辺境の生活⑥
それからも、レオナールが夕食の席に姿を現さない夜は続いた。
昼は自室で休んでいることが多いらしく、会えるとしても朝食のわずかな時間だけ。夜の間にどこでなにをしているのか聞くのも躊躇われ、セルジュやカーリンに尋ねてもどこか申し訳なさそうに曖昧な笑みを浮かべるばかり。
そうして二週間ほどが過ぎた朝のことだった。
食堂に入ると、レオナールはすでに上座に座っていた。
その姿を目にして、エミリアは思わず足を止める。老人の姿は変わらないが、初めて会った日よりもさらに老いが濃くなったように見えた。
直す間もなかったのか銀白の髪は乱れ、頬は痩せて指先の血の気が薄い。
しかし、その目だけは冬の朝の氷を透かす光のように、相変わらず澄んでいる。
「……おはようございます、殿下」
エミリアが静かに挨拶すると、レオナールはわずかに顔を上げてうなずいた。
「おはよう。……すまぬな、今朝は少し手間取っていた」
低い声が、かすかに掠れている。
近くの席につこうとしたとき、エミリアの目がある一点で止まった。
彼の右手に包帯が巻かれていた。布の端から赤茶けた染みがうっすらと覗いている。
「殿下、お怪我を?」
思わず立ち上がり、席のそばまで歩み寄る。
レオナールは少し驚いたように目を瞬いたが、すぐに視線を逸らした。
「大したことではない。ただ、外で少しばかり転んだだけだ」
「外で……?」
その言葉に、エミリアの胸がかすかに強張る。
昨日の朝にはなかった傷だ。セルジュからも夜に出歩くとは聞いたが、老いた体で雪の中を歩くのは困難を極めるだろう。
となると、やはり異形に姿を変えるのだろうか。
「見せるような傷ではない」
レオナールはそう言いながら、左手で包帯を隠すように膝の上に置いた。
だが、その仕草には痛みを押し隠すような硬さがある。
「少しだけ、手を見せていただけませんか?」
エミリアはやわらかく声をかけた。
「癒しの術を……ほんの少しだけ。痛みが和らぐかもしれません」
レオナールは短く息をつき、目を閉じた。
「……好きにするといい。ただ、傷には触れないほうがいい。キミの手が汚れる」
「構いません」
エミリアが彼の手にそっと触れると、包帯の下から微かな熱が伝わってきた。
その熱には、単なる傷の痛み以上のものが潜んでいる気がした。
(これはなんの気配なのかしら……)
手のひらの下で、淡い金色の光が滲む。エミリアの祈りが光に変わり、包帯を透かして肌を包んでいた。
レオナールはわずかに顔を歪め、それから静かに息を吐いた。
「……不思議なものだな」
「痛みは、少し引きましたか?」
「ああ……まるで、氷の上に陽が差したようだ」
彼はそう言って、初めて少しだけ笑みを見せた。
エミリアは安堵の息をつきながら、包帯の上から指を離す。
「本当は、手当をしてくださる方がいればいいのですけれど……」
ここが王都ならまだしも、北の果てにそれができる人間がいるとは思えない。
「この屋敷に治癒師は来ない。呪われた身の世話をしたがる者など、王都にはいないだろう」
言葉の端に、ひどく静かな孤独が滲む。彼の苦しみを垣間見たようで胸が痛い。
その声を聞きながら、エミリアはゆっくりと膝の上で手を組んだ。
暖炉の火が、古い窓硝子に揺らめいて映る。その光の中で老いた王子の横顔は、雪解けの水に映る月のように儚かった。




