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冷たい予感②

 ***


「……これは、呪いだ」


 王のアルフォンスは、玉座の間でその姿を見た瞬間、声を失った。

 人払いを命じ、扉を閉ざす。

 ほどなくして聖女であり王妃である、レオナールの母が駆け込んできた。


「レオナール! なんということを……!」


 その声は震えていた。

 彼女は両手をかざし、息子の体に祈りの光を注ぐ。

 眩い光が部屋を満たし、老いた皮膚がわずかに張りを取り戻す。皺が薄れ、髪に銀の輝きが戻る。

 しかし完全ではなかった。何度祈っても、何度唱えても、呪いの根は消えない。


「だめ……奥深くに、なにかが棘のように刺さっているの……」


 王妃は蒼ざめながら呟いた。その額には冷たい汗が滲んでいる。

 アルフォンスは妻の肩を抱き、苦しげに顔を歪める。


「もうよい、無理をするな」

「でも、この子は……この子だけは、救わなければ……!」


 光がさらに強まる。

 しかしその瞬間、王妃の体がぐらりと傾いた。

 レオナールの名を呼びながら、彼女は王の腕の中に崩れ落ちた。


「……っ! 治療師を呼べ!」


 王の叫びが虚しく響く。

 彼女の体は沈黙の中。もうなんの反応もなかった。

 その夜、アルフォンスは決断した。

 レオナールを北の果て、ミカエル領の古城へと匿うこと。呪いを解く手がかりが見つかるその日まで――。

 そして息子の身に降りかかる運命を、誰の目からも遠ざけるために。

 彼は人払いをした部屋の奥で、眠るレオナールの頬に手を置き、ただひとこと呟いた。


「許せ……おまえは私に似すぎた。ゆえに、神はおまえを選んだのかもしれぬ……」


 月明かりが差し込み、少年の面影がわずかに戻る。

 母の祈りが残した光が、彼の胸に淡く宿っていた。

 その力によってレオナールは完全な異形とならず、一日の半分だけ本来の姿に戻れるようになったのだ。

 いつしか、人々の間でこう囁かれるようになる。

 〝夜になると、呪われた王子は姿を変える。あまりに美しいその姿を見た者は、心を奪われるのだ〟

 それが、真実を覆い隠した最初の噂だった。

 

 ***


 目を開けると、窓の外が淡く白んでいた。

 夢を見ていた。十歳のあの日。森で瘴気に呑まれた自分。母の光、父の声。

 それらが遠い霧のように消えていくのを感じながら、レオナールはゆっくりと身を起こした。

 王都から帰って一週間が経つが、あの夜の光景はいまだ瞼の裏に焼きついている。

 黒い瘴気、咆哮、崩れ落ちる城壁。血の匂いの中で、エミリアの魔法は静かに輝いていた。驚愕と畏怖に満ちた人々の視線の中で、彼女はただ静かに祈っていた。

 あれから王都はどうなっただろうか。神殿の加護がない今、あるのは破滅への道だけのように思えてならない。

 古い夢を見たせいか頭痛を感じ、指先で額を押さえる。

 寝台の脇で、エミリアが椅子に腰掛けていた。


(なぜここに……?)


 彼女がこの地に来てから、寝所を一緒にした夜はない。

 細い肩に掛けたショールが滑り落ちかけていたため、手を伸ばして掛けなおしたそのとき、エミリアが目を開けた。ハッとしてレオナールを見る。


「……すみません、勝手に。明け方近くに目が覚めて、部屋の前を通ったらうなされているような声が聞こえたものですから」


 彼女の瞳には、心配と安堵が入り混じっていた。


「昔の夢を見ていた」

「そうでしたか。……もう大丈夫ですか?」

「ああ、案ずるな」


 エミリアが小さく息をつく。その後しばらくふたりは、窓辺で静かに朝の光を見ていた。

 城の外では鳥の声が聞こえ、爽やかな風が山を渡ってくる。

 やがてセルジュが扉を叩き、入室した。エミリアが一緒にいるのを見て目を瞬かせたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。


「殿下、失礼いたします。お客人がお見えです」

「客人?」


 レオナールが眉を上げると、セルジュは恭しくうなずいた。


「はい。王都よりお越しです。エリオット・ブラン卿。魔法騎士団の団長であられる方です」


 その名を聞いた瞬間、胸に懐かしい響きが蘇った。

 エリオット、かつてともに魔術と剣を学んだ友だ。歳も同じで、幼い頃にはルーベンよりも兄弟のように過ごした。

 祝宴の席で、遠くからこちらを見て微笑んでいた姿を思い出す。

 あの時の眼差しには敬意でも憐憫でもなく、再会の喜びが宿っていた。魔獣の討伐で騒ぎになり、言葉を交わさないまま王都を離れてしまったが。


「そうか。あのエリオットが団長か」


 うなずきながら呟く。


(まぁ、彼なら適任だろう。剣術も魔術も秀でていたからな)


 思わず微笑みが零れる。時の流れの速さが、少しだけ胸に染みた。


「お通ししてよろしいでしょうか?」

「ああ、応接室で待ってもらうように」

「承知しました」


 セルジュが去り、レオナールは老いた体を整えはじめた。


「では、私は部屋に戻ります」

「エミリアも挨拶をしてはどうか」

「よろしいのですか?」


 ドアに向かいかけた彼女が振り返り首を傾げる。


「もちろんだ」

「では、私も支度をしてまいります」


 レオナールは微笑み返した。


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