表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/104

北の村 01

 何処とも知れぬ屋内。周囲は薄暗く、視界は悪い。

時刻が夜なのか。或いは地下深くなのか。それさえも定かではなく、

壁に掛かった松明が弱々しい炎で室内を微かに照り返している。


 目の前には、翠髪のエルフ娘が殺した筈の相手が蘇っていた。

いや、正確に言うならば、死体のままに再び動き出したというべきだろうか。

怨嗟の呻き声を上げながら、動く死体が足を這いずり、滴る脳髄で床を汚しながら、少しずつ近寄ってくる。

エリスは恐怖に喘ぎ、脅えながらも武器をとろうと腰に手をやるが、何処に落としたものか愛用の棍棒は見当たらない。

 死者が彼女の肩を掴んだ。強張った喉から呻き声を漏れしつつ、エリスは逃れようと必死に身を捩るが、ゾンビーの筋張った強靭な指が万力のように半エルフの肩を締め上げる。

死者は憎悪の宿った蒼く燃える眼差しでエリスを見上げると、激しい憎悪に表情を歪めながら、顎の骨が軋むほどに口を大きく開き、乱杭歯でその喉元に齧り付こうと迫ってくる。

目を大きく見開いたエルフの娘が恐怖に発狂する寸前、横合いから突き出された長剣の刃が死者の首に食い込んだ。

 鋼の刃はそのまま恐ろしいほどの切れ味を発揮して頚部を切断。

床へと落下した死者の首は、音を立てて転がった末に壁に当たって止まると、恨めしげな視線で虚空を睨んだまま、煙を上げて急速に溶け始めた。


 吐き気を催すような凄絶な変化から目を逸らし、救ってくれた何者かを見ようとするも、唯一の光源である松明を背後に影となった顔は見えなかった。

安堵の余りに気を失いそうになるも辛うじて持ち堪えていると、助けてくれた誰かは手を伸ばしてエルフ娘の翠髪をゆっくりと撫で始めた。

緊張の解けたエリスは、心地よさに目を閉じて



 エルフ娘のエリスが再び目を見開くと、宿屋のひび割れた漆喰の壁が目に入った。

どうやら、悪夢を見ていたらしい。初冬にも拘らず全身にしっとりと寝汗を掻いていた。

旅の連れとなった女剣士のアリアが、実際にも彼女の頭に手を置いて優しく撫でていた。


 時刻は、真夜中をやや過ぎた程度だろうか。

秋の終わりも過ぎて、冬の入り口に差し掛かっているにも拘らず、しぶとく生きている夜虫たちの鈴の根にも似た歌声が外から聞こえてくる。

夜明けまでにはまだかなり時間がありそうだった。


「……な、何してるの?」

翠髪のエルフの娘が狼狽して訊ねると、黒髪の女剣士は微かに首を傾げた。

「魘されていた」

それで全て説明がついたとでも言いたげな涼しい声で一言。エルフの翠の髪の毛を優しく梳るように撫で続けている。

「……あいつが……ゆめに……何処か暗い場所で……私は……」

エリスの要領を得ない言葉。だが、通じたのだろうか。

 アリアは落ち着いた様子で人差し指を伸ばすと、びくついている半エルフの唇に当てた。

困惑したエリスに優しげに微笑み掛けると、そのまま抱き寄せて己の形のいい胸へと翠毛の頭を押しつけるように当てた。

「……ふっわ」

小さくと息を洩らしたエルフ娘の背中を、今度は肩や背中に手を当てて擦り、時々、指でとんとんと軽く叩いた。

傍らの暖炉に炎が小さく踊っているとはいえ、室内の気温は低く、薄着であることもあって、旅の連れから伝わってくる体温が意外と心地いい。


 何一つ言葉にするでもないが、優しく頭を撫でられ、躰を擦られているうちに、最初は生まれたての小鹿のようにびくついていたエルフ娘の震えもおさまってきた。不思議と気持ちが落ち着いてくると、今度は急速に眠気がぶり返してくる。

人族の娘の温い体温を感じながら、翠髪の半エルフはそのままゆっくりと目を閉じた。

その夜は、もう夢は見なかった。



 乳白色の柔らかな光に瞼を刺激されてエリスが目を覚ますと、何故かアリアと抱き合うような姿勢で眠っていた。曙光が小さな窓や扉の隙間から差し込んできている。

「……よっと」

人族の娘の腕を解いてから半身を起こすと、気持ちよさげに伸びをする。


夕べは散々だった。

賊に襲われた為だろうか。気持ちが昂ぶって夜更けになっても中々に眠れず、やっと眠りについたかと思ったら、なにか酷い悪夢を見たような気もする。


宿屋を見回すと床に雑魚寝している旅人たちが目に入って、よく見れば家族連れなどは、同じように身を寄せ合って寒さに耐えていたようだ。

室内は薄暗く、起きている客は一握りで殆どの者たちはまだ安らかな寝息を立てていた。


布団代わりにしていた狼の毛皮のマントをまだ眠りの国にいるアリアに掛けると、エリスは起き上がって宿屋の裏口へと歩いていく。

裏庭には水桶が置いてあり、そこで汗を拭くついでに水でも飲む心算だった。



 裏口を通り抜けて旅籠の裏へと出ると、曙光の照らす丘陵の麓には先客がいた。

焦げ茶の髪を持つ若い少女が、肌も顕な格好で躰を手拭いで拭いていた。

エリスの足音に慌てた様子で向き直ったが、同性と分かったからか。明らかに安堵した様子でふうっと息をついた。

「……おはようございます。お客さん」

その言葉で宿屋の下働きの娘と気づいた。

「ああ。貴方か。水を使っていいかな?」

綺麗な水が湛えられた水桶とエリスを見比べてから、少女は少しだけずるそうな顔を浮かべて

「こっちの水を使う人は、鉛銭一枚を貰うんですけど……」

親父の言いつけなのか、小遣いを稼ごうという心算なのかは分からなかったが、半エルフの懐はそれなりに暖かい。

鉛銭一枚で抗議するのも面倒なので、半分に欠けた鉛の硬貨を巾着から取り出して放ると、少女は巧みに宙で掴んで微笑を返してきた。


 木桶に水を汲み、借りていた上着を横に置くと、エリスはまるで蛮族の女戦士か、鉱山で使役される奴隷を思わせる格好だった。

もはや胸を覆うだけになった自分の服(の残骸)を脱いで、ざぶざぶと柔らかい手つきでタオル代わりの布を浸してから、昨晩の奮戦の汚れがまだ残る躰を拭いていく。

今日のうちに川か泉で沐浴する心算だが、それまで出来るだけ清潔にしておきたい。


「夕べは大変だったみたいですね」

下働きの少女は、渦巻く好奇心を隠そうともしなかった。

昨日の夜から詳しい話を聞きたくてうずうずしていたに違いない。

「うん……七人もの賊に囲まれた時は、もう駄目かと思ったよ」

「七人!本当に七人もいたんですか!」

「七人。前から二人、後ろから五人の挟み撃ちだった。

 カスケード卿が道連れでなかったら、今頃、お陀仏かもっと酷いことになっていた」

カスケードは、連れの女剣士アリアの姓である。

「素敵ですよね。強くて、お金持ちの貴族で、顔が良くて。

 あの御方が男性だったら良かったのに」

宿屋の少女が胸を抑えて、ほうっと憧憬の溜め息を洩らした。

 男装に近い服装を纏う美貌の女剣士には、凛々しさも相俟って、ある種、倒錯的な魅力が感じられるのかも知れない。

「私はカスケード卿が女性で助かった。男の人だったら一緒には行動しなかっただろうから」

そう口に出すと、意外だという顔をして少女はエルフを見つめた。

美人の多いエルフ族の平均と比しても、なお整った鼻梁と美しい切れ長の蒼い瞳。

下穿きに腰布姿の均整の取れた白皙の裸身は、やや小柄ながらも清冽な色気を漂わせており、同性から見ても妙な色気を感じさせた。

「お二人共、綺麗ですものね。男の人とか放っておかないですよ」

少女の言葉は、微かに嫉妬の棘を孕んだかも知れない。

どうやら女剣士は憧憬の対象で、自分は嫉妬の対象であるらしいと察して、エルフ娘は苦笑する。

旅の最中にその種の感情を向けられる事に慣れていた事も在って、軽くいなした。

「貴方も可愛い顔をしている。周囲の人からもさぞ愛されているだろうね」

満更お世辞でもない。

痩せているが、よく見れば中々に愛らしい顔立ちの少女は、楽しそうに笑っている。

「父さん。ぼっていたのがばれた時、真っ青になってました」

旅籠の親父の子供だったらしい。

エリスは意外の感に捕らわれながらも、さすがに父親に似ないでよかったね、とは口にしなかった。

「……娘さんだったのか。お母さん似なのかな?」

「母さんを知ってる人は、皆、似てるって言ってくれます」

旅籠の少女は焦茶の髪を撫でて、少し寂しげに笑った。

病気か、怪我か、それ以外か。

兎に角、それで何となく事情を察したエリスは口を閉じて、暫し肌を清潔にするのに専念した。


 半エルフの娘が躰を拭い終わってから上着を着込んでいると、焦茶色の髪を拭き終わった少女が刺繍のなされた上着を憧れの目で見つめていた。

「その服……綺麗ですね」

「カスケード卿のものだよ。貸してもらった。私の服はくたびれていたし、賊に破かれてしまった。もう駄目だろうな」

エリスは、少し気落ちした呟きで応じた。


 何処かの町の蚤の市場なり、服屋なりで、新しい服を買い求める心算であったが、当然に中古の、しかも一番安い品物から探すことになるだろう。

毛皮にしろ、布にしろ、作るまでに色々と手間隙の掛かる品であるから、当然、衣服の方もそれなりに値が張る。庶民にとって、尤も安い中古の服の一着さえ馬鹿に出来ない出費で、まして貧しい旅人にとっては、そうそう手の出るものではない。大抵の旅人は、着古した一着を大事にしながら、傷むたびに布や革で継ぎ接ぎを当てて、長く使うのが普通だった。


 盗賊の財布という戦利品の臨時収入がなかったら、エリスも到底、新しい服を買おうなどと考えなかったに違いないし、それでも出来るなら安い布を買い求めて繕いたかった。

しかし川辺の小村落で、ボロボロの服を修復できるだけの布を購うのは難しそうだ。

「……手直しするには結構な布がいるしね」


 半エルフの娘の気落ちした呟きに、少女が思いついたように

「北村なら、布が手に入るかもしれないですよ。

あすこの村は麻畑があって、紡ぎ車も機織りもありますから」

「北村?」

知らない地名に鸚鵡返しに訊ねる。

「ええ、モアレの村です。

 私の服も。布地は北村の物を使って其処で仕立ててもらったんです」

少女の服に触らせて、確かめさせてもらう。

「へえ、いい布だね」

締まった強い糸を使ってあり、布地の目は細かくてしっかりと編みこまれている。厚手でしっかりした布地だった。袖口の縫込みなどもしっかりしていて、華はないが頑丈で暖かい服だと思う。

宿の親父も、ああ見えて娘にたっぷりと愛情を注いでいるようだ。

少女は歯が全部揃っている。栄養ある食事を取り、過酷な労働もさせていない証だ。

後二、三年もすれば客が放っておかないだろう。


 服の値段は幾らくらいだろうか?手触りを確かめながらエリスは考える。

銅貨の三枚か四枚でおさまるなら何とかなるか。麻布を造っている産地であれば、町の定期市や行商人かなんかから買い求めるよりは、安く手に入れられる見込みがあった。


 それとなく旅籠の娘にモアレ村の場所と歩いて掛かる時間を訊ねてみた。

鉛銭の効果に、始終、柔らかな物腰で友好的に接した為か、少女の口は滑らかだった。

北方への街道の中途に位置するそこそこ大きな村で、普通に道を外れなければ、まず見逃すことはないそうだ。


 礼を云って宿屋の広間に戻ると、室内では目を覚まし始めた旅人たちが三々五々に動き始めていた。

少ない荷物を纏めて旅の支度を始めている巡礼もいれば、干豆に水で貧しい朝食を取り始める行商人もいたが、まだ安らかに寝息を立てている自由労働者などもいる。


暖炉の近くに陣取って躰を暖めている女剣士が、睡眠が浅かったのか。眠そうに欠伸していた。

エリスが近寄って今聞いた話を告げると、あっさりと頷いた。

「ふむ。北村か。後でもう少し詳しい場所を親父か、その娘に聞いてみよう。

 距離によりけりだけど、半日くらいで往復できるなら行ってもいいかな」

「……でもいいの?」

信頼できて腕が立つ剣士が旅の連れなのは、正直言って心強いが、彼女にも予定があるだろう。

エリスがそこら辺を訊ねると、アリアは肩を竦めた。

「考えてみれば、どの道、君の服はなんとかせねばならんだろう?

 私も、取り立てて急ぐ旅でもないしな。君も真冬までにティレーにつけば……ふぁ……」

欠伸を噛み殺しつつ、黒髪の女剣士はしなやかな身のこなしで立ち上がる。

「昨日は色々忙しくて疲れたからな。

 今日は躰を休める心算だったが、近くならば構うまい。

 そのモアレとやらまで行ってみようよ」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ