静けさの中にある祈り①
十日後、城の中庭に早朝の澄んだ風が流れていた。
春を待っていた花は開き、香しい匂いを運んでくる。
エミリアは玄関前に立ち、軽やかな外套の裾を整えた。
荷馬車のそばではセルジュたちが最後の荷を積み、馬の吐く息が朝陽のなかできらめく。
今日は王都への出立の日である。祝宴のための旅立ちではあるが、名ばかりの祝宴では済まされぬ予感は密かにある。
「寒くはないか」
声に振り返ると、レオナールが中庭に現れた。
昼の姿ながらも、その立ち姿は堂々としていて威厳がある。春の陽が外套の肩に落ち、銀糸を思わせる髪をやわらかく照らしている。
「ええ、大丈夫です」
「そうか」
「レオナール様は決して無理はなさらないでくださいね」
「わかっている」
王都までは馬車で三日。老いた体での移動は堪えるだろう。
「荷はすべて積み終わりました。いつでも出発できます」
セルジュが静かに告げる。
「では、乗りましょうか」
カーリンはセルジュに「行ってきます」と告げ、ふたりに続いて馬車に乗り込んだ。身の回りの世話をするために彼女も同行してもらうことにしていた。あちらでも侍女は用意されているかもしれないが、ルーベンやバネッサの息がかかった人間は信用できない。
カーリンに続いてシルバがステップに足をかけたため、エミリアは急いで「あなたはお留守番よ」と制した。
「街への買い物のとき同様、寂しい思いをさせるけれど……王都は遠いし、危険かもしれないの」
そう言うと銀の毛並みの大きな聖獣は、しばらくその場でじっとエミリアを見つめていた。そして次の瞬間、シルバの体がやわらかな光に包まれる。
風がひと筋、花びらを舞い上げた。
光が収まったとき、そこに立っていたのは手のひらに乗るほどの小さな銀の獣だった。
長い尾をぴんと立て、琥珀色の瞳をきらりと輝かせる。
「……え?」
エミリアは目を瞬かせ、カーリンが思わず口元を押さえる。
セルジュでさえ、いつも冷静な顔に驚きの色を浮かべていた。
小さなシルバは前足をちょこんと揃え、エミリアを見上げる。
〝これならいいでしょう?〟
言葉はないが、その表情がはっきりとそう訴えていた。
「シルバ……あなた、そんなことができたの?」
困惑と感嘆が入り混じった声に、シルバは得意げに小さく鳴いた。
レオナールはその光景を見て、目を細めた。
「どうやら、決意は固いようだな」
「はい……もう、こうなってしまっては止められませんね」
エミリアが小さく笑うと、レオナールも苦笑を浮かべた。
こうして銀の子犬のようになったシルバを連れ、王都へ向けて旅立つことになった。
やがて御者が手綱を鳴らす。馬車の扉が閉まり、いよいよ馬は歩を進め、ゆっくりと城門をくぐった。




