光に溶けた呪い③
「レオナール様!」
彼は無言のまま階段を下りてくる。その瞳は静かな怒りを宿し、剣の柄を強く握っていた。
「おかしいわね。あなた、あの結界の視察に出ていたはずでは? こんなに早く着くなんてちょっと計算外だったわ。もう少しこの女を痛めつけてからと思ったのに」
バネッサが挑発的に言う。
レオナールの唇が、静かに動いた。
「……痛めつける、か」
その声は低く、刃よりも冷たい。
「権力の座にいる者が、弱き者を縛るときによく使う言葉だ」
レオナールは階段を下りながら、ゆっくりと剣を抜く。銀の刃が淡く光り、瘴気を裂くように冷たい風が流れた。
「王妃と呼ばれるあなたが、聖女を拷問にかける。この国も堕ちたものだ」
言葉は静かだったが、その静けさこそが怒りの証だった。
バネッサが表情を歪め、肩を震わせる。
「呪われた王子の分際で黙りなさい!」
バネッサが怒りに任せて叫んだそのとき、石の階段の上からべつの声が響いた。
「バネッサ! お前、なんということを!」
その声に、バネッサの肩がびくりと震える。そこには青ざめた顔のルーベンが立っていた。血の気が引いた頬がランプの光を受けて青白く光っている。
その後ろからはエリオットが短剣を抜いたまま、警戒を崩さずに続いた。
ルーベンは荒い息を吐き、信じられないものを見るようにバネッサを見つめた。
「やはり……ここだったのか……」
彼の声には怒りよりも、深い絶望が滲んでいた。
「バネッサ、なぜこの場所を……」
ルーベンの声が震える。その震えは怒りではなく、恐怖と後悔の混じったものだった。
「まぁ、陛下までいらしたの? ちょうどよかったわ。レオナール、よくお聞きなさい。この場所は、陛下が――」
「やめろ!!」
高らかに響き渡ったバネッサの声をルーベンが掻き消す。その声は、血を吐くような痛みを帯びていた。
「もうこれ以上、口を開くな、バネッサ」
ルーベンの足がふらつく。だが彼は、それでも階段を下りてくる。
王としての威厳など、もうどこにもない。肩は震え、手は強く握りしめられ、目の奥に宿るのは後悔と恐怖の色だけだった。
バネッサが唇を歪める。
「なぜ? 隠しておきたいの? 〝あの夜の罪〟を。ああ、でも王にとっては不都合よね。 弟を呪った王なんて。ふふ……そんな噂、民に知られたらどうなるかしら」
「黙れっ!!」
ルーベンの怒声が地下を揺るがした。
しかし、もはやそれで押さえ込めるほど、バネッサの狂気は浅くなかった。
「弟を……呪った?」
エミリアは声を震わせた。
(嘘でしょう……? 実の兄が弟に呪いをかけるだなんて……)
バネッサが微笑みながら、エミリアのほうを向く。
「そうよ。あなたが見てきたあの呪い、あの忌まわしい現象はすべて、この場所で行われた呪術のせいよ。十年前、王が自らの弟にかけた呪い。王位を脅かす存在を永遠に葬るためにね」
「やめろ、バネッサッ!!」
ルーベンは階段を降りきり、荒い息で彼女に詰め寄った。だがその顔は蒼白く、苦悶に歪んでいる。
「あのときは……あれしか方法がなかったんだ! く、国を守るためだったんだ!」
自分に言い訳するように掠れた声だった。
レオナールは黙ってその言葉を聞いている。微動だにせず、ただ静かに。だがその沈黙こそが、誰よりも深い怒りを物語っていた。
「……国を守るため、だと?」
低く呟いた声が、石の壁に反響する。
「兄上、あなたは私を呪い殺すことで国を守ったつもりだったのか」
ルーベンは顔を上げる。目の奥が揺らめいた。
「ち、違う、レオナール。殺すつもりなど――ただ、力を封じようとしただけだった」
「封じる?」
レオナールの声が、冷えた刃のように静まる。
「呪いであのような姿にされ、北の果てに幽閉同然。私は殺されたも同じだった。それを〝封じる〟と言うのか」
誰も言葉を挟めない。エミリアは胸を握りつぶされたように、呼吸さえ苦しい。
バネッサの笑いが、その静寂を裂く。
「ああ、いいわ。やっぱり素敵ね、兄弟の断罪劇って。だからこそ、この場所を選んだの。力の反転儀式には〝血の因果〟が必要なのよ」
バネッサは腕を広げ、魔法陣の中心へと歩み出た。その足音が一歩ごとに響き、瘴気が再びざわめく。
「レオナールの呪いは、もともとこの場所で編まれた〝血の魔法〟。だからここでなら、その構造を逆にして聖女の力を奪えるのよ!」
ルーベンの顔色がさらに悪くなった。




