第九話:聖なる檻の崩壊と、悪魔の証明
王都の外れ、聖イグナチオ大聖堂。
その最奥にある「祈りの間」は、張り詰めた空気に包まれていた。
「……エリザベス様、どういうことですか? 王家の兵が、貴女を殺そうとしているだなんて」
聖女イリアは、蒼白な顔で震えていた。
エリザベスは祭壇の前の階段に優雅に腰掛け、冷めた瞳でステンドグラスを見上げている。
「言葉通りの意味よ、イリア様。貴女が毎日祈りを捧げているこの祭壇……ここが何のための場所か、本当にご存じないのね」
「ここは、国を清めるための……」
「いいえ。ここはホワイトドラゴンの魔力を搾り取り、ブラックドラゴンの餌にするための『搾取場』よ」
エリザベスは嘲笑した。
この聖女は、自分が牢獄の看守であることすら知らされていない。哀れな道化だ。
「私がここに来たのは、貴女に匿ってもらうためではないわ。……ここが一番、『客』が来やすい場所だからよ」
その時だった。
教会の扉が乱暴に開け放たれ、黒装束の男たち――王家直属の『執行人』たちが雪崩れ込んできた。
「いたぞ! 生贄だ!」
「エリザベス様、下がって!」
イリアが聖杖を構えて立ちはだかる。
「ここは聖域です! 狼藉は許しません!」
「退け、聖女! これは王命だ。その女は国の礎となる『燃料』なのだ。心臓を抉り出し、速やかに炉へくべねばならん!」
「な……心臓……?」
イリアが言葉を失う。
執行人たちは聖女を突き飛ばし、エリザベスへと殺到した。
ぎらつく刃が、エリザベスの喉元に迫る。
だが、彼女は動かない。ただ、扉の向こうの気配を睨みつけていた。
(さあ、見ているのでしょう? クロード。これが貴方の国の姿よ。貴方が『いらない』と言った私を、貴方の国はこうして肉塊に変えようとしているわ)
執行人の剣が振り上げられた、その瞬間。
ドォォォォォンッ!!
教会の壁が爆ぜた。
物理的な破壊ではない。圧倒的な魔力の奔流が、石造りの壁を紙細工のように吹き飛ばしたのだ。
「……不愉快だ」
土煙の中から、漆黒のオーラを纏ったクロードが姿を現した。
その金色の瞳は、エリザベスを取り囲む執行人たちを、汚物を見るように見下ろしている。
「で、殿下!? なぜここに……!」
「俺の所有物に刃を向ける許可を、誰が出した?」
クロードが指を弾く。
それだけで、執行人たちの体が黒い炎に包まれた。
「ぎゃああああッ!?」
断末魔の叫びと共に、彼らは一瞬で灰と化した。
腰を抜かすイリアと、静かに立ち上がるエリザベス。
クロードは、エリザベスの手を取り、勝ち誇ったように言った。
「迎えに来たぞ、エリザベス。……見ろ。お前を縛る『生贄の祭壇』も、この通りだ」
彼が魔力を放つと、イリアが守ってきた神聖な祭壇が、音を立てて崩れ去った。
「これで満足か? 私はお前を生贄になどしない。このシステムそのものを否定してやる」
クロードは、自分の力を証明したつもりでいた。
しかし、エリザベスは鼻で笑い、彼の手を振り払った。
「あら。こんな石ころを壊したくらいで、私が『はいそうですか』と信じるとでも?」
「……何?」
「祭壇なんて、ただの『皿』よ。皿を割ったところで、私を料理する『料理人』と、それを食べる『胃袋』がある限り、何も変わらないわ」
彼女は崩れた瓦礫を靴底で踏み砕き、クロードの胸板に指を這わせた。
「貴方が今は『いらない』と言っても、国中の人間が『国のために死んでくれ』と私を殺しに来る。……先ほどの男たちのようにね。貴方はその時、何万という国民全員を敵に回してまで、私を守り切れるの?」
「……私を誰だと思っている。その程度の雑事、造作もない」
「口だけなら何とでも言えるわ」
エリザベスは、クロードの耳元で、悪魔のように囁いた。
「ねえ、怪物さん。本当に生贄がいなくても平気だと言うなら……証明して見せて?」
「証明?」
「ええ。私を縛り付けようとする『国』そのものを、貴方のその力で灰にしてみせてよ」
それは、国を滅ぼせという教唆。 イリアが「ひっ」と息を呑む中、クロードは一瞬の沈黙の後――愉しげに口角を吊り上げた。
「……ハッ。いいだろう」
その笑みは、エリザベスの悪意に呼応した、純粋な怪物の笑みだった。
「ならば見せてやろう。私が鎖につながれた犬なのか、全てを食い尽くす竜なのかを」
クロードの魔力が膨れ上がり、教会の天井を吹き飛ばした。
見上げる空は、不吉な赤黒い雲に覆われ始めている。
「行くぞ、エリザベス。お前が望むなら、王都ごと焼き尽くして、最高の特等席で『証明』してやる」
「ええ、連れて行って。……私の魔王様」
二人は聖女を置き去りにし、崩壊する教会を後にした。
残されたイリアは、瓦礫の中でただ祈ることしかできなかった。これから訪れる終末が、せめて安らかなものであるようにと。




