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忘れていた温もり②

 

 雪が降り積もった道を、馬車がゆっくりと進んでいく。

 フェンリルも馬車に乗り込もうとしたが、レオナールにより制止された。聖獣を連れていけば、街の人々を驚かせてしまうだろう。そもそも馬車に乗るには体が大きすぎる。


「私が帰るまでお城を守っていてね」


 エミリアの言葉を理解したのだろう。フェンリルは寂しそうに耳と尻尾を垂らし、とぼとぼと城内に戻っていった。

 冬の陽は低く、空気には雪を孕んだような冷たさが漂う。窓から見える森は白く霞み、遠くの山々までがまるで銀糸で縫われたかのように輝いている。

 レオナールは深く背もたれに身を預けていた。

 老いた体は長い道のりに耐えられるほど強くはないはずだが、彼は決して弱音を吐かない。

 その静かな気丈さが、エミリアの胸を締めつける。

 やがて馬車の揺れがひときわ強くなったとき、エミリアはそっと手を伸ばした。

 彼の膝の上にある右手に、自分の手を重ねる。冷たく骨ばっていて、それでも優しい温もりがあった。

 エミリアは瞼を閉じ、静かに祈りの言葉を紡ぐ。薄く金の光がふたりの手を包み込んだ。

 それはやわらかい息吹のようにレオナールの体に流れ、凍てついていた血が少しずつ温まるのが手を通してわかる。

 レオナールは小さく息を吐き、しばし目を閉じた。


「……不思議だな。まるで陽の光を飲み込んだような感覚だ」

「痛みはありませんか?」

「いや。むしろ、長く忘れていた感覚を思い出したようだ」

 レオナールは微かに笑んだ。

 その表情に、かつて若き王子であった頃の面影がほんの一瞬だけよぎる。

 彼の視線がふと、エミリアの手の甲に留まった。

 淡く輝く紋章――治癒の印。その光が祈りとともに揺らめいている。


「その印……王家の神殿でも限られた者しか持たぬはずだ。聖女の証だな」


 レオナールの声は穏やかだったが、どこか哀れみを帯びていた。

 エミリアはわずかに眉を伏せ、唇を噛む。


「……はい。でも、私にはこの紋章に見合うほどの力はありません。生まれつき魔力が弱くて、国の儀式でも一度も……国王陛下に認められたことはありませんでした」


 その声は、今にも雪解けの滴のように消え入りそうになった。長く胸の奥に押し込めてきた悔しさと寂しさが、馬車の静寂の中でふと滲み出る。

 レオナールはしばらくなにも言わなかった。

 ただ、手は離さずにいた。

 老いた手のひらから伝わる体温はとても優しく、揺るぎないものに感じられる。


「……力というものは、量では測れぬ」

「え……?」

「誰かの痛みを見て手を伸ばせる者。それこそが、真に癒す力を持つ者だ」


 レオナールはゆっくりと目を細めた。


「それを持たぬ聖女など、この世にひとりとしていない」

 エミリアは息を呑んだ。胸の奥が、静かに温かくなる。

 レオナールの言葉は、凍えていた心に灯をともすようだった。


(殿下は、懐がとても深いお方だわ……)


 穏やかな横顔を見つめ、エミリアは気持ちが優しくほぐれていくのを感じた。


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