3、深淵の国ネレイダ
扉が乱暴な音を立てて開く。
入ってきたのは、肩で息をしている男性と、燕尾服を着た男性だった。
最初に入ってきた男性は私の数歳上くらいだろうか。
青みを帯びた紫色の髪、同じ色の美しい瞳。そして切れ長の目、引き締まった顎……私から見ても綺麗だと思う顔立ちだ。私が起きていると聞いて慌てて来たのだろうか、肩で息をしているようだ。
男性は私を見て安堵したのか、胸を撫で下ろす。
その時丁度彼と視線が交わった。普段であればすぐに俯く私だったが、何故か……何故か、彼から視線を外せない。
どちらも声を出すことなく、じっと見つめ合っている。そんな時間が延々と続くような気がしたその時。そんな私たちを見かねて、片眼鏡をした燕尾服の男性が私へと声をかけてきた。
「お休みのところ、失礼致します。お身体の調子は如何でしょうか?」
「あ……えっと、大丈夫です……」
ふと思う。罵倒以外のまともな会話は久しぶりだ。
どう答えたら良いのだろうか、と狼狽えながら私は返事をする。片眼鏡の男性が視線を投げてくるが、私はすぐに視線を逸らして俯いた。
この行動に違和感を感じたのだろう。彼は、一歩後ろに下がると腕を組んで微動だにしない男性に顔を向けた。
「先に私共の紹介をすべきではないでしょうか、アダン様」
彼の言葉に、アダンと呼ばれた男性は首肯する。
「そうだな。私はこの国を管理しているアダンという」
そう告げると、男性はまた口を固く閉ざした。眉間に皺が寄っている……もしかして、先ほどアダン様を私が見返したので、気分を損ねてしまっただろうか。
縮こまり、肩を震わせていると、もう一人の片眼鏡の男性が声をかけて来た。
「アダン様、眉間に皺が寄っておりますよ……女性を威圧するなと何度言ったら分かるのですか?」
「いや、威圧など――」
アダン様の言葉に片眼鏡の男性が被せるように捲し立てる。
「それでしたら、眉間を揉んで下さい! ああ、失礼致しました。私はレナート、アダン様の執事でございます」
優雅な動作で一礼を執るレナートさん。彼は後ろで素直に眉間に指を押し付けているアダン様を一瞥してから、私へと向き直った。
「ここはネレイダ王国と呼ばれています。地上では『女神の泉』と呼ぶのでしたか……? その泉の深淵に造られている国でございます」
「泉の……深淵ですか?」
「はい。水底でございます」
私はレナートさんの言葉に耳を疑った。……彼はここが泉の中だというのだ。先程泉に身を投げた時、確かに息ができずに気を失ったはずなのだが……。
それに私は飛び込む前に泉を覗き込んだけれど、街があるようには見えなかった。この部屋のように明かりを灯しているのであれば、水底でも光らしきものが見えたと思うのだけれど。
私の思考を読んだのか、レナートさんは話を続ける。
「ネレイダ王国は水の女神様によって造られ、加護を与えられております。そのため、地上から見ることはできません」
水の女神様――確か女神デューデ様と仰ったはず。我が国で崇められている女神様だ。
今は亡き母が以前、おとぎ話を読んでくれたことがある。その時に「女神様のお名前はデューデ様と仰るのよ」と言っていたことを思い出した。
「息ができるのは……」
「こちらは魔道具によるものでございます。この国では水の女神様の加護がございますので、魔術と呼ばれるものが使用できます。そのため、私共は魔道具を使用してこの空間を快適に過ごせるよう尽力しております」
魔術……聞いたことがない。首を傾げていると、アダン様が手のひらを天井へと向けた。
すると――。
手のひらの上にいつの間にか硬貨ほどの大きさの球体ができている。その球は透き通っていて、奥を見通せるほどだ。
すると、その球の周囲に何かが集まり……段々と大きくなっていく。私が呆然としている間に、拳より一回りほど大きくなっていた。
「これは……?」
「水を生成して手の上に集めてみた。これが魔術だ」
水を生成……作り出す、ということだろうか。私はまじまじと手の上にある水の球体を見つめた。
公爵家の者達がこんなものを使えるだなんて聞いたことがない……使えるなら、むしろ嬉々として私を苦しめるのに使用しそうよね。
不思議そうな表情で球体を見ていたからだろう。アダン様は私を見てポツリと呟いた。
「そうか、地上ではもう魔術が使えないのだな……」
哀愁が漂う声色。私はアダン様へ声がけを試みるが……どうすれば良いのか分からずまごついてしまう。狼狽えている私を見兼ねたのか、レナートさんは「落ち着いたら魔道具のある場所へとご案内しましょう」と提案してくれた。
しばらく色々と話して、私を助けてくださったのはアダン様だと聞いた。「ありがとうございます」とお礼を告げると、「いや……」と言ってそっぽを向かれてしまう。
でも、アダン様はその場から立ち去ることはしなかった。きっと不快感を感じたわけではないはずだ。
一旦話が終わると、私は頭の中を整理しようとする。この数十分だけで多くの情報にさらされたからだ。
レナートさんの話が真実なのか、嘘なのか……今の段階では確実な判断できない。けれども、アダン様も魔術とやらを実際見せてくださったので、嘘は言っていないように思う。
確実に言えることは、ここが神の座す場所ではないということ。
――私は生きている。
自分の胸に手を当ててみると、以前と同じように心臓の鼓動を感じられた。
私が顔を上げると、レナートさんだけでなくアダン様もいつの間にか私の方へ顔を向けている。アダン様の視線に怯みそうになった私だったけれど……よく見ると、奥には心配の色が見え隠れしているような……気がする。
最初憤怒の表情を纏っているのかと思っていたけれど、単に表情が硬い方なのかもしれない。もし本当に私が目障りであるのなら、家族のように無視したり、罵倒したりするもの。
それがなく、この場所に留まっているということは、少なからずとも嫌悪はないのかもしれない。
そんなことを考えながら、アダン様をじっと見つめていると、レナートさんから声がかかった。
「目が醒めたところ大変申し訳ございませんが、お嬢様についてお話をお伺いしても宜しいでしょうか?」
「私について……」
そうよね。
この場所について教えてもらったのだもの。私のことも伝えないと公平ではないわよね。私はアダン様とレナートさんに何故私が泉に身を投げたのか、について話をした。
「そうでしたか……いやはや、なんとお言葉を掛ければ良いのか……」
私は自分の名前と立場を告げた後、異母妹の代わりに泉へ飛び込んだと話をする。だが、長くなるし告げるつもりもなかったので、公爵家でどのような目に合っていたかは伝えていない。
けれども、私の話で粗方想像がついたのか……レナートさんは痛ましそうな表情で私を見ている。アダン様もこちらに視線を何度か投げかけていた。やっぱり心配してくれているのかもしれない。
二人を見て、私の心はじんわりと温かくなる。久し振りに人の温かさに触れたからだろうか。
「ここでゆっくりするといい」
急に耳に入って来た声はレナートさんよりも低く、凄みのある声。けれども、言葉の内容は非常に私を気遣ってくれるものだった。
目から涙が溢れそうになるのを堪える。こんな声を掛けてくれたのはいつぶりだろう……。
「……ありがとうございます……」
かろうじて涙をこぼすことなくお礼を言い切った私。安堵からか、大きくため息をつくとどっと疲れが襲う。
目を擦り始めた私に気がついたのだろう。アダン様とレナートさんは顔を見合わせる。そしてレナートさんが私にゆっくり休むようにと微笑んでくださった。
私はレナートさんの言葉に甘えて、枕に頭を乗せる。すると、頭を使ったからか……まだ泉に身を投げた時の疲れが残っていたのか分からないけれど、すぐに意識が途切れたのだった。
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