闇に紛れた悪意②
咆哮が途切れ、黒い霧が噴き出す。霧は空へ昇り、やがて音もなく消えた。
静寂が舞い降り、夜風だけが残る。
エリオットが荒く息を吐き、剣を地に突き立てた。
その隣で、レオナールがゆっくりと歩み寄る。
彼の手から滴る青い光が、大地の裂け目をなぞるように広がっていった。
「結界を修復しなければ」
足元の紋章が微かに光を帯びていく。それに合わせてエリオットも剣を構え、光を増幅させた。
ふたりの魔力が重なり合い、渦を巻く。
風が逆流する。瘴気が苦鳴を上げるように逃げ出し、空気が一瞬、白く弾けた。
その中でレオナールの目が鋭く光る。
「光よ、秩序を取り戻せ」
最後の言葉とともに手を振り下ろす。地面を走る光が結界石を伝い、砕けかけていた結界の線がふたたび繋がった。
暗い空に細く、たしかな青の光輪が浮かび上がる。やがて風が静まり、重苦しい瘴気が薄れていった。
崩壊しかけた結界は、ひとまず命脈を取り戻したようだった。
だが、レオナールは剣を支えながら小さく首を振る。
「……これで保つのは三日。いや、二日が限界か」
額に汗が滲む。魔力の消耗は激しい。
「やはり完全な修復は難しいか」
「ああ。外側の裂け目はふさいだが、内部に入り込んだ瘴気までは祓いきれなかった。根が深い」
神官や聖女でなければ完全な修復は無理だろう。
ふたりはしばらく黙って結界の光を見つめた。
闇の中でぼんやりと揺らめく魔法陣は、消えかけた灯を無理やり繋ぎ止めたような儚を帯びていた。
レオナールが遠くの山を見やる。その先に自らの居城がある。
胸の奥に、なぜか嫌な予感が広がっていく。
「……城へ戻ろう」
「城へ?」
「エミリアが心配だ。妙に胸騒ぎがする」
風が再び吹き抜け、さっきまで沈んでいた空が穏に低く唸る。
「馬を一頭借りたいのだが」
馬車で戻るより馬を走らせたほうが速い。ここへ来るまでは老体だったため馬には乗れなかったが、夜の間ならむしろ馬のほうがいい。
馬車は二頭の馬が引いているが、人を乗せなければ一頭でも十分だろう。御者に任せて、城へ急ぎたかった。
「もちろんだ」
快く賛同したエリオットに礼を言い、颯爽と馬に跨る。
「行くぞ、エリオット」
腹を軽く蹴り、急ぎ城へ向かった。
夜明け前の空は、まだ深い群青に沈んでいた。
ミカエル領の城が見えはじめた頃、風の匂いが変わった。
レオナールは馬の手綱を引き、動きを緩める。
「……この気配、なにかある」
隣を走るエリオットも眉をひそめた。
「瘴気、か?」
「いや……もっと冷たいものだ」
城門をくぐった瞬間、レオナールの胸に重い違和感が広がった。
松明の炎が消されている。音もなく佇む城全体が、なにかに怯えて息を潜めているようだった。
ふたりは急ぎ、中へ向かう。階段を駆け上がり、エミリアの部屋の前で足を止めて扉を叩いた。
「エミリア、起きているか?」
返事はない。
もう一度、強く叩く。それでも静寂だけが返ってきた。
胸がざわめく。
「失礼、開けるぞ」
レオナールは躊躇わず扉を押し開けた。
中は整っている。ベッドも机も乱れた様子はない。
だが――。
「……いない」
エリオットが息を詰める。




