半は集まっているとも思えるけど」
数匹の小柄なオークが、木材を積み上げ、自分たちの手で半壊させた門を直している。
オーク達の大半は見るからに弛緩しきっていた空気の中で、だらけ切っていた。裸か半裸の者もいれば、酒を飲んでる者もいる。鶏や山羊、豚が解体されて、焚き火の周囲でオークに貪られていた。
転がっている壷は村人の作った酒だろうか。大鼾を掻いて眠っている者も多い。糞尿や反吐を所構わずぶちまけており、饐えた悪臭が坂の頂きにいる二人の所にまで漂ってきそうだった。
「ふん、他人の創った酒と他人の育てた家畜で、鱈腹飲んで鱈腹喰って、女を抱いてお楽しみか。
まことに結構なことだ」
戦争とは得てしてそんなものだと知っていながらも、同じヴェルニアの人族が異種族に好き放題やられてる光景を見るのは、やはり腹立たしいのか。冷ややかな声で女剣士が呟いた。
一方で半エルフの娘は、門を修復しているのが気になった。
「……奴ら。此の侭、村に居座る心算かな?」
「中々、いい土地だからな。そう考えても不思議ではないが……
普通、こんな大人数が屯する事はあまり無い。其の心算かもな」
身体中をオークの涎や精液、小便で汚されて倒れ伏している村娘たちや、一角に集められてうなだれている数少ない村の若衆を眺めて、アリアは黄玉の瞳を細めてポツリと呟いた。
「いずれ半オークの居留地になるかも知れんな」
「で、如何する?あすこからは出られそうに無いけど」
翠髪のエルフの娘が問いかける。
「門に拘る必要はない。
柵の破れているところから出て、村を迂回しながら回り込めば街道に出られる」
「面倒くさいな。仕方ないけど」
丘陵を越える必要があるので、時間が余分に掛かる。
「深夜になれば、寝静まる。待ってから、門近くの柵を越えて街道に出る手もあるが……些か人数が多い。柵の破れたところから出たほうがよかろう」
「オークは夜行性じゃないの?」
半エルフの娘は訝しげな口調で疑問を投げかけた。
「俗説だよ。実際には、洞窟住まいの連中が幾らか夜目が聞くから、そんな噂が出来たのだが、そいつらでも夜には休む」
「どちらでもいいけど、万が一見つかって騒がれたら如何する?」
冷たく微笑んで、黒髪の女剣士は腰の剣を軽く叩いた。
半エルフの娘も軽く頷いてから、再び広場に目を転じた。そして一点を指差す。
「あ……見て。ほら、あの太った奴」
色取り取りのひらひらした服を着込んだ太ったオークが、気取った様子で歩いていた。直ぐ後ろには、数匹のオークが付き従っている。他のオークが汚れた灰色や汚い襤褸布、粗末な毛皮や革服を着ているのに対し、一人だけ派手に染めた原色の布を纏っている。
黒い人影たちに近づくと、尊大な態度を取りながらなにやら挨拶を交わし始めた。
「多分、あいつが族長だ。そして相手は……あれは黒エルフだね」
数人の痩せた男女がオーク達と何やら商談しているようだ。身振り手振りで馬車に乗せた品物を指し示している。人数は七、八人か。全員、弓や槍、細身の剣などで武装している。
黒エルフだろう女の一人は、何を考えているのか。黒革で出来た鞭を丸めて、肩に巻きつけていた。
全員、皮膚は黒檀を思わせる漆黒。月無き夜を思わせる黒髪を持ち、耳は翠髪のエルフと同様に先端がやや長く尖っていた。やはり黒の装束や黒く染めた鋲付きの革鎧を着込んでいる。
「君らの宿敵だったか?」
「え?」
女剣士の言葉に、半エルフの娘は意外そうな反応を見せた。
「あれ、違うのか?」
「闇エルフは、森エルフに嫌われてるとか聞いたけど、よく分からない」
半エルフの娘は如何でもよさそうに言ってから、小屋の壁に音も無く寄りかかった。
「行商人か。オーク共と何かの取引を……」
若い男女が縄に縛られて、黒エルフ達に数人、引き渡された。
代わりに黒エルフ達から、膨らんだ革袋や酒の入った壷がオークたちに渡されていく。
奴隷として売買される村人たちを見た翠髪のエルフの娘が、また深い溜息を洩らした。
「何を気にしている?」
少し沈んでいる様子のエリスにアリアは敢えて訊ねた。
「先刻の少女の事か?」
「あ、うん」
頷いてから、半エルフの娘は途方に暮れたように顔を俯けた。
「……助ける事ができたのにね。連れてくるか、直ぐ戻れば救えたかもしれない」
名前も知らない少女を助けられなかった事を悔やんでいる。
「あまり浮かない顔をするな」
「……でも」
「私たちは英雄譚の主人公ではないからな、出来ることなど多寡が知れている」
アリアはエリスの肩を抱き寄せて、暫らく考えるように沈黙してから言葉を続けた。
「それでも、人は誰しも己に出来る事をするしかないのだと思う、エリス」
尖った耳元で告げられた女剣士の言葉は厳しい口調だったが、しかし同時に、意外なほど優しい響きを含んでいた。
「……出来る事?」
エリスの淡い蒼の眼差しを、アリアは黄玉の鋭い瞳で真っ直ぐ見つめ返した。
「南に戻り、偵察した事と村の現状を伝える。
それで、少なくとも他の旅人が虎口に飛び込むことを避けられる」
厳しく叱り付ける様な言い方ではなく、諭すように淡々とした口調だった。
「或いは、近隣の郷士豪族らに此処で偵察した現状を伝えれば、
彼らが兵を集めて、村のオークを掃討するかも知れぬ。
そうなれば、あの娘や他に捕まっている者らも幾人かは救える。違うか?」
半エルフの娘は考え込むように微かに俯いた。
アリアは広場に視線を走らせて、捕らわれている村娘達を瞳に映した。
「少なくともあの娘達が、今、直ぐに殺されることはない」
「……うん」
希望的感想では在ったが、見込みはそれなりにあった。豪族たちが己が領地の近隣にオークの前哨が出来るのを許容するとは思えなかったし、オークといえども、一通り欲望を発散した後は、財産でも在る奴隷を意味なく殺したりはしない筈だ。
心理的再建を果たしたとは云えないまでも、気持ちが建設的な方に向かったのだろう。
アリアに目を向けてエリスは深々と頷いた。空色の瞳も、心なしか色を取り戻したように見えた。
やや闊達さが戻ってきた様子で壁から背を離し、ゆっくりと歩き出した。
「……貴女は強いな」
エリスのふと洩らした呟きに共に歩き出したアリアが何か答えようとした時、背後からオークたちの怒声が上がった。
「女だ!女が逃げるぞ!捕まえろ!」
「雌猿めが!待ちやがれ!」
今回はやや生々しい表現があります
相手の文明や文化、善悪、相互の関係や蓄積されてきた憎悪、互いの思い描く正当性にも拠りますが、敵対する異民族とか異種族の支配下に置かれた村とかは、大抵、悲惨なものでしょう。




