第三話:断崖の共犯者と、真の追っ手
数時間後。
王都と辺境を隔てる険しい山岳地帯、「嘆きの渓谷」。
激しい雷雨が叩きつける中、アリオスは馬車を停止させた。
「……ここならば、誰も見ていません。足元も悪く、落石も多い難所です」
アリオスは馬車を降り、扉を開けた。
エリザベスはフードを目深に被り、泥濘む地面へと降り立つ。
「ありがとう、アリオス様。……貴方のその決断が、いつかヴォルケンを救うと信じていますわ」
エリザベスは感謝の言葉を述べながら、内心では全く別のことを考えていた。
(この場所、最高ね。ここなら『死体が見つからなくても仕方がない』と言い訳が立つ。それに、この雨が私の足跡も匂いも消してくれる)
「……行ってください。私の気が変わらぬうちに」
アリオスは剣を抜き、無人の馬車に向けた。
レッドドラゴンの眷属としての魔力を刃に乗せる。
「ご武運を」
エリザベスは短く告げると、闇の深い森へと身を翻した。
直後、アリオスの剣閃が崖上の岩盤を砕く。
轟音と共に巨大な岩が崩落し、豪奢な馬車を直撃した。馬車はひしゃげ、そのまま断崖絶壁の底へと吸い込まれていく。
ガラガラドォォォン……!
雷鳴にかき消されるような破壊音。
アリオスは雨に打たれながら、自らが作り出した「事故現場」を見下ろし、拳を握りしめた。
「これで……よかったのだ。あの方の狂気を止めるためには……」
自分に言い聞かせるように呟いた、その時だった。
ヒュッ――!
風切り音と共に、何かがアリオスの頬を掠めた。
彼は反射的に剣を構え、振り返る。 そこには、闇に紛れるように立つ、数人の黒装束の男たちがいた。
「――何者だ」
アリオスの誰何に、男たちの一人が舌打ちをする。
「……チッ。近衛隊長殿か。邪魔なことを」
その装束の紋様を見て、アリオスは息を呑んだ。
それは、王家直属の暗殺部隊『執行人』の印。
「貴様ら、なぜここに……。まさか、エリザベス嬢を?」
「我々は王命により動いている。『生贄』の確保、それが叶わぬなら処分せよとの勅命だ」
男は冷淡に告げ、谷底を見下ろした。
「だが、遅かったか。……馬車ごと落ちたとなれば、『心臓』の回収も困難だな」
「な……ッ!?」
アリオスの脳裏に、エリザベスの言葉が蘇る。
――『殿下は私に執着している』
――『私が逃げれば、殿下は正気に戻る』
だが、現実はそれ以上だった。 王家そのものが、明確な殺意を持って彼女を狙っていたのだ。
(彼女は……気づいていたのか? 自分が命を狙われていることに。だからこそ、私に『逃亡』を懇願したのか?)
アリオスの中にあった「主君を欺く罪悪感」が、「彼女を救ったという安堵」へと変わる。 もし自分がここで馬車を落としていなければ、彼女はこの男たちに惨殺されていただろう。
「……去れ。ここには何もない。あるのは、不幸な事故の跡だけだ」
アリオスは殺気を放ち、執行人たちを威圧した。
自分がエリザベスを逃がしたことは、絶対に悟られてはならない。それはもはや、クロードのためだけでなく、彼女の命を守るための「騎士の誓い」となった。
一方、森の茂みの中からその様子を窺っていたエリザベスは、口元に暗い笑みを浮かべていた。
(やっぱり来たわね、燃料回収係たち。少しタイミングが早かったら危なかったけれど……ふふ、アリオス様の顔色が真っ青よ)
これで、アリオスは完全に「共犯者」となった。
彼はクロードに対し、エリザベスの死を報告するだろう。そして、それが「暗殺者から彼女を守るための嘘」だと信じ込む。
(完璧だわ。さあ、始めましょう。クロード、貴方が私の死を知った時……ただの『悲劇』で終わらせるのか、それとも『世界』を敵に回してでも追いかけてくるのか)
エリザベスは雷光に照らされた森の奥へと、軽やかに消えていった。
彼女の背中には、自由への翼が生えているかのように見えた。




