第二話:王の執務室、あるいは凡俗の焦燥
断罪の舞踏会は終わった。
聖女イリアは自らの使命を果たし、疲労して控室で休んでいた。
ヴォルケン王と王太子、そして居心地悪そうに立ち尽くすアダルベール第二王子は、エリザベス・ローゼンシュタイン公爵令嬢の処分を決めるため王の執務室に集った。
ヴォルケン王が重々しく言葉を発する。
「王太子の婚約者であるにもかかわらず、辺境伯と密通していた事実を示す偽りの証拠がある以上、公爵令嬢の罪は明白だ。王家に仇なした者の末路は陰惨たるものでなければならないだろう」
クロード王太子は冷ややかな黄金の眼を父王に向け、即座に反論する。
「父上、極刑は不要です。その件に関しては確たる裏取りができておりません。エリザベスを極刑に処するには理由が弱すぎる」
アダルベールは口を開こうとしたが、クロードの纏う魔力の重圧に気圧され、喉の奥で言葉を飲み込んだ。
「とはいえ、これ以上王家の権威を失墜させるわけにもいきますまい。辺境の修道院に身柄を送り、事実の裏付けをするのがよろしいかと」
王は疲弊しきった様子で、諦念を込めて呟いた。
「……お前がそれでよいと思うならば、そうするのがいいだろう。この件は、お前が責任を持って収束させろ」
王は疲弊しきった様子で、諦念を込めて呟いた。
「御意」
クロードは一礼もせず、翻るマントと共に執務室を後にした。 重厚な扉が閉まる音が響く。 その瞬間、執務室の空気が一変した。
「……愚かな。あやつは何も分かっておらん」
先ほどまでの疲弊した老王の仮面が剥がれ落ちる。ヴォルケン王の瞳には、息子への恐れと、国を守るための狂信的な色が宿っていた。
「父上。兄上は『生贄など不要だ』と本気で信じているようですね」
アダルベールが、卑しい笑みを浮かべて王に歩み寄る。
「ブラックドラゴンの魔力は、強大すぎるがゆえに必ず暴走する。それを鎮めるには、ホワイトドラゴンの心臓をくべる『炉』が必要なのだ。……歴代の王が守ってきたその鉄則を、あやつは慢心ゆえに軽んじておる」
「ならば、好都合ではありませんか。兄上が『追放』という甘い処分を下した今こそ、我々が『炉』を確保する好機」
王は無言で頷くと、誰もいないはずの部屋の隅に向かって声をかけた。
「――おるな?」
音もなく、影の中から黒装束の男たちが現れる。王家直属の暗殺部隊、『執行人』だ。
「はッ」
「クロードが指名した護送役はアリオス一人。……隙だらけだ。道中でエリザベスを確保せよ」
王の声が低く、冷たく響く。
「ただし、生け捕りが最善だが、抵抗するなら手足をもいでも構わん。最悪、**『心臓』**さえ無事ならば、生贄としての機能は果たせる」
「……御意」
「行け。クロードに気づかれるなよ。あやつが『私の所有物だ』などと戯言を言っている間に、国の礎として永遠に管理してやるのだ」
暗部たちが姿を消す。 アダルベールは、歪んだ愉悦に顔を歪めた。
(ククッ……。エリザベスが生贄として消費されれば、兄上の魔力は安定するかもしれんが、その心は壊れるだろう。愛玩動物を勝手に処分された飼い主のように! そうなれば、次期国王の座は私のものだ)
こうして、クロードの知らぬところで、エリザベスに対する「捕獲」と「殺害」の命令が下された。
クロードは執務室を出て、そのまま自身の私室へ戻った。
部屋には、重厚な書物と、竜族の魔力を感じる静謐な空気が満ちている。
「愚かな父め。極刑? 陰惨な末路? そんなものが、エリザベスの知性に釣り合うとでも思ったか」
クロード・ヴォルケン・ドラグーンは、冷たい椅子に腰を下ろしながら、静かに笑みを漏らした。
それは、この世の全てを支配する者が、たった一つの「解けないパズル」を発見した時のような、歪んだ愉悦に満ちていた。
「あの女は、私の退屈を殺すためだけに、すべてを破壊し、逃げ出す。そして、私を『追跡者』として選んだ。なんと光栄なことだろうな」
――愛など、脆弱なものなど持たぬ。私がエリザベスに抱くこの感情こそが、世界中のすべての愛よりも尊い。
『執着』――それこそ至高の感情。誰にも渡さぬ。それが彼女自身であっても。
クロードの内に潜む狂気。エリザベスが自分の前から姿を消すことなど決して許さぬ。逃げるというならば、どこまでも追いかけよう。
「修道院送り? ああ、素晴らしい隔離場所になるだろう。私以外の誰にも、この逃亡劇を邪魔させたりしない。さあ、エリザベス。全力で逃げるがいい。お前の描くシナリオが刺激的であればあるほど、何物にも代えがたい価値を得ることになるのだからな」
クロードがベルを鳴らすと、すぐにアリオス・クレイドル公爵子息が音もなく現れる。彼の顔には、断罪と処分に対する複雑な感情が浮かんでいる。
「アリオス。辺境の修道院への護送についてだ」
「はっ。命じるままに、最も信頼できる騎士団を選定いたします」
クロードは片手で顎を支え、冷たい目でアリオスを見据えた。
「不要だ。護送はお前一人でやれ」
アリオスの顔に、初めて動揺の色が走った。
「し、しかし殿下。辺境への護送は危険も伴います。それに、公爵令嬢の監視と処分は……」
「監視と護衛は、お前に任せる。アリオス。私が与える命令は、ただ一つだ」
クロードは立ち上がり、アリオスの目線まで顔を近づけた。その金眼に、一瞬、漆黒の炎が揺らめく。
「いかなる事態が起きようと、私の許可なく、 エリザベスに手出しをするな。彼女の命を危険に晒すな。 お前は、『王命』 ではなく、『私個人の愉悦』のために動け。これが、『逃亡劇の監視役』 としてのお前の任務だ。承知したな?」
「……御意のままに。必ず、主命を果たします」
アリオスは深く頭を垂れたが、その胸中には、「狂気のゲーム」の始まりに対する、拭い難い戦慄が残った。
翌日、自宅謹慎となっていたエリザベスは、公爵夫妻と共に、クロードの代理人である無表情な文官から処分が伝えられた。
「エリザベス・ローゼンシュタイン公爵令嬢。王太子殿下のご裁断により、貴女の身分は剥奪を免れるものの、辺境の『嘆きの修道院』にて、最低三年の更生を命じる。速やかに身支度を整えよ」
エリザベスの傍らで、公爵夫妻は顔面蒼白になり、すすり泣いていた。娘の罪は明白とされ、抵抗する術がない。
「……承知いたしました。王太子殿下のご慈悲に感謝いたします」
彼女は涙を拭い、淑女の完璧な礼を取る。
(ああ、なんと愚直な。予想通りね。辺境のその修道院こそ、私が周到に準備してきた行き着く先。私の向かう先が、手を打っておいた唯一の脱出ルートだわ。クロードが私を『監視下に置きたい』と考えるなら、王都近郊か、最も遠い辺境か……私の仕掛けた証拠と王家の体面から、『辺境こそが最も合理的』という結論に彼が至るのは計算通りだったわ)
落胆する気持ちが小さなため息となって漏れた。
(誰の知性も、この私には及ばない。クロードでさえも)
「――そうであっても、ここで歩みを止めるわけにはいかない」
(このまま、ここに残って退屈な毎日を送る生きる屍になる未来なんて、冗談じゃない。私は自分の力で新しい未来をつかみ取るわ)




