月夜の王①
レオナールが寝台に横になってしばらくすると、エミリアは侍女に導かれて応接室へ向かった。
扉の前で一度、深呼吸をする。胸の奥が締めつけられるように痛い。というのも、この扉の向こうにいるのがエミリアの両親だからだ。
侍女によれば、ふたりはエミリアが祝宴に招かれたと聞き、会いに来たのだという。
顔を合わせるのは、前国王アルフォンスの国葬以来。王都を離れる前にしたためた手紙も届いていたかどうか。結局、一度も返事は来なかったから、もしかしたら葬られたのかもしれない。
扉が静かに開く。真っ先に目に入ったのは見覚えのある背中だった。
「お父様……」
声が震えた。
振り返った父、エリク・トレンテスは、この数カ月で何歳も歳をとったように見える。 眼差しに浮かんだのは驚きでも怒りでもなく、ただ深い悲しみの影だった。
彼の隣で、母のオセアンヌが立ち上がる。
かつて夜会で王妃にも劣らぬ優雅さと称えられた母は、いまや白い髪をひとつに結い、細い手で口もとを押さえていた。
「……エミリア……あなた、本当に……」
言葉の続きを探すように声が震える。
エミリアは床に膝をつき、頭を軽く下げた。
「ご無沙汰しております。あのときは、ご挨拶もできずに……」
嗚咽が喉を塞ぎ、うまく声にならない。
オセアンヌは慌てて娘の肩に手を置いた。
「いいのよ。私たちのほうこそ、あのときなにもできなかったの。ごめんね、エミリア」
母の手は昔と変わらず温かかった。しかしその温もりの奥に、この数カ月の重みがある。
家族と言えど、エミリアの追放が王命である以上、下手に手を出せないのはわかっている。新国王となったルーベンに逆らうような真似をすれば、トレンテス家は没落の一途を辿るだろう。親類縁者まで巻き込むわけにはいかない。
エリクは黙っていた。その沈黙は言葉よりも痛い。
彼の眉間に深く刻まれた皺が、どれほどの苦悩と後悔を語っているのか、想像するだけで胸が軋む。
「お父様」
ようやく絞り出した声に、エリクはわずかに顔を上げた。
「……あのとき、私にはお前を守る力がなかったのだ。すまぬ」
懺悔の言葉が口をつく。おそらく今日までずっと後悔に苛まれるばかりの毎日だったのだろう。
エミリアは首を振り、溢れた涙をぬぐった。
「いいえ、私は大丈夫です。北の地で多くの人に助けられました」
セルジュにカーリン、そして街の人々。雪深く閉ざされた土地とは思えないほどあたたかく、優しい空気に自然と癒された。王都では味わえなかった温もりは、今のエミリアにとってかけがえのないものである。
「それに、レオナール様が……」
言いかけて唇を噛むと、オセアンヌは目を優しく細めた。
「あの方があなたを救ってくださったのね」
「はい。あの方がいなければ、私は……」
オセアンヌに抱きしめられ、言葉を続けられなくなる。細い指がエミリアの背を撫でた。
長い沈黙ののち、エリクがふと立ち上がる。
「おまえが幸せなら、それでいいんだ」
「お父様、ありがとうございます」
エミリアがエリクと抱擁を交わしたそのとき、扉の外から足音がした。
ノックのあとにドアが開き、侍女が恭しく告げる。
「申し訳ありません。そろそろお時間です」
もう終わりかと嘆いてもはじまらない。追放された立場の人間が、こうして家族と会わせてもらっただけでもありがたいと思うべきだろう。
オセアンヌがエミリアの髪をそっと撫でて微笑む。
「エミリア、もう泣かないで」
「はい。会いにきてくださってありがとうございました……」
エミリアは唇に力を込めて涙をこらえ、ふたりに深く頭を下げた。
扉を出るときに振り返ると、父と母は静かに手を取り合いながら、エミリアを見つめていた。




