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闇に紛れた悪意④

 夜の王宮。

 月のない空が漆黒に沈むなか、バネッサは長い髪を手で整えながら、鏡越しの自分を見つめていた。その瞳は冷たく、そして妖しく光る。


「愚か者……。あの女の力にすがろうとするなんて」


 柔らかく笑みを浮かべながらも、その声には毒が混じる。

 国王ともあろう者が、あそこまで道化とはバネッサも知らなかった。

 窓の外では夜風が樹々をざわつかせる。だが王妃の部屋の中には、風も音も届かない。

 背後に控えた侍従長マクシムが一歩下がり、息を殺して指示を待つ。


「マクシム」


 バネッサは振り返らずに続ける。


「〝客人〟を迎える用意をなさい。ただし、あの女には傷をつけないでちょうだい。私の用が済むまでは、ね」


 最後の言葉を強調する。大事な力に差し障りがあっては大変だ。


「理解した?」

「は、承知しました」


 マクシムは声を震わせていたが、その表情には忠誠心の色が滲む。

 バネッサはゆっくりと机の前に歩み寄り、黒衣の魔術師が置いた古い書物を指先で撫でた。

 その魔術師は隣国からバネッサが秘密裏に呼び寄せた者。四方を魔獣に囲まれたモルテン王国に無傷で入れた魔術師秘伝の魔法さえあれば――。


「聖女の力を反転させる術……これで私のものにできるのね」


 この術をある場所で使えば、劇的な効果が期待できるだろう。


(――そう〝あの部屋〟でね)


 ルーベンがひたすら隠し通してきた地下の部屋。そこはルーベンの呪いで瘴気にまみれ、バネッサが使おうとしている術にはもってこいである。


(陛下ってば、私がなにも知らないと思っているんだから呆れるわ。だけど実の弟を呪いにかけるなんてね。まぁ、あれだけ力の差があれば嫉妬するのも無理はないけど)


 祝宴でレオナールが魔獣と颯爽と戦う姿を思い返し、バネッサは鼻をふふんと鳴らした。

 ルーベンが魔法騎士団のエリオットに、レオナールとともに結界の視察に向かうよう命令してくれたおかげで、ミカエル領の城には邪魔なレオナールは不在。その隙を狙えば、エミリアを連れ去ることはたやすいだろう。


(陛下も、あの男が不在のうちにあの女に会いに行ったようだけど。どうせ〝王妃として戻ってきてほしい〟とか縋っているに違いないわ。本当に情けない)


 そんな国王など、もう必要ない。モルテン王国は王妃バネッサのもと、これから繁栄していくのだ。


「妃殿下、この魔術は、一歩間違えば王妃ご自身が先に喰われます」


 魔術師が低い声で告げる。

 微笑を浮かべ、バネッサは答えた。


「わかっているわ。だけど、この私がそんなミスを犯すと思う? 首尾よくやるから見ていなさい」


 あの女の持っている力を根こそぎ奪い、今こそ自分が輝くとき。王族や貴族、民がみな自分にひれ伏す未来を思い描き、胸の高鳴りが抑えられない。

 バネッサの高らかな声は部屋に響き渡った。

 

 侍従のマクシムから吉報が届いたのは、翌日の夕方だった。

 バネッサの前に跪き、低く頭を下げる。


「王妃殿下、ご命令どおり聖女を確保しました。只今、王都に向けて馬車で移動中です」


 ミカエル領から王都までは馬車で三日かかる。マクシムはひと足先に早馬で戻ったのだ。

 バネッサはゆっくり椅子から立ち上がり、肩越しに薄い笑みを浮かべた。


「よくやったわ。褒美を楽しみに待ちなさい」

「はっ」

「あとはあの女の到着を待つだけね。そしてきっと、あの男レオナールもエミリアを追ってここへ来るはず。ふたりもろともこの世界から葬り去ってみせるわ」


 喜びに満ちた声が部屋に響く。

 夜風が背後にある窓を通り過ぎていく。バネッサの瞳は闇に紛れた微かな光に反射し、鋭く輝いていた。


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