2、身代わり
翌日早朝。
執事に叩き起こされた私は、手早く支度をしてから王宮へと訪れた。
初めて目にする王宮をゆっくりと見る暇もなく、私は門前で馬車を降りた後、案内の者の後をついて歩く。
ドレスで隠れて見えないところにある傷が痛んで、歩き辛い。昨日「最後の思い出に」と言い出した継母と異母妹の気が済むまで折檻を受けていたからだ。
後ろでは公爵が神妙そうな表情を維持しながら、隠れて私を睨みつけている。そして継母と異母妹は笑いを噛み殺そうとして肩が震えていた。周囲から見れば、「自分の生んだ娘」であるリリスが身を投げることに悲しんでいると見えるだろう。
王宮の廊下を何度曲がっただろうか、ふと目の前に白を基調とした門が現れた。門の奥には鬱蒼と木々が生えている。
門が開き、土が剥き出しの道らしきところを真っ直ぐに進んでいく。しばらくして目前に現れたのは、太陽の光を浴びてキラキラと水面が輝く……女神の泉だった。
女神の泉では、既に両陛下と教皇猊下が眉を下げて悲観した表情で佇んでいた。私たちの存在に気が付くと、教皇猊下は涙を溜めながら私の元へと向かってくる。
一方、公爵達には両陛下が話しかけていた。
「この度は……すまなかった」
「いえ……悲しい事ではありますが、貴族としての責務でございます。娘もそこは理解しておりますので……」
「せめて……リリス嬢が神の御許まで安らかに向かえるよう、皆で祈りを捧げましょう」
「王妃様……ありがとうございます」
公爵夫妻は両陛下の発言に感極まったとでも言わんばかりに、公爵は袖で目を拭い、継母は両手で顔を覆う。二人とも演技が上手なのね……それよりも、継母に隠れて私を嘲笑っている異母妹は良いのだろうか、と他人事ながら思っていた。
前に立った猊下は、私が家族の方を見ていることに気がついたのか、留まっているようだ。家族との別れが辛いのだろう、と思っているのかもしれない。
私が猊下へと顔を向けると、彼は「女神のご加護を」と私を祈りに捧げられたが、私の心は微動だにしなかった。
猊下に連れられ、私は泉の前にたどり着く。目の前には丁度人一人立てそうな平らな岩が埋められている。猊下に岩へ乗るように促された私は、一歩ずつ足を乗せて岩の上に立ち上がった。
するとその瞬間、私の足元から夕陽のような赤い光が現れ、私の身体は光に包まれる。驚いた私は目を見開いてその光を見つめていたが、光自体に悪意を感じられない……むしろ神聖な気を感じた私は、動かず静観していた。
周囲は騒々しくなる。
そして時折聞こえる「儀式を進めていいのか?」という声。それが公爵の耳に入ったのだろう。儀式が中止になって私が戻ってくるのではないか、ということに嫌悪を抱いたのか……公爵は陛下へと奏上した。
「陛下、あの光は歓迎の光ではないでしょうか。それでしたら早く儀式を遂行するべきではございませんか?」
儀式を敢行したい公爵とは裏腹に、陛下は渋い表情を浮かべている。公爵の言葉に返事をすることなく、私の隣にいた猊下へと声をかけた。
「……うむう、教皇よ。何かあの光については知っているか?」
「古文書によりますと、神託後にあの岩へ乗ると起こる現象だ、と書かれておりました。ですが……」
そこで声を詰まらせる教皇。歯切れの悪い彼に国王は「どうした」と怪訝な表情を見せる。
「いえ、古文書には白い光と書かれていたものですから……私の勘違いかもしれませんが」
猊下曰く……前回の神託から二百年ほど経っているため、聖務者の儀式について記載されている古文書が読めない状況だったらしい。なんとか解読したので、読み間違えている可能性がある。
公爵はこの儀式の先行きが怪しくなってきた事に焦り、言葉を紡いだ。
「色はどうであれ光ったのであれば、儀式を執り行っても良いのではありませんか?」
「それもそうだな。妹嬢、よろしく頼む」
申し訳なさそうな表情の両陛下と教皇の後ろで、嬉しさを隠せていない同居人たち。私は彼らを冷たく一瞥した後、泉に身体を向ける。そして無表情のまま、自ら泉に飛び込んだのだった。
――苦しい。
死ぬのはこんなに苦しいことなのか……と私は目頭が熱くなったような気がした。
先程までは苦しさからか足をバタつかせていたが、今はもうその気力も失われていた。徐々に遠くなる水面の光を見つめながらゆっくり、ゆっくりと水底に降りていく。
何に対しても心が動じなくなって数年。私は死ぬ間際になって人の心が自分にあったのだ、と心から安堵した。私はもう死んでしまうのに、不思議。心はまだ生きることを望んでいるのだろう。
でも、私の息が続かない。もうしばらくすれば、私は泉の中で冷たくなる。
そう諦めたからだろうか……走馬灯のように今までの人生が頭の中に流れていく。
「もっと泣き喚くかと思ったのに、面白くないわね?! 命乞いしなさいよっ!」
そう言って鞭で叩き続けたリリス。
「叩かれる事に気づいても微動だにしないなんて……本当に気味の悪い悪魔の娘だわ」
そう言ってヒールで足を踏みつける継母。
そして実の娘であるにもかかわらず、冷遇し亡くなった母の代わりに罵詈雑言を私にぶつけ、今までの鬱憤を晴らす公爵。
政略結婚で私の母と公爵の相性が最悪だったから……。
公爵と継母の愛を私の母が引き裂いたから……。
そう言われ続けてきたけれど、私はどうしたら良かったのだろうか。
もう息が続かない。そう思って目を閉じ、近づきつつある死に手を伸ばす。
だが、伸ばした手は不意に強い力で掴まれる。水底へ落ちていたはずの彼女の身体が温かいもので包まれたと感じたところで彼女の意識は途切れた。
私の額に何かが乗せられ、その冷たさに私は目が醒める。
ここはどこだろうか?
周辺を確認するため、ゆっくりと右側に顔を傾けると、頭に乗っていた何かが落ちていく。すると丁度そこにいた女性と目が合った。彼女は目を見開いた後、慌てて部屋の扉から駆け出していく。
彼女に声をかけようとするが、声が掠れていたために大声を出すことができない。仕方なく身体を起こして部屋を見回すと、そこは見たことのない場所だ。壁や天井は白を基調とした石で作られ……雰囲気は女神の泉に入る前に見た門と似ていた。
暖炉には火が焚かれており、パチパチと燃える音が微かに耳に入る。
私の寝ているベッドの横にはサイドテーブルが置かれており、見たことのない透明な器に水らしき液体が入っていた。
そして正面には、床の少し上辺りから天井付近まである大きな窓が嵌め込まれている。そこを何気なく見ていた私だったが……その窓の奥に映る光景を見た瞬間、私は目を疑った。
宙を飛んでいる何かがいるのだ。
最初は鳥かと思って気を留めていなかった私だったが……ソレが近づいてくるのを見て、信じられずに目を擦ったほどだ。鳥であれば羽があるはずなのに、ソレには羽らしきものがなかったのである。そんな摩訶不思議なモノが幾つも通り過ぎていく。
よく見ていると、木のように見えたものはゆらゆらと揺れている。
揺れていないものもあるけれど、赤や黄、青色などでエーヴァには初めて見るようなものばかりだ。
夢かと思い、自分の手を頬へと当ててみる。自分の手の温かさが頬にじんわりと伝わってきた。改めて自分の手を見つめても、その手は生前の自分の手に変わりはない。
ここはもしかして神の座す場所だろうか……でも、私の直感では「自分は生き延びた」のではないか、とも思っている。
生きているのかも死んでいるのかも分からないこの状況を呑み込めずにいると、不意に扉の外から足音が聞こえてきた。私は部屋の扉が開くまで、じっと扉を見つめていた。




