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手長05

 西方から射す夕刻の陽の光が茫漠とした丘陵地帯を茜色に染めていった。

黒髪の女剣士を会話するうちに、エルフ娘は膝から急激に力が抜けてよろめいた。

「……っと」

大地に膝つきそうになったところを、人族の娘が素早く腕を掴んで躰を支える。

「大丈夫か?」

半妖精の娘は礼の言葉を呟きながら、照れ臭そうな笑みを浮かべた。

「安心したら気が抜けた」

その表情は今なお幾らか強張っていたものの、蒼白だった顔色に大分血の気も戻ってきていた。


「……にしても、酷い有様だな。

 初めは泥男か、それに類する新手の怪物かと思ったくらいだ」

 この軽口はお気に召さなかったようで、半エルフは蒼い瞳を向けて不満そうに眉を顰めた。

手近にあった灰色の岩にゆっくりと腰掛けながら、翠髪の娘は冷たく澄んだ冬の空気を大きく吸い込み、それから胸に篭った澱を全て吐き出すように長い嘆息を洩らした。

「……さんざ追い掛け回された挙句、泥の底に隠れたからね。……地虫のように」

呟いた声には疲れ果ててはいたが、力強い怒りが込められていた。


 先刻までは必死で気にも留めなかっていなかったのが、口に出した途端に今更ながら自分の酷い格好に気づいたらしい。

「口の中がじゃりじゃりするにゃ」

エルフ娘が口腔の不快感に傍らに唾を吐き捨てると、小石の混じった茶色い唾液が緑の草を汚した。


 腰に手を伸ばして、半妖精の娘は水筒を失ったことに気づいた。

逃げているうちにベルトにしていた腰帯がずり落としたのだ。

腰帯には、お気に入りの水筒だけではなく、小銭の入った巾着袋も結び付けてあった。


 薬草や食べ物、その他に針や糸など細々した道具が入った背負い袋だけは掴んでいたが、それだけだ。

命だけは助かったが、衣服もない。財布もない。

焦燥に駆られ、途方に暮れた様子で周囲を見回した。

辺りは夕闇に包まれていた。

半エルフ族の視界でも、夕闇に包まれた丘陵の一帯から財布を探し出すのは困難だろう。

翠髪の娘は急にがっくりきて俯いた。

小さく呻きながら力ない視線を己の足元に彷徨わせる。

 もしエルフ娘が一人旅だったら、貧しい者が乏しい財産を無くした時によくそうするように、日が暮れるまで意味なく岩の上に座り込んでいたかもしれない。


 黒髪の娘が自分の水袋を差し出してきた。

「まず口を濯げ。飲むのはそれからだ」

「ん……ありがとう」

忠告通りに幾度か口を濯いでは吐き捨ててから、唇を湿らせる程度に喉を潤おした。

「こんな時代だ。女であれば、一度か二度はこんな目にも合うものさ」

「貴女もそうか?」

問い返された人族の娘が一瞬言い淀んだのを見て、翠髪の娘は口元に苦い笑みを浮かべた。

「……羨ましいな。私も己の身を守れる力が欲しいよ」

半妖精の娘の声は穏やかであったにも拘らず、黒髪の剣士はまるで理不尽な批難を浴びたかのように奇妙な怯みを覚えた。

二人とも何とはなしに黙り込む。

エルフ娘が押し黙ったまま迫ってきた冷気に肩を震わせているので、人族の娘は黄麻の上着を脱ぐとその肩に掛けてやった。

「……今日は酷い目に在った」

半妖精の娘は、ぽつんと呟いた。

「野良犬に噛まれたと思って、さっさと忘れてしまうのだな」

「……忘れる事は中々出来そうにないな。いろいろと刺激的な一日だったから」


 黒髪の娘は一瞬、言い辛そうに何か躊躇してから再び口を開いた。

「……念の為に洗っておくか?」

「うん?」

「言い難い事だが、孕まずに済むならそれにこした事はないしな」

合点がいった。半裸になった翠髪の娘を見て、賊に強姦されたと思ったらしい。

半エルフは思わず吹き出した。

「え?」

 予想外の反応に呆然とする黒髪の娘の前で、エルフ娘は唐突に笑い出した。

始めはクスクスと、やがてややヒステリックに、だが心底可笑しそうにエルフ娘は大きく笑い続けている。

緊張から解き放たれた人間が、時に奇行を行う事をよく知っていたから、黒髪の娘は慌てなかった。

かなりの間笑い転げていたエルフ娘も、やがて大分落ち着いたのか、涙目を拭きながら口を開いた。

「格好が格好だったからね……誤解するのも無理はない。貞操は守れたよ」

無言で見守っていた黒髪の娘が、それを聞いて小さな声で呟いた。

「乱暴されてない?」

「うん」

「ああ……そうか。それはよかった」

「それはよかったか。そうだね、命は助かった」

翠髪の娘は、まだ可笑しそうに肩を震わせていた。それとも寒いのだろうか。

「マントを拾って来ればよかったな。貸してやれたのに」

「此れで充分だよ。有り難く思ってる。……それよりも水浴びしたい」

全身が泥だらけなのが、辛いようだ。


 太陽は西方山脈の稜線の僅か上で揺らめいており、黄金の色が地平線に繋がって段々と沈み込んでいく。日没までもう半刻(一時間)もないかも知れない。


 エルフ娘の躰の汚れは、小雨を浴びてる程度では取れそうもなかった。

出来るなら川辺の村へ戻り、水浴びでもして泥を洗い流したかった。

「如何する?村へ戻るか?」

言外に自分も付き合うとの女剣士の提案に、半エルフは首を振った。

「今から村まで行って、旅籠に戻る頃には日が暮れているだろうね」

「では、どうせなら村に泊まるか?」

問いかけに少し考えてから、再び、首を横に振った。

村は足止めされた旅人で一杯で、今から行っても泊まれる場所があるか分からない。

旅人のあばら家よりは、宿の方がまだ幾らかは安全に思えると告げた。

「賊の仲間も残っているかも知れないしね」



「では、水浴びは明日の朝にでもするとして、今は取り合えず目立つ泥や汚れだけでも落としておきたまえ」

結局、取れそうなところだけでも泥と汚れを取る事にした。

「手伝おう」

人族の娘の言葉に頷いて、ありがたく受け入れた。

掌で、小雨と水筒の水で肌についた泥や葉、小枝などの汚れを兎に角、洗い流していった。

四本の手と襤褸布と化したエルフの服を引き千切って(こうなってしまえばどの道、服としては御仕舞なので)肩から胸、腹、腰、背中から尻に至るまでしっかりと拭い去っていく。


 躰を洗い終わると、まだまだ汚れてはいるが大分さっぱりした様子だった。

吐くだけ吐いて、笑うだけ笑った事もあって随分と気持ちも落ち着いてきたのだろう。

借りた黄麻の上着を肩に羽織ったまま、エルフ娘は岩に腰掛けて身を休めた。

気力も使い果たし、体も酷く疲労しているからか。

絶えず眠気が襲い掛かってくるようで、今も生欠伸を噛み殺して、惚けた表情で夕暮れに瞬く星々を眺めていた。

 時折、何するでもなく自分が殺した小男の骸をじっと眺めたり、暫らくすると飽きたように再び夜空に視線を戻してまた星を眺めるのだった。


 黒髪の娘は、黙々と剣の手入れをしていた。

鍛鉄の刃にへばり付いた血糊を水筒の水で洗い流し、布で丁寧に水気を拭い去る。

それから剣を残照に翳して、黄玉の瞳を細めて状態をじっくりと見定めた。

賊の首を骨ごと切断した長剣には、しかし刃こぼれ一つ無かった。

満足げに微笑むと長剣を黒檀の鞘へと納め、今度は遠くを眺めている翠髪の娘の様子を気遣わしげに横目で窺いながら、何かを云おうか云うまいか迷っているように視線を彷徨わせている。


「……どうした?」

呆然としていたように見えるエルフ娘も流石に視線に気づいた。

尋ねられて、西の落日に視線を走らせた。

「日没までにまだ幾ばくかの時間がありそうだ。此れから如何するかね?」

「如何とは?やるべき事が終わったなら、早く宿屋に戻ろう。

 今日はもう疲れた。兎に角、早く横になりたいよ」

だるそうに呟いた半エルフの娘に、小首を傾げて尋ねた。

「では、戦利品は如何する?」

「……戦利品?」

「うん、折角の勝利ではないか。どうせ大したものは無かろうが、財布だけでも奪っておこう」

貴族の娘は、銀貨や銅貨に膨らんでいる財布を持ちながら、悪びれた様子もなく略奪を提案してきた。



 まず赤毛の女賊の懐に手を突っ込んで財布を奪い、さらに青銅製の腕輪を奪い取る。

地面に落ちていた二本の短剣を拾い上げて、次に小男の死体を改め、首からぶら下げた巾着袋に気づいて紐を引き千切った。

小男の嵌めた銅製の指輪を奪う際には取れないので指を短剣で切り落とし「此れはいい物だ」切れ味に満足そうに呟いている。

まるで死者から戦利品を奪うのを数十回も経験して来たかの様に、黒髪の女剣士は手際よく持ち物を奪っていく。


 昔から、貴族は最強の山賊海賊の成れの果てとも云われていた。

周辺の賊徒と喰い合った末に勝ち残った大山賊や大海賊の親玉が、子々孫々栄えて段々と勢力を拡大していくうち、貴族や豪族に成り上がった例もヴェルニアでは珍しくない。

やっている事は賊と同じでありながら、妙に堂々としている女剣士の振る舞いを見ていると、やはり由緒正しいヴェルニア貴族の血筋なのだなと、何となく可笑しく思いながらもエルフ娘は奇妙に感心した。


 小男の財布をジャグリングの玉のように軽く宙に放り投げると掌で受け取る。

数回繰り返してから財布をしっかりと掴むと、女剣士は確かめた重みに満足したかのように口の端を吊り上げた。

それから少し考え込むように小首を傾げて二言、三言呟いたが、翠髪の娘には聞き取れなかった。

鋭い視線をエルフ娘に向けて何やら推し量るように見つめてから、大股に歩み寄ってくる。


「……な、なに?」

「ほら、御主の戦利品だ。勝者の正当な権利だぞ?」

云って、小男の財布と銅製の指輪を差し出してきた。

呼び掛けてくる言葉には親しげな響きが含まれていたが、素朴な旅人であるエルフ娘はびっくりして眺めた。

「わ、私はいらないよ?」

遠慮がちに拒否するが、

「どうせ悪事で得たものだ。我らが貰った方が世の為というものさ。

 さあ。遠慮なく受け取っておきたまへ」

ずいっと迫ってきた。

大きな声でも、激しい口調でもなかったが、言葉に秘められた何かがエルフ娘に明確な拒否を躊躇わせる。

恐くはないのに、何かを畏れて目を伏せた。

「でもね。殺した相手の持ち物を奪うというのは……」

「君は命を賭けた闘争に勝利したのだ。

 戦利品は、勝者にとって正当な権利であり報酬でもあるのだよ?」


「それに、もうじき本格的な冬の訪れだ。

 硬貨は腐ることもなければ、減る事もない。

 銅貨があれば、命が繋がるかも知れない……だろう?」

逃げ道を塞いでから、どこかで聞いたようなロジックを展開して黒髪の娘は人懐っこく微笑みかけてきた。

なお迷っていると、腕を掴まれて些か強引に重みのある戦利品が手渡された。

掌で押し付けられた財布がじゃらっと鈍い響きを鳴らした。

「君の財布については、明日にでも明るい時に探しに来ればいい」

片目を瞑って、ウィンクする。


 結局は感謝して、貨幣に丸々と膨れた戦利品を受け取る事にする。

かつては小男の物で、今は自身の所有物になった丈夫な革の財布を開いてみる。

数枚の銅貨や真鍮貨の他、鉄銭や錫銭、鉛銭などかなりの小銭で茶色の巾着は一杯だった。

巾着の中身を覗いた半エルフは思わず溜息を洩らした。

そこら辺の町や農園で二ヵ月、三ヶ月畑仕事を手伝ったり、石積み、荷運びの仕事をしたとしても、到底、此れだけの貨幣は得られないだろう。

嬉しいような哀しいような何とも云えない曖昧な心持のまま、革袋へと仕舞い込む。

兎に角、此れで食べていく目星はついたようだった。


 大方漁り終わった女剣士が、ふと思い出したようにエルフ娘を振り返った。

「もう一人の賊は?」

半エルフの娘に鉄串を突き刺して目を潰したとは口にし難く、一瞬迷って言い淀む。

「死んだのか?」

重ねて問うてきた。少ししつこかった。

「奇襲されるのも厄介だからな。君は言い難かろうが念の為、知っておきたい」

戦士の思考とでも云うべきだろうか。

女剣士の口にした理由に納得して、半妖精の娘は応えた。

「……死んだも同然だよ」

「……ふむ。では、やはり先ほどから其処に隠れているのは別の者なのだな」

黒髪の娘は野生の狼を思わせる鋭い視線をエルフ娘を。否、その背中に聳える大き目の岩へと注いだ。

「……え?」

翠髪の娘は、振り返るも其処には誰もいない。

耳を欹てるも、何の音も気配もしない。

勘違いではないのか。或いはからかってるのだろうか?

そう問おうとするも、女剣士は厳しい表情で岩へと向き直って、射抜くように鋭い視線で睨みつけている。

濡れた前髪を乱暴にかき上げると、切りつけるような口調で岩陰に呼び掛けた。

「先刻から影に潜んで此方の様子を窺っていた奴、出て来い」

大きくはないが鋭い声の誰何に応えるように、闇に影がぼんやりを浮かび上がって何者かが足音もなく岩陰から姿を現した。



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