辺境の生活④
レオナールの部屋を辞したあと、エミリアは老執事の案内で屋敷の中を歩いていた。
彼の名はセルジュ・フェントンといい、この屋敷を取り仕切っている者だという。
通路には古い石造りの床が広がり、長い年月を経てもなお磨かれているのか、靴底がかすかに音を立てて反射する。
壁には淡い緑青を帯びた燭台が並び、蝋燭の炎が一つひとつ揺れながら廊下を照らしていた。
その光は明るすぎず、むしろ影を際立たせるようにして城全体を包み込んでいる。
「ここは、思っていたよりも静かですね」
エミリアが呟くと、セルジュは口元にわずかな笑みを浮かべた。
「ええ。この谷に吹く風は一年を通して冷たく、訪れる者も滅多におりません」
セルジュは言葉を選ぶようにして続けた。
「今では私と、料理人がひとり。そして庭を手入れする者がひとり。あとは……殿下付きの文官が時折訪れる程度でございます」
「随分、少ないのですね」
「必要な者だけが残りました。殿下がこの地へお移りになったのは十年ほど前。その頃はまだ従者も多うございましたが……」
「アルフォンス前国王がここへいらっしゃったことは?」
呪われているとはいえ、父親にとっては大事な息子だ。
ところがセルジュはゆっくり頭を振った。
「いいえ、一度も。生きていくには十分なほど潤沢な資産は分け与えてくださいましたが、お手紙が何度か届いた以外には……」
言葉を濁すセルジュの横顔には、寂しげな影が差していた。
第一王子であるルーベンさえいれば、それでよかったのだろうか。なんとも言えず悲しい気持ちになる。
階段を上がり、二階の奥まった廊下へ進む。廊下の突き当たりに、重厚な扉がひとつあった。
扉を開けると、香木の香りとともに暖かな空気が流れ込む。
「こちらが、本日よりエミリア様にお使いいただくお部屋でございます」
中に足を踏み入れると、思いのほか広い空間が広がっていた。壁は淡い象牙色の漆喰で塗られ、古いが清潔に整えられている。
窓際には厚手のカーテンがかかり、外の雪明かりがわずかに差し込んでいた。
暖炉の上には銀の燭台が置かれ、その脇にある机には香油と羽根ペン、それに未使用の羊皮紙が整然と並んでいる。
「まあ、こんなに整っているなんて」
「殿下のご意向です。お迎えする方を粗略には扱うな、と」
その言葉に、胸がわずかに熱を帯びた。
(やっぱりお優しい方だわ)
老いた王子の穏やかな眼差しが脳裏に浮かぶ。
「それと……」
セルジュが部屋の奥に目をやる。
そこには、明るい栗色の髪をした若い娘が立っていた。
歳は十六、七ほどだろうか。エミリアとそう変わらない。少し緊張した面持ちだが、その瞳は澄んでいた。
「彼女はカーリン。私の孫娘でございます。これより、エミリア様付きの侍女としてお仕えいたします」
少女は慌てて裾をつまみ、深く膝を折った。
「か、カーリン・フェントンと申します。どうぞよろしくお願いいたします、元妃殿下……」
その言葉に、エミリアは優しく微笑んだ。
「ありがとう、カーリン。私に殿下は不要です。どうか気軽に接してちょうだい」
そう言うとカーリンは少し驚いたように顔を上げ、そしてほっとしたように笑った。
その笑顔に、エミリアの心もふっと緩む。閉ざされた城に、わずかな春の気配が差し込んだ気がした。
「お荷物はあとでお運びいたします。カーリン、エミリア様のお世話を頼みますぞ」
「はい、お祖父様」
セルジュが一礼して部屋を出ていくと、部屋には暖炉の音と雪の静けさだけが残った。
カーリンは緊張した様子でカーテンを開ける。
窓の外には雪に包まれた森と、遠くにぼんやりと霞む山脈の影が見えた。




