月夜の王③
視線が一斉にこちらへ向く。輝くホールの中央で、人々の息が止まった。
胸の奥で鼓動をひとつ数え、そっと前へ出た。光を受けたドレスの藤色が波のように揺れ、銀の刺繍が星屑のように煌めく。
だが、その隣に立つ人の姿を誰もが凝視していた。黒と銀を纏う青年の美しい姿を。
その存在はまるで夜そのものが人の形をとったかのようだった。金の燭光が彼の髪をすべり、瞳の奥で淡い光が揺れる。
ざわ……と、人々の間に小さな波が走る。貴族たちは互いに顔を見合わせ、囁き合った。
「……あれは……誰だ?」
「新しい客人か?」
「いや、元妃殿下の……護衛?」
低い囁きが連鎖する。
誰ひとりとして、昼間見た老いたレオナールをこの男と結びつける者はいなかった。
あまりに違って、あまりに美しいから。
ルーベンが王座の上で息を飲む。
その目が、信じられぬものを見たように細められた。
「……まさか……」
声にならない声が漏れる。
レオナールは静かに歩み出て、王の前で一礼した。
その所作には昼間と変わらぬ気品があり、しかし、そこに漂う気配はべつのもの。威厳と静謐がひとつに溶けた、夜の王のような存在感だ。
「真の姿で顔を合わせるのは久しぶりですね、兄上」
よく通る声が広間を満たした瞬間、ざわめきが爆ぜた。
「殿下……?」
「あの方が、呪われた第二王子……?」
「そんなはずが……昼間はあんなにも老いて――」
誰もが口々に驚きを漏らす。
ルーベンの顔から血の気が引いていくのがわかった。そしてついにルーベンが声を絞り出す。
「レオナール……なのか」
その名が広間中に響いた。まるで呪文のように空気を震わせる。
青年――レオナールは、静かに顔を上げる。月光のような瞳が、王を真っすぐに見据えていた。
「はい。昼には老い、夜には元の姿に」
言葉は穏やかだが、凛とした力が宿っている。
「そ、そんなはずは……!」
ルーベンの喉が音を立てる。
王妃バネッサが隣で扇を持つ手を止め、硬直していた。
「そんなはず、とはどういうことですか?」
レオナールの問いに、ルーベンははっとしたように唇を引き結ぶ。
人々は息をすることも忘れたようにふたりを見つめていた。
その沈黙の中で、ルーベンの表情にはっきりとした悔しさの色が浮かぶ。
この場を支配していたるのは、もはや王ではなかった。老いた弟を見下していた王が、若き夜の王に光を奪われている。
音楽も言葉も響かないまま、レオナールの声だけが大広間に響いた。
「兄上。今宵の祝宴、どうか穏やかに終わることを願っています」
その声音には皮肉も怒りもなく、ただ静かな威厳だけがあった。
しかし、ルーベンの拳は玉座の肘掛けの上で震えていた。
しばらくすると、思い出したかのように楽師の奏でる音が再び大広間を満たしはじめた。
琥珀色の光がシャンデリアから滴り落ち、金と白の装飾が春の夜気に溶けていく。王座に座るルーベンのもとへは、次々と杯が捧げられた。
国王指揮のもと魔法騎士団が王都を襲った魔獣を討伐した。その功績を称える宴だと、誰もが声を揃えて祝福する。
だが、拍手の音はどこか乾いていた。その裏で囁きが絶え間なく聞こえてくる。
「……あれが、夜の王子」
「昼とはまるで別人だ……」
「呪いを受けたと聞いたが、なんと気高い」
ひそやかな賞賛が波のように広がっていく。人々の目は、意志を持ってレオナールを追いかけているかのようだった。




