新王の誕生⑤
エリオットの訪問の翌日、エミリアはレオナールとともに王都に向かう馬車に乗っていた。
彼がもたらした神殿の見解によると、王都の大結界の修復さえ成功すれば、各地に点在する結界にもその力が波及するだろうとのことだった。
昨夜はミカエル領の城付近にまで魔獣が出没。レオナールが討伐したが、一刻も早い結界の修復が必要だ。
王都が近づくにつれ、空気が重くなってくるのを感じる。それもまた、結界の力が弱まっているせいなのだろう。
かつて王家と神殿がともに築き上げてきた王都の大結界。その心臓部である祭壇のある場所にエミリアたちはいよいよ到着した。
王宮から南へ数百メートル離れた場所にあるその地は、王都の守護の中心である。
エミリアが神殿に仕えるようになってからルーベンに追放されるまでの間、毎日のように通い、祈りを捧げていた場所だ。
祭壇は、広大な石畳の広場の中央に静かに佇み、白銀の大理石で造られた円形の台座には古代文字が環状に刻まれている。中央には高さ三メートルほどの柱が一本、天へ向かって伸びていた。
柱の先端には神々の加護を象徴する光の結晶があるが、今はその輝きが薄れ、淡く脈打つのみ。周囲には祈りの場として設けられた小さな礼拝堂がいくつも並び、風に揺れる祈祷旗が静かに音を立てている。
空気は張り詰めていて、まるでこの場所そのものが息を潜めているかのようだった。
結界の力が弱まっているせいか、空の色もどこか鈍く、遠くの森からは不穏な気配が漂ってくる。
それでも、この祭壇にはまだ希望が残っていた。
王家の血と聖女の力が揃うことで、再びこの地に光が満ちる。そう信じたくなるような静かな祈りの気配が、石の床の下に眠っているようだった。
大聖堂内部に足を踏み入れた瞬間、空気がひやりと肌を撫でた。
「ここまで弱っているとはな」
レオナールの低い声が石壁に反響する。
結界石の中心には、黒ずんだひびが走り、細かな欠片が足元に散らばっている。
長い間、王家の加護と聖女の祈りが絶たれてきた、その代償だ。
「エミリア、まずは結界石の浄化からはじめよう。キミの力が必要だ」
「はい」
エミリアは結界石の前に膝をつき、手のひらをそっと石へ近づける。ひび割れた石からは冷たい気配が滲み出ており、触れてもいないのに指先が震えるような寒気に包まれた。
(大丈夫……レオナール様がいる)
隣に立つレオナールの気配に、自然と呼吸が落ち着いていく。
「私が先に瘴気を押さえる。そのあと、キミの光で満たしてくれ」
そう言ってレオナールが目を閉じると、彼の周囲の空気が震え、淡い金色の光が形を成しはじめた。
それは王家の血に宿る加護の力であり、王となる者の持つ、国を束ねる光でもある。
ひび割れた石に金の光が触れると内部の黒い瘴気がざわりと動き、押し込められるように沈んでいった。
エミリアも手を重ねる。白い光が静かに溢れ、石へ流れ込んでいく。
「レオナール様、手を貸してください」
エミリアが差し出すと、彼は迷いなくその手を取った。指が触れ合った瞬間、ふたりの光がひとつに混じり、温かい風が吹き抜けていく。
結界石が震える。
ひびの奥に閉じ込められた闇が、じりじりと後退していくのがわかった。
金と白。
ふたりの光が重なる場所が、ゆっくりと輝きを取り戻していく。
「もう少しだ……。エミリア、ゆっくり呼吸して」
「はい……」
ふたりの光が絡まり合うように大きく広がり……やがて結界石全体を包み込んだ。
ぱあっと、光が弾ける。
大聖堂の天井へ向かって一気に上昇した光は、そのまま王都全域へと流れ込み、透明な膜が空を満たすのが見えた。
「……結界が……戻っていく……」
エミリアは固唾を呑んでその光景を見つめていた。
王都を包む巨大な光の壁が、かつて失われた輝きを取り戻し、穏やかな脈動を始める。
レオナールは深く息を吐き、エミリアの手をぎゅっと握ったまま言った。
「ありがとう、エミリア。キミがいなければ、この結界はもう立ち上がらなかっただろう」
「いえ、私だけの力じゃありません。レオナール様が隣にいてくれたから、できたことです」
素直な言葉が自然に零れる。
レオナールは目を細め、光の残る空を見上げた。
結界の光が空へと広がっていくのを見届けながら、エミリアの胸には静かな熱が満ちていた。ようやくこの国に光が戻った。その実感が、指先から熱く広がっていく。
しかし、それ以上に胸を打ったのはレオナールの言葉だった。
「この国を守っていこうと思う」
そのひと言に込められた覚悟と優しさが、エミリアの心を深く揺らす。
彼はもう、呪いに囚われた王子ではない。自らの意思で未来を選び、国を導こうとしている。
「エミリア、それでも私のそばにいてくれるか?」
その未来に、自分の居場所を問いかけてくれた。
「はい、もちろんです。私の生きる場所はレオナール様の隣以外にありませんから」
エミリアは、迷うことなく答えた。
レオナールの隣にいること。それは義務でも命令でもない。自分自身の願いだった。
彼の手の温もりが、たしかに自分を必要としてくれていると伝えてくる。その事実が、なによりも嬉しい。
結界の光が空を満たすように、エミリアの心にも穏やかで力強い光が灯っていた。
(この人と一緒なら、どんな闇でも越えていける)
レオナールはそっと手を引き寄せられ、ふたり並んで祭壇の前に立った。
空にはまだ、結界の光がゆるやかに脈打っている。その輝きはかつて失われたものではなく、これから築かれていく未来の象徴だった。
エミリアは隣に立つ彼の横顔を見つめた。
朝の光に照らされた銀の髪が揺れ、瞳にはたしかな決意が宿っている。
この人となら国を守るという重さも、過去の痛みも、すべて分かち合っていける。エミリアは、強くそう思った。




