闇に紛れた悪意③
「まさか……城を出たのか?」
「夜明け前にか? そんなはずはない」
エミリアがここを出る理由などなにひとつない。
そのとき、背後の廊下から足音が聞こえた。セルジュとカーリンが慌てた様子で駆け込んでくる。
「殿下、どうかなさいましたか⁉」
「なにやらシルバが吠えて……!」
ふたりのそばでシルバが尻尾をぴんと立てている。
レオナールは短く答えた。
「エミリアがいない」
カーリンの顔が青ざめる。
「そんな……私が寝るときにはお部屋の灯りがともっていたのに……!」
「探してくれ。城じゅうくまなく」
命を受け、シルバとともに城内を駆け回った。
廊下、庭園、書庫、温室――。しかしどこにも、彼女の姿はなかった。
不安げに鳴くシルバの声が、静まり返った城に響く。やがてシルバは中庭のほうへ突然駆け出した。
レオナールたちが息を切らせてあとを追うと、シルバは噴水のそばで足を止めた。
夜露に濡れた石畳の上に、小さな物が落ちている。月の光を受けて微かに光った。
レオナールはそれを拾い上げ、手の中でじっと見つめた。
――金糸の房飾り。
それは王家の近衛騎士が身につける、礼装用の装飾だった。
「王の紋章……!」
セルジュが息を呑み、エリオットは唇を結んだ。
「王都からの使者……いや、賊が……?」
レオナールは無言のまま、指先で房をなぞる。
「王都から来た者がここにいたのは間違いない」
低く、鋭い声が響く。
「エミリアは王都へ連れ去られたのだ」
ルーベンの仕業か。祝宴の席でエミリアの聖なる力を目のあたりにし、その力を欲したのかもしれない。
風が吹き抜け、房飾りが揺れる。
その揺れの中で、レオナールは静かに眼を光らせた。
「エリオット、馬を整えてくれ。すぐに発つ」
「だが、レオナール――」
「時間を失えば、それだけエミリアから遠ざかってしまう」
とにかく一刻も早く救出に向かいたい一心だ。
セルジュとカーリンが膝をつき、頭を垂れる。
「殿下、どうか、我らも――」
「お前たちはここを守ってくれ」
レオナールは金の房飾りを懐に収め、ゆっくりと踏み出す。
その背には、かつてないほどの憤慨が滲んでいた。
東の空がわずかに白みはじめる。
老いた姿に変わりつつある中、レオナールは呟いた。
「……待っていろ、エミリア」
その声は風に消え、夜明け前の静寂に溶けていった。




