光に溶けた呪い⑤
レオナールは膝をつき、声を張り上げた。
「兄上!!」
その声はかすれていた。怒りも憎しみも、もはやどこにもない。ただ、悲しみだけが残っているように聞こえた。
(このままでは終わらせられないわ……! 陛下を助けなければ、レオナール様は救われない)
エミリアはふらつきながら彼のそばに駆け寄る。膝をつき、ルーベンの胸元に手をあてた。
血に濡れた衣があたたかい。かすかに呼吸はあるが、このままでは命の火がすぐにも消えてしまう。
「どうか……どうかお救いください……!」
震える声で祈りながら、エミリアは両手を組み合わせる。その掌の間から、淡い光が滲み出た。
祈りが言葉ではなく、心の底から零れ落ちていく。
(陛下もまた、呪いに囚われていた人……ならば、赦しを)
光が大きく脈打った。ルーベンの胸を覆う血がすっと吸い込まれるように消え、裂けた傷口が閉じていく。その光はやがて大きな波となり、倒れた周囲の瓦礫をも包みこんだ。
ひび割れた石壁が静かに光を反射し、崩れた祭壇の上に残っていた封印の紋が音もなく消えていく。
エミリアは止めなかった。祈り続けるうちに視界の端が白く滲み、意識が薄れていく。
それでもなお、声を途切れさせるわけにはいかなかった。
「どうか……この人を……この国を……」
その瞬間、礼拝堂の空気が変わった。
どこからともなく風が吹き抜け、光が弾ける。ルーベンの体を包んでいた白光が、やがて枝分かれするように広がり、レオナールのほうへと流れた。
「――こ、これは……!?」
レオナールの体が光り輝き、朝の露に洗われるように澄んでいく。
その光は髪を撫で、頬を照らし、まるで彼の中に流れていた古い闇を一つひとつ洗い流すかのよう。
彼はその場で膝をつき、息を吐いた。
長く閉ざされていた夜が、静かに終わりを告げるように。
光がゆっくりと収束していく。ルーベンの胸の傷は完全に閉じていた。
沈黙が訪れた。
瓦礫の隙間から、東の空がかすかに明るみはじめる。長い夜が、ようやく終わろうとしていた。
崩れた天井の裂け目から淡い光が流れ込む。
冷たく沈んでいた空気が少しずつ動きはじめ、礼拝堂の奥に積もっていた灰が光を受けて、金の粉のように舞った。
エミリアはぼんやりとその光景を見つめていた。胸の奥にまだ残る恐怖と痛みが、少しずつ溶けていくよう。
瘴気は、もうどこにもない。
風の音と静かな息づかいだけが聞こえる。ふと隣を見ると、レオナールを照らす光が彼自身の中から放たれているように見えた。
レオナールは自分の手をまじまじと見下ろしていた。
かつては、朝になれば枯れ木のように老いさらばえ、震えるほど弱々しかったその手。それが今は、陽の光を受けてもしなやかに伸びている。
背後で、がらりと瓦礫が崩れる音がした。
振り返ると、埃を払いながらエリオットがゆっくりと立ち上がる。
その目はレオナールへ向けられ、信じられないものを見たように大きく見開かれていた。
「……レオナール? それ、本当に……?」
言葉にならない声で呟いたあと、エリオットは一気に笑みを零した。喜びと安堵が入り混じった、不器用な笑いだった。
「嘘だろ……! 本当に、治ったんだ! くそっ……よかった……!」
目尻をぬぐいながら、彼は胸を押さえて深く息をついた。
「生きて帰ってくると信じてたけど、本気で…もうだめかと思ったんだぞ……」
その声は震えていたが、たしかに笑っていた。
その光景を見てエミリアも息を呑む。涙が溢れそうになった。
(……呪いが……解けた、の?)
喉の奥で、言葉にならない声が震えた。
彼の肩越しに、崩れた壁の向こうが見える。朝焼けの空が、薄桃色に染まっていた。
その光が王都の屋根を、塔を、そして瓦礫に沈んだこの地下聖堂までも照らしている。
「レオナール様……」
そっと呼ぶと、彼は振り返ってやわらかく微笑んだ。
「終わったよ、エミリア」
その声は穏やかで、どこまでも澄んでいた。呪いに覆われていたすべての夜を、たったひと言で祓ってしまうような声だった。
エミリアはゆっくりと彼のもとへ歩み寄った。
「本当に、もう……」
声が震える。
「朝になっても変わらないのですか……?」
レオナールは小さくうなずき、手を差し出した。その手は皺もなく、血の通った若い指のぬくもりがあった。
「……ああ」
堪えきれずエミリアの頬を涙が伝う。
それは悲しみの涙ではなく、心の底から溢れ出たものだった。
「よかった……」
嗚咽混じりの声にレオナールはそっと微笑み、髪に触れた。
陽の光がふたりの間に溶け込んでいく。
崩れた天井の隙間から、風が吹き抜けた。白い羽のような灰がひらひらと舞い落ち、光を受けて輝く。
見上げた眩しい光の中に、たしかな未来の気配を感じた。
「本当の春がきたんだな」
その声とともに、ふたりの影が朝の光に溶けていく。新しい一日のはじまりを告げる鐘が、遠くで鳴っていた。




