微笑みは青いガラスの向こうに
アオイは、もう一度、窓に映る自分自身と向き合った。 さっきまでとは違う。涙は止まり、そこにはただ、呆然とした顔の自分がいる。
カレンの言葉が、頭の中で繰り返される。 「ただ、笑ってみて」。
そんなこと、できるはずがない。 笑い方なんて、もうずっと前に忘れてしまった。 作り笑いなら、いくらでもできる。けれど、今、この顔で、どうやって。
それでも。
アオイは、ガラスに映る自分に、心の中で命令した。 動いて。 笑って。
唇の端に、全身の力を込める。 まるで、何年も動かしていなかった、錆びついた機械を無理やり動かそうとするみたいに。
ぴく、ぴくと、頬が引きつる。筋肉が、言うことを聞かない。 それでも、必死に、唇の端を持ち上げようと、ただそれだけを念じた。
出来上がったのは、笑顔と呼ぶには、あまりにも不格好なものだった。 ひきつったように片方の口角だけが上がり、目元は泣きはらしたまま固まっている。 ぎこちなく、どこまでも不器用で、痛々しいほどの表情。
けれど、それは紛れもなく、アオイ自身の意志で作ったものだった。 クライアントのためじゃない。上司のためでもない。誰かに良く思われるためでもない。
生まれて初めての、本当の笑顔だった。
その「不器用な笑顔の自分」から、目が離せない。 アオイは、ガラスの向こうの自分を、ただじっと見つめていた。
すると、今まで自分を隔絶していたはずの冷たいガラスが、今はただの透明な板に思えた。 ガラスの向こうの自分と、ここにいる自分の間に、もう壁はない。
青いガラスに映った顔は、私の心と、同じだから。
その微笑みが生まれた瞬間。 窓に映るアオイの瞳に、遠い街の光が一つ、小さな星のように、きらりと宿った。
物語は、再生の予感を静かに残して、幕を閉じる。




